「おっかしいな〜…。」

 穏やかな風が吹く平原。
 キャラバンから半刻ほど南下した地点で立ち止まり、少年はポツリとそう呟いた。

 「どうかされたんですかー?」

 その後ろから声をかけてきたのは、少年と同じく間延びした言葉遣いの少女だ。
 少年は、振り返ることもなく空を見上げ、それに答える。

 「う〜ん………”見えない”んだよ〜。」
 「何がですかー? っていうかー、まだその言葉遣いのままなんですかー?」
 「………あ〜、忘れてた。」

 少女の指摘にクスリと笑い、振り返る。

 「おかしな事に、まったく見えなくなってしまったんだ。」
 「……卦が使えないのですか?」

 困ったような顔をして見せると、その隣にいた男が口を開いた。

 「そうだ。こちらに来てからというもの、全てが”真っ白”になった。……困ったな。」
 「えー、いいじゃないですかー! たまには、卦に頼らないで楽しみましょうよー!」
 「こら、ミリアン! 楽しむ、などという事態ではないだろう!」

 楽しそうな顔で少女がピョンと跳ねれば、その態度を見とがめた男が怒鳴りつける。

 「ジュレーグ、構わない。」
 「しかし…!」

 少女の首根っこを掴み「無礼極まりない!」と説教している男に、片手を軽く上げ、制しながら続ける。

 「確かに、ミリアンの言う通りだ。たまには、卦などに頼らず……我が意思のみで動いてみるのも一興か。」
 「ですが…」

 解放された少女が、襟元を直しながら「ネコじゃないんだからー!」と文句を垂れている。
 それを横目に見ながら、もう一度空を見上げた。見えなくなってしまった『理由』に、ふと思い当たることがあったからだ。

 「もしかしたら……」
 「どうしたんですかー?」

 男から少し離れた位置で(首根っこを掴まれるのが嫌なのだろう)少女が問うてくる。だが、そちらに視線を向けることなく、少年は考えた。
 ”見えなく”なってしまった原因。こんな事は、今までに一度だってなかった。
 だが・・・・・・現れた”彼女”の存在。いや、十中八九、そうとしか考えられないだろう。

 「いや、なんでもない。だが、卦が使えなくなったということは、これからは…」
 「……何なりと、お申し付け下さい。」

 男が跪けば、続けて少女も。

 「そうだな…。暫くは、様子見といこう。」

 おかしいと思ってはいたが、もうどうする事も出来ない。こうなってしまった以上、ある程度先の事まで予見しておくべきだった、と溜息を一つ。
 しかし、物語は既に始まっていた。それが誰の為のものかは言わずとも、それが起こることを”運命”が望んだのなら、それに乗じる他ない。己が目的を成就させるには、『それ』に選ばれることが大前提なのだから。
 それに、少女の言う通り、少しくらいは己で決め動くのも悪くない。

 そう考えて、少年は、まず少女に命じた。

 「ミリアン。お前は、各地を回り情報を集めてこい。」
 「はいっ、合点ですー!!」

 『何の』と言わずとも、お前なら心得ているだろう?
 その意を持って微笑みを贈れば、俄然やる気が出てきたのか、少女が腕を振り上げる。

 「ジュレーグ。お前は、あいつに言伝を頼む。」

 こちらも『誰に』と言わずとも、理解している。

 「畏まりました。して、如何様に?」
 「…『ことは順調に進んでいるから、そちらも、さっさと準備を進めておけ』と。」
 「承知。」
 「いや……待て。」

 頭を垂れ「では、早速…」と立ち上がる男を、気になることがあったので引き止めた。

 「そういえば……ザイルとリーフリーは、どうしている?」
 「…お二方とも、既に予定通りに到着し、次の指示を待っておられる様子。」
 「そうか…。」

 と、いうことは・・・・・そろそろ”駒”を進めて良い頃か。
 そう考え、少女の方に『追加事項』を付け加えた。

 「ミリアン。お前は、各地を回りがてら、あいつらに『次の段階に入れ』と伝えておけ。」
 「はいィっ、合点承知ですーっ!! では、さっそくー!」
 「待て。言っておきたい事がある。」

 ピョンと飛び跳ね、下された命令の為に動き出そうとする少女を引き止める。謝らなければならない事があったからだ。

 「はい、なんでしょー?」
 「謝ろう。嫌な役を買わせて、済まなかった。」
 「…あー、アレですかー? 全然いいですよー。だって恨まれたって、なんて事ないですしー?」

 本当に、少女にとって何てことはないのだろう。しかし、あの少年達を裏切るような真似をさせたのは、他でもない自分だ。形ばかりでも言葉にしておきたかった。

 「そうか。あぁ、それと…」
 「はいー?」

 もう一つ、言っておかなければならない事があった。
 だがこれは、自分からではなく、伝えて欲しいと頼まれた言葉だ。

 「元ハルモニアの神官将ササライ殿から、『お礼を言っておいてくれ』との事だ。」
 「…はいー? あ、止血の件ですかー? でもアレは、私が油断しちゃったからでー…。」
 「それだけじゃないが…。まぁ、取りあえず、伝えたぞ。」

 『扉の件』だ、と言えば良かったのかもしれないが、別段話さなくても支障はない。
 指示はこれで終わりだと言わずとも、少女と男は立ち上がった。

 「では…すぐに向かいます。」
 「あぁ。二人とも、頼んだぞ。」
 「はーい! 行ってきまーす!」

 言い終わると同時、少女と男が、それぞれ別方向へ駆け出した。
 それを見届けてから、少年は、もう一度だけ空を見上げた。

 「……………。さ〜てと! 暫くは、適当にブラついておこうかな〜!」




[渦巻く陰謀・1]



 翌日。
 は、宿の一階にある食堂へ足を運んでいた。
 自分の食事を手早く済ませ、の分を分けてもらい、部屋に戻る。

 「おはよう。」
 「あ、おはようございます…。」

 扉を開けると、すぐに彼女の挨拶。
 ベッドで寝たままの所を見ると、まだ起き上がるのは辛いらしい。
 部屋を見回したが、ナッシュとシエラの姿は、どこにも見当たらなかった。何処へ出かけたのだろうか?

 「食べられますか…?」
 「うん…ありがとう。」

 サイドテーブルに朝食を置くと、彼女は、すぐに手を伸ばし食べ始めた。

 「ナッシュさんたちは…?」
 「…買い物に行って来るって言ってたよ。」
 「そうですか…。」

 パンを千切り口に放り込み、それを水で流し込むように食す彼女。まるで『生きる為だけに食べている』ようなその姿を見て、なんだか虚しい気持ちに囚われる。

 「傷は……もう…?」
 「うん、大丈夫。あの力を使った後は、暫く寝込むことになるけど……こうやって食べられるからね。」
 「そうですか…。」

 完治したのだろう。だが、無惨に裂けたその衣服は、見るに耐えない。あの時のことをまざまざと思い出させられる。守れなかった時のことを。
 新しい服を・・・。そう言うと、返ってきたのは意外な答えだった。

 「あぁ、そうだね…。でもこれ、前にササライが調達してきてくれたんだわ。着た期間も短いから、少し勿体ないと思ってね。」
 「そう、なんですか…。」
 「流石にこんだけ胸元が裂けてたら、あいつに、何があったんだってドヤされるね…。」
 「え、あ、はい…。」

 胸元の裂けてしまった服を摘みながらも、食事の手は止めない。口に入れては水で流し込む動作を、何度も何度も淡々と繰り返す。

 「それと、あのことだけど……あいつには、まだ言わないで。」
 「……分かりました。」

 何の、などと言わずとも。
 簡単に話せる事ではない。別段、知られてしまっても構いはしないが、自分から言う必要もないだろう。自分が彼女だったら、同じように考える。

 「それと……」
 「はい…。」
 「私は、大丈夫だから……先にルシィ達を追ってくれないかな…?」
 「…………。」

 静かに、この場に溶けるように放たれていく、彼女の言葉。落ち着いたトーン。
 でも、そればかりは首を縦に振れなかった。ナッシュやシエラがいるとは言えど・・・。

 「駄目です…。僕は、あなたを守ります…。」
 「…もう何回も言ったけど、私は死なないよ。それこそ、何があっても。」
 「でも…!」
 「それより、私は………………あの子が”不安定”になるのが、心配なんだよ。」
 「あ…」

 その言葉に咄嗟に思い浮かんだ”モノ”。だが・・・・・・いや、しかし・・・・・

 「ササライが……傍にいます…。」
 「……でも、大丈夫とは言えないと思う。」
 「?」

 疑問をそのまま表情に乗せれば、彼女は、そっと窓の外を見た。

 「あの子は…いつまでも子供じゃない。ここに来てから、あの子は、人の言葉を疑うことを覚えた。いずれ……あの子自身の事に関しても、少なからず疑問を抱くと思う。」
 「……はい。」

 人は成長する。学びながら、そこから湧き出た疑問を解消しようとする。ずっと同じままじゃない。自分たちが伝えた真実が『嘘』だと、いずれは気付くだろう。
 外に視線を向けたまま、そう呟く彼女。その表情は、何とも言えない物悲しさを秘めている。

 「そうなれば……これから先、あの子の心が不安定になってもおかしくないでしょ?」
 「はい…。」
 「ササライも、頑張ってくれてる。でも、そろそろ限界だと思うんだ…。」

 嘘を、つき続ける事が。
 正直で素直な心の持ち主だからこそ、積み重ねていく嘘に耐えられなくなっていくだろう。
 そう言った彼女は、一つ溜息を落とした。

 だがそれを見て、貴女こそ辛いだろうに、と思う。

 「いつか……嘘は、嘘だとバレる。それに、覇王の一件もあるからね…。」
 「…そう、ですね。ですが、ササライは…」
 「どう説明するかは、もうあいつに任せるしかないよ。嘘を織り交ぜながら説明するか、黙るか………私が動けない以上、あいつを信じるしかない。」
 「はい…。」

 あの少年は、問うたのだろうか? あの一件のことを、ササライに。それとも、逃げる事に忙しくて、そのままになっているのだろうか?
 そのどちらかは分からないが、もし問われたとして彼は、いったい何と答えるのだろう?
 しかし、彼女が身動き取れない以上、確認しようもない。

 「ごめん、。話を戻すよ。」
 「あ、はい…。」
 「私は、状態が良くなったら戻る。だから、あの子達の所に戻って、私は大丈夫だって伝えてほしい。」
 「…………。」

 彼女の言うことは尤もだが、戻るなら一緒に戻った方が良い。二人一緒に戻ることで、あの少年は100%安心するだろうから。
 そういう意味をもって見つめると、彼女は、困ったように笑った。

 と、ここで部屋の扉が開いた。
 振り返れば、大荷物を持ったナッシュに、シエラが何やら文句を言いながら入ってくる。

 「二人とも、おかえり…。」
 「お? もう起きたのか? 飯は………食べたみたいだな。」
 「うん…、が持ってきてくれた。」

 彼らが戻ってくるだけで、部屋の空気は明るくなる。そうなるように、気を使ってくれているのだろう。

 「オレンジ買って来たけど、食うか?」
 「ナッシュよ。グレープフルーツは何処じゃ?」
 「はぁ? 知るかよ…。あんたが持ってる袋に入ってるんじゃないのか?」
 「っ、今すぐ探せい!!」

 すぐにでも食べたいのか、大荷物を持ちヘトヘトの彼にグレープフルーツを探させながら、シエラが椅子に座ってふんぞり返る。
 それを見ていた彼女は、小さく笑いながら、小声で話を再開した。

 「あぁ、…。さっきも言ったけど、この力を使った後は、暫くまともに動けないんだよ。一緒に行けば、確実にあんたの足手纏いになる。」
 「…………。」
 「だから、行って。」
 「でも…」

 それでも引かずにいると、彼女は、ナッシュ達に視線を戻した。

 「ここには……助けてくれる人が、二人もいるからね。」
 「まぁ、これも俺の運命だと思って、割り切るしかないよな…。」
 「まったく…。どうしておんしは、こうも昔から面倒ばかりかけるのじゃ。」

 片や諦めたように、片や呆れ顔で小言を言う『仲間』に、彼女は小さく笑いながら「ごめん。」と笑う。

 「…。あの子達は今、シャグレィに向かってるみたい…。」
 「シャグレィに…?」
 「…その場に留まるよりは、動いてた方が安全だって考えてるのかもしれない…。」
 「もしかして……向かっているのは、ヘルドの方では…?」
 「かもしれない、としか言えない…。でもササライなら、きっとそう考える。だから、先に行って私は無事だと伝えて。必ず戻るからって…」
 「……………分かりました。」

 これ以上、駄々を捏ねる気はなかった。それでも彼女がそう望むなら、彼女の言う通りにするつもりだった。間を空けながらも返答すると、ホッとしたように「ありがとう、お願いね…。」という言葉。
 すると、話を聞いていたのか、ナッシュが声をかけてきた。

 「話は決まったみたいだな。、これを持っていけ!」
 「え?」

 そう言って投げ渡されたのは、食料やら札やらお薬やら、旅に必要な物の数々が入った荷袋。彼は「ササライ様たちを追うんだろ? なら必要だと思ってな。」と笑いながら、の方に目を向ける。
 ・・・あぁ、そうか。彼女が、前もって彼らに頼んでおいてくれたのか。
 そう考えて礼を言うと、今度は、シエラに声をかけられた。

 「よ、これも持って行くが良い。ササライと一緒にいる『ルシなんたら』とか言う小僧は、菓子が大好物なのであろう?」
 「え、あ…はい…。」

 彼女は、目当てのグレープフルーツをナッシュに剥かせながら(「なんで俺が…」と文句を言っていた)、から聞いたのか、菓子の入った小さな袋を渡してきた。それを何となく眺めていると、「早うしまわぬか!」と一喝される。
 ・・・誰かに怒鳴られるなんて、何十年ぶりだろう。

 「確かに渡したぞえ。忘れることなく、必ず本人に渡すのじゃ。良いな?」
 「は、はい…。」

 何故そこまで念押しされるのかは分からなかったが、が困ったように笑っている所を見ると、気にするほどでもないらしい。
 それを旅荷に詰め込み、肩に背負ってから、改めて礼を言った。

 「…あの子達のこと、宜しくね…。」
 「はい。」

 「のことは、俺らが匿っておくから、安心していいぜ。」
 「…宜しくお願いします。」

 「まったく…湿っぽいのぉ。永久の別れでもあるまいに…。とっとと、その『ルシなんたら』の所へ向かうが良い。」
 「は、はい…。」

 ルシなんたらではなく、ルシファーです。そう伝えたかったが、ナッシュとのこれまでのやり取りを見ていて『突っ込まない方が良い』と思い直し、それぞれに挨拶を交わして、は部屋を後にした。