[優しい笑み]



 太陽暦461年。

 とある日のこと。
 ハルモニア神聖国領内の辺境にある、とある片田舎で、元気な産声が上がった。
 焦げ茶の髪と、同じ色の瞳を持つその男の子は、平和という意味を持つ『パズ』と名付けられた。



 太陽暦465年。
 パズが4歳になった、とある日のことだった。
 母と姉、そして数人の召使たちと共に暮らしていた彼の元に、見知らぬ男が訪ねて来た。
 端正な顔立ちをした、真っ直ぐな金髪の男だった。

 男を見るや否や、母が泣き出した。そして「お帰りなさい…。」と言って、男の胸に飛び込む。姉は言葉にならないのか、嗚咽を上げながら男に抱きついた。

 その男が自分の『父親だ』と母から紹介されたのは、すぐだった。その言葉に、父という存在をそれまで知る事のなかったパズは、僅かな戸惑いを見せた。
 けれど、誰かに似ているとも思った。よくよく見れば、鏡に映った自分とそっくりだったのだ。

 「……父………様…?」

 言葉にしてみれば、それはすんなり少年の心に馴染んだ。父と呼ばれた男は、それまで戸惑ったような顔をしていたものの、その言葉を聞くや否やどっと涙を溢れさせた。そして、ゆっくりと歩み寄り、強い力で少年を抱きしめると「ごめん…ごめんね…。」と、何度も繰り返しそう言った。
 何故だか嬉しくて、少年は、声を上げて泣いた。

 その日の内に、帰還を祝う食事会が行われた。
 それは少年と母と姉と父だけのものだったが、静かで慎ましやかな中に大きな喜びが溢れていた。

 家族のその微笑みが、少年にとっての喜びになった。
 とても、とても大切な日となった。






 それから一年経った、ある日のこと。

 庭で一人棍の稽古をしていると、知らない女性が訪ねてきた。
 女性は『』と名乗り、父に会いたいと言ったため広間に通すと、すぐに父の書斎へと足を運んだ。しかし、訪問者の名前を聞いても心当たりが無いのか「誰だろう?」と言いながら、広間へ赴く父。その後ろを追いかけた。
 広間には、母もいた。

 女性を見た瞬間、父が息を飲んだ。
 子供心ながらに『どうしたのだろう?』と考えてみたが見当もつかなかったので、二人の会話をじっと聞こうとした。だが母に手を取られ、退室を余儀なくされた。
 「だれですか?」と聞くと、母は「私と父様の、恩人よ。」と笑った。

 なんとなく、あの女性の持つ雰囲気に惹かれた。それは、まだ幼いパズにとっては、恋と呼ばれる部類ではなかったが、その空気をもう少し感じていたいと思わせるものだった。

 母に言って、一人庭へと戻り広間の裏手へ回ると、窓へ手をかけて中を覗き込んだ。父と女性が、何か話している。内容は分からなかったが、恐い雰囲気ではない。
 と、女性が革手袋を取り、父に向かって手を掲げた。父も同じように、いつもしていたはずの手袋を取って女性に掲げると、途端、眩いばかりの光が広間に溢れた。その光景に目を丸くしたが、光が収まると、女性と父は何事もなかったように互いに手袋をはめた。

 いったい、いまの光は、なんだろう?

 そう思うと同時、好奇心に火がついた。あの女性が帰る時に、こっそり聞いてみよう。父に内緒で『あの光はなんだったの?』と。
 それから暫く二人は何か話していたが、やがて女性が広間を出て行った。父も見送るためか、広間を出ていく。

 玄関の方へと駆けた。玄関から死角になる位置に座り込むと、母と父に手を振って別れる女性に目を向ける。
 と、ここで女性と目が合った。まるで自分がここにいることを分かっていたかのように。
 思わず身を隠したが、何となくバツが悪い。もう一度顔を覗かせると、ニコリと女性が笑った。そして近づいてくることもなく手を振ると、口元だけで「バイバイ。」と言って、歩いて行ってしまった。

 ・・・・追わなくちゃ!

 そう思い、その背を追いかけた。なんとしても聞きたかった。だから・・・。
 門を出た先でようやく追いつき声をかけると、女性が振り返った。
 どうしたの? と笑いながら。

 先ほど見た光景を話した。女性は、それに驚いたような顔もせずに、「…内緒。」と笑った。そして懐からなにか取り出すと、それを渡してきた。あめ玉だった。
 これは・・・・『わいろ』というやつだろうか?
 わいろは受け取りません。そう言うと、彼女が目を丸くした。そして、次に大声で笑いながら頭を撫でてくる。この女性、かなり声量がある。普段『危ないから、門の外に出てはいけない』と口酸っぱく言われていたものだから、自分がいる場所が両親に知れないかどうか不安になった。

 すると女性は、言った。

 「賄賂じゃなくて、物々交換ってのはどうかな? きみが、今の秘密を私に返してくれる代わりに、私はこの飴を上げるよ。」
 「……そういうのを『わいろ』と言うんだと、父様がいってました。」
 「へぇ…なるほど。お父さんに似て、頭の良い子じゃん。」

 父親を褒められて嫌だと思う子供はいない。自分もその内の一人だった。思わず顔が綻ぶ。
 もう一度、頭を撫でられた。その手つきは、とても優しい。だから、なんとなく秘密を聞き出さなくてもいいかと思ってしまった。

 「それじゃあ、今の『ひみつ』を返します。でも、その飴はいりません。」
 「飴、嫌いなの?」
 「……大好きです。でも、『わいろ』にしたくありません。」
 「ふふっ、そっか。それじゃあ、賄賂じゃなくて、きみが可愛いからこの飴を上げるよ。それならいいよね?」
 「……それなら…。」
 「はい、どうぞ。」

 彼女は、どうしても自分にあめ玉を渡したいらしい。故に、素直にその行為に甘えた。
 とても綺麗な色のあめ玉だった。赤、青、緑、黄色。中には、七色のあめ玉まで。
 その内の一つを口に入れると、とても甘くて滑らかな舌触り。思わずうっとりとした溜め息がこぼれる。

 「それ、美味しいでしょ?」
 「はい。すごく、おいしいです!」
 「それじゃあ、これ全部やるから、持っていきな。」

 そう言って、女性が肩にかけていた革の荷袋から大きめな袋を取り出す。
 その中には、大量の飴。

 「え、でも……こんなにもらえないです…。」
 「いいからいいから! 袋ごとやるから、今あげたやつ全部そん中入れな。お父さんやお母さんに聞かれたら、『って人に貰った』って言えば、何にも言わないよ。」
 「……本当ですか?」
 「うん。ただし、一日に食べる量は、お父さんやお母さんの言う通りにするんだよ?」
 「分かりました。ありがとうございます!」
 「ふふっ。礼着正しい、良い子だ。」

 そう言って、もう一撫でされる。

 「ほら、もう戻りなよ。見つかったら、あんた怒られんでしょ?」
 「はい。でも……」

 じっと見つめると、女性はニコリと笑った。とってもやさしい笑い顔。
 しかし、ふと何か気にかかったようで、自分の首元を見つめた。

 「あれ、それって……。」
 「これですか? これは、ロケットペンダントです。」
 「……知ってるよ、それぐらいは。」

 呆れたような苦笑いで、女性が屈む。

 「それって、確か……きみのお母さんが、持ってたやつじゃない?」
 「はい。これは、母様からもらいました。とっても大切なモノだから無くさないようにって。」
 「……そう…。そう、だよね……。」

 そう言って、どこか懐かしむような顔をした彼女。
 よく分からなかったが、彼女がこのペンダントの事を知っているということだけは分かる。

 これは、母から貰った大切なものだ。
 母は、これを自分に渡す時に言っていた。『私のお兄様の形見でもあり、あなたのお婆様の形見でもあるのよ』と。
 その中には、母そっくりな祖母が、まるでこの世の祝福を全てその身に受けたかのように、優しく静かに微笑む姿。肖像画の中の祖母は、本当に母とよく似ていた。

 ポン、と肩に手を置かれた。見れば女性が笑っている。
 どうしたのかと聞くと、彼女は言った。

 「……お父さんとお母さんを……それと、お姉ちゃんを大切にしなさい。彼らにとって、きみは、かけがえのない宝物なんだから。」

 はい! と元気よく答えると、女性は一つ頷いて歩き出した。
 何も言わず、さよならも言わず・・・・。
 パズは、その背にお辞儀をした。ありがとうございます、と小さな声で言いながら。
 また会いたいな、と思った。また会えるかな、と思った。
 また来て欲しいな、と思った。

 彼女に・・・・・。






 門の中へ入り、閉めたところで、自分を探していたのか父に声をかけられた。

 「パズ、どこへ行っていたんだい?」
 「さんの、おみおくりをしてました。」
 「そうか………あれ、その袋は?」
 「飴です。さんに、貰いました。」
 「あぁ、彼女がくれたのか。」

 そう言って、自分の頭を撫でてくれる父の手は、大きくて暖かい。
 もちろん、母の手も柔らかくて気持ちの良いものだ。

 「父様。」
 「なんだい?」
 「さんて、とってもやさしい人でした。」
 「……そうだね。」
 「また、会いたいです!」

 そう言うと、父が困ったように笑う。
 どうして、そんな顔をするんだろう?

 「父様。どうして、こまった顔をしているんですか?」
 「いや……」
 「笑ってください。」
 「え?」
 「父様と母様と姉様が笑っているのが、僕は、大好きです。」

 父は、その言葉に、本当に心から喜んでくれたのか笑ってくれた。
 そして暫く目を閉じてから、こう言ってくれた。

 「パズ…。きみが、また彼女に『会いたい』と望むなら………きっと会えるよ。誰かを”想う”ことの強さは……きっと、何よりも強いから……。」
 「はい! こんど会ったときに、どこにお家があるのか、きいてみます!」

 大好きな微笑み。大好きな手。
 少年は、父と手をつないで屋敷へと戻っていった。






 その6年後。
 少年は、想い続けた通り、彼女と再会することになる。
 そして、彼女と共に現れた『母の兄』である男と、対面することになる。

 更に、その11年後。
 少年から青年へと成長を遂げた彼は、とある国、とある地、とある場所で、彼らと更なる再会をする。

 太陽暦483年に起こった、『ケピタ鎮圧戦争』の舞台であるイルシオ幻大国にて・・・。