[明日も明後日も]



 風が、頬を撫でた。
 さらさらと髪をも揺らすそれは、進路を南へ南へと真っ直ぐに吹き抜けて行く。
 少しだけ冷たい、北風。

 巨大な森にある、その塔。
 頂上には何も置かれておらず、酷く殺風景な印象を受けるが、そこから見渡すことの出来る壮大な景色はただただ美しく、現実というキャンバスに”永遠”を描き続けている。

 「…なぁ……。」

 広くも厳しい、この大地。それを見渡せるその場所で、男が声をかけた。
 男とはいっても、それは少年と青年の合間にいるような、そんな声。それは柔らかく澄んでいて、風に優しく馴染む響きを持っていたが、どこか伺いを立てるような色を持っていた。

 ”声”は、風に攫われる。

 その声に振り返ったのは、本来ならば黒く艶のある髪を、銀に抜き上げた女。人工的なゲーンズボロの髪を無造作に束ねて、風の思うまま揺らせている。
 女は、男に背を向けた状態で、静かに答えた。

 「………なに?」
 「何って…」

 はぐらかされたのかと思ったのか、男が、少しだけ眉を寄せた。

 「呼んだでしょ? だから、なに? って言っただけ。」
 「そんなこと、分かってる…。」
 「じゃあ、なに?」

 サァ、と風が吹き抜けた。先程よりも強めのそれに、女が手をかざす。緩やかなその動作が、男から見える女の時の流れを遅く感じさせた。

 「何か……あったのか?」
 「何かって…?」
 「『あっち』で………何か、あったんだろ…?」
 「…………。」

 途端、女が口を閉じた。それまで穏やかだった空気が、ゆっくり重くなっていく。
 それを見て男は、その心境を悟った。『思い出したくない』と言っているのだ、と。

 「俺には、言えない……か?」
 「…………。」
 「いや、いいんだ…。無理にとは思ってないから…。」

 風が、抜ける。
 石の手摺に腰を下ろし、一歩間違えれば落下してしまうだろう女の髪を、体を、抜ける。
 そして、その少し後ろに佇む男を。

 男は、ゆっくりとした歩調で女の真後ろに近づくと、その腰に腕を伸ばした。優しく優しく、抱きしめるように。
 もう数えることもしなくなった長き永き年月を。そして、数々の修羅場をくぐり抜けて来たであろう女を。優しく、強く、抱きしめた。

 何がおかしいのか、女が小さな声を出して笑った。

 「…………なんだよ?」
 「いや、なんでも……。でも、ありがとうね…。」
 「なにが……」

 回した腕に手を置きながらそう言った女に、男はまた眉を寄せた。
 先ほどよりも、更に深く。

 「嬉しかったから、そう言っただけだよ…。それとも、私に甘えたかっただけなの…?」
 「……………。」

 からかわれたと悟り、男は無言を返した。だが、その腕を離すことはない。両腕でしっかりと絡めながら、今度は仕返しとばかりに問うた。

 「俺は……お前の役には、立てないのかよ…。」
 「…違うよ…。役に立つ立たない、じゃないんだよ…。」
 「それじゃあ、なんだよ…。」

 そう言ってやると女は、少しだけ俯いて、ポツリと言った。

 「……聞いてもらったとしても、それが”運命だった”と結論づけるなら、結局、私にだってどうすることも出来なかったって話で…。」
 「なおさら、意味分かんねーよ…。」
 「ふふ……そっか。」

 そう言って笑うと、女は、器用に男の方へと体の向きを変えた。そして先の礼なのか、それとも単純な行動なのか、黙って男を抱きしめる。
 位置づけから、男の顔がすっぽりと女の胸に収まる。それに照れたのか、男はもがきだすが、女の力がそうさせなかった。
 女は、黙ったまま男を抱きしめていた。男は、大人しく負けを認めた。

 「……ねぇ…。」
 「なんだよ?」
 「……聞きたい…?」

 頭上で、少しだけ悪戯心の籠った声。
 けれど反面、それは、何かを恐れるような響きが込められていた。

 「俺は……」
 「……なに?」
 「お前が、言いたいと思った時に………………聞ければ良い。」
 「………そっか。」

 顔を上げて、女を見つめた。そして、昔とは全く変わってしまった笑い顔に少しだけ胸を痛める。長い時の流れの中で、彼女は、それほどまでに様々な”想い”を抱きながら生きてきたのだろう。

 それでも女は女であり、男は男のままだった。
 二人は、何も変わってなどいなかった。

 「さて、と…。」
 「……もう行くのか?」
 「うん。」
 「……今、来たばっかじゃないか。」
 「少し、風に当たりたかっただけだから…。」
 「……そっか。」

 また、風が吹いた。
 先よりもいっそう強く、冷たく。

 それでも女は、笑っていた。嬉しそうに、哀しそうに。
 見つめる先は、きっと、もう二度と戻ることの適わぬ”あの世界”。
 それを見て、男は俯いた。二人を隔てた”時間”という名の境界線に、少しだけ苦い想いが込み上げる。

 けれど、”今”は、確かに続いてた。
 そして、これからも、ずっとずっと、続いていく・・・・・・・。



 もう一度だけ問おうと、口を開いた。
 それを知ってか知らずか、彼女はくるりと振り返ると、言った。

 「まぁ………どの”世界”にも、共通する事は、一つや二つじゃないってこと……かな。」

 「優しさも悲しみも…。」と付け足して、彼女が空に手を伸ばす。
 その意図することは、分からない。けれど、断片的にその映像を見て取れたような気がした。彼女が見たであろう・・・・・・とある”世界”の結末を・・・・。

 彼女の右手を取り、何も言わずに、その甲に口付けを落とす。
 次に、彼女がそれを宙に掲げると、足下に光が零れ落ちた。
 それは、淡く輝く波紋となって、自分達の足下を照らす。

 「でも……」
 「……うん、分かってる。この傷が癒える時が来たら、必ず………言うから……。」
 「あぁ……分かった。」

 待ってるな、と、彼女に口付ける。
 ありがとう、と、彼女は微笑んだ。

 哀しく、儚く。
 ただ、この”時”を、懸命に愛するように・・・・・・



 ”永遠”という時間が あるのなら
 気長に待つのも良いかと思えた

 ”永遠”という時間が あるのなら
 少しぐらいなら 待ってやっても良いかと思えた

 この瞬間も ”永遠”として この心に残り続けるのなら

 ずっとずっと、いつまでも・・・・・・・