[きみと傷跡と大切な…]



 「…それじゃあ、レックナートさんが『魔女』って言ってたのは…。」
 「そう、セラのことだよ。」

 セラが泣きつかれて眠った後、は、ルックの部屋を訪れていた。席につき、さっそくとばかりに彼が口を開き、彼女の生い立ちや育った環境を教えてもらう。

 「そう……だったんだ…。だから、ハルモニアに…。」
 「……話は、これで終わりだよ。」
 「ん、分かった…。」

 話が一区切りしたのを期に、それまで伏せていた視線を上げて、向かいの席に座っている彼に目を向ける。その視線に気付かないのか、彼は、何やら物思いにふけっているようだ。

 ・・・相変わらず、綺麗な顔立ちをしているものだ。こちらが羨ましくなるぐらいに。
 目鼻立ちは整っており、その憂いのあるようなその表情を見れば、なるほど同盟軍の少女達がキャイキャイ騒いでいたのも頷ける。普段からまじまじ見ていたわけではなかったが、改めて見てみると、やはり彼は『美少年』の部類に入るだろう。

 ジロジロ遠慮なく見つめながら、内心そう結論付けていると、その視線に気付いたのか、彼が顔を上げた。

 「……なに?」
 「べーつにー。」
 「……じゃあ、なんでそんなにジロジロ見るのさ?」
 「あはは。まぁ、綺麗だなーって思ったから…。」
 「…………。」

 その言葉が気に食わなかったのか、途端、彼は不機嫌そうな顔。

 「本当、あんたみたいに綺麗な顔って、羨ましいわ。喉から手が出るほどーってやつ?」
 「なんで僕が…」
 「マジでお世辞じゃないって! 本当に綺麗だなって思ったから、そう言ったんじゃん。私が、お世辞苦手なのは、あんたが一番よく分かってるでしょ?」
 「………はぁ。」

 あっはっは、と笑うと、彼はため息をついた。



 確かに彼女は、その性格上、人に世辞を言えるような女ではない。なにせ、あのビクトールやギジムらと酒を酌み交わし、肩を叩き合って大笑いする女なのだ。
 何か伝える時には、オブラートに包む方だとは思う。だが、必要とあらば本質をズバリ突いて言ってのけることもある。しかし、恨まれるようなことはない。それは、コロコロと変わる表情のお陰なのだろう。
 言って良いことと悪いことの区別はしているようで、相手に対して、ことさら失礼な発言もしない。初対面の相手には、それなりに礼を持って接しているようだし、慣れた相手ならば、どんどん砕けた態度になっていく。しかし、それだけだ。
 良く言えば『誰とでも仲良くなれる』が、悪く言えば、誰に対しても『一定の距離を置く』タイプと言えよう。

 だが彼女は、全くと言って良いほど自分の話をしなかった。いつだったか、やビクトールに「何者なんだ?」と聞かれたことがある。その時は、「…本人に聞けば?」と返していたが、今思い返せば、彼等がそう思うのも仕方ないかと思う。
 自分でさえ、彼女のことを殆ど知らないのだ。共に過ごした時間。真実を知り、心に負った傷の深さ。たったそれだけ。

 ・・・彼女の生まれは? 故郷は?
 この塔へ来る前は、いったいどこで生活していた?
 彼女にとっての、本当の『家族』は・・・・?

 出身から経歴まで、共に生活を始める以前のことを、自分は何も知らなかった。



 『…………何を、今さら。』

 心の中の自問に自嘲気味に鼻を鳴らし伏せ、目の前の彼女を見つめる。まだ「綺麗だなー、羨ましいなー。」などと、ふざけた事を抜かしている。
 だが、男に対して”綺麗”という言葉を使うのは、些か無礼である。ルック自身、人に”綺麗”と言われて悦に浸る性格ではないし、それより何より、自分の顔が大嫌いだった。
 それこそ、鏡を見るだけで虫酸が走るほど・・・。

 「…………。」

 その理由を思い出してしまい、思わず顔を顰める。
 彼女に対して出るのは、皮肉めいた言葉。

 「………いい加減にしなよ。それに、こんな顔…」
 「ちょっ、あんた、なに言ってんの!? そんなこと言ったら駄目じゃん! せっかく、そうやって綺麗な顔に生んでくれたんだから、親御さんに感謝しないと!」
 「…………。」
 「あ…。」

 ここで彼女が『しまった!』という顔をした。
 彼女がここへ来る前から、自分がここで生活していることは、彼女が一番よく知っている。そして、自分が彼女の出自を知らぬように、彼女もまた自分の秘密を知らない。
 彼女が『親』と呼ぶべき人物は、師であるレックナートだし、自分もまたしかり。
 ではあるものの・・・。

 気まずそうな顔をしながら、彼女は「あぁ…。」とか「ごめん…。」とか言っていた。

 『きみも、僕も…………考えることは、同じなんだね……。』

 相手の出自や経歴という過去に、想いを巡らせる。互いが互いに。
 気まずそうに視線をそらした彼女。それを見て、知らず笑みが浮かんでいた。
 すると彼女は、驚いたように目を瞬かせる。

 「…………なに?」
 「いや、何か、あんた……。」
 「……?」

 言いたいことがあるなら、はっきり言いなよ。
 視線でそう伝えると、暫く躊躇していたようだが、やがてクスッと笑った。

 「あんたも……だいぶ笑うようになったよね。」
 「………僕が?」
 「うん。」

 彼女の言葉に、首をひねる。
 あんた”も”? ということは、自分以外にも、誰かいるのだろうか?
 自分と同じく笑えるようになって、彼女が喜んだ相手。誰だろう?
 ぐるぐると考えを巡らすこともなく、『答え』は出た。

 じっと彼女を見つめると、少し寂しそうに笑う顔。

 「今が幸せだからさ……そうやって、笑えるんだよ。」
 「…………。」
 「本当に不幸な人は………どう頑張っても、笑えないんだよ…。」

 一瞬、自分の心の中を見透かしてそう言っているのかと思った。自分のこれからの『目的』を知って。
 けれど、勘違いだったようだ。彼女は「幸せになりたくても、なれなかった人は、沢山いるからさ…。」と目を伏せた。

 「僕は……」
 「笑いたくたって、それを妨げようとする『何か』に……本当に欲しい物が、自分の望んだ唯一の物が、手に入らなくて………笑えない人だって、沢山いるんだよ…。」



 彼女の言った『誰か』。
 それは、きっと自分を除いて二人いるのだろう。

 一人目は、セラだ。
 生まれながらに流水の紋章を宿し、その特異な能力に恐れをなした両親から見放され、ハルモニアへと預けられた、哀れな娘。預けられたというのは世間体で、実際は、ただの厄介払いと言った方が正しいかもしれない。
 そして、その力ゆえに少女は、神殿内でも特別な場所へ隔離され、誰の愛情を受けることも手を差し伸べられることもなく、一人ぼっちで育った。
 とても、とても哀しい娘だ。

 そして、もう一人は・・・・。

 きっと、彼女の愛した人なのだろう。彼女にとって、最愛の人なのだろう。
 『妨げようとする何か』。誰かと笑い合いたくても、その温もりを求めても、決してそれを許してくれなかっただろう『呪いの紋章』を思い浮かべて、目を伏せた。



 視線を戻せば、彼女は、遠い日に想いを馳せるように目を閉じていた。
 静かな時間。緩やかに流れる時間。きっと、この一瞬は、どの表現にも見合わないだろう。
 目を開けた彼女が、ゆるりと微笑んだ。

 「ねぇ。」
 「……なんだい?」
 「その髪に服。すんごいよく似合ってるよ。」
 「…………。」

 ルックは、統一戦争から戻ってきて、髪型や服装を一式変えた。というより変えられた。
 彼女の『実力行使』によって。

 自分の所為で、という責が、まだあったのだろう。彼女は、自分の額に残ってしまった傷を見て、何日も何かを考え込んでいた。ドでかい傷跡にも関わらず、それを隠そうともせず前髪を真ん中で分けていた自分を見て、ずっと一人でウンウン唸っていた。

 とある日。
 彼女は、「まず髪を切ろう!」と言い出した。
 そして、眉を寄せて拒否する自分などお構い無しに、肩口まであった髪をバッサリと切り落とし、中分けをやめて、傷が見えないよう前髪を流した。

 しかし、頭だけサッパリしただけでは、どうも面白くなかったようだ。
 凝り性の彼女は、次に「服装から何から、ぜんぶ変えちゃおう!」と言い出した。
 そして、了承も得ずに勝手に体のサイズを計ると、持ち前の顔の広さを使って、あっという間に服一式を揃えてきたのである。

 そのあまりの懲りように「冗談じゃない!」と言おうとした。
 だが、『さぁ着ろ!』とばかりに目を輝かせ、自分のイメチェンした未来を、嬉しそうに楽しそうに想像している彼女の申し出を突き放すのも、なんだか気が引けた。
 故に、爛々と輝く『期待』に気圧されながら、諦めにも似た気持ちで袖を通した。

 そして、現在に至るというわけだ。



 ・・・・悪い気はしなかった。
 彼女自ら、自分の髪を切り、何処からか服を揃えてきてくれたのだから。
 ただ、それを気取られるのが嫌で、別に何の気にも止めない表情を作りながら、素っ気なく返事をする。

 「…っそ。」

 直後、予想していた通り「素直じゃないなぁ!」との言葉が返ってくる。それに、また笑いが込み上げたが、彼女のことだ。笑顔を見せたら、また喜んでしまう。
 でも・・・・・・・・彼女を喜ばせるのも、そう悪くないかもしれない。

 『………?』

 ふと、そう思ってしまった自分に違和感を持ち、思わず眉を寄せた。

 自分がおかしい事に、当然気付いていた。でも、気付かないフリをしていた。
 明確にしなくていい。してはいけない
 ”それ”は、決して言葉にしてはいけない。

 だからルックは、その想いから目を逸らすように、窓の外を見やった。

 月は嫌いだ。でも、きみと見るなら、それも悪くはない。
 夜も、月も、夢も、大嫌いだけど・・・・

 きみと見れるなら、好きにはなれないが、嫌いでもなくなる。



 「今日は、月が綺麗だねぇ!」



 そう言い、笑ったその横顔が、この世界の何よりも美しいと・・・・・心からそう思えた。