[三人目の家族]
デュナン統一戦争が終わり、全ての引き継ぎを終えてから、更に一週間が経過した。
その間ルックは、魔法兵団を纏めたりザムザに引き継ぎをしたりと、実に多忙な毎日を送っていたようだが、は違った。自分の役目は『ルックの護衛』だった為、とてつもなく暇を持て余していたのだ。
故に、忙しい彼に代わって荷物を纏めたり、親しくしていたビクトールやフリックを見送ったり、レオナやシエラなどに別れを告げに行ったりしていた。
そして、それもようやく終了した頃。
またも暇な時間がやってくるのか、と思っていたところ、ルックの用事が全て済んだ。
すでに彼の荷物──殆どは、本だが──は纏めておいたので、残る荷物は自分の物のみ。とは言っても、やはり彼同様に大した物は持ってきていなかったので、それもすぐに終わった。
「これでよし、っと!」
「……終わったのかい?」
「うん。つっても、紅茶セットとか着替えぐらいだけどね。」
荷物を纏めている最中、彼は『我関せず』とばかりに椅子に腰掛け本を読みふけっていたが、荷物を纏め終わったことを知ると、それをパタンと閉じた。
「そんじゃー帰りますかー!」
「……うん。」
彼の肩を叩き、転移を使おうとした、その時だった。
「二人とも………ご苦労様でした。」
「あッ…」
「レックナート様。」
透き通るような声と共に、光を纏った師が姿を現した。
ルックが、その不意の登場に『なんでこんな所に?』といった顔をしているが、は違った。思わずあの時のことを思い出し、視線を伏せてしまう。
彼女は、暫く黙していたが、やがて彼に向けて言った。
「ルック。貴方は、先に戻っていて下さい。」
「……はい、分かりました。」
暗に『二人で話したいことがある』と言われ、彼は一瞬なにか物言いたげな顔をしたが、すぐに二人分の荷物を手に転移した。
一瞬だけ、その瞳が自分に向けられた事に気付いたが、彼に答えることはなかった。
「レックナートさん……。」
ルックがいなくなってからも、彼女が口を開くことはなかった。それに気まずさを覚えつつ、今までずっと言えなかった言葉を、ようやく口にする。
「あの時は………本当に……ごめんなさい…。」
もう一度、ごめんなさい、と呟いた。心からの謝罪だった。
声が震え、後悔が体を震わせる。
すると彼女は、ポツリと言った。
「もう、あの時のことは、良いのです……。」
「でも…」
「私は、貴女に……伝えることが出来なかった。それは…」
「違います、違うんです! あの時の私は……私の本心は………誰かの所為にしたかっただけなんです! 誰かの所為にすることを嫌がってたはずなのに、結局、あなたに…!」
「……もうお忘れなさい、。」
彼女はゆっくりと近づき、抱きしめてくれた。だが、その体は実体ではないのか、その白い手は、するりと自分の体をすり抜ける。
それでも充分暖かいと思った。温もりを感じることはなくとも、彼女は、いつだって優しかったのだから。
気持ちが落ち着いたところで、本題を問うた。
すると彼女は、またとんでもない事を言い出した。
「貴女に………創世の紋章のことを、また一つ、教えておかねばなりません…。」
「……は?」
そういえば、と思い返す。この紋章を宿した時、彼女は、「まだ全ての能力を教えることが出来ません。」と言っていた。
「ってことは…」
「そうです。今まで貴女に伝えていなかった、更なる能力の一つを……。」
「更なるって……。その言い方からして、まだ沢山あるって事ですよね?」
「はい。」
「…………。」
即答され、思わず天を仰いだ。
自分は、とんでもない紋章を手に入れてしまったのかもしれない。この紋章は、いったいどれだけの能力を秘めれば気が済むのだ?
我が紋章ながら、呆れを通り越し、むしろ笑いすら込み上げてきた。
その行動を”了承”と取ったのか、師は『能力』の話をし出した。
「ったく…。マジシャレんなんないわ…。」
ブツブツ文句を言いながら、とりあえず歩く。
皇都ルルノイエ。
師を見送った後、は、まだ戦いの匂いが色濃く残っているその場所へ来ていた。
転移でやってきたはいいものの、目を開けた途端に入った光景に、苦い思い出が蘇る。
「ここで……ユーバーと遭遇したんだよね…。」
独り言をいいながら中庭をザクザク進み、角を曲がって、皇宮の扉を力任せに押す。
ギ、と重い音をさせて扉が開くと、最上階にある『王家の間』を目指し、早足で歩いた。
ふと、ユーバーという名前から連想したのは、ルックのことだ。彼が、ユーバーと戦ったことを思い出した。
あの戦から戻ってきた彼の『額』には、一生消えることの無い傷ができた。
本人は、絶対に口を割る事はしなかったが、ユーバーにやられたのは明白だ。
ゴリ押しを続け、最後の最後でようやく粘り勝ち、ホウアンに話を聞くことが出来た。
どうやら、あの傷跡がついた後、風の紋章で止血はしたようだが、傷が開きっぱなしの状態で暫く放置していたために、痕として残ってしまったらしい。
それを聞いたと同時、あの時の自分の行動を責めたものだが、彼は「…別に、額に傷がついた程度で、生活には何の支障もないだろ?」と言って、気にも止めない様子だった。
遠回しに『きみが気にする必要はないよ』と言ったのだ。
余計に申し訳なかったので「せっかく綺麗な顔なのに…ごめんね?」と、何度も何度も謝った。だが彼は、「綺麗だなんて……男に使う言葉じゃないよ。」と、不快そうに顔を顰めただけだった。
「はぁ……。マジでもったいないし、面目ないなぁ…。」
2階、3階と階段を上がりながら、そう一人ごちる。
帰ったら、もう一度謝ろう。そう思いながら歩いていると、目指した場所に到着した。
「……………あれ? なんで無いの…?」
目的の場所で、目的の『物』を探す。だが『それ』は、どこにも見当たらない。
「なんで…? 確か、ここに『獣の紋章』があったはずなのに……。」
の目的は、獣の紋章だった。
そして、それは戦いが終わる前から己に課せられていた”使命”であり、もちろんルックにも念を押されていた。
しかし、その目的は『共鳴』ではなく・・・・・・『回収』に変わっていた。
『回収』
レックナートから聞いた、創世の紋章の新たな能力。それは、『宿主のいない真なる紋章を、回収することができる』というものだった。
だが、それを聞いて疑問が浮かんだ。
真なる紋章が、真なる紋章を『回収』する?
真なる紋章とは、その個だけで強大な力を、そしてそれぞれに呪いを持ち、宿主を試すように幾度となく災いをふりかける。
それを、わざわざ回収する? この紋章は、それが出来る?
その意味は・・・その本質は? どういうこと?
しかし、やはりというか、それみたことかというか、それを問う前に、師は「ルルノイエに向かうのです…。」と一言残すと、一人でさっさと魔術師の塔へ帰ってしまった。
だから、先ほどから文句を垂れていたのだ。
だが、目的の物が無い。どうすれば良い? ・・・・・・答えは簡単だ。
「うわー、無駄足だったわー。」とあえて口に出してみて(誰もいないので、もちろん返事はなく虚しいだけ)右手を掲げ、光の波紋に身をまかせた。
「おかえりなさい…。無事に回収できま…」
「無かったです。」
魔術師の塔へ戻り、師が問い終わる前に、そう切り返した。
その答えに、彼女が僅かに眉を寄せる。
「もしや………もう、ハルモニアに…?」
「さあ…? でも、それは流石に無いんじゃないですか?」
「……何故、そう思うのですか?」
「んー、ただの勘です。」
「…………。」
あ、呆れられた。そう思いながらも、己の勘に『絶対』の自信が持てる。
なんとなく、獣の紋章の気配を覚えているような。そして、それがハルモニアの方角にはないような。
すると、彼女が呟いた。
「紋章は………自ら、宿主を選びます…。」
「そうですね。でも、ハルモニアには、行ってないと思…」
「……それはであり、であり、であり……。」
「っ…あーッ!!」
唐突に思い当たり、声が出た。
それに対し、彼女が、珍しいことに思いきり訝しげな顔をする。
「? いったい…」
「ちょっ、ちょっと失礼します!」
待ちなさいと言われるより早く、は、扉を開けて階段を駆け降りた。
向かった先は、塔の庭。
そこは、かつて自分が命を助けた男が、毎日剣の稽古をしている。
転移を使うのも忘れて、夢中で階段を駆け下り、庭に出ると・・・・
「む? ……なんだ、貴様か。」
「はぁい! お久しぶりブリッ!」
デュナンにて『狂皇子』の異名を馳せたルカ=ブライトが、そこにいた。
彼は、いつものように剣を振るっていたのか、軽く汗をかいている。
「ちょくちょく様子を見に来ていたくせに、久しぶり…か。暢気なものだな。」
彼は、手の甲で汗を拭いながら、剣を鞘にしまった。
その一連の動作を、腕を組んで眺めていたが、ふと彼の右手の甲に目を止める。
そして『やっぱりか』と思いながら、「あー…。」と言って、額に手をあてた。
「…なんだ? なにを見ている?」
「あんた、その…………右手…。」
「……あぁ、これのことか。」
彼が、汗を拭った右手をプラプラ振った。なにが可笑しいのか、フッとほくそ笑むその顔が、なんかムカつく。『今更気付いたのか』とでも言いたげな顔。
思わず眉を寄せた。
「なんで、あんたが…」
「さぁな。俺に分かるはずがあるまい。」
予想通り、彼の右手に宿っていたのは『獣の紋章』だった。
「でも、なんで…?」
「俺が知るか。大方、行く宛がなくて、俺の所へ来たのではないか?」
「でも……あんたは、元々それ宿してなかったはずじゃ…」
「……俺に聞かれても知らん、と言ったはずだぞ。」
本当に、彼にも理由が分からないのだろう。
だが、彼の言うことこそが、的を射ていたのかもしれない。
しかし、本当にそれで良かったのだろうか? 彼は、得ることを自ら選んだのだろうか?
眉間に皺を寄せながらも、紋章を宿す者にとって、一番大切なことを問う。
「……不老になるんだよ…。そういった覚悟は、ちゃんとしたわけ……?」
それに鼻を鳴らし、彼は笑う。
「『殺した者の分まで生きろ』……。そう言っていたのは、どこの誰だったか?」
「っ…。確かに、そうは言ったけど……。でも、あれはそういう意味じゃ…!」
「安心しろ。後悔するなら、初めから受け入れたりはせん。」
「…………そっか。」
そう言い不敵に笑う彼は、どこまでも続くこの果てなき道を、共に歩き続けることが出来るだろうか。それは、”何十年”などという生易しいものではない。生き方にもよるのだろうが、”生きる”道を選び取るなら、それはとてもとても長い。
本当に気が遠くなり、本当に気がふれる程の長さなのだ。
「いつか……その流れの長さで、あんた、頭おかしくなっちゃうかもしれないよ…?」
「……ふん。そうなるなら、なったまでだ。」
そっか・・・・・そうだね。それなら・・・・・
「じゃあ……もしあんたが、その長さに狂うことになっても、私が一緒にいてあげるよ。」
「…貴様が?」
「うん。気が狂うほどの感覚…。今のあんたには、まだ分からないだろうけど……永遠っていう時間を甘く見ると、すっっっごい痛い目に合うんだからね!」
「…だろうな。正直、今の俺には、見当もつかん。」
「あはは! 大丈夫だよ。私も、おかしくなった時があった。でも傍にいてくれる人がいるだけで………時間はかかるだろうけど、今の私みたいに、こうやってまた人と話が出来るようになるよ。」
「…ふん。」
もしかしたらこの男なら、本当に後悔しないのかもしれない。いつかの自分のように、叫び狂うことはあったとしても。
けれど彼は、きっと大丈夫。何故なら、自分がついているのだから。
小さく笑うと、彼も笑った。
「ルカ。改めて、あんたを歓迎するよ。」
「…今さらだな。大きなお世話だ。」
「ふふ。まぁ、いつかあんたが、全てを呪っても……憎んでも、紋章を宿した事を悔やんでも…。私達が、あんたを支えてあげる。」
ゆるりとした笑みが浮かぶ。
それに彼は、一瞬目を瞬かせたが、すぐに不敵な笑みに戻った。
「俺を誰だと思っている?」
「さぁ? ただのルカでしょ?」
「ふん。減らず口は、相変わらずだな。呆れを通り越して、笑いすら込み上げてくるわ。」
「おー笑え笑え。そんで、腹筋爆発して悶絶しろ。……まぁ、笑った方が良いのは、本当だけどね。」
最初、獣のように全てが鋭かったこの男も、段々と自分の冗談に付き合ってくれるようになった・・・・・気がする。
と、彼が、今しがた鞘へおさめた剣を引き抜いた。
「…おい。暇なら付き合え。」
「え、稽古つけてくれんの? ラッキー!」
「言っておくが、俺は容赦せんぞ。」
「うわー…。お手柔らかに頼むよー…。」
それからすぐに、庭からは、剣の打ち合う音が響き始める。その中に、殺気や狂気の気配はない。小鳥達が木の上で羽繕いをしながら、穏やかなこの時を楽しむように、ピィピィとさえずる。
それを背に、辺りが暗闇に包まれるまで、剣の音が鳴り止むことはなかった。