[罰の紋章]



 「取りあえず、座って。」
 「うん。」

 彼を部屋に招き入れた後、棚にあるティーセットに手を伸ばした。彼を席につかせてから、ポットに紅茶の葉を入れて、湯を注ぐ。
 暫くすると、部屋にはダージリンの良い香りが漂った。



 この茶葉は、この時代へ飛ばされる前に、レックナートに持たされた荷物の中に入っていたものだ。
 紅茶好き故に、よく買い物にでかけた際、ルックに強請っては買ってもらっていた。彼は「こんなの、必要ないじゃないか。」と言っていたが、それでも負けじと粘ると、結局根負けして渋々財布の紐を解いていた。
 そうこうしている内、キッチンの横にある棚には、様々な茶葉が並べられることとなった。

 このダージリンは、その中の一つだ。
 荷物を作ってくれたのがルックだということから、好きな紅茶は得られないと思っていたが、荷の中からこれを探り当てた時、思わず彼の頬にキスしてやりたい衝動に駆られた。される本人は、全力で嫌がる(切り裂かれるかもしれない)だろうが・・・。

 いつもは、こまっしゃくれた生意気なガキンチョと思っていたが、こういった時に、何気ない優しさを感じる。レックナートの言いつけとはいえ、自分の荷造りをしてくれたこと。旅先で何があるか分からないからと、おくすりや守りの天蓋の札など、気をきかせた物を入れてくれたこと。
 流石に見送りがない事に一抹の寂しさを覚えたものだが、そういえば前の晩、彼が初めて自分の部屋を訪れてくれた。その時は、ただ珍しくて目を丸くしていただけだったが。
 しかし、今思えば、あれが彼なりの”見送り”だったのだろう。

 極めつけが、この茶葉だ。自分の紅茶好きは、彼も毎回付き合わされていた為よく分かっていたのだと思う。
 だが、旅に必要なさそうな物が入っているとは思わなかった。それなのに、である。あえて茶葉を入れてくるなんて、あの子は私をよーく理解している。そう思い、ニヤけざるを得なかった。やはり戻った後に、あの子にはキスの一つや二つ贈ってやろう。そう考えながらニヤニヤ笑った。



 頃合いを見てカップに注ぎ、それと共に、角砂糖の入った小皿とミルクの入った小瓶を、彼の前に差し出す。彼は、その動作をじっと見つめていたが、にっこり微笑んだ。

 「ありがとう。」
 「どういたしまして。砂糖とミルクは、好きなだけどーぞー。」
 「うん。」

 そう言って、自分のカップに砂糖を一つ、ミルクを多めに入れた。対する彼は、何も入れずにカップを手に取る。
 互いに一口ずつ飲み、カップを置いた後、話を切り出したのは彼だった。

 「それで、話って?」
 「おーっと。すごい直球。」
 「その方が、良いかなと思ってさ。」
 「んー。実はねぇ…。」

 意を決して、彼に問うた。『真の紋章を持っているのか?』と。
 だが、なぜか彼は、ぽかんと口を開けた。その反応の意味が分からず、眉を寄せる。
 すると彼は、もう一口紅茶を飲んでから、言った。

 「……知らなかった?」
 「は?」
 「そっか…。きみは、知らなかったんだ…。」
 「だから、なにが!?」

 一人うんうんと納得している彼に、説明を促すと、何やら考える仕草をしながら左手の手袋を外し、手の甲を見えるようにかざしてきた。
 そこに刻まれていた刻印に、眉を潜める。見た事のないものだった。

 この世界の創世の話は知っていたものの、自分の知るものは、『闇が、寂しさのあまり涙を零し、そこから剣と盾の兄弟が生まれ、七日七晩の闘いの末、兄弟が相打ちして砕け散り、そこから27の真なる紋章が生まれた』という程度。
 そこから、闇、涙、剣と盾、そして、ルックやレックナートの持つ紋章のことを、かじり程度に聞いただけだ。
 意外に自分は何にも知らないなと思いながらじっと刻印を凝視していると、彼は言った。

 「罰の紋章、と言うらしいんだ…。」
 「罰の…?」

 名前を聞けば、それがどういった紋章なのか、なんとなくは分かる。しかし、その思考を遮るように「償いと許しを司っているらしいんだ。」と、彼は言った。そして、それを手に入れた経緯や、『力を使うと命が削られる』というリスクまでも話してくれた。
 更に、この紋章を宿してから、おかしな夢を見ることも・・・。

 「夢?」
 「そう。俺は、そこでポツンと見える小さな灯りを目指して、走っているんだ。その光に辿り着くと、人……なんだけど、霧がかかっていて、よく顔が見えない”誰か”と戦うことになるんだ。」
 「誰か? 誰かって?」
 「その誰かは、その夢を見るたびに変わるんだ。子供だったり、大人だったり…。」
 「そうなんだ…。」

 一通り話し終えると、彼は、紅茶を一口。

 「でもさ。夢に出て来る人って、あんたの知ってる人なの?」
 「うーん…。知ってる人もいたし、知らない人もいた。でも、知らない人の方が多いよ。」
 「その基準って、なんなの?」
 「それが、よく分からないんだ。」
 「ふーん…。」

 本人の言う通り、知っている者と知らない者がいるのだろう。何か助言めいたことを言ってやれれば良かったのだが、生憎、罰の紋章の話は聞いたことがない。よって、この話は保留にした。紋章術の練習ばかりで、知識を大して頭に入れていなかったのが、今さらながら悔やまれる。

 「んで、そんな話……私に言っちゃって良いの?」
 「もちろん。」
 「なんで?」
 「には…。なんていうのかな? 知っておいて欲しかったんだ。」

 そう言って、彼はカップを置くと、テーブルに両肘をつき手に顎を乗せた。
 そして、きっちり一呼吸分置くと、言った。

 「それで、。」
 「ん?」
 「そろそろ…………きみも、自分の事を話してくれないかな?」

 真っ直ぐな目を向けて、彼は、そう言った。
 責めているわけではないのだろうが、その射るような瞳に、思わず目を逸らしてしまう。
 彼の言いたいことが、分からなくもなかった。
 言葉を濁していると、彼は続けた。

 「俺、きみの目の前で、紋章を使ったことはないよね?」
 「……うん。」
 「それにきみは、誰かに、俺の紋章のことを聞いた事もないよね?」
 「……うん。」
 「それなら、どうしてきみは、俺に紋章を持っているか? なんて聞いたの?」
 「そ、それは……。」

 確かに。
 彼が紋章を使用する姿も、誰かから彼が紋章を持っていることも聞いたことはない。それなのに、真なる紋章を所持しているか? と聞かれてしまえば、『では、何故、なんの情報もないのにそう問うたのか?』と、疑問に思うのが普通だ。

 「……………。」

 これでは、最初から、誤摩化しなどきくはずもなかったじゃないか。そう思ってみても、もう遅い。
 そもそも、頭の切れるこの少年を前に、人並みな知能しか持ち合わせていない自分が隠し事をするなど、到底無理な話だったのだ。

 「いつから気付いていたかと言えば…。きみと初めて出会った、あの日からなんだ。」
 「……あのさ。私、まだ何も聞いてないんですけど?」

 まだ何も聞いてすらいないのに、勝手に回想に入らないで欲しい。そう言ったつもりだが、はたから突っ込みは黙殺するつもりなのか、彼は笑顔だ。

 「俺と握手した時のこと、覚えてる? あの時……凄く左手が疼いたんだ。」
 「えっ、あんたも…!?」

 どうやら、彼も同じ体験をしていたらしい。しかし、同じ体験を彼がしていたとは、まるで思えなかった。なぜかと問われれば、彼はあの時、何事もなかったような顔をして笑っていたのだから。
 素直にそう問えば、彼は、笑った。

 「俺だって、最初は『なんだろうこの感覚?』って思った。きみはきみで、凄く驚いてたみたいだし。それにあの時、俺は『どうした?』って聞いたよね? でも、きみは慌てたように『何でもない』って言ってたから…。あの疼きは、紋章と何かしら関係しているのかなって考えたんだけど、きみが、聞いて欲しくなさそうだったから…。」
 「っそりゃあ、聞いてほしくないよ! だって疼いたのは、私だって初めての経験だったんだから!」

 いつの間にやら、彼のペースにはまっていたようで、その時のことをベラベラ喋っていた。要約すると、彼は疼いた事は気になったが、自分に気を使って気付かないフリをしてくれていたらしい。

 全く、なんて子だろう。瞬時に相手の感情を読み取って、簡単に、しかも不快を与えないように振る舞えるなんて。自分には、到底出来っこない。素直にそう思った。
 その優しさに完璧に負けた。勝負事ではないが、思わずそう感じて観念した。一つ溜め息をついて、参ったのポーズ。
 次に、自分の右手の手袋を外し、手の甲を彼に見せた。

 それを彼は、じっと見つめていたが、ふと視線を落とした。

 「やっぱり……きみも……。」

 彼が、暗い表情をもって目を伏せた。それは、とても辛そうなものだった。
 は、ゆっくりと話し始めた。自分の紋章の知る限りの能力を。そして、自分に与えられた『使命』を。

 黙って話を聞いていた彼は、「特殊な紋章なんだね。」と言った。そして、共鳴することを快く受け入れてくれた。
 共鳴は、レックナートやルックとの経験があったため、やり方は分かっている。別に、特殊な詠唱をするわけではなく、自分が真なる紋章を持つ相手に向かって手をかざせば、オートで共鳴は完了する。

 との共鳴は、何事もなく、無事終了した。



 共鳴が終わると、穏やかなティータイム。
 暫く紅茶を飲んでは、円形に縁取られた窓から外を眺め、一息つく。
 海は穏やかに、順調に、次の目的地へ向けて航路を進んでいた。

 「そういえば……初めて会った時、俺、懐かしい感じがするって言ったよね。」
 「え? あぁ、そういえばそんなこと言ってたね。それがどうしたの?」
 「やっと、その意味が分かったんだ。」
 「意味? ……どんな?」
 「俺の紋章が、きみの紋章に反応していたからなんだ。きっと。」
 「ふーん…。」
 「紋章が促してたんだよ。きみを見つけろ、ってね!」
 「…意味分かんないんですけど。」
 「あはは! きみには分からなくても、俺にはよーく分かったよ。」

 一人で納得して笑う彼に、つまらなくて口を尖らせた。相手は完璧に理解しているのに、自分は全く意味不明。不貞腐れるなという方が無理だ。
 彼は、暫く爽快に笑っていたが、ふと思うことがあったのか、問うてきた。

 「ところで、きみは、いつ紋章を手に入れたの?」
 「私? 私は、一年ぐらい前かな?」
 「…そっか。」
 「それが、どうかした?」
 「いや…。真なる紋章を持つ者は、不老になるって聞いた事があるから。」
 「…どういうこと?」

 ここで、彼は笑いをこらえるよう、くッ、と喉を鳴らした。

 「きみは、俺と初めて会ったときに『心は永遠の22歳!』って言ってたよね? だから、きみが紋章を持っているって聞いて、実は、何百年も生きているのかも? なんて思っただけで…。」
 「ちょ…、なにそれ!?」

 何がそんなに面白いのか、ふるふると肩を震わせて笑う彼に、思わずテーブルを叩いて立ち上がる。見た目は若いけどじつは年増、なんて設定願い下げだ。こちとらまだまだ若い、先のある年だ。
 口元を引きつらせて怒りをあらわにすると、彼は「ごめんごめん!」と言った。

 「ってことは、俺達は、同期ってことになるんだね。」
 「もしかしてさ…。あんた、話の流れ変えようとしてない?」
 「あ、バレたか。でも怒らないで。俺としては、きみが、現段階でちゃんとした22歳っていうのが分かって安心したんだから。」
 「ちゃんと? ちゃんとしたって何よ!? フツーに、見た目通りの年齢ですけど!?」
 「あはは! きみは、喜怒哀楽が激しいね。」
 「ちょ、何笑ってんのあんた! 年上だぞ! 敬えよ!」
 「くくっ…駄目。やっぱり無理だ、あははははははは!!!」

 「こっの………………天誅!!!!!」
 「ッで!?」

 その後。
 の部屋からは、ゴンッ、という音の後に、少年のうめき声が聞こえてきたそうな。