[小さな手]



 ────  ────



 『……声………?』



 ────  ────



 『なん…で………今…更……。』



 ──── ……い…せ…… ────



 『……な………に…?』



 ──── おも………て…… ────



 『聞こえ……ない……。』



 ──── ”全て”を ────






 ゴンッ!!!!

 「ぃでッ!?」
 「いい加減に起きんか!」

 頭を思いきり殴られて、意識が覚醒した。もう少しで、声の言っていることを聞き取れたのに。
 目を開け涙目になりながら、目の前の見知った顔を思いきり睨みつける。こいつが頭をド突いたのだろう。たぶん、先ほどの仕返しだ。

 「ちょっとあんた、すっげー痛いんですけど!」
 「…知るか。この程度で、根を上げるとは。」
 「はいはい、ごめんよ! って、マジいてぇよーッ!!」

 本当に痛い。手加減もクソもあったもんじゃない。痛みよどっか飛ん行って下さい、と思いながら、ゆっくり息を吐き出す。
 この男の『この程度』とは、一般男性の『かなり力みました』に入る。清純な乙女の頭にコブが出来てないか心配だ。
 まだジンジン痺れている頭を抑えながらベッドを立つと、彼が鼻を鳴らした。

 「おい、腹は?」
 「は…? あんた、頭大丈夫?」
 「馬鹿が。頭がおかしいのは、貴様の方だ。俺は『腹は減らんのか?』と聞いている。」

 人の起きがけに、コイツ、何を言ってんだ?
 そう思ったが、返す前に腹が鳴った。・・・ちょっと、恥ずかしい。
 誤摩化すために外を見ると、ちょうど夕日が差し込む時間帯。それを終始眺めていた彼は、意地悪く笑った。

 「……色気など、貴様に求めるべきものではないな。あぁ、俺もよく分かっている。」
 「うっせバーカッ! 色気なんかより、食い気で勝負すんのが、良い女だしッ!」
 「ふッ…。」

 鼻で笑われた。悔しかったので、仕返しの仕返しで殴ってやろうとするが、今度は見切られてしまう。これは二度悔しい。
 と、ここで彼が、思い出したように言った。

 「そういえば……あの小僧、もう戻って来ているぞ。」
 「え、あの子が?」
 「二日前にな。」
 「……は?」
 「貴様……三日も眠り続けておいて、腹が減らんはずがないだろう。」

 要は、あの頭痛から三日も寝込んでいたらしい。驚きを通り越して、目眩がする。
 あの”声”と共に襲い来る頭痛、目眩、耳鳴り。それに身をゆだねてしまったら、暫く目覚めることは無い。過去に、何度となく同じことがあった。
 あの時は、確か・・・・

 そう考え込んでいると、彼が頭に手を乗せてきた。視線で『なに?』と問うと、彼は、先程よりも更に笑みを深くして、とんでもないことを言い放った。
 「しかも、コブ付きだ。」と。






 その言葉を聞いた直後、は、ルカの首根っこを掴んで迷わず転移した。同じ塔内なのだから走って行くことも出来たが、そんな時間をかけるのも惜しかったのだ。

 「ちょっとルックっ!! あんたッ、いつの間に子供なんて……!!」

 ちょうど夕食時ということもあり、彼はキッチンにいると踏んで、扉を思いきりブチ開けながら「お姉ちゃん聞いてないわよ!」とキッチン兼リビングに足を踏み入れる。
 しかし・・・・・

 「…………きみ、いったい何なのさ?」
 「あれ…?」

 何やら、もの凄く不機嫌そうな顔をしている彼。
 そして・・・・・彼と向かい合うようにして座っている、小さな女の子。クリーム色の髪に、涼やかなペールブルーの瞳。

 『うっわぁ…!!』

 その姿を見て、まず見惚れてしまった。なんて綺麗な少女だろう。誰もが羨むようなストレートの髪に、宝石のような瞳。まるで絵本から飛び出したどこかの国のお姫様のような、愛らしい顔立ち。

 ・・・・・・いやいや、ちょっと待て。似てないぞ。
 どこをどう取っても、ルックに似てないじゃないか。
 目、鼻、唇、髪の色。そのどれを取っても、彼に似たところは一つも・・・・。

 「えっ、ちょっと待ってよ………隠し子じゃないの?」
 「………隠し子? 僕に?」
 「だってコイツが…!」
 「……………。」

 彼の目が、あからさまに『呆れた』と言っている。
 早とちりかよ、と思いながらルカを見れば、意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見ている。
 騙された感を全身隅々まで感じ、はらわたが煮えくり返りつつも、話を戻した。

 「んーで?」
 「……でって、何がだい?」
 「その子だよ。どしたの? あんたの子じゃないんでしょ?」
 「きみ………レックナート様に、なにも聞いてないのかい?」
 「あんたこそ、あの人から何も聞いてないの? 私、三日間ずっと気絶してたんですけど?」

 「呆れたものだね…。」と言われて、またも腹が立ったが、とりあえず説明を促す。

 「……ハルモニアから、連れてきたのさ。」
 「ハルモニア?」

 そう言い、席を立った彼は、少女に耳打ちした。少女は小さく頷くと、その体に大き過ぎる椅子からピョコンと下りて、目の前に立つ。
 ここでは、ようやく少女と視線を合わせた。

 『…………なんで、こんな哀しい色……。』

 少女と目を合わせて、まず第一に思ったことがこれだった。悲しみを宿し、まるで暗闇に佇んでいるような、音の無い色。
 それよりも、少女の顔に表情が無いことが気になった。先ほどから笑うこともなければ、見ず知らずの大人に怯えることもない。それは、まるで人形のような・・・・。

 ルックと目が合った。彼は『後で話をするよ』と言うような顔をして、視線を逸らした。
 は、自分を見つめている少女に向き直り、笑いかけてみた。恐がらせないように、ゆっくり手を差し出しながら。

 「私は、だよ。宜しくね。」
 「………。」

 笑いかけると、刹那、少女の瞳が僅かに揺れた。それは、『どうしたらいいか分からない』と言いたげな。完全に色を無くしているわけじゃないらしい。
 その中にある感情が、少し見れただけでも前進か。
 少女の視線の先にいたルックが、小さく首を振って答えた。

 「セラ。ちゃんと自分で挨拶するんだ。」
 「………はい。」

 小さくて、壊れてしまいそうな声だった。それでも頷いて少女────セラは、じっと自分を見上げた。視線が合うようにと、膝を折ってやる。

 「……セラ……です…。」
 「うん、セラね? 宜しくね! 仲良くしよう!」
 「……は…い………。」

 恐る恐る差し出された、小さな手。色白く小さな指先が、自分の手にすっぽりと収まる。
 透き通るペールブルーの瞳が、じっと見つめてくる。それに優しく笑みを返すと、僅かながら握られた手に力が込められた。反応を返すよう、やんわりと握り返す。
 すると・・・・

 「セラ…?」

 ポロポロと、少女が涙を零した。それに驚いて慌てて抱きかかえ、その背を擦ってやる。
 その合間にも、少女の瞳からは、ポロポロ、ポロポロ涙が零れた。
 どうしたら良いものかと、ルックに視線を向けると・・・。

 「……セラ?」
 「っ……ッ……。」

 少女は涙を流しながら、首に手を回してギュッと抱きついてきた。それだけで、たった一つのその動作だけで、少女が『何を』求めているのか分かった。
 同時に、なぜその瞳を見て『哀しい色だ』と思ったのかも・・・。

 『温もりが欲しい』

 どういった経緯で、この少女がハルモニアにいたのかは、分からない。なぜ、こんなに幼い子供が、ハルモニアで『魔女』などと呼ばれていたのか。
 けれど、そこで少女は、自分の求めるものを得ることが出来なかったのだ。愛されることが無かったのだ。

 だから、それに答えるように、その小さな体をギュッと抱きしめて伝えた。

 「大丈夫……大丈夫だよ…。これからは、一人じゃないから…。」



 白く、儚い、小さな手。
 この日、は、また一つかけがえのないものを手に入れた。