[鳴かぬなら・2]



 この場所は、院内の入り口から死角に入るため、喧嘩にはもってこいの場所だ。周りは樹々に囲まれており、多少声を上げたところで、そうと気付く者もいない。

 と・・・。

 その木の合間から、ガサ、と音がした。誰だと思う間もなく、そこからは手を叩く音。
 拍手をしていたのは、女だった。女にしては少し上背があるが、決して大柄過ぎるというわけでもない。自分と同じぐらいか。
 その身なりや、帯剣している風貌から見て、おそらく旅人だろう。旅人が、いったいこの学院に何の用があるかは知らないが、とりあえず『どっか行けよ』と睨みつけてやる。
 だが女は、それを気に留める様子もなく、小さく笑う。

 「へぇー。こんな大人数を相手にするなんて、やるね。あんた一人でやったの?」
 「…………。」
 「あぁ、勘違いしないでね。嫌味じゃなくて、褒めてんだよ。」

 女は、カラカラと笑った。
 なまじ、俺が制服を着崩していなかったから、優等生が絡まれて返り討ちにしてやった、とでも思っているのだろう。
 だが、それすらどうでも良かった。何も言わずに、その横を通り過ぎる。
 と、すれ違い様に腕を掴まれた。それが酷く鬱陶しくて、女が何か言う前にその手を振り払おうとする。しかし、いくら力を込めてみても、その手が払えなかった。腕を動かすことすら、ままならなかったのだ。

 「…………離せよ。」
 「あんた、この学院の生徒でしょ? ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」
 「……俺じゃなくてもいいだろ。離せ。」

 女を睨みつけながら、腕に力を込める。しかし、やはり振り払うことが出来ずに、苛立ちだけが募った。図体がデカかろうが、たかが女だ。それなのに、どうしてその手を振りほどけないのか。
 すると女は、笑いながら言った。

 「なに、あんた? 反抗期真っ盛りなの?」
 「………離せ。」

 うるさい、うるさい、うるさい。ガキ扱いするな。消えてしまえ。
 そう思い、そのままそれを視線に乗せるも、女は、やはり笑みを崩さない。

 「まぁいいや。とにかくさ、ここにエミリアってのがいるでしょ? その人に会いたいんだけど。」
 「………知らねーよ。とにかく、離せ。」
 「ふーん…。自分の学院の『院長』の名前も知らないの? あんた、どんだけ頭悪いの?」

 面白がるよう笑った女に、思わずカッとなる。からかわれているのだ。
 脅かすつもりで、空いている手を振り上げた。女を殴るつもりなんて、全くない。寸止めするつもりだった。
 しかし、女は、拳を簡単に受け止めた。革の手袋に包まれたその手は、男の拳を受け止めるには小さいはずなのに。

 「…………。」
 「残念だったね。こう言っちゃあ何だけど、あんたじゃ、私に一発も当てられないよ。」
 「っ…!!」

 その言葉は、明らかな挑発。
 お前になんか負けない。そう言われているのだ。
 ・・・・・・それなら、売られた喧嘩は買ってやる。
 拳を振り上げた。

 「ほらほら、どうした少年? 全然当たってないんだけど? 掠りもしてないじゃん?」
 「くっ……!」

 どれだけ間合いを詰めて拳を振り下ろそうと、それが女に当たることはない。腹立たしいを通り越して、憎々しくすらある。男のスピードに物怖じするどころか、からかうように、それ以上のスピードで避ける。
 それは、とても長い時間だったのかもしれない。先にバテたのは、俺の方だった。体力に自信があったわけではなかったが、女よりも先に膝をつくなんて、屈辱以外のなにものでもない。

 「あれ…? もう終わりなわけ? 私、まだ全然イケるんですけど?」
 「はぁっ……はぁ……くそっ!!」
 「体力ないなぁ。それに可愛い顔してるのに、言葉遣い汚いし。」
 「はぁ………はぁ………っるさい!!」
 「……顔は可愛いのに、生意気属性持ちか。うーん、あいつソックリ。」

 尚も笑い、まだまだ余裕だとでも言いたげに、女はステップを踏んだ。不思議とそれに嫌味を感じない。
 歳は二十歳そこそこだろうに、その笑みは深い。そこそこの図体をしているクセに、その表情は無邪気。それなのに、その瞳は、俺が経験したことすらない『重い何か』を抱えているような気がした。

 その所為だったのかもしれない。全く他人に無関心だった俺が、興味を抱いたのは。

 「女のくせに……やるな、お前…。」
 「そう? ありがとう。でもあんたは、男のくせに体力ないねぇ。」
 「ッ、うるせぇ!!」
 「あっはは! まぁ、私が勝ったんだから、言う事は聞いてもらうよ。」
 「っ……誰が、お前みたいな女に……」

 教えるかよ。そう言いかけて顔を上げた瞬間、顔に物凄い風圧。驚きのあまり目を剥くと、目の前には、小さいと思っていた女の拳。自分の髪が靡くということは、相当強力だったに違いない。
 当たりはしなかった。しかし、俺を納得させるには充分な威力を持っていた。女といえど、上には上がいるものだと・・・。

 「ふふ…。当てるつもりはないけど、これ食らったら、その可愛い顔が台無しになるってのは、分かったよね?」
 「……………。」
 「冗談だって! 元々、こういうのは好きじゃないし。」
 「お前……」

 ゴンッ!!!

 音と同時に、頭に盛大な痛みが襲った。数人相手で殴り合いをしていた時よりも、ずっと酷い痛みだ。
 殴られたと分かったのは、女がしゃがみ、俺と目を合わせた時だった。彼女は、口元をヒクつかせながら、それでも笑みを消すことはせずに、言った。

 「……お前じゃねえよ。私には、『』って名前があんだからね。」