[鳴かぬなら・1]



 太陽暦473年。
 デュナン統一戦争の終結後から、実に12年という月日が流れていた。

 俺の名は、ジン。
 先の戦で両親を亡くし、孤児となった。そして戦争終結後、グリンヒル市内に住む老夫婦に引き取られた。
 俺の心に残った傷を癒すためなのか、義両親は、暖かく接してくれた。けれど・・・・・。
 心を開く開かないなんて、その時は、どうでも良かった。欲しいものは”情”などではないと、俺自身、そう思っていた。



 12歳になった、ある日。

 俺は、市内にある有名な学院に入った。
 義両親は、元々商人をしていたと言っていた。余るほど金はあったのだろう。
 しかし、その人の良い笑みを見て、とても交渉術に長けているとは思えなかった。本当に利益があったのかと思うぐらいに、その老夫婦は、心の優しい人達だったからだ。

 学校に入ってから、俺は、猛勉強した。元々勉学を望んでいたし、幼い頃から『いつか誰かの役に立てるような人間になりたい』と、思っていたからだ。
 戦争中、俺はまだ3歳のガキで、嫌というほど何も出来ない苦しみを味わっていた。だから、もう二度とあんな悲しみが起こることのないよう、ただひたすら勉学に励んだ。



 15歳になった頃。

 俺は、余裕で首席になっていた。
 人付き合いは、もともと必要と感じていなかった。同学年の奴らなど、信頼に足りないドン臭いやつらばかりで、そこで友人を作ったところで己の利益になる情報が入ってくるはずもない。『あの子が可愛い』『問題が難しくて解けない』など、実に生産性の無い会話しかしない奴らばかりだったからだ。

 将来こうなりたい、という割には、特に何かに打ち込む気配はなく、授業中に無駄話をしては先生に雷をくらい、夢を恍惚とした表情で語るだけで、それに伴った努力もない。
 そんな奴らと話をしたいとは、微塵にも思わなかった。むしろ、そんな奴らを心から嫌悪していた。そいつらと話せば、自分の価値はおろか、心まで染められてしまいそうだと思ったからだ。

 夢を語ることは、誰にでも出来る。
 しかし、それを実現するには、それに値するだけの才を持ち、かつそれに見合うだけの努力をした者だけしか得られない。夢の頂点を掴むことが出来るのは、ほんの一握りの者しか与えられない権利なのだ。
 だから、自分の夢の為に、義両親が望んでいただろう『幸せな結婚』とやらも、無意味なものだと・・・・恩義はあったが、叶えてやろうと思ったこともなかった。

 けれど、そんな勉学ばかりに励む俺を、今となっては心配してくれていたのだろうと思う。
 あの日、あの時。最後に言葉を交わした時に、どうして「ありがとう」と言えなかったのか。それだけが、心残りであり、今尚悔いる唯一の出来事だった。



 16歳になる一週間ほど前に、義両親が亡くなった。馬車の衝突事故だった。
 思えば、俺が、夜も遅い時間まで勉強していれば、義母は夜食を作ってくれた。そして義父は、「体が資本なのだから、夜はゆっくり休みなさい。」と声をかけてくれていた。
 思い返してみれば、そこは、とても暖かい、優しさに満ちた家庭だった。

 自分を引き取ってくれたその恩は、誰かの力になることで返そうと、そう思っていた。そうすれば、彼等に喜んでもらえると。
 だが、彼等にとっては、そんな事はどうでも良かったのかもしれない。「実の親ではないが、心からお前を愛しているよ。」と言われたあの日が、鮮明に蘇った。

 戻ってきた義両親の死に顔は、とても安らかなものだった。
 けれど、自分の手元に残されたものに、涙を抑えることが出来なかった。俺に残された物は、暖かかった家庭でも、頭を撫でてくれる手でもなく・・・・・彼等と住んだ市内の『宅』と、求めてもいない『遺産』だけだったのだから。



 それから、俺は荒れていた。
 恩を返すという志も忘れ、勉学などそっちのけで、喧嘩ばかりの毎日が続いていた。腕っ節は、決して強いとはいえなかったが、胸の詰まる想いを忘れるために、相手に吹っかけては殴り合う。そんな日々を繰り返していた。

 そんな、ある日のことだった。

 いつものように喧嘩を終えた俺は、「生意気だ!」というだけで吹っかけてきた相手が無様に倒れている姿を、ただ見つめていた。
 そこに感情が宿ることは、なにもない。殴られた頬や体が痛みを知らせていたが、正直どうでも良かった。

 見えなくなればいい。聞こえなくなればいい。何も感じることなく・・・。

 どうせなら、全てが壊れてしまえばいいと思った。目の前で倒れているこいつらも、この学院にいる『何もしない奴ら』も。
 消えてしまえばいい。何も出来ない奴らは、消えてしまえと。そう思った。
 そして、自分も消えてなくなれば良い。この心も、体も、全て。
 自分と、それに繋がるこの世界の全てが、消えてしまえばいい。

 そう、思っていた。