[始まりの聖歌]



 「休憩を織り交ぜて…。」と言った彼の意見を採用し、シャグレィから伸びる街道をスロウペースで南下し、一刻ほど経った頃。
 それまで、まだ遠いかと思っていた首都は、すでに目の前にあった。

 先ほどから再三注意しているにも関わらず、飛び跳ねながら前へ前へ行く元気な少年は、「早く早く!」と手招きしている。
 対し、自分の隣を歩く少年──といっても実年齢は、もう40だが───は、休憩を織り交ぜてやっているにも関わらず、ふらつきながら歩いていた。

 その体力が反比例しているような少年二人を交互に見て、は、立ち止まった。
 それに反応を見せたのは、前を歩く少年ではなく隣を歩いているササライだ。

 「はぁ……はぁ……、どうしたんだい…?」
 「……あんた、休む?」
 「でも……さっき、休憩してくれたから……」
 「………そういう生意気な口は、ふらつかないで歩けるようになってから言いなよ。」

 ふらふらと覚束無い彼の足取り。それが気になったから、そう言った。
 対しそれに反論することなく、彼は苦笑い。『お言葉に甘えようかな』だろう。
 故に、この街道を歩き始めてもう何度も言っただろう「休憩するから、こっち戻って来なさい!」という言葉を、先に先に行く少年に向かって叫んだ。



 首都ケピタ・イルシオは、巨大なケピタ湖の中心に位置している。巨大な湖に囲まれた巨大な島を開いて作られたのが、この首都だ。
 そして、そこから幻大国全土に伸びるように五つの大小様々な河が流れている。内二つは、東のスカイイースト側へ。そして内三つは、西方の海へと繋がっている。

 フレマリア親王国を除き、ここ数十年、他国からの侵略による危害は、まったくと言っていい程ない。五つの河で隔たれた『幻の国家』とも呼ばれるこの国は、現皇帝ミルドの所持する紋章の加護により、厚い結界を張られていた為だ。
 唯一、幻大国に侵攻しようと攻撃し続けるフレマリア親王国の親王イライジャも、それを見越した上でこの領土を狙っている。

 国内には、更に、国の秩序と平和を守るため、4つの城塞があった。
 北部には、フレマリアからの侵攻を防ぐための役割を果たす、ヘルド城塞。
 東部には、スカイイースト勢からの侵攻を防ぐための、レイド城塞。
 北西部には、危険物資の交易船や密入国、そして他国からの侵攻を防ぐためのヒギト城塞。
 そして、ヒギト城塞と同上の、南西部を守るルプト城塞。

 どの城塞も、イルシオ幻大国建国と同時に、建国者である故イルシオ=シルバーバーグの立案によって立てられたものである。彼は、東西南北すべてにおいて強固な守りを誇る城塞を作るよう指揮した。
 しかし、『ケピタの英雄』と詠われた彼の姿は、既に亡く・・・・。
 彼の妻であり、現イルシオ幻大国皇帝であるはずのミルドも、表舞台からいつの間にやら姿を消したと噂されていた。






 数えることも億劫になった最後の休憩を終えて、たちは、首都ケピタ・イルシオにようやく到着した。首都へ入る為に河を渡らなくてはいけないと考えるが、実は違う。ここは、十字を描くよう、東西南北に湾曲した巨大な橋がかかっているため、船は必要ないのだ。

 またも先へ先へ行こうとする少年の後ろ姿を見て、心底『何を言っても無駄だ』と諦め、静かに肩を落とす。すると、ふらつきながらすぐ後ろを歩いていたササライが「まぁまぁ…。元気盛りだからね。」と笑いながら、橋を渡って行った。
 と・・・・・

 「ねぇ、! ササライ!」
 「……どうしたの、ルシィ?」

 橋を渡り終えてあとは街門を通るだけとなった時、先に行ってしまったはずの少年が戻ってきた。元気な少年──ルシファー(愛称・ルシィ)──の頭を撫でながら、僅かに微笑を向ける。するとササライが、街門の方に目を向けて首を捻りながら、声をかけてきた。

 「ねぇ、。」
 「…なに?」
 「あれは、何をやっているんだい?」

 そう言い、彼が指差した方を見る。街門は、なぜか厳重な警戒態勢を敷いており、所持物検査をしていた。荷物のチェックが終わるまでは中に入れないのか、街門前には、人が列を成している。
 確かに、この国は出入りも厳しいのだが、昔は、ここまで徹底してやっていただろうか?
 そんな事を考えて列に並んでいると、自分達の番がやってきた。

 兵士が一人、声をかけてきた。

 「申し訳ありませんが、荷物を検査させて頂いても宜しいですか?」
 「……あぁ。」
 「では、失礼します。」

 例に漏れず、自分達も、体や旅荷などの用心深い検査が行われる。
 ・・・・・・おかしい。
 そう思ったので、隣でチェックを受けているササライに小声で話しかけた。

 「ササライ……。」
 「ん、なんだい?」
 「何か……おかしいと思わない…?」
 「おかしいって……なにが?」

 不思議そうに顔を上げる彼に、どうやってこの心境を説明しようか考える。
 しかし、無邪気な声がそれを遮った。

 「二人とも! 僕は、もう終わったよ!」
 「……ルシィ。ポケットの中身も、ちゃんと見せたの?」
 「うん、もちろん! あめ玉三つ入れてたんだけど、一つ、兵士さんに上げたよ。」
 「そう…。優しい子だね。」
 「へへっ!」

 抱きしめ頭を撫でると、少年は、胸に顔をうずめてくる。
 そういえば、この国に来る少し前、旅の準備をしている最中、せがまれて飴を買ってやった事を思い出す。ササライに目を向ければ、苦笑していた。

 「はい、これで全部ですね。それでは、お通りください。」
 「……ご苦労様。」

 荷物を検査していた兵士にそう言って、三人で門をくぐった。
 しかし・・・・・・
 自分のチェックをしていた兵士が、ふと何かに気付いたように仲間に何事か告げて去って行った。それを見て、違和感。

 「………?」

 去り際。
 その兵士と、一瞬、目が合った。
 同時に、言い表せない悪寒が、体を駆け巡る。

 「…………。」

 言葉に出来ない。
 そんな『何か』が、ざわざわと音を立てて、心を支配しようとしていた。



 「、どうかしたのかい?」
 「……………。」

 口元に手を当てて、なにか思案するように押し黙った彼女に、ササライは声をかけた。しかし、真隣からの自分の声も聞こえていないのか、反応は得られない。
 今度はその肩に手を置いて、再度名を呼んだ。

 「?」
 「…っ……。ごめん…なにか言った…?」
 「どうしたんだい…? 様子がおかしいよ。」
 「いや…。やっぱり………なにか、おかしい気がする……。」
 「おかしいって、何がだい?」
 「…………。」

 彼女は、また黙ってしまった。



 ・・・・・言葉に出来なかった。
 何がおかしいか、彼に答えようと試みるも、それに該当する『言葉』が見つからないのだ。
 おかしなことに『それ』に靄がかかっているように、見えない何かが邪魔をしている。

 頭の中の見えない霧を払おうとしていると、突如、街全体に壮大な音色が響き渡り始めた。ファンファーレの後に紡がれるのは、テンポの良い旋律。
 その音に邪魔をされて、考えを断念せざるをえなかった。

 ふと隣を見れば、ササライが、また先に走り出して住人に「何かのお祭りでもあるんですか?」と聞いている少年に「戻っておいで!」と手招きしている。
 ・・・・・あの子は、鉄砲玉かと思うほど元気が良い。
 戻ってきた少年とササライが話しているので、それを静かに聞いていた。どうやらこの音楽は、皇帝ミルドの生誕を祝うためのものらしい。聖誕祭のようなものか。

 よくよく見てみれば、街中には、所々に鮮やかな花が飾られており、まるで稼ぎ時だとでも言うように露店がいくつも並んでいる。それを見たルシファーが、かなり興奮してしまったようで、目を輝かせて人混みに突っ込んで行く。しかし、それを止めはしなかった。旅の前に約束した『はぐれたら宿屋で合流』という注意事項は、これまでちゃんと守っていたので、今回は多めに見てやろう。

 そう考えながら腕を組むと、ササライが笑いながら言った。

 「ねぇ、。」
 「……なに?」
 「ミルド皇帝の聖誕祭なら、警備が厳重になるのも、仕方ないんじゃないかな?」
 「…………。」

 どうやら自分が言っていた『何かおかしい』発言に対して、彼は彼なりに考えてくれたようだ。何と返答するか考えていると、彼は、ゆっくり歩き出す。

 「さぁ、、行こう。まずは宿を探さないとね。」
 「……うん、そうだね。」

 検問中に動くことがなかった為か、体力回復できた彼の足取りは幾分しっかりしている。
 だが、の足は動かなかった。
 確かに彼の言う通り、一国の主の聖誕祭ともなれば、これだけ厳重な警戒が敷かれていてもおかしくない。彼の言うことは、間違っていないのだ。
 しかし、どうしても懸念が消えない。

 なんだ、この胸騒ぎは・・・・? 言葉が・・・・・出て来ない。

 頭の中の靄を振り払うように頭を振ると、彼が振り返り、不思議そうな顔。

 「…?」
 「……今、行く…。」



 首都全土を覆う、美しき音色。
 皇帝を祝う、賑やかな祭り。
 前皇帝の最愛の人であった、ミルド=ヘンデルスへの。

 それは、聖歌。
 これから動き出すだろう、確固たる意志を持った、歯車。
 誰も逆らえるはずもない、新たな運命を紡ぎ始める、その序章。

 始まりを告げる聖歌は、すべての者を、歓喜の酔いへと落とし。
 これからこの国を覆う、辛くも悲しい戦いを暗示するように、永遠を願う旋律を響かせた。

 けれど・・・・・・・・・の心から靄が晴れることは、決して無かった。