[また会える日を]



 神ですら戦く『それ』は、荒々しくおぞましい気配を放ち続けていた。
 それを全身に受けながら、皆より遅れて王家の間についたは、双頭の狼を目の当たりにして思わず身震いする。

 『獣の紋章』

 具現化されたその”力”を感じて、この戦でどれだけの血が”その為”だけに流されたのか、改めて思い知った。直感で、これはマズイと思う。もしかしたら、死ぬかもしれないと。
 恐怖で目を逸らすことが出来ず、背筋に震えが走る。双頭の狼が咆哮するだけで、部屋は振動し、皆が皆、”死”を思わせる響きに体を硬直させた。

 「これが…!」
 「そう…。こいつが、獣の紋章の化身さ…。」

 『殺戮』と『激昂』を象徴する、血と狂気と混沌のしもべ。
 眉を寄せると、ルックがそう言った。彼は、自分より前にいるため、その表情を伺い知ることは出来ないが、どうやらその強大な力に圧倒されているようだ。

 「でも、こんなに…!」
 「……甘ったれるんじゃないよ。それに……それも、きみの”使命”の一つだろ?」

 化身から目を離さずに下唇を噛んでいると、彼は小さくそう言った。
 でも、なんと恐ろしい存在なのだろう。この破壊の権化を鎮めるには、いったいどうすれば良いのか。
 そんなことばかり考えていると、彼は、諭すような静かな口調で言った。

 「でも………この化け物を相手にするのは、きみじゃない。」
 「分かってるよ。でも…」
 「……きみは、黙ってそこで見ていれば良いんだよ。この最後の戦いをね。」
 「分かった…。でも、絶対無理はしないでね…。」

 彼は、次にを見た。の瞳に、恐れや迷いは無い。
 これで、全てを終わらせる。

 その想いを胸に、同盟軍リーダーは、あらん限りの声で叫んだ。



 「行くぞ、みんな!! こいつを倒し、この地に平和を!!!!」






 獣の紋章の力は、想像以上に強大で、邪悪だった。
 しかし、それに打ち勝つことが出来たのは、108という想いが集ったからだ。
 星を持つ者達の、願いや祈り。強く優しい”想い”だった。

 獣の化身は、の持つ『輝く盾の紋章』の力によって、無に帰した。
 怒り、悲しみ、憎しみ。その全てを負って、その力を静めた。
 獣の紋章を覚醒させた張本人である、レオン=シルバーバーグは、その戦いの最中に姿を消していた。

 全てが終わったかに見えた。

 だが、まだ終わってはいなかった。
 ハイランド王国、最後の皇王であるジョウイ=ブライト。彼は、この城の何処にも居なかった。
 ただ、ハイランドを象徴する彼の着ていた白いコートだけが、無造作に玉座へとかけられていた。

 「っ……!」

 そんな中。
 が、一瞬何か思い出すような表情を見せた事に、だけが気付いた。






 誰かを亡くし、救い。そして、愛する想い。
 失い、悲しみ、絶望し。それでも誰かを愛し、誰かを想って。
 様々な想いが交錯した彼の地で、108の想いが実を結んだ。

 後に『デュナン統一戦争』と呼ばれるその戦いは、同盟軍の勝利によって幕を閉じた。



 悲しみの連鎖は・・・・・・終わった。



 ルルノイエに将や兵を幾らか残し、率いる重鎮達は、本拠地へ帰還した。

 最後にやるべきことは、事務的な処理や引き継ぎだったが、自身は自部隊を持っていなかった為に暇を持て余しながら、軍団長ルックの仕事が片付くのを待っていた。
 時折、彼に「…やっぱり面倒くさいから、きみがやってよ。」と言われることもあったが、笑顔で「お前がやれ、バーカ。」と返してやった。
 それが面白くなかったのだろう。彼は、「…この書類を、全部切り裂いてやりたいよ。」と物騒なことをブツクサ言っていたが、なんだかんだで順調に書類を片付けていった。



 とある日のことだった。

 その日は、やけに早く目が覚めた。
 特に何があるわけでもない。ルックの作業も、まだ数日は続くと言われていた。
 陽が顔を出し始めているものの、まだ空は薄暗い。しかし、眠気は全くといって良いほど無かった。

 せっかくなので、清々しい朝日でも浴びてやろうかと、身支度を済ませて部屋を出た。
 階段を下りて、約束の石版のある広間に出たものの、生意気な弟分は、まだ顔を出していない。恐らく、ここ数日の書類仕事やら引き継ぎやらで、相当参っているのだろう。
 部屋で爆睡している姿が目に浮かび、思わず吹き出した。

 広間は、朝の静寂をたずさえていた。誰もいないかに思えた。
 だが、ふと人の声が耳に入り、思わずそちらへ目を向けた。
 石版の前で、ビクトールとフリックが、相手に何やら話し込んでいた。

 『こんな朝っぱらから……?』

 そう思い、彼らから死角になる場所を見つけて隠れると、そのやり取りに耳を澄ます。
 だが、話し終わってしまったのか、が静かに二人に背を向けた。二人は止めることもせず、その背を見守るように見送るだけ。

 ゆっくりと歩み去る少年の姿が見えなくなってから、二人が顔を合わせた。「シュウに報告か……大変だな。」と笑いながら。
 男二人が広間を後にするのを見届けて、は、急いでの後を追った。






 「!」
 「えっ……さん!? なんで、こんな時間に…」
 「さぁ? なんか目が覚めちゃってさ。そういえば、こんな早朝に……一人でお出かけ?」
 「あ……えっと…。」

 ニッコリと笑って近づくと、彼は思いのほか動揺したようで、ワタワタしている。理由を聞いても口をつぐみ、困り顔をするのみ。
 言いたくないなら別に構わないよ。そう言ってやると、安心したのか胸をなで下ろした。

 「さん……それで…」
 「あぁ…。最後の戦いの前に、私、頼みがあるって言ったよね?」
 「あ、はい…。」
 「もうちょっと後でも良かったんだけど、折角こうやって会えたんだから、とっとと済ませちゃおうと思ったわけよ。」

 彼には、きっと、何かやらなくてはならない事があるのだろう。
 行かなくてはならない場所が、あるのだろう。
 会わなくてはならない人物が、いるのだろう。

 だから、言わなくていいよ。
 これから先は・・・・誰からも束縛される事のない、きみだけの時間なんだから。

 「それじゃあ、私の用事を済ませても良いかな?」
 「あ、は…はい…。」

 に話した。自分が、真なる紋章を持つことを。
 そして、自分の持つ”使命”が、真なる紋章を持つ者たちと”共鳴”する事を。
 話を終えると、彼は目を丸くしていた。その目が『信じられない』と語っている。
 それに、思わず悪戯心が沸き上がった。

 「あんた、どしたの?」
 「え、あ……その………さんが、まさか…。」
 「今まで黙ってて、ごめんね。」
 「いえ……、あの、そういうワケじゃなくて…。」
 「ふふっ。こう見えても、かなりお婆ちゃんなのよ、私。」
 「えっと…その……。」

 あえて年齢を伏せると、彼は途端に悩み出した。女性に年齢を聞くのは失礼ではあるが、気になるのだろう。
 その悶々と悩む彼の表情が可笑しくて笑っていると、少し拗ねたような顔。

 「さん!」
 「ふふっ、ごめんごめん。」
 「あの……質問しても…良いですか?」
 「どうぞ。」
 「さんて、いったい…」
 「えっとね…。164……だったかな。」
 「な、…えぇッ!?」
 「そんなに驚かれると、ちょっとショックなんだけど…。」
 「あ、ご、ごめんなさい……すみません…。」
 「いやいや、いいよ。ふふ…。」

 質問を先読みして答えると、彼は、今度は顎が外れんばかりに驚いた。一々見ていて飽きない。
 と、ここで話を本題に戻した。

 「そうそう。だからね、。”共鳴”させてもらっても良いかな?」
 「は、はい、分かりました。」
 「それじゃあ……。」

 そう言って、右手を掲げようとする。が、彼に待ったをかけられた。
 何事かと問うと、彼は「お願いがあるんです…。」と前置きした。

 「お願い?」
 「はい…。その…もし、さんが良ければ……転移魔法を使ってもらえませんか?」
 「転移を?」
 「はい。僕は、その……どうしても、行かなくちゃいけない場所があるんです…。」

 彼の、その心の底で揺らめいている、想い。
 何となく、早く目が覚めたことに納得した。

 「オッケー。」
 「本当ですか…? あ、それと……この事は、誰にも…」
 「……うん、言わないよ。あんたは…………もう”自由”なんだから。」



 緩やかに紡ぎ出されたその言葉に、はハッとした。
 彼女のその瞳が、慈しむような、包み込んでくれるような暖かさを持っていたからだ。
 様々なものを見てきたのだろう、その黒き双眸。それに愛され、想われ、その腕に抱かれているような、泣きたくなるような感覚。

 思った。彼女には適わない、と。今はまだ。
 だから伝えなかった。心の中に宿る、その気持ちを。

 『あなたが……………好きです。』

 その想いを。
 時間は、まだいくらでもある。それは無限ではないけれど、まだ自分には残されている。
 会いたいと願えば、必ず会える。
 この紋章が、きっと彼女へと導いてくれる。

 だからは、共鳴を終えた後、とびきりの笑顔で「また会いましょう!」と言った。
 彼女も「うん、またね!」と笑ってくれた。
 生きていれば、必ずまた会えるから。

 想いを繋げば、再び巡り会えると信じて・・・・・。






 それから。

 「が、行方知れずになった。」と仲間達から聞いたのは、その翌日。
 そして、シュウから「殿は、親友と姉と三人で旅に出た。どこかで見かけても、そっとしておいてやれ…。」と言われたのは、全ての事後処理が済み、仲間達が旅立つ少し前のこと。



 それは、太陽暦461年。



 が、創世の紋章を宿してから、実に143年という時を経た後。
 ハルモニア神聖国が、ハイランド県内の領土回復を狙い、デュナンへ侵攻する『ハイイースト動乱』の11年前。



 そして、後の『英雄戦争』が始まる、約15年前の話である。