[新たなる序章]
イルシオ幻大国。
水源豊かな木々覆う実り多き、彼の地。
他国との交流や交易も盛んであり、その地に暮らす民達は、幸福な日々を送っていた。
しかし。
時を遡ること、230年ほど前の、太陽暦249年。
この地では、他国との戦が絶えることなく、すべてが荒れ果てていた。
北西のフレマリア親王国。
そして、東の大地に広がる、スカイイースト。
それぞれの国が、この地を狙って侵攻しようとしていたのだ。
まだ一つの国家として成り立ってはいなかった、彼の地。
度重なる戦乱により草は枯れ、森は死に、荒野に吹きすさぶ萎れた風。
民は疲弊し、その地の全てが、息絶えようとしていた。
だが、それは、二人の英雄の登場によって終息を迎えることとなる。
イルシオ=シルバーバーグと、ミルド=ヘンデルス。
その二人は、真なる紋章を宿していた。
イルシオは、真なる夢の紋章を。そしてミルドは、真なる幻の紋章を。
イルシオの紋章は、仲間たちに『夢』を与えた。
そしてミルドの紋章は、敵対する者たちに『幻』を見せた。
彼らは、知と武、そして紋章の力を持って互いを補い合い、各国の侵攻を食い止めたのだ。
イルシオの才気あふれる知と、ミルドの類い稀なる武をもって。
二人の登場は、侵攻に疲れた仲間達を奮い立たせた。
スカイイーストを、ミルドの武で諌め。
フレマリア親王国を、イルシオの知で静めた。
そして、その最中、幾重もの困難を乗り越えた二人は、恋に落ちた。
太陽暦479年。
イルシオ幻大国の首都である、ケピタ・イルシオ。
別名『夢幻の都』とも呼ばれる、水源豊かなケピタ湖に囲まれた、彼の地。
その城内に、突如悲報が届いた。
フレマリア親王国の度重なる侵攻を食い止める為にヘルド城塞へ赴いていたイルシオが、交戦中、敵の矢を受け命を落としたというのだ。
首都で、彼の帰りを今か今かと待っていたミルド。
彼女は、その報を聞くやいなや、転移を使って瞬時に野を、山を越えた。
そして、右手に宿る真なる紋章を使い、敵兵のみならず味方までをも狂わせ絶命させた。
戦地には、彼女以外、生きていることを証明する者はいなかった。
ただ、フレマリア平原を吹きすさぶ風が、彼女の髪を撫でるのみ。
それから彼女は、すぐにヘルド城塞へ向かうと、もう愛を語ることすら出来なくなった彼の亡骸を抱きしめて涙を流した。
「イルシオ……イルシオ…。どうして、私を………置いていくの…? 貴方なしでは……………生きていけない!!!!!」
溢れた涙が、彼の頬に滑り落ちる。愛した人の唇が自分の名を呼ぶことは、二度と無い。
しかし・・・・・・
その言葉に呼応するように、彼の右手が淡い光を放ち出す。
「………夢の、紋章……?」
彼の手に宿っている紋章は、自分を促すかのごとく、徐々に光を強めていく。
そして、一瞬大きく瞬いたかと思えば、次に自分の右手に移った。
『夢』と『幻』は、己が右手で混ざり合い、現の無い形へと姿を変えていく。
それでも、彼の亡骸を抱えて、涙に暮れた。
ミルドは、七日七晩泣き崩れた。
だが、やがて涙も枯れ果てる。
ようやく顔を上げた彼女は、変わり果ててしまった彼に口付けを落とした。
「あぁ、イルシオ……。愛しき人、イルシオよ…。貴方は、もうここに居ないのに…………私は、どう生きていけば良いの…?」
ゆっくり開かれた彼女の瞳は、血の色に燃え上がり。
美しいと称されていた黒曜の髪は、老女のような白髪となっていた。
僅かな隙間から差し込む月の光が、彼女の端正な顔立ちを更に妖艶に魅せていた。
「ふふ……ふ……ふふふ………。イルシオ…………私は、貴方なしでは…………生きていけない……。」
彼女は、もう一度、愛しい一に口付けを落とす。
そして、『幻』は『夢』の亡骸だけを抱えて、ヘルド城塞を後にした。
夢と幻。
それは、元は、一つであった。
夢は、幻を。
幻は、夢を。
互いに映し合う。
そう。
夢は幻を、幻は夢を。
そして、それを・・・・・・・・・・・人は、『夢幻』と呼ぶ
それから。
国民は、イルシオの死に涙し、喪に服した。
そしてミルドは、亡き彼に代わり、イルシオ幻大国の皇帝に即位した。
気丈にも涙を見せることなく即位した彼女に、民たちは、感銘を受けた。
しかし・・・・・・・
悲劇は、これで終わりではなかった。
これだけで終わらなかったのだ。
ミルドは、狂っていた。
狂ってしまったからこそ、涙を流すことが出来なかったのだ。
愛する人の死を受け入れることが。亡くした重みに、一人残される重みに・・・・
堪え切れなかったのだ。
彼女の瞳には、ただ、絶望と狂気のみが宿っていた。
そして。
200余年続いた、イルシオ幻大国は。
これから4年後・・・・・
この巨大な国家全土を覆う、戦乱の幕をあける。
太陽暦483年、現在。
ハルモニアの北東に位置するフレマリア親王国から、更に南東にある国境を越えると、そこは、もうイルシオ幻大国と呼ばれる巨大国家となる。
その関所の役割も果たしているヘルド城塞を通過し、そこから広がり続く平原の先には、ミルドレーンと呼ばれる街があった。
その街を南下し、夢の森と呼ばれる森を抜けて、更にシャグレィの村を南下していけば、この国の首都であるケピタ・イルシオが見えてくる。
その首都への街道を歩いている、少年と女性の二人組。
歳の頃で言えば15〜16の少年は、快活そうなペールグリーンの瞳を爛々と輝かせている。
そして、その少年より幾らか上背のある女性は、20前半だろうか。
旅荷を肩にかけ、街道を行き交う人々とすれ違いながらゆっくりと歩を進めている。
「あーっ!」
突如、少年が声を上げ、駆け出した。目的としている街が見えたからだ。
喜びのままに駆ける少年に、女性は、静かに声をかけた。
「……気をつけて。そんなに、はしゃいでると転ぶよ。」
「大丈夫だよ! だって、ほら! 見て見てっ!」
静かに微笑みながら諌めると、少年は、眼前に見えた都を指差した。そして、そこに見える建造物や外から見ただけでも分かる歴史ある空気に、目を輝かせる。
その外見に似合わぬやけに子供じみた口調に、すれ違う人々が僅かに首を捻っていたが、少年は構いもせずに「早く早く!」と手招きする。
歩を止め、声をかける少年に近づくと、歓喜のせいか上気しているその柔らかい頬を優しくなぞった。少年は、嬉しそうにその手を右手で握る。
見かけよりも酷く幼い笑みを見せる少年に、一つ微笑み、言った。
「……転んで、怪我でもしたら、血がたくさん出るんだよ。」
「大丈夫だよ! 血なんて、恐くないもん。」
「……ふーん。ついさっき転んで泣いてたのは、どこの誰だっけ?」
「ぼ、僕じゃないよ!」
からかうように目を細めれば、少年は、頬を膨らませてまた駆け出した。
それを目で追いながら、ふと立ち止まる。
「ねぇ……ちょっと、待って……。」
「………?」
後方から上がった声に、振り返る。そこには、先の少年とまったく同じ顔をした17〜18の少年。先の少年と違うのは、髪型に服装、そして若干の身長差だろうか。
その少年は、ふらりと覚束ない足取りで自分の名を呼びながら『ようやく追いつけた』と言わんばかりに、肩に手をかけてきた。
それに小さな笑みを見せて、「やっと追いついたの?」と囁いてやる。だが少年は、息をするのも大変なのか肩でゼイゼイ呼吸しながら、その場に座り込んだ。
「はぁ……はぁ……。確か……そんなに急ぐ旅じゃ…………ないんだよね…?」
「うん。だから、急いでないでしょ…?」
「はぁ……すごく急いでる…気がするんだけど…? 僕は……こんなにハイペースだとは………思ってなかったよ……。」
「そう…? ハイペースでは、ないと思うけど…。でも、これがハイペースだってんなら、あんたの体力強化には、もってこいじゃない? ねぇ……………………ササライ。」
笑いながらそう言うと、少年────ササライは、顔を上げながら少し拗ねたような顔をした。
「……僕が………体力派じゃないって………ことぐらい……。」
「ふふ…。あの子だって、あんなに元気なのに?」
そう言って、もう米粒ほどのサイズになってしまったもう一人の少年の方に目を向ける。
ササライと呼ばれた少年も同じく、瓜二つの少年に目をむけるが、やはり唇は尖らせたままだ。
「…あの子は………どちらかと言えば……………きみみたいなタイプだと思うよ……。」
「そう…? それは、褒め言葉として受け取っておくよ。」
早く付いてきて、とだけ言って、またゆっくりと歩き出す。そして、遠くにいる少年に大声で「走るなって言ってるでしょ!」と注意する。
「はぁ………ふぅ………こんなに…………大変だとは………思ってなかったよ……。」
ササライは、なんとか息を整えながら、また遠くなりつつある女性に声をかけた。
「…お願いだから…………もう少しだけ…………ふぅ……休憩させてよ…。」
その言葉に、女性──────は、振り返り、呆れたように小さく笑った。