[帰省]



 果てなく覆い茂る、広大な森。
 日中にも関わらず、陽の当たることが無いその場所は、鬱蒼とした音を奏でており、時折どこからか聞こえてくる獣の鳴き声は、ここを知らぬ旅人ならば身を震わせるであろう不気味な響きを漂わせている。

 その中を、足取り軽く、一組の男女が歩いていた。
 人の出入りを許さぬその森に、道という道は存在しない。唯一そうだと思えるものは、生憎この森の入り口付近ですでに終わっている。
 行く手を遮る木々を枝々をパキリパキリと踏みならしながら、男女は無言で歩いていた。

 女は、道なき道を歩きながらも目指す場所に想いを馳せる。ここへ戻るのは何年ぶりか。それは、片手で足りるほどではあったが、酷く懐かしさを感じさせる。
 延々と続きそうなこの道も、もう少しで終わるだろう。

 ふと、後ろを歩く男が肩を叩いてきた。なんだと振り返ると、男が、ニッと笑ってとある一点を指差す。その先を見て、女は駆け出した。その後を男が、大股で追う。
 人工的ではあるが、どこか優しさを感じる塔を目にし、ここでようやく女は口を開いた。

 「あー! やっと着いたー!!」
 「まったく………転移で戻れば良いものを。」

 女──の歓喜の言葉に、男──ルカが億劫そうに鼻を鳴らした。






 目にすることすら久しく感じる、魔術師の塔。それを目にしながら、ふと見えない違和感に捕われる。この、焦燥感にも似た感覚は・・・・。
 だが「これ以上は、歩くのも面倒だ。」と駄々をこねたルカの言葉で考えを中断し、苦笑しながら塔の前で右手を掲げる。すると、その行き先を察知したのか、彼は「…俺は行かん。」と、扉を開けて階段を上がって行った。
 そんな彼に溜息をついて、最上階で待っているだろう塔の主の部屋に標準を定め、光の波に身を任せた。






 重厚な扉をノックしようとすると、それより早く「入りなさい…。」と声がかかったことに些か驚いたが、ゆっくり扉を開けて中へ入ると久しい顔が自分を出迎えてくれた。

 「お久しぶりです、レックナートさん。」
 「……えぇ…………。」

 いつものような挨拶をした。が、どことなく彼女の様子がおかしいことに気付く。
 その瞳が閉じられているのはいつものことだが、俯いたその顔色は悪く、心なしかその華奢な体が震えているような気がした。表情も、いつもと違う。
 それは・・・・・何かに困惑しているような、何かを恐れているような・・・。

 「あの、何かあったんですか?」
 「………………。」

 伺うように問うも、彼女は、眉一つ動かすことなく身動きもせずに佇んでいる。
 このような状況、かつて無いことだ。いつもの彼女ならば、表情もさることながら動じる気配すら見せないのに。いったい何があったかと眉を寄せる。
 すると彼女は、小さな声で言った。



 「……。お願いです………どうか…………ルックを救って下さい……。」



 「……は?」

 予想外の名が出てきたことに驚いた。だが、先ほどの違和感の原因に思い当たる。
 生意気だが、自分にとって可愛い弟分兼兄弟子である少年と、いつも自分にくっついていたはずの娘が見えないのだ。
 なんとなく、もやもやした感覚が胸を過った。

 「……あの子たちは?」
 「……………。」

 思わず問う。しかし彼女は、何も答えない。
 いつもあったはずの「おかえり」という言葉。その気配がない事に不安が過る。
 彼女が何も答えないのは、ここにはいない、という事だろう。それなら彼らは、いま何処にいる?

 ・・・・あぁ、なんだ。あの子の気配を探れば済むことじゃないか。
 そう考えて、右手に意識を集中させた。
 だが、それを遮るように、彼女が悲痛な面持ちで言う。

 「……デュナンの北西に位置する『グラスランド』と呼ばれる大地…。そこで、再び宿星が集おうとしています…。」
 「グラスランドで? あそこに、また宿星が?」
 「……あの二人も………その地へ…。」
 「あぁ…。ってことは、ルックの方は、また今回も宿星…」

 「……許して下さい。私では………彼を止めることが、出来なかった…。」

 その声が震えていたことに、思わず目を見張った。彼女の表情は悲壮に満ち、ともすれば、涙を流してしまうのではないかと思うほど。それほど深い後悔を負っていた。

 一度だけ、それに似た表情を見たことがある。過去から戻った後、自分が恋人を捜しに行くと告げた時だ。その時も、彼女はこんな顔をしていた。
 溢れる後悔と止まぬ自責。それは、今にも崩れ落ちてしまいそうな。
 思わず駆け寄り、その背を擦ってやる。

 『ルックを救ってほしい』

 彼女は、そう言った。それが『意味』するものは?
 彼は、新たに起きる戦いに加わる『宿星』なのだろう。だからその地へ向かったはずだ。しかし、いったい彼のなにを救えと言うのか? セラを伴いグラスランドへ向かった彼の、何を止めろと?
 彼を何から『救う』のか、彼の何を『止める』のか・・・・・分からなかった。

 彼女の口振りから、彼は、己の意志でグラスランドへ赴いただろうことは分かる。だが、その理由を聞いたとしても、彼女が答えることは無いのだろう。彼女には・・・・先が見えているのだろうから。だからこそ、言えないのだ。

 ふと考えた。彼女の見える”先”とは、どういうものなのか、と。様子を見ている限りでは、決して良い結果に転ばない事は理解できる。
 遠き西方の地。これから戦火に巻き込まれるであろう、グラスランド。

 彼を救ってくれと自分を頼る彼女にとって、それは、とても辛い未来なのかもしれない。身を引き裂かれるほどの。
 それに一抹の不安。少し先を見ることの出来る彼女が、あえて『救って欲しい』と自分に頼むほどの彼の未来とは? それは、彼女の胸を痛めるほどの・・・絶望なのか?
 それなら・・・・・そこから出る結論は?

 「あ…。」

 答えが出た。
 だが、それは、自分にとっても受け入れられないものだった。

 「まさか……………あの子が……?」
 「……………。」

 答えない彼女の表情が、全てを物語る。

 「そんな……でも…!」
 「………。貴女になら……どうか……。」

 その言葉が、酷く掠れて聞こえた。聞き間違いでも見間違いでもない。哀願するようなその表情。
 出歩くことの出来ない彼女は、それを自分に託した。自分が深く関わることによって、これから集うであろう運命のバランスが、大きく傾くことになったとしても。確定しつつある未来から・・・・・彼を、愛する我が子を救う為に。

 彼女の見る”先”を阻止するには、自分が動くしかない。
 自分が動くことで、彼女の憂う”未来”が変えられるなら・・・・。

 だから、その華奢な肩に手をかけると、言った。

 「レックナートさん…。どうしてあの子が、あなたの制止を無視してグラスランドに行ったのか、私には分かりません。貴女には見えていても、私には……何も見えません。」
 「……」
 「でも、それは……きっとあなたにとっても私にとっても、すごく辛い未来になるという事だけは分かります。」
 「…………。」
 「私に…………何が出来るか、分からないですけど……。」

 それでも、救いたかった。
 彼が宿星であろうがなかろうが、関係ない。『その地で命を落とす』という事だけは、はっきりと知ってしまったのだから。

 「必ず………必ず、あの子を連れ戻します。」