一章



[時の神隠し]


 ”真実”とは、常に残酷だ。

 と言っても、それは、孤独とか絶望とか虚構とか、そんな事じゃない。
 ”それ”は、何よりも自分が置かれている状況を明確に示顕し、これから先に起こるであろう『立場』であったり『精神疲労』をも教えてくれる。
 私は、ずっとそんな事を考えていた。

 その場が、沈黙と静寂に支配されていたからだ。





 年齢的に40代前と思われる男が、一段高い畳の上に胡座をかいている。
 そして、その正面に向き合い正座させられている私を挟み込むように、数人の男達が座っていた。
 それだけならば、別にどうという事はない。

 彼等が、実に風変わりな格好をしていたのだ。
 否、この場において『風変わり』の言葉に相応しいのは、他ならぬ自分なのだろう。その証拠に、脇に控える男達は、落ち着き払った風を装ってはいるが、興味や警戒の色を織り混ぜた視線を、一心に自分へ向けている。

 少し肌寒い空気に交じる、何処か懐かしさを感じる畳の匂い。
 自分の家にもあるにはあったが、今居るこの場所ほど広くもなく、また古風な作りでもない。
 現状を把握しきれていない私は、けれど、その匂いに少しづつ心が落ち着いていくのを感じた。

 何となく、困惑する頭の中でも察知はしていた。
 今、自分が置かれている状況も、見えているものなのだから納得せざるを得ない。
 ここへ来た経緯をどれだけ回想しようとも、それが”真実”であるのだという事。それが、この場所、人、雰囲気で分かる。

 テレビや映画で見るようなセット。
 しかし、それらは、決して安っぽい作りではない。
 それより、映像で見る嘘臭さが全く感じられない事が、気の遠くなりそうな違和感を放っていた。

 「名は、何と申す?」
 「………」

 長きの沈黙を破り、正面の男が口を開いた。
 私は、その言葉に俯き、答えを探す。
 別に名前がないわけではない。
 どうしたらこの状況を打破出来るか、先程までの世捨て人のような事を考えていた思考を、直ぐさま切り替えたからだ。

 しかし、やはり現状すら把握しきれていない頭では、限界があった。
 男達の視線は、全く逸らされる事なく自分へ注がれている。
 どうするべきかの前に、一体こやつは何者なのだという疑問と視線が、私の心を追い詰めた。

 ふぅ、と男の溜息が聞こえた。
 溜息を吐きたいのはこっちの方だと思ったが、多分、今は言わぬが華かもしれない。
 けれど、この状況から早く解放されたいというのも本音だった。
 故に私は、顔を上げずに答えた。

 「…です。」
 「か。ふむ…。」

 緊張で声が上ずる。
 だが、正面の男は気にした風もなく、一つ唸ると何事か考え出した。
 静寂の中で自分に注がれる好奇や警戒の視線に耐えられず、何が起こったかすら把握出来ない私は、思案中の男に声をかける。

 「あの…。」
 「ん、どうした?」
 「ここは…どこですか?」
 「?」

 一体何を言っているのか、といった顔で私を見つめる男。
 少し視線を動かすと、回りの男達も目を丸くしている。
 何だかとんでもなくお門違いな質問をしたような気になってしまい、私は再度俯いた。
 すると男が、ふっと小さく笑いながら言った。

 「ここは、米沢城だ。」
 「ヨネザワジョウ?って……何県ですか?」
 「ん?あのような所に一人倒れておって、行き倒れかと思ったが…娘、お前は、米沢すら知らぬのか?」

 困ったような顔で笑っている男だが、申し訳ない事に自分が聞きたいのはそこではない。地名に疎いと自分でよく分かっていたからこそ、場所を特定する為に県名を聞いたのだ。
 眠っている間の奇行か、はたまた自分は、いつの間にやら誘拐されていたのでは?と考えられるぐらいには、頭も働きだしていた。

 「あの、聞きたいのはそういうんじゃなくて…。」
 「ん?」

 男は、小首を傾げながらも、私の話を真剣に聞こうとしてくれる。
 それに何だかホッとしながら、もう一度「ここは、どこですか?」と問うてみても、返って来る答えはやはり「米沢だ」。
 話は一方通行で、終わる気配が微塵も感じられない。
 混乱が、更に混乱を呼ぶとはこの事なのか。少し痛む頭を抑えて軽く首を振った。

 すると、この不毛なやり取りを見て話が進まないと思ったのか、脇に控えている内の一人が「輝宗様。」と男を呼んだ。なるほど、彼は輝宗というのか。
 輝宗と呼ばれた正面の男は、控えている男の意を察したのか小さく「あぁ…」と頷くと、座り直して私を見つめた。

 何故だろう? 私は、この輝宗という人を恐いとは思わなかった。
 様、と付けられるあたり、この場において一番偉いのだろうが、私を見つめる瞳は、優しさと僅かながらの哀愁が篭っていたから。
 その瞳がふと伏せられ、やはり先程と同じよう沈黙が流れる。
 瞑想しているのかと思う程、輝宗という人の表情は静かで穏やかで、でも少し哀しげだった。

 「。」
 「っ、はい。」

 一瞬、じっと見入っていた事を気取られたと思い、喉が詰まる。しかし、それは勘違いだったのか、輝宗という人はゆっくりと問うて来た。

 「…生まれは、何所だ?この日の本か?」
 「え?」

 不意に全身の毛が逆立ち、鳥肌がたったのだと分かる。
 彼は『日の本』と言ったが、当然、私は、そういった言い回しはしない。
 靄を振り払うように頭が急速に回転を始め、彼の放った一単語の意味を分析し始めた。同時に、ああそうか、と納得もする。

 自分が、ふと寝ぼけ眼で目を開けた場所に、連れて来られたこの部屋の作り。目の前で、自分のよく知る『時代』の格好をしている男達の所作、そして言動。
 混乱に輪をかけるような状況であるにも関わらず、それこそが、今見える唯一の”真実”。

 鮮明に視野が広がっていく錯角に、納得の奥底で見え隠れするのは、不可解。それは、俗に言う”神隠し”なるもの。
 何時、何所で如何してそうなったかすら覚えていないが、確実に自分の身に起こった事。
 それ意外に答えはなかった。

 「はい、ここです。日の本です。」
 「………」

 途端に彼は、黙り込んだ。
 場にはピンとした空気が張り詰め、私にもそれが分かった。
 けれど自分は、嘘は言っていないし、相手が黙ってしまう程おかしな答え方をした覚えもない。

 またも静まり、誰も言葉を発さぬ部屋の空気は、先よりもひやりとしていた。誰も口を開かないという事は、皆、輝宗という人の言葉を待っているのだろう。

 そんな中、一体どうしてこんな事になった、どうして私がこんな所でこんな事をしているのかと、ごくごく当たり前の疑問が溢れ出て来た。自分が置かれている状況を把握したものの、やはり、にわかには信じられない。
 鮮明になったはずの視界はじわじわとぼやけ、目頭が熱くなっているのに気付いた。

 ポタッ。

 「?」
 「………。」

 まさか零れるとは思わなかった。
 目を閉じればすぐに引っ込むだろうとの予測に反し、それは畳に落ち、小さな小さな染みを作る。
 輝宗という人に呼ばれても、顔を上げる事が出来なかった。

 理解したとしても、それは『慣れ』ではない。

 取り敢えず涙を引っ込めようと、俯いたまま歯を食いしばった。
 しかし、それで止まるはずもなく、涙は、ぽたぽた流れ続ける。
 二十歳を過ぎて数年、こんなにみっともない涙を流したのは始めてだ。
 情けなさとわけの分からない悔しさに、私は、痛くなるぐらい奥歯を噛んだ。

 「……ふむ。」

 何を思ったか、輝宗という人が立ち上がった。そして私の前に座ると、徐に頭を撫で始めたのだ。
 それに反応して、私は肩を引き攣らせてしまったが、すぐに緊張は消え失せた。代わりに、どうしようもない安堵感が全身に広がる。

 「……皆、下がれ。」
 「輝宗様?」

 何を思ったか、彼は、人払いを命じた。
 しかし、脇の男は訝しげに問う。
 それでも彼は「下がってくれ」を繰り返し、ややあって両脇に控えていた男達が退室して行った。
 数人分の衣擦れの音が遠くなる中、涙は枯れることなく溢れ続けていた。





 「落ち着いたか?」
 「……はい。」

 ぐすぐすと鼻を啜る私に、輝宗という人は、静かな口調で言った。
 それにもう一つ鼻を啜りながら答えると、軽く肩を叩かれる。
 私が泣いている間、彼はずっと頭を撫でてくれていた。そして、それが無性に心を落ち着かせてくれた。

 「…すみませんでした、いきなり泣き出したりして。」
 「いいや、構わん。お前ぐらいの歳の娘に、あの場は少し重過ぎただろう。」
 「私ぐらいの歳って…?」

 とうに二十歳を超えている女に、『お前ぐらいの歳の娘』という表現を使った輝宗の言葉に、少し疑問を覚える。
 だが、そんな疑問を疑問に思ったのか、彼は、目を丸くし小首を傾げて言ったのだ。

 「何を言っている?変わった着物を着ていて、はっきりは分からんが…。見るに、まだ十二、三ではないのか?」
 「…は?」

 一体、何所を見てそのような事を言うのか。私は、思わず目を丸くした。
 悲しくもモデル体型ではないが、端から見れば、二十歳超えした一丁前の女の体つきではないか。
 変わっているのは貴方でしょうと口に出かかった所で、私は、とある異変に気付いた。

 「あれ? そういえば、なんか服が…」
 「む、どうした?」

 いつもはぴったりと着ていたはずの『それら』に、余裕がある気がした。
 いつもなら股下辺りまである黒地のパーカーは股をとっくに過ぎており、白地のデニムパンツは、膝丈のはずなのに膝下になっている。
 そういえば、靴下も心無しか緩い。そう思うと同時に、はいていたブーツはどこへ行ったのだろうという疑問。

 「?どうかしたのか?」
 「あの、えっと…」
 「あぁ、儂の名前か。輝宗だ。」
 「て、輝宗様。お願いがあるんですけど…。」
 「願いとな?なんだ?」

 名前は知っていたが、改めて教えてくれたので輝宗様と呼んでみよう。
 そんな事を考えながら私が口にした願いとは、現状把握の次に、考えられないはずの『自分把握』だった。





 あぁやっぱりか。何故なのか?
 嫌な予感とは、信じられない事であろうと的中するのだな。
 落胆と動揺と困惑の三者が入り交じる溜息を落としながら、しかしこんな事が起こっても良いのか考えた。
 輝宗様の言っていたように、私の姿は、どう見ても12ー13ぐらいの小娘になっていたからだ。

 「そなた。どうしたのだ、一体。」
 「………」

 困った顔をする輝宗様をよそに、私は、お借りした鏡の前でがっくりと項垂れていた。貴方より私の方が、100万倍困って信じられません。そう声を大にして叫びたい。
 現状と、自分がどうなってしまったのかという把握は出来たが、如何せん、目まぐるしく突き付けられる現実に、私は、只々脳細胞を疲労させるだけだった。

 何故こんな事になったのだろうと、またも先程の疑問が蘇る。
 この状況を見て自分に起こった事が神隠しであったとしても、『子供返り』するなど、あるはずがない。いや、あってよいはずがない。
 たまに高齢者の方が精神面で、というのは聞くが、肉体的な子供返りなど聞いた事も見たことも…。

 何か神憑かり的なものなのか、はたまた、これは全部夢でしたというオチがつくのかすら、分からない。
 だが、いくら頬を抓ってみても耳を引っ張ってみても、自分に起こったことは”真実”でしかない。
 ここまでくれば、もう何があっても驚かないという台詞を自分が口にする事など、百になるまで生きても絶対に無いだろうと思っていた。

 「運命とか神様は、意地悪だ」と言う人がいるが、まさにその通りではないか。自分に予想する事も出来ず、どう足掻こうがどうする事も出来ない。
 『とんでもなく予想外な出来事』だ。
 否、『とんでもなく予想外の斜め上をいく出来事』だ。

 どこで自分は、人生設計を狂わせたのだろうか。他人に迷惑をかけず、平凡な人生を歩んでいたはずなのに、何故なのだろう。
 だが、理解不能な事が起こり過ぎると、人間とは、逆に開き直ってしまえるとも聞く。

 確かに、漠然とした困惑や不安が胸を支配していたが、頭の中は少しずつ冴えてきている。
 おかしな事ばかり起こり、微かな苛立ちはあれど、ここまで来たならもうどうにでもなれと思ってしまっている自分がいる。
 あぁ今日は厄日か、それとも今年が厄年だったのかと思いながらも、それが、今自分が知る・真実″なのだから、と。

 「はぁ…。」
 「先程から鏡を見ては落胆したり、溜息をついたり…、一体どうしたのだ?」
 「いえ、何でもないです。」

 ふ、と緊張が解けた。
 なんだかんだで、全て受け入れてしまえば、こうまで楽になれる。
 もう一つだけ溜息を落とすと、先程から素性も知らぬ自分をずっと心配そうに見つめていた輝宗様に、私は笑ってみせた。
 それを見てホッとしたのか、人の良さそうな彼は、釣られたように笑う。

 「なんか…納得いかないけど、受け入れたらスッキリしちゃった。」
 「納得? 受け入れた? 先程から、何を言っているのだ?」
 「鏡、ありがとうございました。」
 「あ、あぁ…。」

 春風のような朗らかなものが、私の心を撫でて行く。
 落胆したり急に元気になったりと、私の表情がくるくる変わるのを見ていた輝宗様は、目を白黒させていたが、やがて思い出したように「そういえば」と言った。

 「そういえば、なんですか?」
 「まだ聞いておらん事があったな。」
 「何でしょう?ここまで来たら、何でも答えますけど。」
 「ふむ…。」

 余りにもあっけらかんと答えてしまった為か、輝宗様は、少し怪訝そうな顔をする。
 次に来る質問は予想出来ていたが、私は、正直に答えるつもりはなかった。何故なら、ここにいる人達には、到底信じる事など出来ないだろうから…。

 「。お前は、どこから来た?」
 「言えません。」
 「…何故だ?」
 「それは、言っても信じてもらえないでしょうから…。」
 「…ふむ。」

 やけにあっさりと引いた輝宗様は、なにやらまた思案しているようだった。この人の口癖は『ふむ』なのだなと思いながら、私は「でも…」と続けた。

 「何だ?」
 「生まれは、確かにこの国です。でも…帰る場所も、帰り方も分かりません。それだけは確かです。」
 「………」

 今度は口癖を使わず、黙り込んでしまった。
 でも、これは本当の事で、嘘偽りは全く無い。

 ふと思った。
 嘘でも偽りでもなく、この時代が、私の思い当たる”真実”であるならば、それはそれで、もう致し方ない事なのだろう。
 だって、私は、遡ってしまった。
 夢でも幻でもないこの時へ、遡ってしまったのだから。

 「ふふ…。」

 不意に笑いが込み上げて来て、声が漏れてしまう。
 最初は小さなものだったのに、次第に、それは腹が痛くなるほど。
 どうして笑ってしまうのか分からないが、大声でないだけまだマシだろう。
 あぁおかしい、でも何がおかしいのか分からないと、背を折り曲げながら笑った。

 「っ…。」

 次には、涙が出て来た。
 笑いから派生したのではない、それ。
 今になって、ようやく事態の重大さが頭から身に行き渡り始めたのだろうか。
 笑い泣きなんてどうやったら出来るのかと今まで思っていたが、私は、今おかしさに笑いながら、込み上げるこれから先の不安や恐怖に涙していた。

 「…。」

 笑い泣きし続ける私の頭に、ぽん、と輝宗様が手を乗せた。
 直後、顔を上げようとする私の動きは、抱き締められた事で封じられる。
 暖かいと思った。
 同時に、『苦しい』とか『恐い』とか『どうしよう』とか、そういった負の感情がどっと胸に押し寄せる。

 暖かい、でも、どうしてこんなに哀しくなるのだろう。
 どんどん涙が出て来て、輝宗様の衣に染みを広げていく。

 泣きじゃくる私に、彼は、背を撫でながら優しく言葉を発した。

 「お前さえ良ければ……ずっと、ここに居れば良い。」




 さぁ 真実という名のゲームを 始めましょう