[大地の子]
チシャクランより少し南の平原で、クリス率いる即興の部隊が、準備を終えた。対峙するはハルモニア軍。両者は、静かに睨み合っていた。
ここを落とされれば、次に狙われるのは、恐らくダッククラン。
クリス達は、敵の軍勢を見てその数に目を剥いていたが、とルカだけは、別段気にも止めずに獲物を抜き放ち、軍師の号令を待っていた。
暫く睨み合いを続けていると、シーザーの言葉を伝えるべく、伝令が小走りに駆けてくる。
「シーザーから?」
「はい! シーザー殿より、相手の出方を見るように、とのことです!」
「ふーん。分かった。機を見て動くからと伝えてくれ。」
「はい!」
伝令を軍師の元へ返すと同時に、ハルモニア軍が動き出した。それを見ていた隣のルカが、つまらなそうに剣を一振りする。
「…なんだ、動かんのか。」
「あんたねぇ…。さっきの話、聞いてなかったの? 血気盛んなお年頃だよね。羨ましいわ、ホントに。」
「……つまらぬ。」
間近に迫りつつある敵を睨みつけながら、軽口を叩き合う。
「でもさ……。」
もったいぶるように間を空けると、彼は「なんだ? とっとと言え。」と眉を寄せる。
それにニッコリ笑みを向けて、言った。
「相手の出方を見るように、としか言われてないよね?」
「……ほお、なるほどな。」
相手の出方を見ろと言われたが、生憎その相手は、もう動き始めている。自分の言わんとすることが分かったのか、彼は、口の端をさらに上げると、もう一度剣を一振りした。やる気満々のその姿を見て、最後にもう一度だけ言っておいた方が良いかもしれない、と思う。
「ただし…」
「同じことを何度も言わせるな。分かっている。殺しはせん。」
「それなら…。思う存分、剣を振るえば良いよ。それこそ好きなだけ…。」
その言葉が終わる前に、彼は、敵兵めがけて走り出した。
戦闘を始めてから、どれほど時が過ぎたか。いったい、どれだけの敵を沈めたのか。
傷つけるわけではなく、あくまで『気絶させる』という戦法を取りながら、とルカは戦い続けていた。攻撃を避けては、獲物の柄や拳で相手の急所を突く。
ようやく一掃を終えると、ナッシュが駆け寄ってきた。彼の部隊も片付け終えたのだろう。
「!」
「ナッシュ、そっちは終わったの?」
「あぁ!」
「少し息が上がってるよ。」と言うと、彼は「いや、まだまだ若いぜ!」と笑う。
ふとクリスやフレッド達の方を見れば、思いきり返り血を浴びている姿。それに思わず顔を顰めた。あれだけの血だ。そう簡単に取れるものではないだろう。
と、ルカが声をかけてきた。
「…おい。」
「ん?」
「増援部隊の到着だぞ。」
「えー? 聞かなくても分かるけど、どっちの?」
「…なら聞くな。」
戦場に似つかわしくない冗談を終えて、真っ直ぐ敵陣を見据える。かなり遠い位置であるため、はっきりと分からないが、その数が先ほどより増えている。残念なことに新たな『味方』が、現れてくれたわけではないらしい。
増援部隊を引き連れている中央の人物を、じっと目をこらして見つめた。
服装からして位は高そうだが、その顔がはっきり確認できたところで、思わず声を上げる。
「え!? あいつ…!!」
ハルモニア神聖国のイメージカラーなのか、青と白で統一された軍服に身を包み、戦場に似つかわしくない柔らかな表情をしている男に、思わず目を見張った。その男とは、15年前の戦争中、一度だけ対面したことがあったからだ。
どうやら、ルカもその姿に見覚えがあったようで、「ほお…。」と言っている。
「…神官将自らのお出ましか。ご苦労なことだ。」
彼は、不快そうに鼻を鳴らした。その言葉の中には、相当な嫌悪が見え隠れしている。
15年前、ハイランド軍に援軍として参戦したが、ルックの風魔法によって撤退した男。
ルカの言葉に、ナッシュが僅かに挙動を見せた気がした。だが今は、それを問い正している暇はない。すぐにまた新たな援軍が来るのだろうから・・・。
「あいつ…名前は、確か…」
「…ササライだ。見たところ、あいつも『真なる紋章』の所持者のようだな。」
今でも覚えているのか、ルカが、はっきりと言い切った。そうだったと返して、ナッシュを見ると、彼は眉を寄せている。
「ナッシュ、どうしたの?」
「…いや、何でもない。それじゃあ…俺は、持ち場に戻る。」
「なんか用があったんじゃないの?」
「まぁ……その内に、な。」
そう言うと、彼は、ひらりと手を振りクリス達の所へ駆けて行った。
「これは……?」
チシャクランを前に、ハルモニア神官将であるササライは、目を細めて敵陣を見つめていた。胸に沸き起こる、どこか懐かしい感覚に捕われながら。
目をこらして見てみるも、敵に見知った顔がいるはずもない。・・・いや、一人だけいる。隠密として動くように命じた者が、一人だけ。
すると、日頃から目をかけている鼻の大きな部下が、声をかけてきた。
「ササライ様、いかがなさいました?」
「あぁ、ディオス。…なんでもないよ。」
「そうですか?」
そう言って、渋々下がる部下に笑みを返しながら、懐かしい気配を醸す違和感に知らず眉を寄せる。
『誰だ……いったい……?』
ザワザワと波打つ心を抑えながら、敵の顔を一人一人確認していく。
銀髪の長い髪を翻し、剣を振るう女性。
黒髪で整った顔立ちの騎士。
その騎士に庇われながら、ハンマーを振るう少女。
彼ら・・・・ではない。
ふと視線をずらす。するとそこには、部下であり密偵として放っているはずの少し癖のあるブロンド男の姿。彼・・・でもない。
じっとその姿を見つめていると、一瞬目が合った。サインのようなものではなかったが、僅かに口端を上げたところを見ると、『上手く事が進んでいる』のだろう。
だが、違う。彼でもない。
では、彼らの近くにいるあの二人組の部隊か?
『あれは……?』
懐かしさを伴う気配。その対象に、ようやく気付いた。
目を覆うほどに布を深く巻き付けた、青いコートの男。そして、ダークシアンの布をコートの男と同じように目深に巻きつけた、青いマントの大柄な男。
『…彼らかな? でも……誰だろう?』
醸す気配の根源を見出し、更によく見えるようにと目を細める。
その二人組は、あらかた敵を片付け終えて談笑でもしているのか、獲物を鞘に納めながら話をしていた。すると、気絶していたらしい数人の兵士が、ゆっくり起き上がり、二人組に向かって一斉に飛びかかった。だが、それも虚しく兵士達は、彼らの一閃で崩れ落ちる。
その剣さばきにも驚いたが、なにより、彼らの周りで倒れている自軍の兵士が、誰ひとり死んでいないことに戦慄した。皆、口や顔から血が出ているものの、息があったのだから・・・。
『凄いな……。』
戦であるにも関わらず、殺すことなく兵を全滅させるだけの実力がササライの関心を引いたのは、言うまでもない。
『とんでもない手練だ…。うーん、欲しいなぁ……。』
ササライは、末恐ろしいほどの力を持つ二人組を見つめて、一人静かに微笑んだ。