序章
春爛漫
雲一つなく、太陽が穏やかに世を照らす日。
風は草原を緩やかに撫で、それに乗って鳥達は喜びをさえずり、冬明けを待ちわびていたと言うよう咲き乱れる花は、ひらりひらりと舞い落ちる。
春爛漫とも言える、風情ある景色。
緩やかと言えど僅かに冷たく感じる風も、全く気にならない。
あぁ何と美しく、けれど儚く思える情景か。
目を細め、馬上から『春』を見つめていた男は、感慨深く一つ息を吐いた。
共として、自分の右隣で馬を操る男も思う事があったのか、少し笑みを見せながら目の前の景色を見つめている。
すると、何か気付いたのか「あれは…?」と口にした。
「ん?どうしたのだ?」
「いえ…。あそこに見えるのは一体何か、と思っただけでございます」
「ん?」
視線の先に見えた『それ』に、男は眉を寄せた。
そして「確かに」と呟くと、馬の腹を軽く蹴り、『それ』の元へ向かう。
近付くにつれて、それは人である事が分かった。
うつ伏せでぐったりとしている。
「何故、このような所に…」
「行き倒れでしょうか?」
言いながら、共が馬を降り、倒れている者の肩を掴み仰向けにする。
顔や体つきで、少女だと分かった。
仏かとも思ったが、顔色は良くただ眠っているだけのようだ。
「おぉ、まだ息がございます」
「そうか」
「如何致しましょう」
「む…」
問われ考え込む男だが、ふと違和感を感じ共を見遣った。
「この辺に村はあったか?」
「いえ、ないと思いますが……あっ、目が覚めたようです」
言い終わるか終わらないかの内に、少女がゆっくりと目を開けた。
漆黒とも言える、その瞳。
男も共も我を忘れて見入っていた。
だが、少女は「あれ…?」と呟くと、また眠ってしまった。
「あ、また眠ってしまいました」
「ふむ。だが、行き倒れではなかったようだな」
「えぇ、左様で」
確かに行き倒れではないようだが、この辺に村はない。
自分達は、年に一度この景色を見るため馬で来るが、この近辺に村があると聞いた事はなかった。
それよりも、男は先程から気になる事があった。
共も同じ事を思っていたのか、ふと口を開く。
「ですが、一風も二風も変わった着物ですね。あぁ、指に変わった輪も付けている」
「ふむ、何所ぞで神隠しにでもあったのだろうか?」
「神隠し…でございますか?されど、隠されたら戻って来れぬのでは?」
「永久に戻らぬ者もいるかもしれんが、中には例外も居ろう」
「そうでしょうか?しかし、珍妙な着物ですね…」
共はやはり少女の着衣が気になるのか、ふぅむと唸り全身を見回している。
男は自分で『神隠し』と口にしたが、先程の少女の瞳や着ているものを見ると、やはりそうなのではないかと思えてしまう。
ややあって、共が先程と同じ問いを口にした。
「輝宗様、如何いたしましょう?」
「では、連れ帰ろう」
「………。今、何と?」
あっけらかんと即答した事に、共は目を丸くしたかと思ったら、すぐに真剣な面持ちで問い返す。
しかし、それに小さく笑みを見せ、輝宗と呼ばれた男は少女をひょいと抱き上げた。