[手を取りあって歩いていこう]
唯一無二の親友と別れてから、幾日か過ぎた。
とテッドは、森を出て平原を歩き、トラン地方からずっと北へと向かっていた。
どこを目指していたワケでもない。目的もなく歩き回るのも無意味に思えて、とりあえずはと北を目指していただけだ。
逃げるために。
見つからないために。
テッドは、森を出たあと、に全て話した。
ある女に追われていること。その女に、ソウルイーターを狙われていること。
かつて自分の育った『隠された紋章の村』の存在。その女に村を焼かれ、大切な人々を皆殺しにされ、自分1人だけが生き残ったこと。
ソウルイーターは、祖父からの預かり物で、絶対にその女に奪われてはならないこと。
そして、150年という長い時を、その女から身を隠し生き続けてきたこと。
全て、彼女に話した。
その話をしている間中、彼女は、涙を流しながら聞いていた。
話を遮るわけでもなく、ただ聞いていた。
話が終わると、そっと抱きしめられた。ずっと一人で頑張ってきたんだね、と。
頭を撫でられ、優しく背を擦られた。赤子をあやすようなその口調が、不思議と嫌ではなかった。ガキ扱いするな、なんて言う気も起こらなかった。
その時は、温もりを欲していたんだと思う。今まで自ら凍らせていた心を溶かし、包み込んでくれるようなその温もりを。
彼女の体温が、その言葉と共に胸に深く染み込んだ。
思わず抱きしめ返したが、彼女は驚かなかった。ずっと背を撫でてくれた。
それに甘えて、ずっとずっと、その温度を感じていた。
二人はトランの国境を越えて、この数年後『ジョウストン都市同盟』と呼ばれることになる地へ来ていた。
国境を越えた先、数日歩いていると大きな街が見えてきたので、その日はそこで宿を取った。
その翌日。
「ちょっと、テッド。朝だよ。」
「………んぅ。」
「おいおい。いい加減、起きろー!」
「ん、なんだよ、朝かぁ? ……うぅ。」
久しぶりに柔らかい毛布に包まれぐっすり眠れたのか、彼は、まだ寝ぼけている様子。そんな彼の毛布を、は思いきりはぎ取ってやった。明けの寒さに、彼は小さくブルリと震えている。
この地方は、位置的にはトランの北方にあたるが、気温はいたって穏やかで暖かい。しかし、やはり寝起きはそれなりに堪える。身支度を終えればそうでもないのだが、寝起きの彼は、鳥肌を立てていた。
「頼む、……。あと、五分…。」
「ふっっっっっっっっざけんなッ!!!!」
駄々をこね始めた彼の背中を、軽く蹴り飛ばす。
「っつーーーー!!」
「とりあえず起きろ。」
不意打ちを食らって悶絶する彼に、淡々とそう言いのけてやったが、どうやら彼は、それで拗ねてしまったらしい。無言で背を向けて『嫌だ』と拒否の姿勢を示していた。
「…テッド。」
「……………。」
「はぁ、まったく…。」
「……………。」
いじけ始めた少年の機嫌を取るように、ベッドに腰かけその頭を撫でてやった。ガキ扱いするな、という怒声は返ってこない。
あれ以来、彼は、甘える態度を見せるようになった。ベタベタする、というワケではない。
例えば、今のように蹴られて拗ねてみたり。例えば、時折何か物言いたげに頬に触れてきたり。
もちろん、彼が感情を表に出すという変化を、内心嬉しく思っていた。
彼は、彼の持つ紋章の特性ゆえに、まず第一ともいえるべき『人との繋がり』を断ち、できうる限りの感情を出さないように努めていたのだから。
そんな彼が、あの事件がきっかけといえど、その感情を少しずつでも出せるようになったのだから、非常に喜ばしいことである。悲しみは、まだ癒えることはないけれど・・・・。
自分の彼への務めであり喜びは、共に在ること。そして、亡き親友の願いでもあった、彼の心の安らぎ。別になにをしろということではない。時に抱きしめ支える。ただそれだけでいいのだ。傍にいるだけで、それが喜びに変わっていくのだから。
だからこそ、もしかしたら、彼は心の鍵を開けてくれたのかもしれない。
それを、彼に問う気はないけれど、でももしそうだとしたら、少しだけでも自分が誰かの役に立てているのかもしれない。少しだけ、自信に繋がるかもしれない。
そう。いくらでも甘えていいよ。今までは、それが出来なかったかもしれないけれど。これからは、ずっと傍にいるから。
だから、もう・・・・・何も恐がらなくていいよ。
「………?」
自分の髪を梳いていた彼女の気配が、ふと揺れた。その次に、口元だけで笑っている空気の揺れ。己の習性か、つい突っ込んでしまう。
「…………何だよ。」
「ん? あぁ。あんたって、実は甘えんぼなんだなぁって思ったから…。」
「なっ!」
「はいはい、顔赤くしないの。…良い事だと思うよ? 人に甘えられるのって。」
「おまっ…、からかってんのか!?」
「ふふっ、からかう必要なんか無いしー。甘えたいなら、思いっきり甘えろってこと。」
「…………。」
優しく微笑みかけられる。それが、亡くなった”彼”に悲し過ぎるほどに似ていて。
哀しみと同時に、頬に熱が集まるのを感じた。その矛盾にある果てを、自分はまだ知らない。だが途端、不安が込み上げた。思わず目を瞑る。
親友を奪った自分を、彼女は、どうして許せたのだろう?
自分の不遇を嘆いてのことだろうか? それとも・・・・・。
怖くなった。体が震える。それを問う勇気が持てない。
見えなくなった光を求めるように、ゆっくりと手を伸ばした。そして”それ”は、果てのない暗闇の中にポツリと現れた。
その光は、やがて強さを増し、一人ぼっちだった己の世界を照らす。
目を開けた。伸ばしていた手は、彼女の手に包まれていた。
きっと、彼女は知らない。それだけで、どれほど自分が救われているのか。
同時に、嬉しいという感情が胸の中に満ち満ちた。今、自分は耳まで赤くなっているはずだ。そして彼女は、それを見て小さく口元を緩めている。
自分が、こんな風になるなんて。自分の半分も生きていない小娘に、心奪われるなんて。
思いもしなかった。触れた手が熱い。けれど、なんと満ち足りていることか。
「ねぇ。そろそろ朝御飯なんですけど?」
「………。」
「あんたねぇ……言いたいことがあんなら、口で言え!!」
まだ、このままで・・・。お願い・・・・今は、このままが良いんだ。
そう視線で訴えてみるも、彼女は分かってはくれない。だから身を起こして、そっと抱きしめた。
「…?」
「少しだけで…いいから…。もうちょっとだけ……このまま…。」
「………。」
「な、なんだよ…。」
「……べっつにー?」
少し驚いたように彼女が息を飲んだ、気がした。でも、それでも構わなかった。自分が彼女という存在に慣れてきたように、今度は、彼女が自分に慣れてくれればいい。
そんなに簡単に、気持ちが伝わるはずはない。それぐらい分かっている。
だから、少しでも伝わるように、言った。
「……。」
「ん?」
「………ごめん。それと……………ありがとな。」
言葉の終わりと共に、そっと彼女の腕が背に回された。力強いようでいて、実はとても優しさに溢れている。
不意に涙がにじんだが、そう何度も見られたくない。絶対見せたくない。
今は まだこれでいい
その優しさを 肌で感じて
その暖かさに 心を開いて
今は まだこれでいい
今は まだ・・・・・
でも これからは・・・・・
手を取りあって 歩いていこう