これは、マズいかもしれない。
そう思っても、後の祭りだ。
[小一時間・2]
扉を開けようと、ドアノブに手をかけた時、外側からそれが開かれた。
・・・・あぁ、なんてこった。きっと、”お使い”を終えて気を抜いていた所為だ。相手がドアを開けるまで、全くその気配に気付かなかった。
刹那の驚きは人を硬直させるようで、は、開かれた扉の真ん前で固まっていた。現れた人物と、真正面から顔を合わせる状態で。
「っ……。」
部屋に入って来た途端、声を詰まらせたのは、長い金髪を一つに束ねている少年だった。少年は、自分の存在に驚いたようで同じく硬直していたが、やがて眉を寄せ、威嚇するように言った。
「誰だ……お前は…?」
「…………。」
思わず、口を噤んだ。
・・・・・同盟軍の者です。そう言ったら、すぐに戦闘の予感がする。
通りすがりの旅人です。いや駄目だろう。前者と同じ未来が待っている気がする。
ジル皇女の友人Aです。これも駄目だろう。こんな夜半に妖し過ぎる。
・・・・・物凄くマズい。
少年を見つめたまま、苦笑いしてみた。
すると、それまで同じく固まっていたであろうジルが、「待って下さい…。」と少年に声をかける。
「ジョウイ、待って下さい。」
「ジル…?」
ジルが前に進み出ると、少年は「…何もされていないか?」と、自分越しに彼女を心配した。彼女は、それに頷いてから「私に届け物をしてくれただけです。」とフォローしてくれる。途端、少年が訝しげな顔。
「届け物…?」
「えぇ。」
「……こんな夜更けに、どんな届け物なんだ?」
「そ、それは…。」
・・・・・?
二人の会話に耳を傾けながらも、ふと、疑問。ジルは、少年のことをジョウイと言ったか?
思わず、会話の流れをぶった切って、話に割り込む。
「ジョウイって……あのジョウイ…?」
「え…?」
そう問うと、ジルが微妙な顔をした。ジョウイと呼ばれた少年はというと、疑るような顔を全面に出しながらも、ジルを背に庇うように立つ位置を変えている。
「ジョウイって……確か、あなたと結婚したっていう……。」
「そ、そうですが…。」
「ってことは………この子が、次の皇王?」
驚きだ。
の幼なじみと聞いていたが、まだ青年とも呼べないだろう年端のいかないこの少年が、次の皇王とは。
同盟軍軍主と、ハイランドの皇王。まだ二十歳にも満たない少年達。そして、分かたれた紋章の望む”結末”。
苦い顔を隠せなかった。
すると少年は、先にジルへ行った質問を、今度は自分に繰り返してきた。
「……こんな夜更けに、どんな届け物だ?」
その目に見えたのは、先ほどよりも強い、警戒心。
なるほど。疑り深い性格だ。人懐っこく、すぐに他人を信じることが出来る自分達の軍主とは、性質が真逆。冷静沈着で、疑問が解消するまでは、絶対に心を開かない。
ジルの様子を一目見みれば、自分が夜盗の類ではないことぐらい分かるだろうに。この少年はとても疑り深かった。
けれど、歳の割にはその徹底した冷静さを保とうとする少年を、は気に入った。
ならば、正直に教えてやろうか。
「……お兄さんの形見だよ。」
「形見…?」
「だから、ジル皇女のお兄さんの形見。私は、それを届けに来ただけ。」
「………。」
と、少年が黙り、強い瞳で睨みつけてきた。何か思う事があるのだろうか?
「……睨まれる覚えはないんだけど?」
「お前は……何者だ?」
「私は、名乗るつもりはないよ。でも、今は……敵じゃない。」
「……同盟軍の者だな?」
頭の良い子だ。そう思った。”今は”という部分で『いずれは敵に回るだろう』という意味を、しっかりと受け取ったのだから。流石に、皇王の座に登り詰めただけはある。
苦笑していると、少年が剣の柄に手をかけた。いつでも戦えるようにと。
・・・・・・それならば、先に言っておこうか。
「ちょっと待って。先に言っておくけど、今、私は戦う気がないから。」
「……信じると思うか?」
「どっちでもいいよ。信じる信じないは、あんたの自由だから。でも、もし今あんたがそれを抜いたら、私も同盟軍の人間に戻るよ。ってことは、王国軍の人間を倒さなきゃならないって事だよね? しかも私は、ものすごーく卑怯な手を使うよ。まず最初に、彼女を狙う。」
「……………。」
そう言ってやると、少年は一瞬躊躇した。自分が、ジルを狙わないとでも思ったのだろうか。皇王に登り詰めたといっても、そこはまだ若い。
「あのさ、冷静になんなよ。こっちは、戦う気がないって言ってるんだから。それとも、あんた……一人で私に勝てるとか思っちゃってる? 皇王に登り詰めたんだから、相手の力量計れるぐらいの経験は、積んでんでしょ?」
「くっ……。」
追いつめてやると少年は、口惜しそうに剣から手を離した。それに満面の笑みで答えると、ジルが、先ほどのペンダントを手に言う。
「ジョウイ…。この方は、危険を冒してまで、私にこれを届けに来て下さっただけなんです。」
「……これは?」
「昔から、兄が、肌身離さず持っていた………ロケットペンダントです。」
「……中身を見ても?」
「えぇ…。」
ジョウイが、ペンダントの中身を確認する。次に、驚いたような顔をした。
そしてジルと、そのペンダントに描かれているであろう肖像画を、交互に見やる。
「そう…か………そうだったのか……。」
「…私は、彼女に何もされていません。むしろ、私達が……彼女に迷惑をかけてしまいました。ですから…」
「……分かった。」
そう言うと、少年が自分に目を向けた。済まなさそうな顔をして。
だからは、「用事は、これで終わりだから、もう行くわ。」と言って、背を向けた。
礼はいらない。そんな事よりも、やらなくてはならない事が、この少年にはあると知っていたから。
と・・・・
「うっ……。」
「ジョウイ…どうしたのです!?」
少年のうめき声。
振り返ると、膝をつき額に脂汗を浮かべて苦しげに呼吸する姿。
ジルがその傍に駆け寄り、その背に手をかけた。
もまた、彼の正面に駆け寄る。
「ちょっと、あんた、大丈夫?」
「な、なんでも……な、い………。」
「どう見ても、大丈夫じゃねーだろ! いいから、手を…」
そう言って、助け起こそうと彼の右手に触れた。
「っ!!?」
突如感じた右手の違和感の為か、少年が咄嗟にそれを振り払う。
・・・・やはり、彼だった。彼が、と対を成す紋章の片割れの所持者だった。
そう思ったと、同時。
「えっ……?」
意識が、ブレた。
視界が徐々に白くなり、やがて黒へと染まり始める。
何者かが、己に浸食するような感覚。心を、体を支配する感覚。
なに、これ・・・・?
それを口に出す前に、意識が、閉じた。
額に浮かんだ汗を拭うこともなく、心配を口にするジルに答えることも出来ずに、ジョウイは、ただ右手に襲い来る苦しみに耐えていた。
”力”を使い過ぎた。あの紋章を抑える為とはいえ、力を酷使し過ぎた。
けれど自分は、それしか方法を知らなかった。それしか『獣の紋章』を抑える術を知らなかった。
すると、それまでジルと共に傍で声をかけていた女性が、静かに言ったのだ。
「………哀れな…。」
「…?」
それを耳にして、何かがおかしいと思った。その気配を感じて、何かが違うと思った。
思わず顔を上げて、その姿を確認する。
女性は女性であった。姿も、形も、声も、何もかも。けれど・・・・・
『それ』は、先ほどの女性ではなかった。目の前の彼女は、それまで感じていた気配とは、全く異なる違和感を放っていたのだ。
そんな自分を気にかけるでもなく、彼女は、続けた。
「継承者よ……。お前に宿りし、その”力”………それは、お前だけのものではない……。」
「……?」
その言葉の意味を正確に捉えることが出来なくて、眉を寄せる。
何が言いたい? そう問うた。
「紋章の声に……耳を傾けよ。そして、その嘆きを聞け…。あの子供の………お前の片割れ…………『盾』が苦しむ”声”を……。」
「…………。」
あの子供とは、恐らくのことだ。震える右手を抑えながらそう思った。
「分かたれた紋章の力……そして、それに宿されている業を、お前一人で背負う必要はない……。それを使用する度、己が命を削り続けると………継承者であるお前なら、分かっているはず…。」
目を見張った。彼女は、それすら見通しているのか。
「それが、例え”個”として巨大な力を持っていたとしても………本来ならば、個で使うべきものではないのだ…。…我が子らよ……何故、一つに戻ることを望まない…? それが、お前達の”意思”だというのか…?」
「……?」
自分にではない『何か』に向けられた、その言葉。
疑問を浮かべると同時に、ザワ、と全身が戦慄する。
けれど、彼女の瞳に宿るのは、哀れみと悲しみの入り交じる、悲哀色。
「お前達、二人に宿る紋章…。本来あるべき姿であった、その形……。『始まりの紋章』と呼ばれるそれに、形を戻すも戻さぬも……………それは、お前たち”人”の意思か…。」
「お前は……誰だ…?」
そう口にするのが、精一杯だった。右手の震えが止まらない。ザワザワと、そこを始まりとして全身に浸食を行おうとするような絶望感に、唇が震える。
と。
右手に感じた僅かな温もり。
彼女の手が、自分のそれを包み込んでいた。
「なに…を…?」
「一度だけ……。一度だけ、その力に癒しを与えよう…。友を……そして国を想う、お前のその”意志”を汲もう…。そしてそれが、私がお前達に出来る”唯一”なのだ……。」
言葉の終わりと同時に、その右手が輝き出した。
それは、彼女の”意志”。紋章の”意志”。”世界の意志”。
緩やかで暖かで、涙が出るほど安堵感を与える、その光。
それは、この世に存在し続ける悲しみ苦しみ、嘆きや嫉妬までをも飲み込む、全てに与えられる”癒しの光”。
生きている事がいかに幸福で残酷なことなのか、それが全て教えてくれる気がした。
ジョウイは、そっと、目を閉じた。
「継承者よ……………いずれ、また会いに来る……。」
言葉を残して、彼女は姿を消した。
「お前が、その紋章を宿している限り、必ず……。」
結局、彼女が何者なのかは分からずじまいだったが・・・・。
「……どの結末を選ぶも、それは……お前次第…。お前たち次第だということ……。」
とても、とても不思議な感覚だった。
「友を想い続けよ……そして、信じ続けよ…。それこそが、世界が望む”真の結末”……。」
慈悲の体現とは、きっと彼女のことを言うのかもしれない。
自分には、まだやるべき事があった。そしてそれは、何より大切なことだ。
ゆっくりと立ち上がると、手を取られた。ジルだ。
「……ジル?」
「待って下さい…。少し、休まれた方が……。」
「僕には……やらなくてはならない事がある。まだ、沢山あるんだ…。」
「……彼女の言っていたこと、私には、正直よく分かりませんでした。でも……」
貴方の体が心配なんです。だからどうか、今日だけは、もう休んで下さい。
静かに自分に向けられたその言葉に、胸を打たれた。心が少し暖かくなった。
だけど涙は堪えた。自分は、それを流すだけの責任をまだ果たしていない。何より、父も兄も失って尚、気丈に振る舞う彼女の前で、それを流したくはなかった。
「……分かった。今日は、もう休む。………………ありがとう、ジル。」
「えぇ……。おやすみなさい、ジョウイ…。」
そっと手を握ってくれたこの人を『守りたい』と、心からそう思った。
名前を呼ばれた。、、と。
ゆっくりと目を開けると、そこには、見慣れた顔。
「あれ? 私…」
「……こんな所で、よく眠れるね。」
「あれ? ……あれ??」
呆れた顔をするルックをよそに、混乱する。辺りを見回して、ここが本拠地のしかも自室前だということは分かったが、それ以前の記憶がない。
目を覚ます直前まで、確かルルノイエにいたはず。そこでジル皇女に届け物をして、ジョウイ皇王に出くわして、それから・・・・・・それから?
「おっかしいなぁ…。」
「…何がさ?」
「いや……。」
疑いの眼差しを送ってくる兄弟子に「なんでもない。」と言って立ち上がる。
伸びをしていると、また問い。
「………ところで、どこへ行ってたんだい?」
「へっ!? べ、別にどこにも行ってないし!」
今のは、明らかに動揺を出してしまった。どこにも行ってないとは言ったものの、明らかな挙動不審で対応してしまったので、彼の顔には『疑惑』という二文字が浮かんでいる。
しかし、それ以上の追求をしてくる気配はない。
「………まぁ、いいさ。それならとっとと寝なよ。今、何時だと思ってるんだい。」
「あー、分かった、もう寝る。おやすみ。」
「風邪、引かないようにしなよ。………あぁ『なんとかは風邪引かない』って言うから、きみには当てはまらないか。」
直後、真夜中の本拠地廊下で、ゴンッ!という痛い音が響いたのは、言うまでもない。
「おっかしいなぁ……………どうやって帰って来たんだろ……?」