[テディー・ベア]



 彼女が戻ったのは、自分たちが魔術師の塔に戻ってから二刻ほど経った頃だった。

 「ただいまー!」
 「……おかえり。ずいぶん遅かったね。」
 「へっへー! ちょっと寄り道してたんだー。」

 てっきり、クマを買ったらすぐに戻って来ると思っていたため、ルックは、その言葉に眉を寄せた。

 「……寄り道? どこに?」
 「むふふ、秘密ー。」
 「…っそ。」

 どうだ聞きたいか? 聞きたいだろう? と、口元に手を当て胡散臭い笑い方をする彼女を無視して、ぐつぐつ煮え立つ鍋の中身を、持っていたお玉で軽く回す。だいぶ煮えてきた。
 視線を戻せば、彼女の手には、白い包装紙に赤のリボンでラッピングされた箱。だが生憎、この場には、それを渡す相手がいなかった。
 それと分かると、彼女は首を傾げる。

 「あれ? セラは?」
 「……自分の部屋にいるんじゃないの?」
 「そっか、なるほど……そう来たか。」

 てっきり、セラが自分と一緒にいると思ったらしい。
 全く呆れたものだね、と思いながら、鍋に視線を戻す。

 「……行くなら、早く行ってきなよ。もうすぐご飯できるよ。」
 「え、マジで? じゃあ、ちょっと行って来るわ。あ、夕食当番ご苦労さま。」

 そう言って、彼女は手をひらりと振りながら、転移でキッチンを後にした。

 「………あんまり、甘やかすのは良くないよ。」

 一人小さく呟いて、スープの味見をした。






 目の前にある扉をそっとノックすると、キ、と小さな音と共に姿を現し、きょとんとしている少女。ニコリと笑いかける。

 「セラ、ただいま。」
 「………?」

 まだ、返答の仕方が分からないのかもしれない。だから「ただいまって言われたら、おかえりなさいって言えば良いんだよ。」と教えてやる。
 すると彼女は、素直に小さな声で「おかえり…なさい…。」と言った。なんて可愛らしいことか。ニッコリ笑って頭を撫でてやると、少女が、少し口元を綻ばせた。

 分からないようで、分かる。少女の緊張が、ほぐれてきているのだ。

 一言断って部屋に入れてもらい、彼女が椅子に座るのを待つ。テーブルには、それまで読んでいたのか、枝折のはさまれた本が置かれている。
 彼女が座ったのを見計い、は、腕の中の箱をそっと彼女の前に差し出した。自分の頭よりも大きい箱を見て、彼女が首を傾げる。

 「ほら、これ。」
 「…?」
 「開けてみ?」
 「……はい。」

 箱をテーブルに置くと、彼女は暫くそれを見つめていたが、やがて包装用の真っ赤なリボンに手をかけた。そして、するすると解いていく。
 次に、念入りに箱を包む包装紙を、丁寧に剥がしだしたが、途中ビリッと破けてしまい、困ったような顔を向けられる。「気にしない気にしない!」と笑い飛ばして、頭を撫でてやる。

 露になった木箱を抱え、椅子に座る少女に良く見えるように目の前で膝をつき、ゆっくりと蓋を開けた。
 箱の中身を見て、少女は、驚いたようにその大きな瞳を目一杯に開く。

 「これ……は……?」
 「へっへー! 見覚えあるでしょ? これ、さっきあんたが気に入ってたクマさんだよ。」

 ぱちぱちと目を瞬かせた彼女に、ニカッと笑う。そして中身を取り出し手渡した。

 「……様……。」
 「様? なんか痒いから、でいいよ。」
 「…どう…して……。」

 少女の瞳は、クマさんに釘付けになっている。

 「新たな家族に、プレゼント。」
 「かぞ……く…?」
 「うん。」

 ゆっくりと立ち上がり、少女の背をさする。
 透き通るペールブルーの瞳が、真っ直ぐに、自分を見つめていた。

 「あんたは、私の家族になった。そんで私は、あんたの家族になったんだよ。」
 「…セラ、が……?」
 「そう。これから、ここで一緒に暮らす新しい家族。だから私は『宜しくね!』って気持ちを込めて、これをあんたにプレゼントするよ。」
 「あ……。」

 ”家族”という言葉。
 それを聞いた彼女は、ギュッとぬいぐるみを抱きしめた。
 その瞳には、少しずつ涙が浮かびはじめる。

 『愛されること』

 少女は、ただそれを望んでいる。何かに、誰かに。ただ一人の”存在”として。
 家族。それは、きっと何より少女が望んでいたもの。無条件に愛を与え、与えられるもの。それは、親として、兄弟として、また子として。
 愛を知らないこの少女に、まず『家族』の愛を与えたかった。それがエゴであったとしても、表情を持たぬこの娘を、少しでも救えることが出来たらと。そして、”愛”を知った少女が、いつか誰かを愛せれば良いと・・・。

 澄み切ったその瞳から、一粒二粒、涙が零れる。その雫を拭いながら、恐がらせないようにそっと抱きしめた。

 「ね、セラ。私の家族になってくれる?」
 「っ……ッ……。」
 「歳の差から考えると……私、すんごいお婆ちゃんになっちゃうけど。」
 「…っ………。」
 「まぁ、家族っつってもさ。レックナートさんを筆頭に、ルックとかルカとか、クセの強い奴ばっかだけどさ。あははっ!」

 私も含めてね、と笑って、少女の頬に手を滑らせる。そして額を合わせて目を閉じた。
 すると、頬に暖かい温もり。少女の手だった。

 「……セラ?」
 「セラ…は……。」

 少女は、未だ涙を流しながらも、しっかりと自分を見つめている。
 そして、僅かながら微笑んだ。

 「セラも………の家族に……………なりたいです…。」



 ふわふわのクマのぬいぐるみが、二人の微笑む姿を、静かに見届けていた。