[繰り返す歴史]
『真なる風の紋章』の気配を感じることもなく、それ以外、何か情報を得ることもなく。
チシャに滞在して、5日経ったある日のことだった。
その日は、寝ているルカを放置して、村の裏山で使い過ぎて疲労困憊していた神経をほぐしていた。
やはり大自然は良い。落ち着くし、なにより心も体も癒される。
ある程度頭を休めながら、それでも極力集中を解くことは出来なかったが、ここ5日間一定の場所に留まることでだいぶ体も楽になった。
目を閉じて、裏山に群生する樹木の匂いを肺一杯に吸い込み、ゆっくりと吐きだす。
と、ここで声がかかった。
「おい、。」
「……あんたね。って呼べって、何回言ったっけ?」
樹齢は、およそ200年ほどだろうか。古さを感じさせながらも、厳かな空気を纏うそれに寄りかかりながら、口元を引き攣らせて声の主にそう言う。
対して、日頃から口酸っぱく『と呼べ』と言われているルカは、鼻を鳴らし、パキパキ小枝を踏み鳴らしながらその正面に立つと、腕を組み、木々に覆われた天に目を向けながら、大欠伸する彼女に言った。
「あいつらが、戻ってきたぞ?」
「…あいつら?」
「スパイ共だ。他に誰がいる?」
「スパイって、ナッシュだけじゃん。……でも、なんで戻ってきたんだろ?」
「…俺が知るか。」
そろそろこの村からお暇しようかと考えていた、その矢先の事だった。彼ら帰還の知らせは、首を傾げるには充分だ。
ボリボリ頭を掻きながら思案に暮れていると、彼がジロリと一瞥してきたので顔を上げる。
「頭の整理は、ついたのか?」
「んー、ついたような、つかないような……。」
「…呆れたものだ。それで、これからどうするつもりだ?」
「さぁ? あいつの気配が掴めるまでは、一緒に居ても良いんじゃないの?」
一カ所に留まり続けるよりはね、と付け加えながら、差し出された手に捕まり立ち上がる。彼にとって、自分のウェイトは大した重さでないのか、足に力を込めることなく立ち上がれた。
「あー、楽だった。ありがとう。」
「……本当に、貴様は……どれだけ世話をかけさせる気なのだ。」
素直に「どういたしまして」と言えない彼に、思わず吹き出した。
とりあえず宿に戻ろうとしていると、村の中央がやけに騒がしい事に気付いた。
不思議に思ってそこへ向かうと、人だかり。女達だけではなく、この時間に働いているはずの男達まで、声を潜めてなにやら話している。余程の一大事なのか。
そう考えながら、人混みをかき分けて中央を覗いた。
すると・・・・
「お、じゃないか!」
「ナッシュ? いったい、何があったんだ? こんな…」
「……ハルモニアが、責めてきた。」
まず中央で何やら話していたナッシュが、駆け寄って来た。その後に続きクリスがそう言う。
「……ハルモニアぁ?」
「あぁ、そうなんだ。」
ふと思い出す。50年前にも、ハルモニアとグラスランド間で戦があったこと。
今、この地で再度『宿星が集まる』と師が言っていたが、それが起ころうとしているのだ。
『でも………炎の英雄と呼ばれた、あいつは……もう…。』
過去、戦の中心に立ち、戦いの指揮をとっていた人物。その彼は、もういない。
だが、師の言ったように、これから巻き起こるはずの戦争を指揮し、かつての天魁星達と同じく戦を導く者が現れるのだろう。
そういえばと、サナが言っていたことを思い出す。『秘密裏ではあるが、ハルモニアと50年の不可侵協定を結んだ』という言葉を・・・。
そこで、なるほどと思った。ということは、その期限が切れたのだろう、と。
そしてそれは、このグラスランドの大地で、血で血を洗う人々の戦いが再開するという事。
「、どうしたんだ?」
「あ、いや……何でもない。」
どうやらナッシュが心配するほど、深く考え込んでいたらしい。我に返り軽く手を振って、小さく微笑んでみせる。
すると、ナッシュを押しのけて、クリスが正面に立った。
「、頼みがある。」
「……頼み?」
そこから発される次の言葉に大方の予想はついていたが、素知らぬ顔でなんだと問う。
すると彼女は、凛として言った。
「手伝ってくれないか?」
「手伝う? なにを?」
「本格的に侵攻される前に、ここでハルモニアを食い止めたい。」
「…………。」
そう言った彼女を、目を細めて見つめる。その見定めるような自分の視線に、彼女は僅かに怯んだ様だが、すぐに背筋を伸ばしてじっと見つめ返してきた。
ミディアムオーキッドの澄んだ瞳が、真っ直ぐ自分に向けられている。
『……良い目だね。それに……面影がある。』
似てはいない。だが、雰囲気が似ている。彼女の姓である『ライトフェロー』を、過去名乗っていた男を思い出しながら、思わず口元を綻ばせる。
「……どうかしたのか?」
「いや、なんでもない。それより…」
「どうする? あんたは、行くのか?」
訝しんだようなクリスに首を振って答えていると、ナッシュが前に出てそう問うた。
だが、自分に代わり答えたのは、ルカだ。
「ふん、いいだろう。俺が行ってやる。」
「ちょっと、ルカ、待っ…」
「旅の成果を試すには、もってこいだ。」
彼がそう言い出したら、絶対に聞かない。
そうと分かっていたので、諦めてナッシュに続ける。
「はぁ…。それじゃあ、仕方ないか。ナッシュ……俺は、ルカと二人で良い。」
「あ、あぁ、分かった。期待してるぜ…。」
まさか『元狂皇子』が協力してくれるとは、思ってもみなかったのだろう。その勇ましい申し出に、少し口元を引き攣らせていたが、額に手を当て項垂れた自分を見て承諾してくれた。
と、先ほどナッシュと話していた小柄な赤毛の少年が、こちらにやってきた。その少年を見て、どこか似たような男を見たことがあると思う。特に、眠たそうな目元の辺りが・・・・。
しかし思い出せなかったので、とりあえずナッシュに視線を向けた。だが、彼が口を開く前にその少年を紹介したのは、クリス。
「彼は、シーザー。今回の戦の『軍師』を務めてもらう。」
「シーザーだ。宜しく頼むな。」
「…宜しく。」
なぜこんな子供が、という言葉は飲み込んだものの、どうやら目の前で右手を差し出す少年には、分かってしまったらしい。軽く握手を交わしながらも、「…大丈夫。俺に策があるんでね。」と深い笑みを向けられてしまっては、苦笑いするしかなかった。
「この戦……。あんた、どう読む?」
「…さぁな。だが、そう簡単に勝てる相手でもなかろう。なにせ、あのハルモニアだからな。」
「だよねぇ…。『クソッタレ』で『ストーカー』で『とっとと滅びろ!』とか思うような、あのハルモニアだもんね。絶対、面倒くさい事になるよねぇ…。」
「…誰も、そこまで言っておらん。こんな時に腐るな、鬱陶しい…。」
村を出て、歩きながら話しかけると、彼にしては珍しい発言。確かに、あのクソがつくほど忌々しいハルモニアとなれば、一筋縄ではいくまい。過去に起こった腹立たしくも苦々しい思い出をほんの少しだけ思い出しながら、また溜め息。
クリス達のいる方を見ると、作戦会議でもしているのか視線に気付かない模様。綺麗なミディアムオーキッドの瞳だったな、と思い返していると、隣で歩くルカが不敵に笑った。
「…久々に、骨のある奴だと良いがな。」
「あんた…。相手は、人間なんだからね。」
「ふん…。言われんでも、分かっている。」
暗に『殺すなよ』と釘を刺すと、彼は、ニッと口端を上げながら剣の柄に手をかける。
遥か彼方から、ハルモニア軍であろう軍隊の巻き上げる土煙を見つめて、も愛刀を抜き放った。