珍・学園無双外伝

〜風邪ひき姫と王子様・2〜






カタ、ン。

・・・・・・・・カチャ。

カチャ、パタン。

コト、トントントン。



朦朧とする意識の中に、微かな音が聞こえてきた。

何やら、妙に懐かしさが漂う音。

その音に呼ばれるように、はゆっくりと目を開けた。



開けた視線の中には、いつもと変わらぬ自身の部屋という光景。

白い壁、白い天井。

そして、この学園に入る前に『寮生活になるから』と、親と共に買いに行った手触りの良い毛布。



「あれ……良い匂い」



ふと香ってくる鼻腔をつく匂いに、はゆっくりと体を起こした。

熱はまだあるようで、頭の奥がぼーっとしている。



これだけ安静にしているというのに、まだ熱は下がらないのか。

そう思いながら壁掛けの時計を見ると、正午を過ぎたばかりだった。

もう丸一日眠っていたような気もするが、熱に浮かされていて時間感覚が狂っているのかもしれない。

もう一度熱を…と、は傍に置いておいた体温計を脇にさしながら「あー…」とダルさ故の声を上げた。



と、ここでキッチンからにょきっと生える『何か』。

はギョッとして目を見開いたが、どうやらお化けとかUMAといった類の物ではなかった。

正確には『生えた何か』のではなく、『顔を出した弟分』。



だがは、幻覚なのでは?と思った。

何故ならこの寮は、オートロック式でカードキーがなければ入ってこれないからだ。

しかし、少し申し訳なさそうな表情で近づいて来る弟分は、やけに立体感があふれている。



「……何やってんの?」

「え?えっと…」



体温計を脇に挟んだままが問うと、立体的な姜維は今度は困った顔をした。

その余りの困りぶりに、自分が怒ったと感じたのだろうか。

彼はベッドの傍に正座し、「申し訳ありません」と項垂れてしまった。



「…いや別に怒ってるわけじゃないし」

「その、あの…お見舞いをと思ったのですが…」

「…移るからいいって言ったのに」

「でも、その…」

「へ…ふぇっ…」



べっくしょーい!!



「あぁ!?だ、大丈夫ですか?」

「う”ん…あ、ごめん鼻水垂れる…」

「いえ、鼻水くらい…あ、ティッシュがこちらに」

「あ”りがど…」



何枚か手渡されるティッシュで思いきり鼻をかみ、丸めてゴミ箱へシュートする。

今朝同様、それは綺麗な弧を描いてゴミ箱へ収まった。



「あの、実は…。
 もし熱が出てフラフラになっていたら、お食事も用意出来ないんじゃないかと思って…」

「あ”ー…そういや食べてないかも」

「ですから、その…お粥を作ってみたんです!
 申し訳ないとは思ったのですが、勝手に冷蔵庫の材料をお借り致しました。
 良かったら…」

「あ”ー、じゃあ頂きます」

「はい。少しお待ち下され」



彼はホッとしたようで、に小さく微笑むとキッチンへ戻った。



あの音は、姜維が部屋に入って来て料理をする音だったのだろう。

カチャカチャと鳴っていたのは、多分食器の音。

トントン、は材料を切る音。



は、布団から起き上がった状態で、暫しその音を思い返していた。



子供の頃、風邪を引くと母がよくお粥を作ってくれた。

懐かしいと思った食器の触れ合う音は、それを無意識に思い出したからだろう。

あの時「食べたくない」と言った自分に、母は「食べないと薬が飲めないよ」と言うのだ。

その後、病院でもらった苦い風邪薬を飲まされ、また眠る。



懐かしい匂いと音。



開けていたカーテンからは、温かい日差しが降っていた。

あの時はとうに夜になっていたが、今は昼過ぎ。

その日差しをもう少しみていたいと思い、ベッドから出てカーペットに腰を下ろすと、丁度目の前のテーブルに小さな土鍋が置かれた。

そこから視線を移すと、姜維がカーペットに座りながら微笑んだ。



「出来ました!今お茶碗に取りますから、待っていて下され」

「…うん」



彼が土鍋の蓋を開けると、ふわっと優しい香りがした。

その懐かしい匂いと、ニコリと笑う姜維の顔に、母を思い出す。



「はい、どうぞ」

「ん…ありがと」

「あ、熱いのでフーフーして下され!」

「うん…」



手に渡された、湯気の立つ茶碗、そしてレンゲ。

は、彼の言った通りにレンゲでそれをすくうと、ふぅふぅと息を吹きかけた。

彼の作ったお粥には、ネギが入っていた。



「…ネギ?」

「あ、はい!私の家では、風邪を引くとネギ粥なんです」

「…初めてだわ」

「え?食べた事がないんですか?」

「うん…うちは卵粥か、普通の塩入れただけのお粥なんだ」

「やはり家によっては違うのですね」

「…うん」



風邪が移るというリスクを負ってでも『看病』しに来てくれた姜維。

来なくていいとは言ったものの、病の最中1人ぼっちというのは、正直寂しかった。

朝から寝込んでいたが、時折目が覚め視線を動かしても、あの時の母のように看病してくれる人はこの部屋にはいなかった。



だが再度目を開けてみると、夢ではなく現実に自分を看てくれる人間がいた。

それがもの凄く嬉しくて、熱で意識が完全ではないものの、は一口食べた後「美味しいよ」と微笑んだ。



「本当ですか?良かったです!」

「本当美味しい…」



暫く、もぐもぐもぐもぐと、がネギ粥を食す音だけが部屋に響く。

と、姜維が立ち上がり自身の肩に何かかけた。

食の手を止めてそれを見ると、それはイスにかけておいた上掛け。

見上げると、彼は「暖かくしておかなくては」と言って、やはり微笑んだ。



「…なんか伯約…お母さんみたい」

「えっ!?私がですか?」

「…うん。だって、お粥作ったり肩に掛けてくれたり、色々看病してくれてさ」

「あの、私も迷惑かとは思ったのですが、どうしても心配で…」

「…ほんと、ありがとね」

「いえ、そんな…」

「…あ、全部食べちゃった。ご馳走様でした」



あの時とは違い、気づくとお替わりまでして、ネギ粥を完食してしまっていた。

お腹がいっぱいになり、姜維がわざわざ買って来てくれた薬を飲んだところで、はふと思い出した事がある。



「…つか、伯約さ」

「はい?」

「…どうやって部屋入ったの?」

「あ、それは…」



聞く所によると、姜維はメールが届いてから1時間目は悩んでいたらしい。

2時間目に入ると悩みは決意に変わり、3時間目には『ほんのり風邪気味』という理由をつけた早退という結果を出した。



彼は、一度商店街へ下りて薬局へ行き、そしてその足で寮へと戻った。

が、の部屋の前で愕然とする事を思い出した。

の部屋のカードキーなど、持っていなかったのである。



彼は、部屋の前でどうしようかと行ったり来たりを繰り返していたが、そこに救いの神が現れた。

甄姫の旦那様、二重人格代表の曹丕である。

曹丕は、寮の見回りの時間だったのか一階から上がって来たが、生憎今日は裏の人格であったらしい。

女性の部屋の前をストーカーのようにウロウロする姜維を見て、冷たく「貴様…何をしている」と言い放った。



姜維はかくかくしかじか、と事情を話したが、曹丕は嘲笑うように「下らぬな」と一蹴した。

しかし、学生の使えるカード『早退』を切ってまで、風邪薬を買いに行ってまで、彼女を看病したいと言い切った姜維の熱意に押されたのか、呆れたのかは分からないが、彼はスペアのカードキーを姜維に渡し、見回りに戻った。

「相手は病人だ…襲う襲わぬは貴様の勝手だがな」と冷徹な笑いをして。



そうして、姜維は念願の『の部屋のカードキー』なるレアアイテムをゲットし、現在に至る。



姜維は、流石に最後の曹丕の言葉を、に零す事はなかった。

だが、何となく自分の心の芯に、釘を刺された気がしなくもなかった。

私はそんなつもりはないし、そんな事はないと言い聞かせるものの、なんとなく罪悪感があるのも事実だった。



「…へ〜、丕さんがねぇ」

「あ、あの、本当に申し訳…」

「…謝らなくていいってば。嬉しかったし。
 それよりさ、今日はごめんね。一緒に映画行く約束だったじゃん?」

「あっ…」

「何を見に行くのか楽しみにしてたんだけど…本当ごめんね?」

「いえ、いいんです!」



本当に残念そうなに、姜維は思わずガタッと立ち上がる。

だが驚いて目を丸くした彼女を見て、自身を諌め座り直す。

そして、持っていたスポーツバッグから中身を取り出した。



「…それ、DVD?」

「はい!DVDとはいっても、アニメのなんです。
 今日行く予定だった映画なんですけど、このDVDの番外編なんです!」

「…へぇ、見せて」

「どうぞ!」



自分の持って来たDVDの量に彼女はまたも驚いていたようだが(実際は姜維がアニメを見るという事に驚いている)、興味を示してくれたのかそれを手に取った。

そして、「どんな話なの?」と、熱のせいかほんのり赤くなっている目を、自分に向ける。



「ファンタジー…でしょうか?私は凄く好きな作品で…」

「…へぇ、恋愛系?」

「恋愛要素もありますが、前半の一部だけなんです」

「…というと?」

「主人公は女性なのですが…。
 ひょんな事から、彼女は自分が居た世界とは、全く違う世界に来てしまうんです。
 その世界は彼女の憧れていた世界で、彼女はそこで生きていく決意をするんです。
 魔法もあってモンスターも出現する世界で、彼女は様々な体験をしながら、色んな人達と出会うんです!
 彼女はその世界で家族や親友や恋人ができて、長い年月を歩んで行くのですが…」

「…うんうん」

「あっ!ここから先は、ご自分で見て下され」



これから見てくれるであろう彼女に、これ以上ネタバレしてはいけないと思い、姜維は「風邪が治ったら、是非見て下され」と笑った。

DVDの数はとてつもなく多いが、彼女は興味を示した物なら必ず見てくれるだろう。



「…うん、風邪治ったら見させてもらうね。
 でも伯約は、いいの?部屋で見るんじゃないの?」

「いえ、私はこの作品の事は、網羅していますから!」

「…そ、そっか。じゃあ借りるね……っ」



くしょーい!!



DVDをスポーツバッグへ戻し、邪魔にならないよう部屋の隅におくと、がまたも盛大なくしゃみをした。

咄嗟に姜維はティッシュを何枚か取り、差し出す。

それを受け取りながら「あ”り”がど」と鼻をかむを見て、可愛らしいなと思った。



熱が気になったので、彼女の額に手を当てる。

彼女は、気持ちいい、と呟いた。

熱は何度あったのか聞くと、今朝より少し下がって37度6分、と答えが返ってきた。



「…眠った方が良いです」

「ん〜でも折角起きたし…」

「眠っていて下さい」

「でも…」



彼女の事だから、きっと自分が来た事により気を使っているのだろう。

『客人が来ているのに、寝る訳にはいかない』と。

しかし今日の訪問理由が『看病』なのだから、早く良くなる為に少しでも眠ってほしい。

それをそのまま伝えると、彼女は渋々布団へ入った。



姜維は立ち上がると、空になった土鍋を持ってキッチンへ入り、手早く洗い物を済ませてコンロ周りを掃除した。

時間にして、約10分ほど。

作業を終え、眠りの妨げにならぬように自分の部屋へ戻ろうと考えた。



本当は、ずっとこの場所に居たかった。



だが居座るのもどうかと思い、極力足音をさせぬよう玄関へ向かう。

すると声がかかった。



「…ね、伯約」

「あっ、起こしてしまいましたか?」

「…水の音が止んだから」

「洗い物をして、少しコンロ周りを掃除しただけですよ。
 それと、お邪魔になるので私はそろそろ…」

「…そっか」



そう言って、が少しだけ残念そうな顔をした。

姜維には、そう見えた。



もしかしたら気を使っているのかもしれない、と思った。

けれど彼女の性分から、自分にそんな他人行儀な事はしない、とも思った。

目の前にいる『彼女』は、気を使って甘えたフリをする、なんて事はしない。



さん、あの…」

「…ん?」



彼女が、あたしは風邪引いてるから仕方ないよね、と表情で言っている気がした。

心細い、寂しい、と聞こえた気がした。

だから姜維は、思い切って伝えてみた。



「あのっ、もう少しだけ、ここに居て良いでしょうか?」

「………居て、くれんの?」

「はい!」



そうやって、全く気を使わずに自分に甘えを見せてくれる彼女を、また可愛らしいと思った。

ありがと、と言って続けざま、またあの盛大なくしゃみ、そしてまた菌まき散らしちゃった、と茶目っ気のあるリアルな言葉。

そんな彼女に鼻をかませてベッドへ寝かせ、椅子を引っ張って来てその傍に座る。



「でも、ほんとにいいの?」

「はい」

「マジ風邪移るよ?」

「もしかしたら、移るかもしれませんね。
 でもいいんです、移して下さって構いません」

「冗談?明日にはあたしが全快で、伯が風邪引いたなんて…」

「大丈夫、安心して下され」



嬉しそうな顔を隠そうとする彼女に、やんわりそう言ってやる。

そしてその細い腕を布団の中へ入れてやり、ポンと叩いた。

彼女は、最初は何やら気まずそうな顔をしていたが、睡魔がやってきたのか、ウトウトと瞼を落とし始める。



「あ、眠…い……」



そう発してから僅かな時間で、彼女は夢の中へ落ちて行った。

姜維はその寝顔を、優しげに見つめる。

起こさないように、そっと彼女の髪の毛先を梳いた。



「私は、ここにいますから……ゆっくり休んで、早く良くなって下され」










はっくしょん!



翌日、朝。

無双学園敷地内にある学生寮の一室で、朝っぱらから盛大なくしゃみが上がった。

けれど、そこはのいる211号室ではない。



「……伯約」

「うぅ…申し訳ない……やってしまいました」



前日、部屋に戻った後、熱い風呂に入って早々に就寝したはずだ。

それなのに・・・。



「っていうか、『もしかしたら〜かもしれない』って、現実になんのかもね」



の二の舞になりながらも、見舞いに行った事は全く後悔していない姜維。

彼は結局、一日でこの風邪を克服したに看病してもらう事になった。