[渦巻く陰謀・2]
「さて、と…。」
「おいおい…マジかよ? 暫く動けないって言ってたんだから、もっと寝てろって!」
を見送っていたかと思えば、急にベッドから起き上がったを見て、ナッシュは思わず声を上げた。
「……ナッシュよ、止めてやるな。」
それを遮ったのは、自分が剥いたグレープフルーツを悠々と頬張っていたシエラだ。
「いや待て。普通止めるだろ? あんな状態だったんだぞ? もう少し寝てた方が…」
「…やかましいわ。おんしは、暫し黙っておれ。」
「………。」
ピシャリと言われてしまっては、黙る他無い。
「おんし、もう良いのか?」
「うん、ごめん…。あんまり悠長に寝てられないんだわ…。」
「そうか。しかし、おんしも……ほんに難儀じゃのぉ。」
「…ふふ、そうだね。」
誰にでも変わらない、いつもの尊大な態度。でも彼女は、きっとシエラのそんな所に気持ちがほぐれているのだろう。静かに笑うその姿は、かつてハルモニアに居た頃は見られなかったものだ。
『そういえば』と、新しい情報が入った事を思い出した。
「あぁ、そうだった! あんたが寝てる間に、ちょっとした情報が入ったんだが…」
「…なに?」
「役に立つかは分からないが……ヘルド城塞が、フレマリアに落とされたらしい。」
すると彼女は、途端、眉を寄せる。
「…フレマリアに? でも、あそこには、確か守備者がいたはずじゃ…?」
「昔知り合った、ちょっとした筋からの情報なんだが………『とある女』の捜索を遅らせて取り逃がしちまったって理由から、守備者も軍師も牢に入れられてたらしい。」
「…ナッシュよ、少し言い方を考えぬか。」
「あ。」
シエラに咎められ、慌てて「悪い! 諜報員の癖が…」と謝罪するも、彼女は「いや、それで…?」と、気にする風もなく続きを促してくる。
「まぁ、名前を聞いて、もしかしたらあんたがこっちに来てるのかもって思ったんだ。ってことは、ササライ様も一緒なんだろうなと…」
「…………。」
「いやいや、責めてるわけじゃないんだ! そんな顔しないでくれ。変な事に巻き込まれてるってのは、何となく想像ついたからな。」
黙り込んでしまった彼女を見たシエラに睨まれ、慌てて両手を振る。
と、彼女は、小さな声で呟いた。
「私のせいで…………森が一つ焼き払われた。」
「…なんじゃと?」
その言葉に、自分より早く反応したのは、シエラだ。
「…森だけじゃない。その中にある、深き守りの村という場所も……」
「…………。」
・・・話が見えない。シエラに視線を送るも、彼女をじっと見つめたまま黙している。
経緯は、先日から粗方聞いていた。この国の皇帝に『紋章』を狙われ、使命手配までされて追われていること。
「あいつは……ミルドは、私を捕らえる為だけに、あの森を…。」
「……おんしが、自分を責める必要は無い。」
滅多に人を慰めるようなことを言わない、シエラのその言葉。だが、それに首を振って、彼女は続けた。
「でも……………結果的には、私が止めを刺した……。」
「……なんと?」
彼女の肩にそっと手を置き、シエラがあやすようにさする。
その手に手を重ねて、彼女は、顔を伏せて呟いた。
「私は……………”力”に………抗えなかった…。」
「………。」
「これまで………何度も何度も、抑えられてたのに……………抗えてたのに…。」
「……もう良い。もう、何も言うな。」
その中に含まれていた彼女の言葉の意味が、自分には分からなかった。
だが、シエラは理解出来たのか、そっとその体を抱きしめている。
「…………。」
これは、きっと真なる紋章を所持する者にしか、理解してやれないのかもしれない。
自分は、それを持っていなかった。彼女達と同じだけの時間を得ることは出来なかった。
だからこそ、自分には、彼女が口にしなかったその『言葉』の意味を、計れなかった。
その重みや哀しみ、そして苦悩までは・・・・。
「……おんしの所為ではない。もう、自分を責めてやるな…。」
ポロポロと、その瞳から零れる落ちる、それ。
それをナッシュは、目を閉じ背を向けることで受け止めてやる事しか、術を持たなかった。
「早く、国外に逃げた方が良い。」
シエラに背を撫でられながら、頬を拭って立ち上がろうとすると、ナッシュがそう言った。
「それは、出来ない…。」
「どうしてだ?」
「私は、この国から出るわけにはいかなくなった…。この国で……どうしても、やらなきゃいけない事が出来たんだ。」
首を傾げる彼には申し訳ないが、出来れば早めに動きたい。
すると、シエラが言った。
「それなら、おんしの好きにすれば良かろう。ナッシュ、他に与えてやれる情報はないのかえ?」
「あぁ、他にもいくつか…。さっきの話に戻るが、情報によれば、あんたの捜索を遅らせるよう進言したのは、どうやら軍師らしい。」
その言葉に、違和感。
「ヘルドの軍師が…? なんで…」
「なんでも、守備者のJ兄弟は、最初それに渋ってたらしいんだが………軍師が『民を混乱させるだけだ』とかって、引かなかったみたいだぜ。」
「……それだけ事細かく詳細が聞けたってことは、内部の人間が情報源なの?」
じっと見つめる。
だが彼は、両手を上げて首を振るのみ。
「悪いが、それだけは言えない。でも保証する。」
「…分かった。でも軍師とはいえ、最終的な決定権を持ってるのは守備者のはずでしょ? なのに、なんで軍師の話を…」
「生憎、それは俺にも分からない。だが、その進言をした軍師ってのは、相当変わり者扱いされてるらしいぜ。」
「…どういうこと?」
問えば彼は、困ったように笑いながら、両手を頭の後ろで組んだ。
「牢の中で、あんたが城下で見つからなかったって聞いて『してやったり』って顔で、大笑いしてたみたいだからな。確かに変わり者だろ?」
してやったり? 大笑い? ・・・・だが、なるほど。確かに変わり者だ。
しかし、話が見えない。追われている自分が見つからなかったのに、何故そんな・・・
「……………そいつの名前、分かる?」
「あぁ。確か…………」
あぁ・・・・・・そういうことか。
ナッシュの口から出てきた名前。
そして簡単な素性を聞いて、ようやく合点がいった。
話を聞き終えた後、シエラに頼んでおいた真新しい服に着替えてから、簡単に荷造りをした。自分が着替える間だけ部屋の外に出てもらっていたナッシュが、シエラの声で中に入ってくる。
「けど、本当に動いて大丈夫なのか?」
「うん…。見ての通り私は、何があっても死なないからね。」
「…………。」
気を使わせるつもりは全くなかったが、黙り込んでしまった彼に「私は、気にしてないから。」とだけ言うと、困ったような顔が返ってくる。
荷造りを終えると、ワインに舌鼓を打っていたシエラが、「もう行くのかえ?」と問うてきた。
「うん、もう出発するよ…。」
「…そうか。くれぐれも、無茶はするでないぞ?」
「うん、分かった…。」
荷を纏めた袋を肩に掛け、立ち上がる。
だが、ふと気になったので、問うてみた。
「あんた達……まだこっちにいるの?」
「まぁ、そうだな。だいぶキナ臭くなってるが………どうする、シエラ?」
「ふむ…。」
問われた彼女は、暫し何やら思案していたようだが、チラリと視線を向けてくる。
「…よ。言いたい事があるのではないかえ?」
「うん…。出来れば、まだこの国に居て欲しい。」
「まったく…。面倒な事に巻き込まれそうな気もするが………まぁよかろう。」
「…ありがとう。それなら、あんた達は……”確実”だね。」
「ふん、感謝せい。」
流石に800年も生きていると、自分の考えている事が分かるのか、彼女は椅子にふんぞり返って足を組む。だが、ナッシュの方は理解出来ていないようで(当たり前か)、「何が確実なんだ?」と疑問符を浮かべている。
「あんたらが、この国に留まってくれるなら、たぶん………その内『お迎え』が来るだろうから…。その時は、よろしくね。」
「みなまで言わずとも、分かっておるわ。」
「…うん。それじゃあ、また。」
「お、おい! みなまで言ってくれないと、俺は全然分からないぞ!」
彼女が分かってくれているのなら、多分大丈夫だろう。
そう考え、ナッシュの制止に軽く手を振り、別れを告げて部屋を出た。
「まったく…ほんに、面倒ばかりかける奴じゃ。」
「おい、どういうことだよ? 俺には、まったくワケが分からないぞ。」
創世の継承者が出て行った後。
足を組み替えながらそう呟くと、ナッシュが噛み付くように捲し立ててきた。
それに『五月蝿い』の意味を込めて、シッシと追い払うような仕草を見せると、彼は「誤摩化すな!」と声を荒げる。
「おんし、ほんに分からんかったのかえ?」
「分かるわけないだろ!」
「……『お迎え』とやらが来るまでは、この国の好きな場所で遊んでおれ、ということじゃ。」
「は?」
「……ほんにおんしは、使えん上に、空気も読めん奴じゃのう。」
「なっ、それとこれとは、関係ないだろ!」
「やかましい。おんしと居ると、碌な事に巻き込まれん。」
「ちょっ、俺のせいかよ!?」
「まぁ……そうさのぉ。少しくらいなら、巻き込まれても構わぬか…。」
まだ五月蝿い相方を適当にあしらいながら、シエラは、そっと微笑んだ。
宿を出て、街を出た後。
人目に触れない場所を見つけて、すぐに右手の紋章に集中した。
暫くすると反応があり、瞬く間に転移の光が現れる。
そこから現れた大柄な男。彼は、自分を見てニッと笑った。
軽い挨拶もそこそこにして、は、男を見上げた。
「あんたに、頼みたいことがあるんだけど…。」
すると男は、喉を鳴らして笑った。
「ククッ……良いだろう。お前の頼みとあらば。」
流れるような動作で自分の右手を取ると、男は、そこに静かな口付けを落とした。
もう、この儀式のような一連の動作には、慣れてしまった。
「…頼み事は、二つ。一つは、調べもの。」
「良いだろう……言え…。」
内容を告げる。彼は、また喉を鳴らして笑った。
それを了承として受け取り、続ける。
「それと、もう一つは………調達しておいて欲しい物がある。」
「調達…、何だ…?」
内容を告げると、少しだけ不思議そうな顔をされたが、聞く必要は無いと考えたのか、彼は「分かった…。」とだけ言った。
しかし、ここで意外な言葉が降ってくる。
「だが……それでは、フェアとは言えんな…。」
・・・なるほど。『手を貸す見返り』か。
流石に、タダでは動きたくないのだろう。
「…何が望み?」
そう問えば、少し不貞腐れたような顔。
「いい加減……あいつらの手駒として使われるのには、飽き飽きだ…。」
「………。」
その意図を即座に理解して、思わず腕を組んだ。『そろそろ傍にいさせろ』という事なのだろう。その言い分も分かる。彼には、自分が脱した後も、ハルモニアに残ってもらっていた。
あれから数年・・・・・いい加減に、『裏方』に飽きたのだろう。
「……分かった。まぁ、いずれはあんたも………呼ぶつもりだったからね。」
「なに…?」
恐らく今回も、彼は”入っている”のだろう。直感ではあるが、そうと信じている。
だが、当の本人は、僅かに眉を寄せている。
「いや…。でも………には、ちゃんと伝えておいて。」
そう言うと、彼は、満足げに頷いた。
「まぁ、暫くは………私の傍で働いて。」
「ククッ…。」
了承の意味を込めたのか、彼は、右手の甲にもう一度だけ口付けを落とすと、不気味な笑みを浮かべたまま、音も無く姿を消した。