[レストランの一角で]



 人々の楽しげな声が行き交う、午後の城。

 広大な平原の北西に位置する街、ビュッデヒュッケの城には、湖に面したレストランがある。そこは今日も今日とて客で賑わい、思い思いにランチを楽しむ家族や、恋人達の姿が見受けられた。

 その中の一角───人目につかない木の傍には、ひっそりと二人用のテーブルが置かれていた。そこは、この時間帯だと木陰になるのか、日焼けを気にする女性や陽を嫌う者に好まれる場所だ。

 そこに、一人の少女が腰掛けていた。

 少女の身体は、華奢で色白く──白いというより、血色が悪いのかと想像させる──それとは対称的にその唇は、柔らかいローズレッドに色づいている。その髪も銀というよりホワイトスモークを思わせ、フリルを基調とした服装は、幼さを残したその顔立ちにとてもよく似合っていた。
 テーブルには、彼女の好みなのかハーブティーと取り合わせの良いシンプルなクッキー。
 そして、本を広げて優雅に茶を嗜むその姿は、出自の良い高貴な令嬢を思わせた。

 少女は、本を置くと紅茶を一口。そして、音を立てずにカップを受け皿に戻すと、また本に視線を落とす。
 暫く、その動作が繰り返されていた。

 と、突如、その向かいの席に誰かが腰を下ろした。少女に断りを入れることもなく。
 少女は、その傍若無人で礼儀の無い気配に気付き、本から目を離すと、向かいにかけた者を睨みつけた。だが、次に小首を傾げる。目の前に座っている者が、自分の知己ではなかったからだ。
 バンダナを目深に巻き、青いコートに身を包んだ、まったく見覚えの無い男。
 しかし、よくよく見れば、バンダナから見える顔下半分に見覚えがあった。輪郭、鼻筋に口元。そして、チラリと垣間見えたオブシディアンの双眸。
 そこで、ようやく目の前の人物に見当がついたのか、少女は、急に態度尊大になった。

 「……久しぶりさのぉ。」

 その外見からは全く想像のつかない、老齢な言葉遣い。
 だが、向かい合う男───否、は、驚きもせずテーブルに肘をついていた。「まさか、ここでシエラに会えるとは思ってなかったよ。」と微笑みながら・・・。






 注文を取りに来たウェイトレスに、「アールグレイと肉まん。」と告げて、暫く。
 は、目の前に座ったまま本から目を離さないシエラを堂々と見つめていた。対する彼女は、無視を決め込んでいたようだが、注文を終えてからもジッと視線を投げかけてくる自分に鬱陶しさを感じたのか、ようやく顔を上げて毒づく。

 「……アールグレイに肉まんか。まったく、取り合わせの悪い…」
 「仕方ないだろ? 俺は、紅茶と肉まんが好きなんだ。」
 「…『俺』じゃと?」
 「うん。先に説明させて。」

 ウェイトレスが厨房にオーダーするのを眺めながら、説明を始める。素性を隠してこの地に来ていることを。
 簡単に話し終えると、彼女は、身元を隠してまで行動しなければならない『理由』がある事を察してくれたようで、鼻を鳴らしながらも、また本を捲り始めた。なんとなく気になったので、タイトルを見てみる。思わず吹き出した。

 「ぶっ、それって…!」
 「なんじゃ? 知っておるのか?」
 「……俺、同盟軍にいたんですけど。お忘れですか、シエラ様?」
 「ふん。おんし程の輩、忘れたくても忘れられぬわ。」

 彼女の読んでいた本のタイトルは、『決戦ネクロード』。
 同盟軍リーダーとその仲間達による、ネクロードという吸血鬼を退治した時の話だ。それを、当時の108星の一人であったマルロ=コーディが取材し、ノンフィクションとして出版したもの。
 全く同じ物をルカが読んでいたことを思い出す。実はこの二人、結構趣味が合うのでは?

 すると彼女は、何を思ったか「どうじゃった?」と聞いてきた。

 「どうって……なにが?」
 「わらわの事が、事細かに書き記してあったじゃろう?」
 「あぁ…。実は、まだ全部読んでないんだよね。パッと目を通しただけで。」
 「……品の無い。剣の腕ばかり磨いておらんで、少しは、教養も身につけぬか。」

 顰め面をされたが、確かにとも思う。
 しかし「本ならいつでも読めるから、機会があればね。」と軽く返すに留めた。
 彼女は、もう冷めてしまった紅茶を一口。

 「……それで。何故、おんしが、このような場所におる?」
 「あ、悪い。俺、ここじゃ『』って名乗ってるから。」
 「じゃと? ……なぜ、あの小童の名を?」
 「俺の知る中で、『精神的に』誰よりも強いだろうから、それにあやかろうと思っただけ。あと俺は、この地に何人か知り合いがいるんだよ。更に、あんたみたいにデュナン戦争時の人間が、この地にいないとも限らないと思ったからね。」

 面倒だろうけど宜しく。そう言うと、彼女は、また鼻を鳴らす。

 「それで……あやつは、今どうしておるのじゃ?」
 「あぁ、本物の方? あいつなら、名前を借りに行った時に、ちょっと話しただけだけど…。ファレナの女王国の方で、のんびりしてたよ。」
 「…そうか。」
 「気が向いたら行ってやれば? あいつ、凄い喜ぶと思うけど。」

 ふと人の気配が近づいてくるのに気づき、彼女から視線を外して顔を上げた。
 向こうから、ウェイトレスが、自分の注文した品を持ってくるところだった。

 「それで……何故おんしが、この地におる?」
 「………………人探し、かな。」

 やって来たウェイトレスは、その会話を邪魔しないよう「失礼します。」と小さく断ると、アールグレイと肉まんをテーブルに置いた。その間、自分は何も言わずにシエラを見つめ、彼女もまた口を閉じて本に目を落としていた。
 その様子から、ウェイトレスが『痴話喧嘩かしら?』という顔で首を傾げていたが──自分は男装していたし、彼女は仏頂面していた為──伝票を置くと「失礼致しました。」と戻って行った。

 完全にウェイトレスが去ったのを確認してから、シエラが口を開いた。

 「探しておるのは…………まさか、風の小僧ではあるまいな?」
 「………なーんで分かっちゃうかなぁ…。」

 さっそくアールグレイに手を伸ばし、一口。甘さが欲しくて、砂糖を一つ入れた。

 「なんでも何も……おんしら、いつも、くっついておったではないか?」
 「くっついて、って……そんなにしょっちゅう一緒ってワケでもなかったじゃん…。」

 紅茶を飲みながら空いてる手で肉まんをパクついていると、『品のない』と言いたそうな顔が返ってくる。

 「…ふん。おんしは、あの小僧と一緒にいた記憶しかないわ。」
 「そうかなぁ? 俺は、他の連中とも、けっこう一緒にいたんだけど…。」

 もぐもぐと肉まんを噛み、紅茶で流し込む。ふとそれを客観的に見て、『確かに自分は、品が無いな』と思った。

 「…んでさ。あいつ、どっかで見かけなかった?」
 「生憎じゃが…。」
 「あー、そっか…。分かった。」

 肉まんを食べ終えたが、まだ腹は満たされない。どうせなら、三個ぐらい注文しておけば良かった。部屋に戻る前に、ルカの分を含めて何個かテイクアウトしていこうか。

 「んじゃさ。目撃したり、どっかでそれっぽい情報入ったら、すぐに教えてもらえる?」
 「……おんし、『自分で見つけられる』と、昔そう言うておったではないか。」
 「そう言ったけどさ。あいつ、紋章の気配を消してるみたいでさ。見つけようにも、本人が紋章を使ってくれないと、何にも分かんないんだよね。」
 「それは、まぁ…。随分と面倒な代物じゃな。」
 「あはは、まぁね。不便も多いけど便利なことも多いから、苦は……無いよ。」

 言い終えて、また紅茶を飲む。
 彼女は、なにか物言いたげな顔をしていたが、そういえばと思い出して本を指差した。

 「それ、ルカも読んでたよ。」
 「……ルカ?」
 「うん。」
 「まさかとは思うが…………狂皇子かえ?」
 「うん。ちょっと事情があってね。まぁ、あんたには、どうでもいい事だろうけど。」

 当時、彼女の同盟軍への参戦理由が『月の紋章を取り返すこと』だったため、彼の話をしても大丈夫だと思った。シエラ本人は、ルカに全く興味は無いだろうし、まして彼に会って傷つけようという感情も持ち合わせていまい。そう判断したからだ。
 すると彼女は、本当にどうでもよさそうに行き交う人々へ視線を向けた。

 「………おんしの気まぐれか?」
 「うん。あんたには、負けるけどね。」

 途端、ムッとした顔で振り向いた彼女に笑いながら「それじゃあ、なんであんたは、ここにいんの?」と質問する。思った通り、返ってきたのは「…ただの気まぐれじゃ。」という言葉。
 それに苦笑しながらも、彼女には、話しておこうかと考えた。

 恩師である女性から、ルックのしようとしている事を止め、救って欲しいと言われたこと。
 それを止めなければ、彼の命が無くなってしまう・・・かもしれないこと。
 それには、まず彼が何を行おうとしているのか、調べなくてはならないこと。
 彼は、真なる水の紋章を廻り、この城の者と対峙していた事。
 彼と共に行動する男に『ついて来るなら、彼のやろうとしている事を教えてやる』と言われたこと。
 そして今、彼等の元へ行くべきか迷っていること。

 一通り話した。一連の出来事をかいつまんで、自分の中に蠢いていた疑問も。
 彼女から答えが返るとは、思っていない。彼女が、答えを教えてくれるとも思わない。彼女は、長く生きすぎた。それこそ自分の何倍も。だからこそ彼女は、きっと答えないだろう。でも何か小さなヒントでも貰えれば、自分の心のつかえが取れると思った。
 だから、言葉を待った。

 彼女は、暫く目を伏せていたが、やがて視線を戻してポツリと言った。

 「おんしの後悔なきよう………やりたいように、やれば良い。」
 「…………うん。」

 ありきたりな言葉。
 でも、たったそれだけで少し心が晴れた。他の誰でもなく、真なる紋章を宿し長く生きてきた彼女の言葉だからだ。後悔することなく突き進めと。その言葉が、背中を押してくれた。

 紅茶を飲み干して、立ち上がる。
 その、どこか吹っ切れたような顔を見て、シエラが僅かに口の端を上げた。

 「シエラ、ありがとうね。話、聞いてくれて。」
 「……構わぬ。」
 「お礼に奢っとく。」
 「ふん、当たり前じゃ。」
 「…そういう尊大な態度は、全く変わんないよね。」
 「やかましいわ!」
 「あっ、そうそう。まだここに居る?」
 「うむ、そうじゃな……。会う約束をしている奴が、おるからのぅ。」
 「へぇ…。だれ?」
 「おんしに言う必要は無い。」

 キッパリと言われては、苦笑いせざるを得ない。が、親指を立てて「コレだろ?」と言うと、「とっとと帰らぬか!」と手でしっしと追いやられたため、仕方なく踵を返す。



 「…………ふん。まだまだヒヨッ子じゃな。」

 その背を見送りながら、賑わしくも騒がしいレストランの一角で、世界にたった独り残された吸血鬼は、クッキーをかじりながら呟いた。