[本と思い出]



 「ッ…待って!!!!!」

 浮上する意識をあの闇の中へ戻そうとして、思わず声を上げた。それで目が覚める。
 声の反動なのか、ガバッという音がつくほど凄まじい勢いで飛び起きた。

 辺りを見回すと、そこに化身の姿は無い。ここは、彼(彼女)の居た場所ではない。自分にとっての現実だ。
 戻る事が出来なかったと歯噛みしていると、横から声がかかった。

 「……何なのだ、いったい?」
 「…………。」

 そこに居たのはルカ。彼は、椅子でギシギシ船漕ぎしながら、不思議そうにこちらを見ている。

 ・・・・・・『なんなのだ』? そんなの、こっちが聞きたい。
 あれが夢なんかじゃないと、脳裏に焼き付く気配が物語っている。
 思い出せと、あいつは言った。でも何を? あいつは、自分ではなく””という存在に語りかけていた?

 『なら思い出せる。彼女なら変えられる。彼女ならば、レックナートの視る先を………。』

 そう言っていた。
 では、その思い出さなければならない『先』とは?
 という存在ではなく、という存在なら変えられることとは?
 『今』ではなく、『過去』の自分が変えられること、とは・・・?

 ・・・・・・・。

 なんだ。何も変わっていないじゃないか。過去も今も。なにも・・・。
 弱い自分。情けない自分。何も変わらない自分。
 大切な者一人守れない、無知で無力な自分。
 嫌だ、止めて。もう沢山だ。これ以上、大切な人を失うのは・・・。

 頭痛がした。同時に襲い来るのは、目眩と吐き気。
 自分に対する嫌悪感と、彼らに対する罪悪感。守れなかったことへの・・・。
 目の前が霞んでいた。なにで? ・・・・涙で?

 ・・・・分からないよ。分からないんだ。
 どうして守れなかった? なんであの時、離れてしまった?
 あの時、彼らの手を離さなければ、自分は何も失わずに済んだ?
 何故ルックは、私を置いてこの地へ来た? セラまで連れて・・・。
 この地であの子たちは、何をしようとしている?
 あの時、あの子たちから離れなければ、『今』は変わっていた?

 ・・・・分からないんだ。
 誰か助けて・・・・・・・『答え』を教えて・・・・。



 ふと視線を感じて、顔を上げた。ルカが、まだ自分を見つめていた。
 その視線から逃れるように手で目を覆い、顔を伏せる。思い出すだけで体が震え、肩が揺れた。
 それをすぐに押さえ付け、扉の方を見る。前回の教訓を生かしていたようで、そこにはきちんと錠が下ろされている。それを確認して、コートとハイネックを脱いだ。
 一息ついてベッドから下りると、テーブルにある水を一口含む。

 「………嫌な夢でも見たか?」
 「んー…。」

 彼がそう問うてくるほど、自分の顔色は良くないのだろう。普段は、寝汗をあまりかかない方なのだが、今は違う。体中がべったりしていて気持ち悪かった。
 額に滲んだ汗を手の甲で拭う。夢見の悪さが、こうして体に現れている。それが彼の問う理由の一つだったのだろう。そう思いながら、勢いのついた喉で水をあるだけ流し込んだ。
 口を拭いながら彼に視線を戻せば、その手に広げられた一冊の本に目が止まる。タイトルは『決戦ネクロード』。

 「あっ、それ…」
 「なんだ、知っているのか?」

 本から顔を上げて珍しそうに見つめてくる彼に、思わず苦笑い。自分が本を読む性分ではないと思われているのだろう。

 「なんだ、何が可笑しい?」
 「いや、だってそれ……。」

 彼は、忘れているのだろうか? それとも知らないだけなのか?

 「私、同盟軍にいたんですけど…。」
 「……あぁ、そうだったな。」

 本当にすっぽ抜けていたようで、彼は『なるほど』という顔。

 「あの戦争の後に、風の噂でマルロが、実話を元に本を出したってのは聞いてたんだけど……。」
 「マルロ?」
 「そう。その本の著者じゃない?」
 「…興味ないな。」
 「あっそ。んじゃ、ちょっと見せて!」
 「っ、おい!」

 内容までは知らなかったので、持ち主の制止を無視して取り上げると、パラパラ捲って中を見る。読み流しただけだが、そこに何度か登場する名前を見て、思わず吹き出してしまった。

 「……おい。何がそんなに可笑しい?」
 「いや、何でもない……ぶっ! あっははは!」
 「……いったい何なのだ、貴様は。」

 彼に本を取り上げられてしまったが、マルロのセンスに笑いが止まらない。もう少しマシなネーミングは、なかったものか。

 「お前は、この『ネクロード』とやらを倒したのか?」
 「うん……ぶっ、ごめんごめん。」
 「? だが、これに貴様の名前は乗っていなかったぞ。」
 「いや、ちゃんといるよ。」
 「…どれだ?」
 「これこれ。この『女剣士』ってやつ……ぶふっ! まんまじゃん! ダッセー!」

 そのまま名前を使ってもらっても良かったが、もしかすると気の回る誰かが、さり気なく話をそういう方向へ持っていってくれたのかもしれない。自分の部分は『女剣士』という名称に置き換えられていた。
 そこまで気の回る人間が、あの軍にいただろうかと首をひねったが、センスに気を取られて笑いが止まらない。

 だが、ここで、別の考えが頭をよぎった。

 あの時は・・・・そう。
 愛する人を亡くしてしまい、絶望にくれていた。その時に友と再会した。生きる意味をなくした自分に、彼は『まだ家族がいる』ことを教えてくれた。
 今の自分には、ルックやセラといった大切な家族がいる。けれど、師の言葉を聞いて、『また愛する人間を、失ってしまうのではないか』という不安があったのも事実。

 いつの間にか、それらは言葉に出ていた。思い出として、これから先の挟持として。
 ルカは、じっと黙って聞いてくれた。馬鹿にするでもなく、真剣そのものというでもなく。ただ黙って。

 「だからさ…。レックナートさんが、あんな風に…不安な気持ちを言葉にするっていうのが、おかしいなって思ったんだよね…。」
 「………家族、か。」

 不意に彼が、ポツリと言った。それだけで、彼が何を想っているのか分かる。
 彼には、妹がいた。きっと彼女の事を想っているのだろう。そして、その息子の事を。
 あの時の彼は、どんな気持ちだったのだろうか? 直接見ていたわけでは無かったので分からないが、きっとあの後、彼の目が赤かったことを思い返せば、自ずとその心は理解出来る。

 彼が、ゆっくり息をはいた。
 顔を上げると、億劫そうな顔で再び本を手に取っている。

 「ねぇ、ルカ。」
 「なんだ?」
 「私はさ…。」
 「…?」

 「私は………あんたのことも、家族だと思ってるよ。」

 考えるより先に、言葉になった。
 本当に、今となっては、彼も自分にとって家族の一人だった。例え彼がそう思っていなくても、自分の中では立派な家族だった。
 すると彼は、一瞬間の抜けた顔をした。彼のそんな表情は、非常に珍しいことだ。
 だが、すぐにいつもの顔に戻ると、フッと笑った。

 「ふん………お前のお守りも、楽ではないのだがな。」
 「……うん、ありがとう。」

 いつまでたっても素直になれない彼に、そう礼を言った。予想通り鼻を鳴らしての返答だったが、その表情は、くすぐったそうだった。






 それからルカは、本を読みふけていた。
 彼女と言えば、コートを羽織って水をもらいにいったり、戻ってベッドでウトウトしていた。眠れなくて「うーん。」と寝返りを打つたびに、「煩い。」と言ってやった。
 そんな穏やかな時間が、僅かばかり過ぎた頃。

 ・・・・ドオォオォォオン!!!!

 突如、森の方角から響いたのは、巨大な爆発音。
 ルカは、すぐに本を閉じて剣を手に取ると、彼女に視線を向けた。だが彼女は、その”気配”を感じたのか、その音の方向から目を離さない。

 「おい、今の音は…?」
 「そんな……真なる風の…」
 「行くぞ!!」

 まさかこんなところで気配を感じるなんて。そう言って眉を寄せ、刀を手にした彼女の腕を掴むと、ルカは、バンダナを巻き付け扉を乱暴に開けた。
 転移することも忘れて、二人揃って駆け出した。