[油断も隙も]
考えては、頭を抱える。その行為を、何度も繰り返していた。
だが結局、それは堂々巡りでしかなく、望む答えが出て来ることもなく・・・。
達がダッククランに来てから、すでに三日経過していた。
今日も変わらず、例の通路で一日中水の流れを見ながら考えに浸っていた。しかし、やはり、答えを見つけることも手がかりを得ることも出来ない。
気持ち的には、三日という日数をただそれだけに費やしたのは少々もったいないような気もしたが、それ以外に出来ることがないため、ただただ考えに浸る。
ルックの気配は、この三日間、全く掴めていない。
彼が、真なる風の紋章を使ってくれれば一発なのだが、生憎、意識的にそれを使わないようにしているのか、まったく気配を感じなかった。
自分に見つかれば、面倒な事になるとでも思っているのだろうか。早速見つかってしまったくせに、なんとも可愛げのない奴だ。
この三日間、絶えず右手に意識を集中し、神経を研ぎすませていた。その集中力は、寝ている時にも発揮され、夜中に小さな物音で目を覚ましたり、そこから眠れなくなったりと。
随分と手こずらせてくれる。おかげで寝不足だ。
だが、まずは、彼に会わなくては話にならない。何をしようとしているのか聞き出さなくてはならない。師が、彼の居場所を教えてくれれば他に行動しようがあるのだが、生憎それも無理だろう。ただ「彼を止めて欲しい」と、彼女は哀願していただけだった。
だが、彼を止めるためには、まず彼がしようとしていることを知らなくてはならない。それがどんなことであれ、あのカラヤの襲撃を見てしまって今となっては、きっと喜ぶべき事ではないのだから。
彼は、この地で何をしようとしている? 近く戦火の巻き起こるこの土地で、彼が『したい事』とは?
何かしらの理由があるのは明白。理由がなければ、彼は、行動すら起こさない。
しかし、その理由がどうであれ、力づくで連れ戻すことをしたくなかった。言葉で理解し合えるなら、それが一番良い方法だからだ。
昨日の様子を見る限り、彼は、自分と話したくないような空気。それが一番気にかかった。それは、まるで後ろめたい行動を見られた子供のような・・・・。
けれど、こちらも引き下がることは出来ない。彼のその先に『死』が待つというのなら、尚更。だが、今は、その糸口すら掴めていない。この場所に有益と思える情報は、なにも無い。
・・・・そろそろ他へ移ろうか。そう結論して、水面から目を離して立ち上がった。
その時だ。
ドンッ!
「ッ!?」
誰かにぶつかった。気配を感じなかったというよりも、考えに没頭し過ぎてすぐ後ろの気配に気付かなかった。
グラリと体の軸がぶれて、水面に落ちそうになる。バランス感覚は、悪くないはずなのに。不意打ちには対処できるだけの経験を、持ち合わせているはずなのに。
それまで背を丸めていた時間は、意外に長かったらしく、体が固まり言うことを聞かなかった。
これは・・・ヤバい。
咄嗟に目を閉じて、水の衝撃に耐えようとした。が、なぜかその瞬間がやってこない事に疑問。ゆっくり目を開けると、眼前に広がったのは水。しかし、その感触はどこにもない。それより、腕を誰かに取られている事が気になって振り返った。
「…?」
「申し訳ない。大丈夫ですか?」
目の前で自分の腕を掴んでいるのは、30代くらいのブロンド男。男は緩やかに微笑みながら、水中に投げ出されそうになっている自分の腕をしっかりと掴んでいる。背が高くて、優男風な微笑み。これだけ甘ったるい顔をしていれば、さぞかし女性受けは良いだろう。
そう思ったが、実を言えば、この男は自分の好みじゃない。まぁ、どうでも良い事だが。
「……こちらこそ不注意で、申し訳ない。」
「いや、無事ならそれで。」
狭い通路に座り込んだまま考え事をしていた自分に否があるにも関わらず、目の前のブロンドは、手を離すと「では、失礼。」と微笑みながら、歩いて行った。どうやら旅人のようだ。宿をとったばかりなのか、部屋を目指して歩いている。
なんとなくその背を見送っていたが、男が開けようとした部屋を見て思わず声を上げた。
「ま、待て! そこは……!」
「ん?」
制止も虚しく、扉を開けながら振り返るブロンド男。
「そこは、俺達の部屋だ!!」
「え…? あ、あぁ、済まない。」
男が開けたのは、自分達が宿泊している部屋だった。何を間違えてそうなったのか分からないが、まさか宿の主人に部屋の場所を聞いていなかったわけではあるまいに。
男は謝罪すると、次に部屋にいたルカに向かって「済まなかっ…」と言いかけて、その動きを止めた。
「なッ……ルカ=ブライ……!」
ヒュッッ!!!
声を上げそうになった男の首筋に、冷たい物が当たった。ルカが咄嗟に剣を抜き、その首筋に剣を突き付けたのだ。男は驚いて自分の方へと振り返る。だがもまた、後ろから男に向けて剣を突き付けていた。
「お、おい、いったいなん…!」
「悪いけど……命が惜しいなら、声は出すなよ。」
「……。」
黙り込み、両手を上げたブロンドの背を押して、そのまま自分も部屋に入って扉を閉める。そして剣を突き付けたまま、嗜めるようにルカに言った。
「…おい。部屋でもそれを外すなと言ったはずだぞ。」
「ふん。こんな所に無粋者が入ってくるとは…。あながち、貴様の無駄な心配も当たるのだな。」
「…ルカ。」
「うるさい。分かっている。」
剣をしまいながら悪びれることもなくバンダナを外していたルカは、そう言った。「なら、とっととつけろ。」と言って剣をしまうと、ブロンド男の背を押して着席を促す。
だが男は、目を見開いたままルカを凝視している。
「本当に………あのルカ=ブライトなのか…?」
「…ほら見ろ。さっそくバレた。」
「…………。」
面が割れるとマズいからと着けさせていたはずなのに、来て早々、こうも早く正体がバレるとは思っていなかった。自部屋とはいえ、相方め、あまりに油断し過ぎだ。
自分の目を本気と取ったのか、ルカは、一つため息をつくとバンダナを巻き直した。
次にブロンド男をどうするか考えていると、彼は、クッと笑いながら言う。
「見られた以上、仕方あるまい。………殺すか?」
「ルカ!!」
「まったく……冗談の区別もつかんか。」
「あんたは、場の空気を読んで物を言え。」
「…ふん。」
彼が唇を吊り上げていたことで冗談と分かっていたが、「殺す」という台詞を聞いてブロンド男が冷や汗を流していた為、咄嗟に諌めた。ゴクリとその喉が鳴るのを見て、「とりあえず座れ。」と、もう一度ブロンドの背を押した。
「じゃあ、まず…あんたの名前は?」
「………俺の、か?」
「うん。」
腹が減ったと言って勝手に部屋を出ていったルカを見送った後、は、まずブロンド男にそう問うた。
男は、暫く考えたあと、諦めたように答える。
「………ナッシュだ。ナッシュ=クロービス。」
「偽名じゃないよな?」
「ない。誓うよ。」
「へぇ、何に誓う?」
「おいおい、誓わなきゃいけない程の事か?」
「…そうだな。首と胴が離れてもいいなら、誓わなくても良いけど。」
「はぁ…。俺の、この命に誓うよ。」
「分かった。俺はだ。」
宜しくと右手を差し出すと、ナッシュと名乗った男は、訝しげな顔をしながらそれに答えた。簡単な自己紹介を終えると、彼は、伺うように問うてくる。
「あれって、本当に……あのルカ=ブライトなのか…?」
「……今さら、見られたことを改める気はない。でも今のは、出来れば見なかったことにしてもらえると、ものすごく有り難い。」
「……………。」
そう言うと彼は、僅かに眉を寄せた。何か思案しているようだが、それ以上追求してくる気配は無い。話し合いで事を終えられるなら、それが一番だ。
しかし彼は、次にとんでもないことを言い出した。
「見なかったことに出来ない、と言ったら……どうする?」
「……………。」
眉を寄せて彼を見つめる。じっと、その奥を見極めるために。
そして「それならば…」と、口にしようとした時。
「悪いな!!」
「…!?」
その言葉が終わるか終わらないかで、彼が床になにかを叩き付けた。途端、部屋全体が強烈な光に覆われる。閃光弾か。
これは、彼がここから逃げ出そうと講じた策だろう。
しかし・・・・
「……ナッシュ。死にたくなければ、ノブから手を離せ。」
「…………。」
「無駄な抵抗は、止めた方がいい。腕を切り落とされても良いなら、話は別だけど。」
「………分かった。」
閃光が消えたあと、その扉の前でナッシュは、ドアノブに手をかけたまま背筋に汗をたらしていた。その真後ろには、刀を突き付けている『』という男。
閃光弾にやられて目を閉じていたにも関わらず、その手には刀が握られ、その切っ先は正確に自分の首筋に当てられている。
ゆっくりとノブから手を離して、両手を上げた。
「あんた、中々やるじゃないか。」
「…目も耳も使えなくても、気配で分かる。あんた身のこなしは中々だけど、気配を消すことも出来ない素人か? 文明の利器にばかり頼っていると、いずれ命を落とすぞ。」
冷静さを保ちながらも、ナッシュは、内心驚愕していた。
先ほど使った閃光弾は、敵の視覚と聴覚を麻痺させる効果を持つ。相手の視野を奪い、音を奪い、その間に逃走するための道具だ。
だが、逃げようとドアノブに手をかけたところで『ゲーム』は終わった。自分の行動が遅かったわけではない。それ以上に、というこの人物の反応対応が早過ぎたのだ。
こともなげに「気配で分かる」と言っていたが、それだけでその強さを理解する。
「それはそれは…」
ドンッ!
両手を上げながら振り返ると、胸ぐらを掴まれ壁に叩き付けられた。その力の強さを感じながら、『決して大柄とは言えない外見の割に、随分と腕力のある奴だ』と思う。
と名乗った人物は、自分の襟首を引き寄せると、耳元で冷たく言い放った。
「……抵抗するなら、首と胴が離れる”覚悟”をしてからにしろ。次は無いからな。」
「分かった、分かった! 分かったから、離してくれ。」
もう絶対に抵抗しない! そう誓うと、目の前の人物は、身を離して刀をしまった。
それを宥めて座らせながら、ナッシュは、ふと考えを巡らせる。こいつなら・・・・と。
だから、両手を上げたまま「本当に降参だ!」と笑い、自ら向かいの席に腰掛けた。