「あっ、夏侯さん………おはようございます………」
「……?あぁ、お前は確か………」
「あ、はい。です……」
「馬の連れだったな」
「はい……仲良くしてもらってます……」
「どうした?元気がない気がするが?」
「いえ……大丈夫です……」
「そうか。………お前、今日空いているか?」
「え?空いてますけど……?」
「…晩飯でもどうだ?」
全てはこの会話から、始まった。
[化粧と晩飯]
その日は朝から大変だった。
良い気分で起床すると、昨晩ケータイの目覚ましを掛け忘れたのかアラームが鳴らず、遅刻ギリギリ。
当然時間などなかったものだから、化粧もせずにスッピン。最悪な事に眉毛も書いていなかった。
猛ダッシュで教室に入りなんとか間に合ったのだが、野郎ばかりの友人達に、第一声でデリカシーのない事を言われる。
「お?今日はスッピンか〜?」
「女は化粧で変わるってーけど、随分だなぁ?」
「あんたらうっさいよ!!」
孫策・典韋はからかうつもりで言ったのだが、図星を刺されてムカついたのかがキレる。
「……………くくっ」
「笑うな!!」
座って頬杖を付いていた馬超が声を殺そうとして笑ったが上手くいかず、それを聞き付けてが悔しそうに歯噛みする。
「笑っていないぞ……くっ」
「それを笑ってるっつーんだよ馬鹿!!」
笑われるのが悔しくて悪態をつくが、馬超は全然気にしない。
むしろ笑いを堪える方で手一杯の様だった。
「…………もういい!!」
彼女はムスッとしながら、デリカシーのカケラもない仲良し軍団から離れ、自分の席に付いた。
「おいおい、怒らせるなよ〜」
「わしが怒らせたワケじゃねぇだろ」
「つったら孟起しかいないぜ〜」
「何故俺の所為になるんだ?」
「何故ってな〜?笑ってたからに決まってんだろ〜」
「おめぇ、男らしく認めろや」
孫策・典韋に勝手に『を怒らせた』犯人に仕立て上げられ、責められる馬超。
むしろお前等も笑ってただろ?と彼は尤もな事を思ったのだが、面倒臭かったので敢えて反論するのを止める。
「あいつなら謝れば許してくれると思うぜ〜?」
「は情に訴えると弱そうだからな!」
放っておいても尚、素で自分達は悪くないと思っている二人にいい加減疲れたのか、ふぅっと溜め息を付く。
「まぁ、今日晩飯でも奢ってやるさ…」
一時間目の授業(数学)が終わり、教科担当の周瑜先生が吐血をしながら教室を出て行くと、お次は家庭科。
変わらずのムカつきは晴れていないようで、当然男達三人をシカトし、一人で家庭科室へと向かった。
ちなみに家庭科は体育&道徳と一緒で、1・2・3学年合同だ。
「さーて。今日はエプロンを作るよ!!」
気合い十分の祝融先生(体育・家庭科担当)が作業開始の声を上げる。
は外見・性格のワリには裁縫が得意な方だったので、順調に事を進めて行った。
皆、最初は真剣に取り組んでいたのだが、いつの間にか、誰からともなく気の合う仲間達とのお喋りが始まりだす。
中にはニーズの一致した者同士で席を交換して、仲の良い友達と一緒に、エプロン作りを進める者までいた。
「はぁ………」
「どうしたのだ?具合でも悪いのか?」
「え?…あっ」
そんな周りを少し羨ましそうに見ながら、がふと溜め息を吐くと、孫権が声をかけて来る。
「権ちゃん、どしたの?」
「いや、お前を探していたのだ」
「へぇ!?何でよ?」
「いや……その……」
にこやかにの傍に寄って来た孫権は、急にドモり始める。
何事かと首をかしげていると、彼はボソボソと歯切れ悪く呟いた。
「その…裁縫というのは得意ではなくてな……お前さえ良ければその……教えてもらいたかったのだ…」
最後の方には、聞き取れるか取れないぐらいの声で喋る孫権を可愛らしく思ったのか、がクスリと笑った。
「うん、いいよ。じゃあここ座って」
「うむ…済まぬな……」
「お安い御用で〜す!」
は孫権を自分の隣に座らせて、そのまま手取り足取り状態で、まずはミシンの使い方を教え始めた。
「うん!上手に出来たじゃん!!」
「そ、そうか……?」
出来上がったエプロンを手に、が微笑むと、孫権も頬を赤く染めながら笑った。
「権ちゃん、才能あるんじゃない?」
「そうか?」
「うん。ゴッツイ手してるワリには、ミシンの使い方凄いサマになってたし」
「ご…ゴツイ手………」
ゴツイと言われて少しショックを抱えた孫権だが、に悪意がない事が分かっていたので、何も言わなかった。
いや、言えなかった。
彼からしてみれば、かなり気になる女性の。
『好き』や『愛』まではいかないが、やはりそれに近くなりつつある為、ここは年上の余裕で笑顔を作る。
自分がショックでヘコんでいたら、きっとが心配するだろうし、それにほんの一時でも彼女の笑顔を独占していたかった。
しかし、話題を変えようと機転を利かせた事で、彼のささやかな幸福はどん底に突き落とされる。
「そ、そう言えば、今日は化粧をしていないのだな?」
「えっ?」
糸クズやら布の切れっ端をかたずけていたが、顔を上げる。
しかし笑顔かと思われた彼女の表情は、先程と180度逆転して、T言われたくない事を言われた″といわんばかりに完全に眉を顰め、曇っていた。
「?ど、どうしたのだ?」
「ううん、何でもない……」
「?」
「よし!これで終わり。あ、そろそろ授業終わるから席に戻った方が良いよ?」
「お、おい………」
「さぁさ、戻りなさ〜い」
一気に変わった表情に孫権は心配を口に出すが、彼女は『早くもどれ』と言わんばかりに背中をグイグイと押す。
仕方なしに自分の席に戻りの方を見遣るが、彼女の顰めっ面のままだった。
「何か気にいらない事を言ってしまったのか?私は………」
自分がとてつもない事をやらかしてしまった、と思い込んだ彼は、己の咄嗟の気遣いを呪った。
二時間目と三時間目を使った家庭科も終わり、そして四時間目の授業も終了する。
四時間目、社会担当の張コウ先生が蝶をまき散らし、クルクルと回転しながら教室を出て行くと、それとは入れ違いに趙雲が入って来た。
昼休みに入ったので、彼は馬超達を食事に誘いに来たのだ。
しかしめずらしくが一人で自分の席に座って足をブラつかせている所を見て、不思議そうに近付いて来た。
「、どうしたんですか?」
「あ、子龍兄!!」
いつもなら馬超達と一緒に楽しく騒いでいるはずの妹分が一人でいるなど、始めてではないだろうか。
だが、彼女に落ち込んでいる様子はなく、声は比較的明るかった。
この娘はいつもそう。
自分の姿を見つければ笑顔で駆け寄って来るし、休み時間が終わり教室に戻ろうとすると少し寂しそうな顔で「また後で来るよね?」と言ってくる。
それが趙雲にとってはとても可愛らしく見え、話の成り行きで『兄貴分』になったとはいえ、彼はを本当の妹の様に溺愛していた。
「めずらしいですね?あなたが一人で居るなんて……。どうかしたのですか?」
「えっ!?う、ううん。何でもないよ」
馬超達より、先に自分の所へ来てくれたのが嬉しかったのか、は照れくさそうに笑ったが、彼に一人で居る事を聞かれると急に慌て出した。
ふと趙雲は何かに気付き、彼女の顔をまじまじと見つめる。
「え……な、何?」
その様子に嫌な予感を覚えたが、目を泳がせる。
「いや……あぁ、そうか」
の今日の変化に気付いたのか、ポンッと手を叩き笑顔を向ける。
「今日は化粧をしていないんだな」
「っ!!??」
「ん?どうし……」
「ごめん、あたし今日は一人で食事するから……」
彼からすれば話題的に出したつもりだったのだが、今のにはタブーな言葉。
今朝から会う奴会う奴に言われ続け、さすがに落ち込み始めたのだ。
「?」
「たまには一人で食事したい時とか……あるから………」
ごめんね、と一言言い残して、彼女は財布を手に、トボトボと教室を出て行った。
「孟起、何を言ったんだ?」
「何がだ?」
がいなくなった後、趙雲はすぐに馬超達の元へと歩み寄り、何の挨拶もする事なくそう言い放った。
馬超は意味が分からない、とばかりに眉を顰める。
趙雲からすれば、また馬超がをからかって落ち込ませたり怒らせたりしたと思ったらしい。
座っている馬超を見下ろす様に、睨み付けている。
「の様子がおかしい」
「あぁ、その事か…」
「に何をした?落ち込んでいたぞ?」
「はぁ………」
趙雲が問いつめても、馬超は溜め息を吐くばかり。
趙雲は、まさか自分が彼女にスッピントークを振ってしまったのが悪かったとは、思っていないらしい。
=(イコール)『を怒らせる or からかうのは、馬超しかいない』と言う考えに到達し、この行動に至る。
「孟起!何とか言ったら………」
「まぁ待てよ子龍〜」
「あんまカッカすんなよ」
の事になると苛立ちを隠せないのか、馬超に掴み掛かろうとする彼を、孫策と典韋が止めた。
「ふん。子龍、お前どうせにT化粧″の話題を振ったのだろう?」
「何……?」
頬杖を付きながら馬超が彼を見上げると、今度は趙雲が顔を顰めた。
「確かにその話はしたが………」
「が落ち込んでんのは、その話なんだぜ〜」
「孟起が怒らせて、んで今度はお前かよ!」
趙雲は、確かに『今日化粧してないんだね』トークをした。
だがしかし、何故その話題で落ち込むのかが分からない。
「要するに、今朝あいつがスッピンで来て眉毛も書いてなかったから笑った……。それだけだ」
「なっ!!笑ったのか!?」
「あいつが化粧しないなんて、めずらしいからな」
「孟起……貴様っ!!」
再び掴み掛かろうとする趙雲を策・典コンビが二人がかりで抑える。
「仮にもは女性だぞ!?笑う奴があるか!!」
「別に顔が変だから、という理由で笑ったワケじゃない」
「当たり前だ!どうせお前の事だから慌ててるのも含めて笑ったのだろうからな」
「………一体、お前は何が不満だ?」
馬超もさすがに疲れて来たのか、イラ立ちを表面に出し始めた。
二人はお互いにバチバチッと火花を散らし合う。
そしてこれに慌てたのは孫策と典韋。
身長180を越す男二人が睨み合い、今にも乱闘が始まりそうなのだ。
この二人が喧嘩をし出したらクラス全体に火の粉が飛ぶ。
クラスを巻き込んで誰かに怪我でもさせたら、それこそ祝融先生が御立腹するだろう。
そうすれば、一ヵ月便所掃除では済まされないはずだ。
それを懸念した二人は、今まさに乱闘をしようと互いに武器を構えている馬超と趙雲の間に止めに入った。
「おいおい。そんなに怒る事でもないだろ〜?」
「伯符、どいてくれないか?」
「まぁまぁ。んなに怒ってっと疲れんだろ?飯食いに行こうや?」
「典、どけ」
闘気を出しながら睨み合う男二人。
それを『便所掃除はイヤだ』と言う考えだけで円満に収めようとする男二人。
ハタから見たら、さぞ滑稽な光景だ。
「そもそもを傷付け、落ち込ませておいて何たる太々しさ!この常山の趙子龍が相手だ!!」
「ふん、俺の正義がお前に負けるはずがないだろう?」
「いざ!!」
「はあぁーー!!」
こうしてある意味巻き添えを食らった孫・典コンビと、死闘を繰り広げた馬・趙コンビは、それから一ヵ月間便所掃除の刑を執行される事となる。