[非常事態]



 「……体に良くないよ。」
 「あ!」

 同盟軍に加入して、幾日か過ぎた、とある日のこと。
 いつものように人目がつかない場所を見つけて──とはいっても、人のいない場所などごく限られてはいるが──、は、口からプカプカ白い煙を上げていた。
 気配もなく声をかけられ、パッと振り返ると、そこには顰め面をしているルック。

 「ん、どした? が呼んでたの?」
 「……どうしてそこまで話が飛躍するのさ。」

 彼が、こんな人気のない場所に来ることが珍しいと思ったが、その返答を聞けば、軍主殿のお使いというわけではないのだろう。それじゃあ何の用事かと問えば、彼は、それを無視して(当然殴ってやったが)口に加えていた『癒し道具』をかすめ取った。
 思わず眉を寄せ、取り返そうと手を伸ばす。

 「ちょっと…」
 「……これ、体に良くないんだよね? ホウアンが、そう言ってたよ。」
 「はぁ!? 知ってるし! 良くないと分かってても、お姉さんは吸いたいんだよ!」

 彼は、自分から奪った『癒し』を軽く振りながら、そこから出てくる煙に嫌な顔。
 そんな顔するぐらいなら、始めから取り上げなければ良いのに。そう思いながら、デフォルトが不動のお前がいったい何の用だ、と腕を組んで見せると、彼はそれさえも無視し、問答無用で『それ』を引き裂いた。もちろん、眷属紋章などではなく、彼が所持している真なるそれで・・・。

 「ちょっ、おまっ…、切り裂きはねーだろ! 若さゆえの無茶しやがって!」
 「……ここら辺に水はないし、湖に捨てるのも後味が悪いからね。」
 「ちっこい火ぃ消すぐらいで、切り裂きなんか使うな! このアホッ!」
 「……阿呆は、きみだよ。」

 んだとぉ!!と、チンピラのように眉を寄せて彼を睨みつける。
 しかし彼は、動じることなく、呆れたように「ふん。」と鼻を鳴らした。



 ルックとしてみれば、なぜ体に悪いと知っているのにそんな物を摂取するのか、理解し難かった。だから問答無用で切り裂いたのだ。
 すると、彼女は言った。

 「これは、私にとっての癒しなの!」
 「……でも、きみがこれを吸うことで、僕らが不快な思いをするんだよ。」
 「隠れて吸ってるんだから、分かんないでしょ!!」
 「……分かるから、ここに来たんじゃないか。」

 むぅ、と彼女が言葉に詰まる。言外に『なぜだ!?』という意味が込められている。
 ・・・・本当に分かってないのか。これだから、きみは・・・・。
 そう考えながら、一言「……本当に、頭に何も詰まってないんだね。」と前置きして(もちろん直後に殴られたが)、コブが出来たかどうか心配な頭部をさすりつつ、教えてやった。

 「………臭いが付くってことも、分からないわけ?」
 「あっ…。」
 「こんな物を吸ってれば、『吸ってます』って言って歩いてるようなものだよ。言っておくけど、やビクトールも気付いてる。知らぬは本人ばかりなり、って言うけど、きみの場合、知らせないと『歩く弊害』になるからね。」

 ゴンッ!!

 言ってる途中で『少し言い過ぎたか』と思っても、もう遅い。言い終わるか終わらないかの内に、本日三度目の鉄拳が降ってきた。それをモロに食らい、思わず悶絶する。

 「っーーーー!!」
 「あらいやだ!お姉さん、年甲斐もなくマジ切れしそうになっちゃったじゃないの。」

 もうマジギレしてるじゃないか。そう言えば、更にもう一発降ってくるに違いない。
 だから、それ以上の言葉は控えた。沢山の知識が蓄積されている己の脳細胞を、彼女の拳で破壊しつくされては堪らない。

 「……とに……かっ……く……。」
 「あらぁ? そんなに痛かったのぉ? ごめんねぇ!」

 痛みを堪えつつ言葉にするも、彼女は変なスイッチが入ってしまったのか、いつもなら絶対にしないような言葉遣いで「ホホホ!」と笑っている。
 それに普段なら二倍の嫌味で反撃してやるのだが、軽傷を重傷にしたくはない。
 涙目で見上げると、彼女は、腕を組んだまま「ふふん!」と笑っていた。

 「…………とにかく、煙草は………控えなよね……。」
 「オッケ! 分かった。」
 「……?」

 自分の言葉を、意外にすんなり受け入れた彼女。それが余りに素直過ぎて、何かあるのではないかと疑ってしまう。
 その予想通り、彼女は、次に意地悪く笑い、言った。

 「臭いの件に関しては、よく分かった。良い感じに対処する。」
 「……違うよ。だから、僕が言いたいのは…」
 「はぁ? あんたらが迷惑してんのは、臭いでしょ? なら、それをどうにかすれば、吸う吸わないは私の勝手じゃん。」
 「………僕は、煙草をやめな、って言ってるんだよ。」

 言いながら、彼女が懐から取り出したのは、それらが詰め込まれているケース。大きさを見る限り、20本は入っているだろう。いったい今までどこに隠していたのかと思っていたが、裏の裏をかいて、まさか襟の裏だったとは・・・・。
 しかし、ここで退いてはいけないと考えて、彼女の目の前に手を出した。

 「……それ、没収するよ。」
 「はぁ!? ふざっけんな!」
 「ふざけてるワケないだろ? とにかく、それ渡しなよ。」
 「はーっはっはっは、ふざけろ!」

 彼女は、一歩も引かない。更にあろうことか、言い合いをしながらケースから一本取り出して火をつける、といったやさぐれぶり。
 ・・・・・・かなりムカつく。不良娘を叱る親の心境だ。

 「……渡せって言ってるだろ。」
 「嫌だっつってんのー。」
 「……いいから、渡しなよ。」
 「ヤだー。」

 いい加減、子供じみた言い合いに嫌気がさしてきた。渡せ、嫌だの繰り返し。
 決して認めているわけじゃないが、姉と称しているくせに、こういった所が子供っぽい。

 「……こっちに渡せってば。」
 「はぁー、上手いわー。」
 「。」
 「いい加減うるさい。子供が、大人の趣味に口出しすんな!」
 「っ……。」

 最後の言葉には、流石にカチンときた。
 彼女は、いつも自分を子供扱いしてくるが、流石に今の言葉には腹が立った。
 ・・・・それなら、実力行使だ。右手を上げて、詠唱を開始する。

 と、それを見ていた彼女がニヤリと笑った。
 悪寒が走ったが、気にせずに口早に詠唱を続ける。すると・・・・

 「むぐッ…!!?」
 「へへっ、ばーかばーか! 口さえ押さえちゃえば、魔法発動できませーん! 残念!!」
 「………。」
 「ん?」

 もう詠唱する必要はない。彼女の方から近づいて来てくれたのだから。
 すぐさまその襟元に手を伸ばし、ケースをするりと抜き取る。
 途端、彼女がサッと顔色を変える。

 「あっ! てめっ、コノヤロッ!!」
 「……残念だったね。」

 密着したが故に、襟元に隠しておいた『癒し』を取られてしまうなど、彼女には信じ難いことだったろう。少しは頭を使えと思ったが、腹が立っていたので、口に出さずに冷笑してみせた。
 そして、すぐさま近距離転移で距離を取ると、通常の転移を使う為に右手を掲げた。

 「ちょっ……待てッ!!」
 「……本当に、きみの頭には、なにも詰まってないんだね。」
 「お前、それマジ返せよッ!!」
 「……言っただろ? 没収だって。」
 「ふっざけんなッ! それがないと、落ち着かないんだってば!!」
 「……さっきから、馬鹿阿呆って…………それは、きみのことだろ?」

 先ほどのお返しだ。
 しかし、どうやら彼女にとっては、もう関係ないらしい。今は、愛しの『癒し』を取り戻す事に必死のようだ。その証拠にアワアワと両手を振るだけで、距離を詰めてこようとはしない。

 なるほど・・・・やっぱり、本当に、なにも詰まってないんだね。

 「ルック!! 馬鹿でもなんでもいいから、マジそれ返してッ!!」
 「…………僕の用は済んだから。じゃあね。」
 「ふざっっっっっっっっけんなテメーーッ!!!」

 彼女の怒りを軽く受け流して、ルックは転移を発動させた。






 「……………。」

 少年の消えたその場で、ふるふると体を震わせた。
 それは怒りからくるもので、その周りには、ピリリとした空気が張りつめる。
 運悪く、たまたまそこを通りがかったフリックは、原因が分からずとも『相当頭に来ている』ことだけは理解できたようで、そそくさと来た道を戻っていく。

 「ルック……………あんの………クソガキィッ!!!!!」

 バチィ!

 彼女の怒りに、空気が振動して弾けた。だが、本人はそんな事に気付くことなく、彼が逃げたであろう城内へと駆け出す。
 『鉄拳5発は覚悟しとけ!!』というオーラを漲らせる彼女を見かけてしまった『運の値の低い者達』は、その姿に恐れを成して逃げたという。

 シガレットケースが、彼女の手元に戻った経緯は・・・・・・・・また後日。