[禁断症状]
何よりも、というには、些か語弊があるかもしれない。
だが、大切かつある意味酒よりも大事な『癒し』を奪われてしまったら、誰でも腹を立てるものだろう。それも、始めたばかりであるならまだしも、常日頃から好んで摂取しているものなのだから、尚更タチが悪い。
ストレス解消道具として重用していたために、更に苛立ちが募っていく。
「……どこ行った……あのクソガキめ…。」
大事な大事なシガレットケースを求めて城内へと戻って来たは良いものの、それを奪い去った憎き兄弟子は、どこを探しても見つからない。
約束の石版前、奴の自室、レストランに屋上。どこへ行っても見当たらなかった。
こうなりゃ真の紋章使って気配を割り出したる、と右手に意識を集中させてみたものの、何故だか全く反応もなく、気配すら感じることが出来ない。
・・・・・・なんで?
後に、師からその『詳細』とも取れる事実を聞くことになるのだが、今は誰にも理解しえない事。それが更に苛立ちを募らせた。
「……………。」
全く無意識に、襟の裏へ左手を持っていってしまう。それは、いかにその『癒し』に依存していたかの表れ。吸う吸わないの前に、それがないと不安になるのだ。
自分にとって、大切な癒し。
「……っ、ちくしょう、あのガキ…………どこ行きやがった!!?」
「ヒッ!」
怒りに任せ、城内の入り口付近の壁を殴りつける。ドカッと派手な音を立てて、そこには拳の跡だけでなく、まるで巨人が殴ったようなクレーター。
だが生憎、本人は、殴ってすぐに踵を返してしまった為、その惨状に気付くことはなかったが、たまたまそれを運悪く見ていた兵士Aさんは、後に仲間兵士達に「あの時の彼女は、尋常じゃなかったよ…。」と語ったという。
それから、半日。
今では『小憎らしい』を通り越し、『捕まえたらブッ飛ばす』に昇格されたことを知らない兄弟子は、今もまったく気配を感じさせない。
の苛立ちも、すでに限界突破していた。
人は苛立つと、普段は大人しく引っ込み思案な性格であっても、急激にその仮面を取り払って『怒り』を見せる。それは、食欲や睡眠欲からでも起こりうるものであるが、それが『大切な物を奪われた』となれば、尚更だ。
彼女は、大人しく引っ込み思案な性格なわけがない。普段は誰とでも笑顔で話し、面倒見が良い性格だと思われていても、流石にそれを取り上げられてからは、目に見えて不機嫌な顔になっていった。
・・・・苛々する。そりゃあ、モノ凄く。・・・・・・ムカつく。
しかし、誰かに八つ当たりなどもっての他、と考えた彼女は、誰に理由を告げることもなくひっそり自室に閉じこもった。
買い物に付き合ってくれませんか?と、扉を叩いたに「腰痛が酷くて…。」と大人の断り方を披露したのは、数時間前。
料理を作ったんだけど食べてみて!と、扉をブチ開けたナナミに、「腹痛が酷くて…。」と冷や汗かきながら断ったのは、数十分前。
飲もうぜー!と、酒の誘いをかけてくれたビクトールに本当の事を話し、丁重にお引き取り頂いたのは、数分前。
しかし・・・・・
これ以上、誰かが来たら、にべもなく「失せろ。」と言ってしまいそうだ。そんなこと、とてもじゃないが出来るわけない。
どうしよう苛つくムカつく腹立つ胸がムカムカするーーーッ!!!
「……………。」
とりあえず、腰掛け貧乏揺すりしていた椅子から立ち上がり、部屋の中をウロついてみる。
テーブルに両手をついて、ふー、と深呼吸してみる。
気分を変えるため、本を手に取ってみる。
・・・・・・・・・落ち着かない。
落ち着こうとすればするほど、心が体が『癒し』を求めるのだ。
限界など、とっくの昔に越えている。
どうしようもなく壁を殴りたくて仕方なかった。(実は、さっきから何度も殴っているが)
「だぁーーーーーーッっ!!!ふざっっっっっけんな、クソガキがあぁッ!!!!!」
彼女が叫ぶと同時、パリィーンッ!とその声量だけで窓ガラスが吹き飛んだ。
そして、その部屋の前を偶然通りかかっていた紋章師Jさんは、後に「あの時の彼女の魔力……尋常じゃなかったわ。」と語ったという。
辺りは、すっかり暗くなっていた。
数々の訪問者達(中には、彼女を心配して何度となく押し掛けた者もいる)に、怒りオーラを力の限り押さえつけながら笑顔でお引き取り願い続けたは、もうぐったりとしていた。
・・・・苛立ちを隠すのにも限界だ。
こんな事になるなら、一旦魔術師の塔に戻ってレックナートさんに聞けば良かった。
心内そう嘆いてみたものの、今となっては、そんな気力すら残っていない。
ベッドにぱたりと横になって、膝を立て貧乏揺すりしながら、腕を目元にあてた。
苛々を通り越して、不安や不満の塊となった、この心。食事をする気もおこらない。
とにかく、何とかして取り返さねば・・・・。
しかし、作戦を練ろうにも頭が働かず、一日中イライラしていたせいか、ズキズキ痛み始める。壁には、先ほどよりも増した、己が拳の跡。
と・・・・・・
「きみ、なにやってるのさ?」
「………………。」
聞き覚えのある声。
だが、もう顔を上げることも視線をやることもしなかった。溜まりに溜まった苛立ちと疲労に、返答する気も起きなかったのだ。
それに違和感を感じたのか、ルックがもう一度口を開いた。
「?」
「……うるせーよ。」
誰かに当たりたくないなんて思っていても、つい地が出てしまう。それも、原因を作った犯人が相手なのだから、つい口調が荒くなる事ぐらい許してほしい。
彼は気にした風もなく、呆れたように言った。
「まったく………なにを苛立ってるのさ?」
「………。」
「…」
「うっせーよ。勝手に入ってくんな。それと話しかけんな。あんたとは、話したくない。」
「っ………。」
ここでようやく、彼は自分の心情を理解したらしい。僅かだが、言葉を詰まらせた。
それから、沈黙。
暫くすると、何かゴソゴソと音がしたので、視線を動かす。
目の前には彼がいて、シガレットケースを持った手を自分の前に差し出している。
「ほら、返すよ。」
「………いらねーよ。」
「そこまで苛々するなら、レオナにでも言えば良かっただろ?」
「……手に入れるだけでも、時間かかんだよ。」
もうお前とは話したくない。だから、それ以降口を閉じた。
店に注文を入れても、届くまでには時間がかかる。
彼女の言葉でそれを解したルックは、一つため息を吐いた。
そして次に、受け取らない彼女を諦めて、シガレットケースをテーブルに置く。
「ほら……返したからね。」
「……………。」
「。」
「うっせーよ、とっとと出てけ。」
「っ……。」
普段ならば・・・・いや、これまで見たことも聞いたこともない彼女の冷たい言葉に、思わず目を剥いた。
だが、そこで本当に『理解』した。
彼女は、それを『癒し』と言っていた。
魔術師の塔で共に暮らしている時にはなかった、その趣味。旅から戻ってきた頃には、彼女は、すでにそれを使うようになっていた。
煙を吸って、何が美味いのか。そう思っていたが、他人の趣味に口を出す気はなかったし、彼女も人目を避けてそれを吸引していたようなので、それまで何も言わなかった。
だが、ホウアンが言っていたのだ。「あれは、体に害なす物ですよ。」と。
そして「いきなりそれを止めると、禁断症状というか、かなりの苛立ちを伴うようです。」とも聞いていた。
だから、余計に理解不能だった。なぜ体に悪いと知っているのに、そんな物を好み必要とするのかが。
ただ、良かれと思って取り上げただけだった。彼女の為を思って・・・・。
それまでは、分からなかった。でもようやく分かった。
彼女は、酒も少々たしなむ事はあるが、本当に少量だ。ビクトールやフリック達と飲んだくれている所を見かけはするものの、適量である酔い方だと分かる。
けれど、『それ』だけは違った。
一度、後をつけて調べてみたこともあるが、一日に軽く20本を吸引している時もあった。その時の彼女は、大抵伏し目がちで、どこかに遠い想いを馳せるような顔をしていた。それがいったいなんなのか、今の彼が知ることはなかったが、確かにそうだった。
ようやく、理解した。『それ』に頼らずにはいられないほどに、彼女の心は弱いのだ、と。
「……………悪かったよ。」
だから、そう言葉にした。心から、傷つけてしまったことに対して。
そんなことも知らないで。分からないで。
きみが、『それ』に頼らなくてはならない理由も分からず、何もしらないくせに、きみから『それ』を奪ってしまって・・・・。
「…………ごめん、。」
今度は、がその言葉に目を見開く番だった。
毒舌、頑固、他人に一切興味なし。そんな三拍子揃ったはずのあのルックが、非を認めて謝ったのだ。これには、流石に驚愕せざるをえない。
見れば彼は、少し項垂れて顔を背けている。それは、いつもの小憎らしいものとは全く違った様子だった。反省はしているものの、それ以上どう表現して良いのか分からない、というような態度だった。
あぁ・・・・・・・なんか、もう、それだけで充分だわ。
苦笑いしてベッドから立ち上がると、彼に言った。
「もういいよ。あんたが、そうやって言ってくれただけで、私は嬉しいから。」
「……………。」
「酷い言い方して………私の方こそ、ごめんね。」
「僕は……別に…」
よいしょ、と、あえて婆臭い物言いをしながら、言い訳しようと背を向けた彼を後ろから抱きしめる。自分よりずっと小さくて華奢だと思っていたその体は、成長期なのだろう、最初に出会った時よりも随分と大人に近づいているように感じる。
だが、そんなことを言えば可愛くない言葉が返ってくると思ったので、誤摩化しを含めて彼の肩に頭を乗せる。
彼は、珍しく、それに嫌がる素振りを見せなかった。
それから、数日後。
『匂い』対策を真剣に考慮した彼女からは、それを感じさせない優しい香りが漂うようになった。
それが、いったい誰からの贈り物だったのか。それは、送り主が彼女にそれらしき『物』を渡す場面を偶然目撃していた、軍主しか知らない。
禁断症状は、彼女の内一つの側面。
そして、贈り物の『香水』は、優しい彼女を想う、小憎らしい少年からの緩風。