[霧の船]
船が、大きく横に揺れた。
その衝撃たるや、高波などではなく、何か大きな・・・まるで、船同士がぶつかり合ったような振動。かなりの勢いで衝突したのか、床が左右に大きく揺れ、テーブルや椅子がガタガタ音を立てて上下する。
瞬間、は慌てて立ち上がったが、すぐに衝撃に足をとられてその場に尻餅をついた。揺れに耐えるため、なにか固定されているものをさがしていると、バランス感覚の恵まれているが近づいて手を貸してくれた。
「、大丈夫? 怪我はない?」
「うん、大丈夫。ありがと…。」
揺れは少しづつ収まり、それを見計らって、彼は手を引いてくれた。
「なんなの? いったい…。」
「どこかの船と、接触でもしたのかな?」
揺れの収まりつつある中、彼がそう言い、顎に手をあてながら冷静に呟いた。その肝っ玉の座ったその態度に、思わず感心してしまう。
「…。あんた、なんかすんごい冷静だよね…。」
「当たり前だよ。『リーダーは、常に冷静な判断をして、降り掛かってくる惨事に対応するべきだ』って、エレノアさんが五月蝿いからね。」
五月蝿いからね、の部分で軽く伸びをしてから、彼は腰に手をあてた。そんな冷静過ぎるリーダーの姿に、更に感心してしまう。
「そういうところ、変に大人びてるというか、何と言うか…。」
「そうかな? とりあえず、甲板に出てた人達が心配だから、様子を見に行ってくるよ。」
「あっ、私も行く!」
確かにあの時、甲板にはけっこうな人がいた。それに残してきたアルドも心配だったため、は、と駆け出した。
甲板に出て、まず視界を覆ったものに驚愕した。
先ほどまで晴れ渡っていたはずの空が、今はとても濃い霧に覆われ、5メートル先も見えないのだ。
「ちょっ、なんでいきなり、こんな霧…!?」
「そんな…。この海域には、霧なんて殆ど出ないはずなのに…。」
目の前の出来事が信じられず、アワアワ慌てふためいていると、その隣で彼もまた『信じられない』と言うように眉を寄せている。
目を細めて辺りを見回す。すると、見慣れたグリーンが目に入った。
「アルド!?」
「え、もしかして……ちゃん!?」
「こっちこっち!」
僅かに見えた淡いグリーンで、アルドを判別。声をかけると彼は、驚いたような声を上げて(霧のせいで姿は見えないが)こちらに向かって来た。
困ったような顔で、第一声をどうしようかと考えている彼に、すかさずが問う。
「アルド、何があったんだ?」
「それが……よく、分からないんです。」
冷静に辺りを見回すに、アルドは、ぶつかった衝撃で痛めたのか、腕を擦りながら答えた。続けて状況説明を開始。
「二人が、下へ行ったあと……僕は、暫く海を眺めていたんです。そうしたら、急に濃い霧が立ちこめてきて…。」
「……それで、”あの船”にぶつかったってこと?」
「えっ?」
アルドが説明している間、は、ある一点をじっと見つめていた。そして説明が終わったと当時に、その方向を指差す。
とアルドは、すぐその先へ目を向けるが、この霧の中では何も見えない。三人がその方向をじっと見つめていると、チラチラと小さな明かりが見えた。
「……来たな。」
「え、来たって…なにが?」
の呟きに、とアルドは首を傾げ、目を細めて明かりを見つめた。
と、僅かに霧が薄くなる。
「えっ…?」
「嘘…!?」
スゥ・・・っと。まるで生き物のように、明かりの周りだけ霧が引いた。
やアルド、そして甲板に出ていた人達が驚いているのも束の間、自分達の乗る根性丸に横付けされていた大きな船に、皆が目を見開く。
誰も声を発することさえできないのか、その場は、しんと静まり返っていた。
やがて、その明かりの方からは、コツ、コツ、という音が鳴り、ローブを頭からすっぽり被った何者かが出てきた。
そんな状況の中で、は、ふと思い出す。
いつだったか、誰かが『この世界には、不可解なことばかりが起こる』と言っていた。それがルックだったかレックナートだったのか、それともこの世界に来る前の誰かが言ったのかは覚えていない。だが、一瞬でも頭に巡ったその考えに、小さく首を振った。
・・・何を今更。いつだって、知らないことだらけだったじゃん、と。
ズズッ・・・・。
そんな音が聞こえたような気がした。しかし気の所為ではなく、自分の右手には、あの”疼き”。それは、の時とは比較にならないほど大きなものだった。
『まただ…。なんなの、これ?』
疼きは、この霧の船全体に反応しているように、大きく脈打った。反射的に、右手の甲を左手で覆う。それが防衛本能故だったのか、それとも何か別な意味合いがあったのかは、自身にも分からない。だが幸い、その行動を二人に気付かれることはなかった。
こちらの船に下りたローブを被った人物が、静かな声でに話しかけた。
「船長の所へ……案内します。」
それは、男性のもの・・・・だった?
高くもなく、低くもなく。成長期の少年を思わせる、そんなトーン。
ローブの男はそれだけ言うと、背を向けて船内へ戻って行った。同時に、右手の疼きが少しだけ弱まる。違和感を感じながらを見れば、彼は、ローブの男の消えた扉を見つめながら、何やら思案しているようだ。
「……行くの?」
「うん。行くしかないよ。」
「なんか、嫌な予感するんだけど…?」
「嫌な予感? どうして?」
「何となくってだけだけど……なんか嫌だ。」
「……そっか。実は、俺も嫌な予感しかしないんだ。」
「だったら、止めとけば?」
「うーん。でも…、嫌な予感だけじゃないんだ。」
だから行ってくるよ。そう言い笑って、彼は、リノとキカを連れて霧を纏う黒い船へ乗り込んで行った。
重く脈打つように疼く『それ』を、は左手で覆い続けた。