[伴侶]



 翌日、ナッシュに「ダッククランに戻ることになったんだが…。」と言われたが、これまでずっと神経をすり減らして旅を続けていた疲労と、来た道を戻るのが面倒だったために、は「ここに残る。」と返答した。
 ルカが何やらもの言いたげな顔をしていたが、自分の蓄積されていた疲労に気付いていたのか、何も言わずにその意図に従った。

 ナッシュ達を見送った後、彼は「…状勢に動きがあるまでは、ここで休むのが賢明だろうな。」と言った。

 彼は昨晩、に「情けない」とは言ったが、彼女が普段から簡単に疲れを見せないよう努めていることなど百も承知だったし、あえて冗談で言ったのだ。チシャに来るまで野宿をし、それでもルックの気配をいつでも感じられるようにと、ずっと集中を絶やさないようにしていた彼女の肩の力を、少しでも抜かせるために。

 遠回しに『ゆっくり休め』と言ってくれた彼に、は、内心深く感謝していた。
 あんた変わったね。そう言うと彼は、照れもあったのか聞こえないフリをした。ボソリと「…倒れられては、面倒だ。」と皮肉めいた言葉が返ってきたが、なんだか嬉しかった。






 ナッシュ達がチシャを出て、二日経ったある日のこと。
 そろそろ彼らもダッククランに着いている頃だろう、と、クラン内にある葡萄畑を眺めながら歩いていたに、声がかかった。

 「もし、そこの………青いコートの御方。」
 「……?」

 振り返るとそこには、この村の者なのか、独特の模様が刺繍された衣服を纏った初老女性。エメラルドグリーンを主とした服に、同じくその色の布を頭と首元に巻き付けている。

 「………?」

 小さな、違和感。
 遠い、遠い記憶。この女性に見覚えが。
 優しい色の緑を好み、巻き付けられた布から溢れる、風に吹かれては揺れる少しウェーブのかかった焦げ茶色の髪。若いころは、さぞかし美女であっただろう、優しげで利発的な目元。

 「そうです。貴方です。」
 「………なにか?」

 女性は、足が悪いのか、ゆっくりと歩いてくると静かに見上げてきた。バンダナで隠してはいるが、あまり近くで顔を見られるのも嫌だったので、自然と目をそらす。先ほどの違和感が、大きくなっていた。
 いったい何の用だと考えていると、女性は言った。

 「貴方、もしかして………?」
 「…?」

 予想外の言葉。思わず目を見開いた。
 もしかして、もしかして、もしかして・・・・!

 「なんでしょう?」
 「……人違いでは?」
 「あぁ、そんなはずは……お願いよ。もっと近くで顔を見せてちょうだい。」
 「…ちょっ……と…!」

 思わず顔を隠すよう、サッと身を翻した。その場から逃げるように歩き出したが、それで確信したのか、女性は追いすがるように足を踏み出す。
 だが、足が悪いのか軽くよろけてしまった。しかし倒れることはなかった。が、咄嗟に反応してその体を抱きとめたのだ。

 「……大丈夫か?」
 「えぇ…。お手数かけて、ごめんなさいね。」

 間近で女性と目が合う。その瞳は、抜けるような美しいエメラルド。
 その瞳に映るのは、布を巻いて顔を隠している自分の姿。
 違和感、違和感、違和感・・・。
 自分だけが、彼女を知っているだけじゃない。彼女とは・・・・・・過去、会っている。

 「………サナ?」
 「あぁ…! やっぱり、貴女だったのね!」

 女性が微笑む。しかし、その笑みも途端、悲しそうなものに変わっていった。

 「、あなたは…」
 「………ちょっと待って。ここだとマズいから。」

 外敵はおらずとも、ここは外。誰に話を聞かれるか分からない。
 彼女は「…そうね。」と呟くと、ゆっくり足に負担をかけないように、自分の手を取って立ち上がる。そして「私の家に行きましょう。」と言うと、歩き出した。






 「……久しぶりだね。」
 「えぇ、本当に…。」

 クラン内にある一角の彼女の家に入り、近場の椅子に腰掛けた。
 棚からティーセットを取り出し、紅茶を入れる彼女の手際を見つめながら、ポツリと呟く。

 「……でも、どうして…あんたが、ここに?」
 「どうしてって…。私は、このクランの村長なのよ? ふふ。」

 カップを受け取ろうと手を伸ばすと、「砂糖は一つで、ミルクたっぷりよね?」と聞かれる。・・・・よく覚えているものだ。
 困ったように笑って「うん。」と答えると、彼女は、手際良くそれを済ませてカップを手渡した。

 「村長を…?」
 「そうよ。」
 「……”あいつ”は?」
 「…………。」

 それが誰のことを指しているのか分かったのか、彼女は沈黙した。
 その意図を計りかねて、は、小首を傾げた。



 ”彼”は、真なる紋章を宿していた。『真なる火の紋章』と呼ばれるものを。
 あの戦が終わると同時、自分は、それらと共鳴してまた新たな旅に出た。もう50年も前のことだ。
 それを思い返し、右手に意識を集中させて、その気配を探った。



 ・・・・・・・・・・あると思っていたものが、また、無かった。



 「なんで…? あいつは、真なる紋章を持ってたのに…。」
 「………そうね。持っていたわ。」
 「それなら、なんで…?」

 なんで、気配が無い? どうして、見つからない?
 全身がザワつく。

 「……永遠の生を捨て、凄まじい苦痛を伴って、尚……あの人は、私と共に老いることを選んでくれたのよ…。」
 「………。」

 その言葉を聞いて、もしかしてと考える。彼は、紋章を封じたのか? と。
 その方法が、どんなものかは知らない。だが、封じることが出来るという話は、いつかどこかで誰かから聞いたことがある。

 「私は、あの時……知らなかったわ。宿した紋章を封じることが、彼にとてつもない苦痛を与え……その命をも瞬く間に奪い去ってしまうなんて…。」
 「…………。」

 何も、言えなかった。なぜなら、何も知らなかったからだ。
 彼女の言った、紋章を封じる代償として”苦痛”を伴うこと。紋章を封じることで、その命が短くなってしまうことさえ。なにも・・・・・。
 彼は、きっと、果て無き永久の時を過ごすことよりも、自分の愛した人との時間を共に流れ、逝くことを望んだのだろう。誇りを持って。

 それが・・・・・彼らしい生き方だったのだ。

 それに涙を流すなんていけない。だが、自然と目頭が熱くなる。
 なんで? どうして、気付いてやれなかった?
 でも、気付いてやれたとしても、きっと自分は何もしてやれなかった。あの時には、まだ『回収』という自分の紋章の”特性”を、知らなかったから・・・。

 また失った。あの時、ああやって笑っていた彼ですら自分を置いていった。「またな!」と笑っていた彼ですら・・・・。
 手が小刻みに震え、流すまいと固く閉じていた目からは熱い水滴。
 我慢がきかず、揺れる自分の肩にサナの手が置かれて、ふと顔を上げた。時の流れた分、皺くちゃになった手。

 彼女は、微笑んでいた。

 「でもね、。あの人は……それでも最後まで『幸せだ』と笑っていてくれたわ。」
 「………。」
 「私は……生涯何かに縛られることなく、自分でそれを選び、それを幸せだと言って逝ったあの人を………誇りに思っているの。」

 寂しそうな瞳。けれどその顔は、誇りに満ちている。
 それを見て涙を堪えた。本人達が誇るものに対して、こちらが涙を流すわけにはいかない。そう思い、伝えた。

 「あんたは……強いね。」
 「ふふ、そうでもないわよ。私だって、あの人が逝ってしまった時、『どうして置いて行くの?』って、ずっと泣いていたし…。」
 「でも、今は…」
 「そうね。今は、もう大丈夫。……でもね。泣き通したある日、気付いたの。」
 「…なにを?」
 「あの人が、誇りを持って逝ったのだから、その伴侶である私が、いつまでもクヨクヨしてちゃいけないって。」

 その言葉に、チクリと胸が痛んだ。
 彼女は、とても強い。時折、それを未だに思い出して涙を流す自分よりも、遥かに・・・。
 今も昔も、彼女は変わっていなかった。利発的な瞳に少し強めの口調。変わらないものが目の前にあるというだけで、少し心が落ち着くのだ。
 すると今度は、彼女が問うてきた。

 「そういえば……テッドは、どうしたの?」
 「………。」

 当時の自分を知る者なら、そう問うのがきっと普通だろう。それほど自分は、彼と行動を共にしていたのだから。
 けれど思わず俯いてしまった。何も言えないのだ。心がザワザワと波打ち、胸が苦しくて。
 それで察したのか彼女は、肩に置いた手をゆっくりと擦った。

 「…私は、あまり彼と話したことは無かったけれど……そうね。いつもあなたの影に隠れていたわね。」
 「…うん。」
 「あの時、あなたは、彼のことを『人嫌いだから』と言っていたけれど……あれって嘘だったんでしょう?」
 「え…?」

 思わず顔を上げた。彼女は、小さく微笑みながら一つ頷く。

 「話したことはなかったけれど、いつも思っていたわ。彼は…テッドは、人嫌いなんかじゃないんだって。そうよね? あの時は、何か事情があるとは思っていたけれど……彼は、あなたの影に隠れながら、いつだって羨ましそうな顔をしていたわ。あなたが誰かと話すのを、いつだって羨ましそうに見ていたもの。」
 「…………。」

 サナは、彼の宿していた紋章のことを知らない。
 50年前のあの戦いの最中、自分達以外に『真なる紋章』を持つ者が3人もいたことと、そして彼の「こんなに大勢の中にいるのは、嫌だ。」という言葉もあり、極力二人で行動するようにしていた。
 けれど、やはり彼の瞳の奥に宿る『願い』は、隠しきれるものではなかったのだ。

 ・・・・あんたのことを分かってくれてる人が、こんな所にもいたよ。
 その事実が、とても嬉しかった。出来る事なら教えてやりたかった。

 「彼が、あなたの事を好きなんだって皆知ってたわ。でもやっぱり、それだけじゃなかったのね。あなたのことも好きだったけれど、彼は彼で、きっと誰かと話をしたかった。」
 「…そうだよ、よく分かったね。あいつは、元々明るくて人懐っこい性格なんだよ。」

 少しだけ気持ちが軽くなった。それは、とても幸福なことなのだ。

 「そうそう、知ってた? あの人、テッドのことが苦手だったのよ?」

 あの人とは、恐らく彼女の伴侶の事だ。

 「それは、知らなかったよ。……本当に?」
 「ふふ。あの人、隠してるつもりだったのかもしれないけど……私には、よーく分かったわ。」
 「へぇ…。何か、ものすごーく意外だわ…。」
 「他にも色々あるのよ、聞いてちょうだい。」
 「あはは、分かった分かった。教えて。」



 それから彼女は、過去のことを沢山話してくれた。
 何があったかは知らないが、彼女の伴侶が、どうにもテッドにだけは頭が上がらなかったこと。テッドはテッドで、彼に対していつも何か言いたげだったこと。それを不思議に思っていたが、彼に聞いても、そのことに関してだけは生涯口を割らなかったこと。

 彼女は、歩んできた過去を沢山話してくれた。
 楽しそうに。時折、寂しそうに・・・。

 彼女が、ようやく一呼吸おこうと紅茶を口にした。
 ・・・・・・それを見て、『そろそろか…』と思う。再開にあたり、彼女が自分に対して感じていたであろう違和感を、そろそろ口に出す頃だと思ったからだ。

 「それで、……。聞いても良いかしら……?」
 「……うん、どうぞ。」

 長い睫毛を心持ち伏せて、口にすることはせず、あえて右手を見つめてきた彼女。その意思に沿うように、革手袋を外してみせた。だが彼女は、そこに浮かんでいる刻印を目にして「あら…?」と首を傾げる。

 「大地の紋章?」
 「……ちょっと待ってて。」

 目を瞬かせた彼女に待ったをかけて、目を閉じ意識を集中する。カムフラージュである”それ”を押しのけて、本来そこに刻まれている紋章が、姿を現した。

 「これは…?」
 「……真なる紋章の一つだよ。」
 「やっぱり、あなたも…。」
 「……ごめんね。」

 集中を解くと、また大地の紋章が前に出た。
 革手袋をはめながら小さく謝ると、彼女が目を丸くする。

 「…どうして謝るの?」
 「どうしてって…」
 「…あの時から、分かっていたわ。あなたにもテッドにも、何かワケがあるんだって。初めて見た時から、顔も髪の色も違うから、姉弟ではないと思っていたし…。」
 「…これのことを、誰にも言うわけにはいかなかった。あいつら以外には…。」
 「いいのよ、謝らないで…。」
 「……ありがとう。」

 眉を下げて笑みを見せると、彼女は、「紅茶のお代わりは?」と言って、新しいものを入れ直してくれた。






 話は、陽が傾くまで続いた。思い出話から始まり、それからどうしたこうした。

 最後に近況。
 話しついでか、彼女に「なぜ男装しているの?」と聞かれたが、それに小さく笑いつつ「私情でこっちに来てるけど、知り合いに見つかったら面倒だからさ。」と返すと「もう、早速見つかったわね。」という茶目っ気たっぷりの言葉。
 それ以上の事は、何も聞かないでいてくれたが、彼女は「…今日が『』という人との初対面ね。」と言ってくれた。暗に『この事は、誰にも…当時の戦争参加者にも言わない』という彼女からの約束。
 それに礼を言い、軽く抱擁し別れを告げて、宿へと足を向けた。






 厚手の青いコートに身を包み、目を覆うほど深く布を巻き付けた、一人ぼっちの女性。
 本来の性を隠し、再びこの地へやってきたその背を見送りながら、サナは、ふと茜色の空を見上げた。そして、もう居ない最愛の者へと問いかける。

 「ねぇ…。彼女は、戦に好まれ、瞳に闇を宿しながら……それでも生きているわ。」

 その黒き双眸を見た時に、分かった。

 「分かってはいるの…。あなたの考えが、正しかったとも間違いだったとも言えないって…。」

 分かってしまった。

 「あなたは自由を欲し、その想いに殉じた。私もそれを誇りに思い、残された時間をこうやって生きてる…。」

 その瞳が、徐々に徐々に、あの頃とは違う大きな闇に支配されつつあることに・・・。

 「でも、それとは逆に……彼女は、自ら鎖につながれて、何か責を負っているように見えるの。…だから………。」

 だからサナは、これから空に輝き始めるだろう星々に、目を閉じ小さな祈りを込めた。



 どうか彼女に・・・・・・・彼女の『闇』にも、一筋の光を、と。