[誓い]



 彼は、心から人を愛せる人だった。
 そして、彼はまた、心から人に愛される人だった。

 彼は、自然を愛した。彼は、森を愛した。彼は、人も愛した。

 その亡骸を抱え、二人で森へ足を踏み入れた。
 覆い茂る木々を踏みしめ、一歩一歩、着実に歩を進めた。森の中の、ずっとずっと奥深くへ。
 その中で、ひっそりとそびえ立っている巨木。その周りには、花が咲き乱れていた。風が吹く度花びらが舞い上がる。何も言わずとも『場所』をそこと決め、時間をかけて二人で穴を掘った。それはとても時間のかかる作業だったが、黙々と掘り続けた。

 どれぐらい時間が経ったのかは分からない。少し空が白んでいるところを見ると、あれからかなりの時が経過したことだけは分かる。

 協力して、彼の体をその中へ横たえた。土をかぶせようとすると、彼女がそれを止め、真っ白な布を取り出して、その頬や腕についた血を拭っていく。
 その表情を見て、テッドはとても胸が締め付けられた。ポロポロポロポロ、眉を寄せて声も上げずに涙を流す彼女に、とてもとても胸が締め付けられた。

 彼女を下がらせて、土をかぶせ始めた。黙々とかぶせた。

 パキ、と音がしてそちらを見やれば、彼女が、太い木の枝を重ねた十字を手に佇んでいた。どうやら、土をかぶせている合間に作ったようだ。
 彼女は、何も言わずに土の上に十字を立てた。

 テッドは、もう、そんな彼女の顔を見ることが出来なかった。



 全て終わった後、二人はその場に佇んで、じっと十字を見つめていた。
 不意に、彼女が、十字に向かって言葉をかける。

 「アルド……。安らかに…………眠ってね……。」

 そう言って、その傍で跪いた彼女を無意識のうちに目で追う。
 彼女は、箱のようなものを取り出した。そしてその包装を解くと、木箱から何かを取り出し、それを十字にかける。結い紐だった。
 それを見て、思う。あれが、きっと彼女が、あのとき駄々をこねてまで買いに行きたかったものだ。あれは、きっと彼だけのために彼女が選んだ物だ。
 結い紐の両端には、翡翠がついていた。十字にかけられた反動で石同士がぶつかり、カチンと音を立てる。
 彼女がその場から辞すのを見計らって、テッドは、自分の武器である『木の弓』をその十字にかけた。代わりに、彼の愛用していた『鉄の弓』を手に取る。

 手が、震えた。

 彼女は、何も聞かない。何があったのか、どうして彼が命を落としたのかも。
 どうして、聞かないんだ? なんで、聞かないんだ? 何も・・・。
 その思いは、知らず言葉になっていた。

 「なんで……。なんで、なにも聞かないんだよ…。」
 「…?」

 お前は、俺に言いたいことが、たくさんあるだろう?
 聞きたいことだって、たくさん・・・。
 それなのに、なんでお前は、なんにも聞かない?

 唇が震えた。握りしめた拳も。

 「なんで……なんで、俺に…っ……何も聞かないんだよッ!!!」
 「なんでって…」

 言葉の意味を解したのか、彼女は目を伏せた。



 は、彼の言葉になにも言えなかった。どう言葉にしたら良いか分からなかったからだ。
 今の言葉は、きっと、彼の今ある本心そのものなのだろう。
 しかし、いったい何を言えと言うのか。

 『あいつの命を奪ったのは、他でもない自分だ』と、彼が言っている気がした。
 『責めてくれ』と、その瞳が言っている気がした。

 けれど、思った。
 たとえ、彼をこの場で責めたとして、彼はそれで満足なのだろうか? 結果として、自分も彼も、より傷つくのではないだろうか?
 だから、何も言えなかった。

 「俺は……アルドを…!!!」
 「テッド……。もう、いいよ。」

 それだけ言った。それしか言えなかった。
 しかし彼は、歯を食いしばりながら尚も詰め寄ってくる。

 「お前は、見てて分かったはずだ! 俺の右手に宿る、呪いの紋章を!!」
 「…………。」
 「俺が…、俺が、アルドを殺したんだ!! 俺について来なければ…アルドだって…!」
 「テッド…。もう、いいんだよ。」

 ずるずると崩れ落ちる彼の肩に、優しく手をかける。
 だって彼は、責められる立場じゃない。現に、こうやって苦しんでいるじゃないか。
 それに・・・そんな彼の”事情”を知らなかったとはいえ、我を押し通して付いてきたのは、他ならぬ自分達なのだ。

 しかし、彼は手を振り払うと、言った。

 「俺に……構うな…。」
 「テッド…。」

 力ない言葉。
 彼は、そう言って立ち上がると、鉄の弓をその肩にかけて歩き出した。

 『だから、俺は……一人がいいんだ』

 彼の背が、そう言っている気がした。
 けれど、そうと分かっていたからこそ、は、彼を後ろから抱きしめた。

 「ッ、止めろ! 離せッ!!」
 「私は、その呪いには取り込まれない!!!」

 暴れようとする彼を力ずくで抑え込み、そう言った。

 「私は…、私は、あんたの持つ紋章の力には、絶対に取り込まれない! 絶対に、取り込まれたりしない!!」
 「なに言っ…!」
 「さっきの黒い霧に、私は取り込まれなかった! だから…!!」
 「ッ、違う!!!」

 そう言って、彼が右手袋を取った。そして、それを目の前にかざす。
 その刻印は、僅かな光を発していた。禍々しく、悲しみを生み出すその気配。

 「俺は…。俺は、このソウルイーターで……アルドの命を喰らったんだ! お前は、確かに真の紋章と呼ばれるものを持ってる。だけど、よく考えろ! それは、今回だけかもしれない。次に、また俺が紋章を抑えられなくなったら…!!」
 「…………。」
 「それに、お前は……俺を恨んでいいんだ……。お前の大切な人間を、殺したんだ………俺が…。」

 そう言って、彼は項垂れた。

 確かに、あの紋章に取り込まれることは無かった。それは、”奇跡”なのかもしれない。
 もしかしたら、真なる紋章を所持していたとしても、あれに命を奪われることがあるのかもしれない。
 真なる紋章を持つ者は、”不老”であっても”不死”ではない。
 自分は、それを知っていた。けれど、なぜか確信が持てるのだ。

 あのとき聞こえた”声”。
 確信を持った声色で、自分に言ってくれたのだ。『大丈夫だよ』と・・・。
 だからこそ、彼の言葉に、はっきりと答えることができた。

 「大丈夫だよ!」
 「なんで…。なんでお前は、そう簡単に……!!」
 「だって大丈夫なんだから、しょうがないじゃん! 私は、大丈夫じゃないことに『大丈夫』って言わない!!」
 「この馬鹿ッ!!」
 「馬鹿でいい!! ……ねぇ、聞いてよ。私は、あんたがアルドを殺したなんて、ちっとも思ってないよ。だって、あんたの意思じゃないじゃん。紋章がやったことじゃん。だから私は、あんたが悪いとかあんたを責めたいとか、そんなこと思ってないよ。最初から、そんな気は無かったよ。」

 自分の気持ちを、正直に話した。
 それを聞いている途中から、彼の大きな瞳からは涙がこぼれ落ちる。それはきっと、罪悪と謝罪の涙。呪いを制御出来ず、アルドの命を奪ってしまった涙。
 彼の正面に回り、もう一度、その体を抱きしめた。

 「ッ、離せ、ッ!!」
 「嫌だ! 絶対に離さない!!」
 「止めろッ!!」
 「テッド、もういいんだよ!! もう……苦しまなくていいよ。テッドの意思じゃないって、ちゃんと分かってるんだから。それに…。」

 ここで、一つ区切った。
 聞いておかなくてはならない事があったからだ。

 「それに、アルドは…。もしかして、その紋章のことを知ってたんじゃないの…?」
 「っ………。」

 その言葉に対する彼の反応で、目を閉じた。やっぱりそうだったんだ、と。



 思えばテッドは、自分同様、人前で手袋を取ることがなかった。
 今さらながら、その意味することをようやく理解できたのだが、当時は自分がそうしていたにも関わらず、分からなかった。
 なぜ取らないのか、と本人に直接聞いたこともあった。彼は、その時「酷い古傷があるから、人に見られたくない。」としか言わなかった。「別に気にしないけど?」と返すと、なぜかいつも決まってアルドが違う話題に変えようとしていた。
 その時は、あまり突っ込み過ぎるのもどうかと思う、といった意味にとらえていたが・・・。

 なるほど、そうだったのか。
 アルドは、彼の呪いを知っていた。その呪いが、どういった性質を持っているのかも。
 知っていて尚、彼は、テッドと共に歩む道を選んだのだ。
 そう・・・・・・なにも知らなかったのは、自分だけ。自分だけが何も知らず、知ろうともせず、安穏と笑って彼らの後をくっついていた。



 目を開け、体を離す。

 「知ってたんだね、アルドも…。でもさ。それでもアルドは……あんたと一緒に生きることを選んだんだよ。それが本望だったなら……私は、それで良いんだよ。」
 「でも…、それでも、俺は…!」
 「それにね…。あの時、アルドは言ってたよ。『誰も恨まないで』って。それってさ……きっと、テッドにも向けた言葉なんじゃないかな…?」
 「え…?」
 「きっとあいつは、あんたが、『自分と一緒に来たからだ』って、自分を責めるって思ったんだよ。だから…。」
 「っ……。」
 「ねぇ、テッド…。」

 彼の名をゆっくりと呼んで、今度は、きつく抱きしめた。
 彼の体は、震えていた。その肩に顔をうずめて、落ち着くようにその背をなでる。

 彼は、自分の元を離れるつもりだろう。そして、また一人ぼっちで放浪するつもりなのだ。
 けれど、せっかくようやっと笑えるようになったその笑顔を、無くしたくなかった。
 こんな時、アルドなら、なんて言うだろう?
 ・・・・・考えるまでもない。彼は、最後に言ってたじゃないか。

 「『一生のお願いだから、きみは、ずっと笑っていて』。」
 「な、に……言って…。」
 「ねぇ…。アルドは、最後にそう言ってたよ。アルドはね、笑ってるのが好きだった。皆が笑ってるのが好きだったよ。だから私は、あんたのこと一人にしないよ。今は、まだ無理かもしれないけど……いつかまた笑えるように、私がずっと傍にいてあげる。」

 背を撫でていた手を、そのオレンジの髪へ伸ばす。何度も何度も優しく撫でた。

 「私……誓うよ。」
 「なにを…」
 「私は………この先、絶対にあんたを”一人”にしないから。」
 「…………。」
 「ずっと、あんたと共にいることを……この紋章にかけて誓うよ。」

 右手の甲を見せて、そう誓う。
 それは、彼にかわした誓いでもあり、彼に対する約束でもあった。

 ふと、頬に何かが触れた。彼が、そっと右手を伸ばしてきたのだ。けれど、彼の右手から先ほどのような黒い霧が溢れることはなかった。
 もう、恐くなど無い。
 同じように、右手を彼の頬に滑らせる。その瞳からは、ポタリと涙が零れ落ちた。

 彼に引き寄せられ、抱きしめられた。それに答えるように、優しくその背を撫でてやる。

 「テッド。もう二度と、その紋章に………奪わせないから。」
 「……ッ……。」
 「あんたの傍には…………ずっと、私がいるよ。」
 「……っ……。」

 「そう……ずっと、ずーっと………………永遠に。」



 そして・・・・・



 亡き親友よ きみに誓おう
 きみの願いを叶えるために 私は 彼と永遠を生きると
 それがきみの願いでもあり また喜びなのだから

 亡き親友よ きみに誓おう
 私の願いを叶えるために きみは 彼と永遠を共にする
 それが私の願いでもあり またきみの喜びなのだから

 親愛にして 最愛なる友よ
 決して途切れることのない 二つと無き想いで結ばれた者よ
 きみのその想いを胸に 私は誓おう

 それは 鎖ではなく 荷でもない

 これは そう・・・・・

 きみと私 二人の永遠の喜び