円を描くよう、等間隔で幾重にも重ねられた屏風。
 その中心で、ゆらゆらと炎の揺らめいている、祭壇。
 そのすぐ傍で、見たこともないような文字の綴られた札を炎に焼べる、一人の少年がいた。

 「……あぁ……これは、宜しくない。非常に宜しくない啓示だ……。」

 少年──とはいったものの、その容姿はとても『少年』とは言い難い。
 よく手入れされた真っ直ぐで短めの銀緑の髪、整えられた眉、縁取りのくっきりとした大きなミディアムオーキッドの瞳に、美しく筋の通った鼻、薄く赤に色づいた唇。そして、重ね合わさる衣の上からでも分かる、線の細い肢体。
 この国に住む誰もが『生きる宝石』と呼ぶほどの美しさと雅やかさを兼ね備えた、絶世の美と呼ぶに相応しい少年。

 「どういうこと?」

 少年にそう問うた者もまた、人間離れした美しい容姿をしていた。纏め上げられた黒い艶やかな長い髪に、深いアメジストの瞳。少年の美しさとはまた違った、柔らかで大らかな美貌。それが、過去『フレマリアの悪魔』と呼ばれ恐れられていた事を、いったい誰が覚えているだろうか?

 「…まぁ、そこに座って。いいかい、クヴィン? よくお聞き…。我らが同胞に、非常に良くない卦が出ている。」
 「同胞?」

 アメジストの瞳を持つ者──クヴィンは、少年の言葉を反復してみた。
 それに一つ頷きながら、少年が、僅かに険しい顔をする。

 「そう…。私の大切な友人であり、我らの”世界”になくてはならない人物が………これから、おぞましくも非情な運命に見舞われる。」
 「要するに……ピンチってこと?」

 そう問えば、静かに「そう。」との返答。
 先ほど少年が火に焼べた札は、既に灰となっている。

 「こうしてお前を呼び戻したのには、理由がある。私はそう言ったね?」
 「…うん。」

 もう一度炎に紙を焼べて、少年は、静かに息を落とした。

 「私は、この国の王であるが故に…迂闊には動けない。『彼女』を助けに行きたくても、行けないんだ。だから……」
 「僕が行けば良い。そういうことだね?」
 「ふふ、よく分かっている。流石は、私の子。」

 少年が、そっと頭を撫でてくれた。この手が好きだ。幼い頃から、ずっと。

 「それで、何をすれば良いの?」
 「……………………命令は、ただ一つ。」

 間を空け、静かな、まるで血の通わないような笑みを見せて、揺らめく炎がミディアムオーキッドの瞳を照らした。



 「”彼ら”の邪魔をする者を………………………『全て』始末するんだ。」






[囚われた暗闇の底で・1]



 太陽暦369年。
 過去に来て、そこから旅を始めてから、実に64年という時が流れていた。



 は、フレマリアからハルモニアへと続く国境沿いを歩いていた。
 その少し後ろを歩く相方は、先ほどからずっと仏頂面だ。

 「あんた……いつまでフテ腐れてんの?」
 「……………。」

 返答はない。後ろを振り返れば、相方が、無言で歩きながら『ムスッ』と音がつくほど拗ねた顔でそっぽを向いている。そこまでの仏頂面を見るのは、とても久しぶりだ。

 「あんたさー。あれって、そこまで拗ねるほどなわけ?」
 「……………。」

 彼がこうなってしまった原因は分かっていたので、それを思い返しながら問うも、やはり返答は無い。その原因は、誰もが『仕方ない』と思う事だった。本人だって分かっているのだろうし、とて、あえてそれを口にする必要はないと思っていた。

 それは、先ほど、国境沿いを歩いている時まで遡る。



 達は、ダラダラと、のらりくらりと道を歩いていた。
 そこで運悪く、行商人を襲っている一団に出くわしてしまった。出くわしたのだから『助ける』という選択肢が浮かび、は刀を抜いて走り出す。
 相方が直ぐさま後方援護に入ってくれたので、大多数を一人で相手にせずに済んだのだが、一団を率いる頭領らしき50代ぐらいの恰幅良い男は、中々に手強い相手だった。
 しかし、自分の敵ではなかった。今まで数々の敵と対峙し、培ってきた勘と経験のお陰だ。

 とっとと降参して、もうこんな稼業は止めろ。そう言うも、頭領はニヤニヤと笑うだけだった。なるほど、こいつに説得は無意味か。
 仕方がないと刀を構え直すと、頭領が手を振りかざした。よく見れば、その右手が輝いている。あれは『雷鳴の紋章』と思った瞬間、頭上から一発。咄嗟に近距離転移を使って避けるも、二発、三発と立て続けに雷を落とされる。
 中々の手練だ。そう思い『四発目が降った瞬間に近づいて、とっとと終わらせよう』と考え転移した矢先、その矛先が自分でない事に気付いた。相手は四発目を、自分では無く相方に定めていたのだ。
 直ぐさま転移の標準を変え、相方を片手で抱えて死角になる場所に転移した。

 それから、とっとと頭領を沈めて、行商人に礼を言われて『特効薬』をいくつか貰い、別れた後・・・・・・・・冒頭に戻るのだ。



 良い歳して、いったいどれだけ拗ねれば気が済むのだろう。そうは思ったが、元々彼が体にコンプレックスを感じているのを察していたし、彼とてきっと自分が抱えたのを無かった事にしてくれる。勝手にそう思っていたのが、こうして裏目に出たのだろう。
 なまじ、あの後すぐにでもフォローしていれば、ここまで機嫌を損ねずに済んだだろうか?

 「ねぇ、テッドってば!」
 「……………。」

 相方は、相変わらず口を閉じたままだ。
 『絶対、もうお前とは話さない』と、背けた顔と尖った唇がそう言っている。
 もう、こうなってしまえば仕方ない。その子供じみた態度を軟化させるには、口にする他なかった。

 「仕方ないでしょ? 私だって、あのオッサンがあんたを狙ってたの気付かなかったんだもん。」
 「……………。」
 「それに、あんただって、狙われてたの気付かなかったでしょ? 『よし、あとは一騎打ちだな』みたいな顔して、ボーッと突っ立ってたじゃん?」
 「……………。」

 と、ここで彼が顔を顰めた。どうやら『ボーッと』がいけなかったらしい。

 「そ…それに、黒こげにならないで良かったじゃん! 放っといたら、あんただけアフロになってたんだよ!」
 「……?」

 ここで、疑問そうな顔が返ってくる。あぁ、そうか。アフロを知らないのか。でも、こっちも機嫌が悪くなってきたので、教えてやらん。

 「ったく。体のことは、どうしようもないじゃん。その分、私が前衛で頑張れば良いんだからさ。」
 「──ってる…。」
 「ん?」

 ポツリと零れた言葉。聞き取れなかったので、近づく。
 すると彼は、下唇を噛んで背を向けた。

 「俺だって……そんなことは、分かってる。でも出来れば…………もう少しだけでも成長したかった…。」
 「テッド…。」
 「そうすりゃ、お前を………あんな危ない目に合わせなくても………。」

 ・・・・・なるほど。
 まだ、彼は気にしているのか。まだ、それを言うのか。
 自分は、もうまったく気にしていない。彼の不足を自分が補えば済む話なのだ。
 それに彼だって、得意の弓を使った遠距離攻撃で自分が戦い易いように補佐してくれるし、彼が危なくなれば自分が助ける。それで良い。今までそうしてきたじゃないか。
 最初は『武器を持つなんて』と思ったが、それはもう何十年も前の話だ。今は、こうして武器を取って彼を守れる事に満足していたし、何より、そうして今まで二人で生き残ってきたのだ。

 それを、今さら・・・・・

 「……あんたさ……まだ気にしてたの?」
 「ッ、当たり前だろ!!」
 「ちょっ、怒鳴んないでよ、ビックリすんじゃん! ……まぁ、あんたがそう思ってくれてるのは嬉しいけど、私は、これで満足してるから…。」
 「でも、俺は……。」

 そう言って、彼が項垂れる。
 ・・・・・・埒が明かない。それならそれで、その方法を見つければ良いじゃないか。
 紋章を宿しながら、成長出来る方法? それとも、体を成長させるために一時的に紋章をどこかへ留めておく方法?

 まず思い立ったのは、ハルモニアという国だ。しかし、師より『決して行ってはならない』と言われていたのを思い出し、首を振ってその考えを制止する。
 だが、彼のたっての望みだ。それに、その方法を調べるに一番適しているだろう場所は、ハルモニアにある『一つの神殿』しか思い当たらない。
 もしかしたら、彼の望みを叶える方法があるかもしれない。ないかもしれない。それは、行って調べてみなくては分からない。

 ならば・・・・・!!

 「そんじゃあさ、行ってみようか?」
 「は…?」
 「だから、その方法を探しに『一つの神殿』に行ってみようよ。もしかしたら、その方法があるかもしれないじゃん?」
 「お前……なに言ってんだよ……。」

 彼が渋顔を作る気持ちも分かる。自分が行こうと言っているのは、あのハルモニアだ。真なる紋章を大々的に集め、時に虐殺すらやってのける巨大国家。ある意味、真なる紋章を持つ者にとって最大の鬼門であるその場所に誘おうとする自分に、彼は難しい気持ちになったのだろう。

 「……馬鹿言うな。もし、俺たちの紋章の事がバレたら…」
 「大丈夫だって! 使わなければ、問題無いでしょ? それに何か知らないけど、私といる間は、あんたの『それ』は大人しくしてるじゃん。」
 「……そりゃ、そうだけど…。」

 彼の持つ紋章、『ソウルイーター』。
 自分と常にいる事で、原因は分からないのだが、誰かの命をかすめる事はなくなった。そう言ってみるも、彼はまだ納得出来ないらしい。
 渋るのは、ごもっとも。しかし、やらないで諦めるよりは、危険を承知でやってみた方が良い。それに危ないと思ったら、すぐに逃げれば良いのだ。転移でも何でも使って。

 「考えてもみなよ。あんた、もしかしたら、大人になれるかもしれない。なれないかもしれない。そんなの、行って調べてみないと分かんないじゃん? だったら行ってみようよ。」
 「お前……それが危ないって言ってんだろ…。」
 「それに、一つの神殿は、世界中から色んな人が調べ物しに来るでしょ? 目立とうとしなきゃ、私やあんたなんか目に入らないよ。大丈夫大丈夫、あんたも私も地味系だから! 危なくなったら、転移でパッと逃げりゃ良いんだよ。」
 「……………。」

 彼がまた黙った。じっと下を向いたままの所を見ると、どうやら心が動いているらしい。
 ・・・・・・よし、あと一押しか。

 「一緒に行動してれば大丈夫だって! ヤバいと思ったら、すぐに『はいさよーならー』で転移使っちゃえば良いんだからさ。くっついてりゃあ、相手が何かする前に、私達は別の場所に行っちゃうんだからさ。」
 「………ん。」

 よし、落ちた。なれば早速、一つの神殿を目指そう。
 危なくなれば、彼の手を取って転移すれば良い。

 そう考えていた。



 そう・・・・・・・・・・安易に考えていた。