[新しい仲間]



 晴れ渡る空。快晴。
 今日の海は大層機嫌が良いようで、緩やかな波が、遠い場所へと潮風を運んで行く。
 甲板に出ている人々はその風を受け、永遠に続くような広がる大海原を眺めては、目を細めている。
 戦の最中だというのに、船の中も外も、それとは関係なく穏やかな空気に包まれていた。
 僅かな風に揺られる船体の周りを、カモメ達が、優雅に飛翔する。
 和やかな正午だった。

 そんな中・・・・。

 は、自分の部屋で、一人思案に暮れていた。
 円形の厚めに造られた窓から外を見ながら、椅子に腰かけて、長く続く海を見る。だが視線はすぐに宙を舞い、己の右手に注がれた。
 時折、どくりと、まるで生きているような感覚すら思わせる、右手に刻まれた刻印。その手を開いてみたり、力を込めてみたりした。他の者が見ていたら、何を惚けているのだと言われんばかりの状況ではあるが、先ほどから、飽きることなくそれを繰り返していた。



 悩みの種となったのは、先日の一件だ。



 霧の船が現れた際、その存在を固持するように疼いた、自身の紋章。
 それは、と出会い握手を交わしたときのものと、全く同じ現象だった。
 しかし、異なる事があった。その規模だ。彼と霧の船とでは、疼きの差が雲泥もあったのだ。そして、疼く原因となった『きっかけ』。
 対の時は、握手という方法だったのにも関わらず、霧の船に関しては、原因がいまだに分かっていない。脈打つ感覚は同じ。けれど、彼とは差のある大きな疼き。
 ずっと考え続けていたものの、それでも答えなんて見つからなかった。



 あの時。
 が、リノとキカを連れて黒い船内へと姿を消した時。
 すぐに戻るからと、笑顔で手を振った彼を見送り、は、軽傷を負ったアルドを連れて医務室へと足を運んだ。彼がユウに手当をしてもらっている間に、疼きはまるで何事もなかったかのように無くなっていた。

 しかし、問題はその後だった。

 突如、騒がしくなった外の様子を見てこようと、彼を医務室へ残し甲板へ向かった。すると、先ほどまで停泊していたはずの巨大な船が、霧と共にどこかに消え失せているではないか。綺麗さっぱり、という表現がぴったりなほど、それは綺麗に姿を消していた。
 その時の空は、自分達が話していた数刻前のように、清々しく晴れ渡っていた。

 だが、船が音もなく消えることはないだろう。いくら自分が船内にいたとはいえ、文字通り『音もなく消える』なんてことは。あの霧も、恐いぐらいに漆黒を纏った、あの船も。
 自然の摂理に反するようなそれらの現象を、誰がどうやって説明出来る?

 そんな事を考えながら、余りの超展開についていけずに、ただ口をあんぐり開けていた。そんな自分に気付いたのか、仲間達から無事帰還した喜びを聞いていたが、困った顔で近づいてきた。
 そこで我に帰り、問うた。

 「……何があったの?」
 「うん……ちょっと、ね。」

 ちょっと、という部分がやけに引っかかったが、なんとなく現実が受け入れられなくて、霧の船のあった場所に視線を向けた。ふと視線を戻せば、が、船で起きた出来事をどう説明しようか悩んでいるのか、苦笑い。
 その表情を見て怪訝な顔をしてしまったが、彼が不意に視線を落としたので、それ以上は何も聞かなかった。何か事情があるのだろう。誰にも言えない、事情が。
 それは、誰にだってあるものだ。もちろん、自分にだってあるのだから。

 そう思いながら、ふと、リノとキカの方に目を向けた。そこで、上背のある二人の間でポツンと立っている少年を見つける。
 少年は、俯いていた。だが、その少年の姿に言い知れぬ”既視感”。
 いつか、どこかで・・・・・・会ったこと・・・ある?

 「ねぇ、。あの子は?」
 「あ、あぁ、彼は……。」

 確かに、あの少年を知っていた。
 それは、その少年を”登場人物”として知っている、という意味も含まれているが、しかし・・・。一度だけ、直に対面したことがあった気がしたのだ。
 そう。彼と初めて出会ったのは・・・・・確か、この世界へ来てまだ間もない頃。

 「あの子って……もしかして、テッド?」
 「えっ!?」

 誰かに問うつもりでもなく、何となく声に出ただけだった。遠目からでも、あのオレンジの髪は陽によく映える。青を基調とした服装も。
 それに対して、が驚くような声を上げたことで、我に帰った。

 「どうして、きみが……彼のことを?」
 「えっ? ってことは、やっぱり……テッドなの?」

 じっと、彼の瞳を見つめた。彼も同じく、驚いたような顔で自分を見つめていた。



 は、考えていた。自分の脳をフル稼働させて考えていた。
 彼女は、霧の船へ入っていない。そして、その中で起こった出来事をなに一つ知らない。知らないはずだ。そして『テッド』と言うあの少年のことも。
 それなのに・・・・。

 「きみは、彼と知り合いなの?」

 それだけ口にするのが、精一杯だった。もしかしたら、そうなのかもしれない。二人は、顔見知りなのかもしれない。だが、もしその問いに彼女が肯定したならば、彼女は自分にとっても『近しい者』となるだろう。
 頼りない期待が込み上げてくるのを、何とか必死に押し殺し、それまで彼女に感じていた”違和感”に確信を持ちつつあった。



 以降、口を閉じてしまったに、何と言おうか迷った。咄嗟に口から出たのは、「ごめん、やっぱ人違いかも。同名の似た顔の人って、結構いるのかもね。」だ。
 自分自身で情けないと思いながらも、それ以上の言葉は控えた。これ以上は、ボロが出てしまいそうだったからだ。

 自分が、どこからきたか。どの時代から来たか。どうやって来たか。それに繋がる事を言うことだけは、憚られた。
 だが、明らかにそれと見える嘘をついた自分に、彼が伺うような視線を向けてくる。あぁ、疑われてる。そう考えて、彼の視線から逃れるために背を向けようとした。

 その時だった。

 「……。」
 「ん。どうしたんだ、テッド?」

 少年テッドが、のもとへやって来た。
 考えを巡らせていただろう彼は、それを一時中断し、少年へと向き直る。
 話題を変えることが出来た、と内心安堵しながらも、テッドから目を離すことができない。

 一瞬。視線が合った。
 それは刹那だったが、その僅かな合間に、言い表せないものを感じた。だが、それも本当に一瞬の事で、少年は自分からすぐに視線を外すと、と何やら話し始めた。

 『本当によく似てる。っていうか……瓜二つじゃん。』

 視線を外されても、彼を見つめ続けた。目を離すことが出来ない。
 私は、彼を知っている。でも彼は、私を・・・知らない?
 分からなかった。けれど、今言えることは、自分の出会った彼と目の前にいる彼とでは、決定的な違いがあるという事だけだ。

 それは、表情。

 あの時代で自分を助けてくれた時の『テッド』は、とても表情豊かだった。
 しかし今、目の前でと会話をしている『テッド』は、まったくと言っていいほど笑わない。視線は常に下を向き、機嫌が悪そうな無表情に近くて、『人と目を合わせる事もしたくない』と言わんばかり。
 対するは、そんな少年の素振りを気にする様子はなく、何か頼み事をするように両手を合わせていた。どうやら、船を下りたがる少年に、仲間になってもらえないかと頼み込んでいるようだ。

 「頼む、お願いだよ! 仲間になってくれないかな?」
 「……次の港で、下ろしてくれ。」
 「そう言わないで、お願い! 頼むから!」
 「……………。」

 これ以上、なにも言うことはない。とばかりに少年が押し黙る。それに負けずは、合わせる手に力を込めて更に頼み込んだ。
 その熱心さを見て、ついつい横から助け舟を出してしまう。

 「テッド…くん、でいいんだよね? どっか、目的地とかあんの?」
 「…………別に。」
 「だったら、仲間になってくれ!」

 を支援するような質問をした自分を、彼が睨みつけてきた。余計なことを、と言わんばかりである。言っちゃ悪いが、自分を助けてくれた『テッド』とは、その表情の差がえらい違いだ。
 その突き刺さるような視線に、苦笑しながら目を逸らす。だが、彼の言葉の意味を『目的地はない』と取ったのか、が『今が好機!』とばかりに更に頼み込んだ。
 少年は、暫く沈黙していたが、やがて諦めたように言った。

 「………はぁ。分かったよ。お前には、借りがあるからな。」
 「本当か? やった、恩にきるよ!!」
 「良かったね、!」
 「あぁ、ありがとう!」

 何故かは分からないが、渋々折れたテッドに、が心底嬉しそうな笑みを浮かべた。だいぶ仲間が集まってきたぞ、と笑う彼に「良かったねー!」とハイタッチ。
 そうしていると、またテッドに睨みつけられた。先の余計な横槍を怒っているのか、その視線をくらってしまい、苦笑いしながらまた目を逸らす。

 と、少年は、背を向けた。

 「でも…………俺には、関わらないでくれ。」
 「えっ?」
 「………。」

 それだけ言って、少年は、船内へ消えた。
 すぐにに『どういうこと?』と視線を向ける。だが彼は、少年の言葉の意味を正確に捉えているのか、何も言わずに、その後ろ姿を見送った。
 何かあるのだろうかと首を傾げていると、彼は「俺達も戻ろうか…。」と言って歩き出した。






 そうして、話は冒頭へ戻る。
 それら一連の話を思い返しながら、は、何度目か分からない溜め息をはいた。



 あのテッドという少年は、何者なんだろう?
 自分を助けてくれた『テッド』と驚くほどよく似ていたが、やはり他人の空似なのだろうか?
 楽観的に考えれば、もしかしたら、あのテッドは自分を助けてくれたテッドのご先祖様かもしれない。いやしかし、その考えは安直過ぎる。
 二人の『テッド』は、全てが似過ぎていた。表情を見た限り、性格は違うのかもしれない。だが髪の色、顔のパーツ位置、体つき、背格好。その全てが、酷似し過ぎていた。

 その次に浮かんだのは、『テッドが、もし真の紋章を持っているのだとしたら?』だ。

 彼は、手袋をつけていた。もしかしたらその手の甲には、真なる紋章があるのかもしれない。そして、もしあの右手の疼きが真なる紋章と関係のあるものだとすれば、彼と握手をすることで、何か分かるかもしれない。
 しかし、それでは納得いかないこともあった。あの時の右手の巨大な疼きは、霧の船が消失した時間帯に消え失せたからだ。

 では、どちらが正しい?

 「うーん……。」

 理解できない事を考えても、結局、自分の中から当てはまる『答え』を見つけることは、きっと無理。そう考えて、ここまで頭を使っているのは久しぶりだなぁ、と笑った。
 今は分からなくても、いつかきっと、答えはどこかで出るものだ。それを知っていた。それなら、今は無理に答えを探す必要はない。今の自分に無理なら、もっと成長した後に『正解』を探せば良いだけだ。それにもしかしたら、成長している途中で向こうから答えが勝手にやって来てくれるかもしれない。
 それなら自分らしく、マイペースにやれば良い。

 「まぁ、なるようになるさ、ってやつかな。」

 そう一人ごちて、気分転換にアルドを誘って甲板にでも繰り出そうかな、と思い立ち上がり、ドアを開ける。だが、思わず固まってしまった。
 目の前に立っていたのは、。彼は、今まさにノックしようとしていたらしく、自分と同じく固まっていた。

 「あれ、どしたの?」
 「え、あ、あぁ。この前、話があるって言ってたから…。でも、霧の船の件で中途半端になってたよね?」
 「あっ、あれか!」

 そう言われて、思い出す。
 霧の船やテッドの一件で忘れていたが、紋章の話をしようとしていたのだ。
 一度考え出すと、一つ前の事は全て忘れてしまうのが、自分の悪い癖だ。けれど、彼は、自分の話をきちんと覚えてくれていた。忙しいはずなのに、ちゃんと覚えていてくれた。

 笑って「どうぞ。」と入室を促すと、彼はニッコリ微笑んだ。