[親心]



 ダッククランより北東へと足を向けて半日。一行は、クプトの森へと足を踏み入れた。
 更に半日。森に生息するモンスターを苦戦することなく倒して森を抜け、1日ほど歩けばチシャの村だ、とナッシュは言った。
 そこから別段急ぐこともないだろう、という話になり、達は、ゆっくりチシャへと続く平原を歩いていた。

 「なーんだ。俺達が、手助けすることも無かったな。」
 「まぁ、そう言うなって!」

 途中、襲いかかってきたモンスターとの戦闘後。武器を収める彼らを目にそう一人ごちると、ナッシュが、肩を叩きながら笑った。
 その手を軽く払いながら睨みつけると、彼は苦笑いしながら続ける。

 「『旅は、道連れ』って言うだろ?」
 「へー。『世は、情け』か? まぁ、俺達にとっちゃ、情けどころか手枷足枷がついてるようなもんだけどな。」
 「おっと…これは手厳しい。」

 軽口を叩きながら、は、ふと動かなくなったモンスターに目を向けた。つい先ほどまで動いていた”それ”は、最後に、咆哮を上げ絶命した。
 いつまで経っても、どれだけ生きてきても、命が終わりを迎える最後の断末魔に慣れることはない。それが人であれ、動物であれ、モンスターであれ・・・。心が痛むことに変わりはない。昔ほど酷くはなくなったが、それは、相変わらずチクチクと胸を刺すのだ。
 じっとその死骸を見つめながらも、眉一つ動かさない自分の心情を察したのか、同じくそれまで戦闘を黙って観戦していたルカが言った。

 「おい。」
 「ん?」
 「…行くぞ。」
 「うん……分かった。」

 我に返れば、クリスやフレッド、そしてリコまでもが、武器をしまって自分を見つめている。それに「あー、ごめん。なんでもない。」と返しながら、それでも屍と化したモンスターから目が離せない。
 敵対するのなら、分かり合えないのなら、仕方がないのかもしれない。
 それが少しだけ哀しくて俯いたのだが、すぐにナッシュに視線を戻す。彼は、自分が急に黙ってしまったことで心配そうな顔をしていたが、目が合うと困ったように微笑んだ。

 「。それじゃあ、行こうぜ。」
 「……そうだな。」

 どうして彼が、そんな困ったような笑みを見せたのか。それは、分からない。
 けれど、それ以上考える必要もないと判断して、は、ルカの後ろを歩き出した。






 一行がチシャに到着したのは、ナッシュの言った通り、クプトの森を出て一日歩き通した夕刻だった。
 村に到着した途端、この地方にしては、やけに厚着な少女と女性の二人組に出迎えられた。利発そうな顔をした少女は『ユン』と名乗り、穏やかそうな女性は『ユミィ』と名乗った。
 少女達が、クリスと何やら話し始めたのを横目に、は、ナッシュに「疲れたから、先に宿で休んでいる。」と耳打ちしてルカと共に輪の中から抜けた。
 目指すは、宿屋。一直線だ。



 静かに宿へ向かった二人の男の背中をナッシュが見送っていると、不意にユンが問うてきた。

 「あの、あちらの方は…?」
 「あちら? 背の高い方と低い方、どっちだ?」
 「低い方の……青いコートの方です。」
 「…が、どうかしたのか?」

 ユンが、その愛らしい眉を八の字に下げた。
 それに違和感を感じて、ナッシュは、笑みを見せながらも問い返す。しかし、少女から返ってきたのは「統べる……」という、謎めいた僅かな呟きだけ。
 ふと、彼らの歩いて行った方へ視線を戻す。もう宿に入ってしまったのか、その姿は見えない。だがナッシュの耳には、はっきりと聞こえた。

 少女が、ポツリと「統べる者…」と呟いていたことを。






 宿帳に偽の名前を記名して、鍵をもらう。
 「…俺は、酒場へ行く。」と言って姿を消したルカにため息をつきながら、まぁいいかと、一人指定された部屋に向かった。
 鍵を開けて部屋に入り、旅荷を簡素な椅子に放り投げ、二つある内一つのベッドに身を投げる。ごろりと仰向けになって、天井を仰いだ。

 別れ際、ルカが「疲れたとは、情けないな。」と鼻で笑っていたが、実はそうではない。だてに160年間、刀を持って世界を歩き回っていないのだ。この程度で「疲れた」などと、本気で根を上げるはずがない。

 ダッククランからチシャへ向かう途中も、集中を解くことはなかった。風の気配を逃さないために。あの子のことだから、きっと滅多なことで尻尾は掴ませないだろう。
 でもそうはいかない。僅かな隙も逃さず、気配が掴めたらすぐに転移出来るよう、あれからずっと神経を研ぎすませていた。
 彼に問いつめたいこともあったし、何より、それが師の頼みだったからだ。我が子のように思っているだろう彼のことを、彼女が心配しないはずがない。

 「…ったく。少しは、親の気持ちを考えろってんだ………クソガキ。」

 同時に頭に浮かんだのは、自分にとって娘のような存在。
 ふと、初めて会った時のことを思い出す。出会った時は、本当に小さかったのに、ほんの数年会わない内に、彼女は立派な『女性』になっていた。女の子は、たった数年で見違えるほど変わるものだ。

 「あ…。」

 ふと、自分の今の心境が、師と同じだと思い苦笑する。表面には出さなくとも、可愛い我が子を心配する『親心』。親の心子知らずとは、よく言ったものだ。
 そう思いながら、ゆっくりと目を閉じる。途端、睡魔の誘惑。慣れない土地での生活と、ずっと張りつめていた緊張感が、少しずつほぐれていった。

 「私……頑張ります………レックナート……さ…。」

 途切れ途切れに呟く自分の声が、ことさら深い眠りへと誘った。






 どのぐらい寝ていたのかは分からないが、促されるよう目を開けた。
 バンダナをつけたまま寝てしまったが、寝ている間にずれたのか、視界の上半分が遮られている。コートを脱がずにいたため、体がじっとり汗ばんでいた。

 ここの所、ずっとなけなしの神経をすり減らしていただけに(集中するのは、正直苦手だ)、だいぶ疲れが溜まっていたのは自覚している。睡魔は、いまだ容赦なく襲い来る。体も精神も疲れているのだ。
 だが意識は、はっきりしていた。これまでにない程、冴え渡っている。

 身を起こし部屋を見回す。まだ酒場にでもいるのか、ルカの姿は無い。
 促されたと思ったのは、気のせいだったか。そう思い、再びベッドに横たわろうとすると・・・・

 コンコン。

 ・・・・納得。
 目が覚めたのは、この音のせいだ。覚醒前は分からなかったが、この音には聞き覚えがある。眠い目をこすりながらベッドから下りて、扉を開けた。

 「なんだ、寝てたのか?」
 「あー……ナッシュか。」

 眠気のせいで、機嫌の悪い顔をしていたのかもしれない。それを『歓迎されてない』と取ったのか、彼は「そんな恐い顔するなって!」と笑った。別に機嫌は悪くない、と返してから、ふと時間が気になる。

 「そういえば……いま、何時?」
 「…村の男達の仕事が終わって酒場が繁盛し始める時間、って言えば分かるか?」
 「あー、ありがとう。」

 礼を言いながら、自分が眠りに落ちてそう時間が経っていないことを知る。眠れたのは一刻、というところか。この村に入ったのは、確か夕刻あたりだから、たぶんそれぐらいの時間だろう。

 未だ眠気は消えない。むしろ先ほどより増している。思っていた以上に、体が疲れているようだ。眠い眠いと体が睡眠を欲していた。目蓋が重い。手で目を覆い、何とか睡魔を撃退しようと試みる。
 すると、それを見ていたナッシュが、心配そうな顔で言った。

 「よっぽど疲れてるみたいだな。その様子じゃ…。」
 「…問題ないよ。それより何だ? なんか用事があるんじゃないのか?」

 用件があるならとっとと済ませろ。そう遠回しに言うと、彼は、困ったように「あると言えば、あるんだが…。」と、言葉を区切って肩をすくめた。
 ふと、彼の手元に目がいく。その右手にはワイン。左手にはグラスが二つ。

 「……飲みに付き合うなら、俺じゃなくても、他に…」
 「はは。生憎、クリスにもフレッドにもお断りされてね。」
 「なんで、男同士でワインなんか…」



 「今、俺の目の前にいるのは、男じゃないだろ?」



 思わず動揺してしまいそうになるのを、ぐっと堪えた。
 咄嗟に頭を切り替える。いつの間に、自分が女であるとバレたのか。
 一応「なんのことだ?」としらばっくれてみたが、返って来たのは「それじゃあ、酒の代わりに、一緒に風呂でも行くかい? 男同士なら、断らないよな?」という、何とも憎たらしい言葉。
 その頭をド突いてやりたい衝動をなんとか堪え、彼を睨みつけて、言った。

 「……………入れ。」