[きみに贈る歌]



 その日、とルカは、トーマスに呼ばれた。
 城主の元へ向かうと「部屋の準備が出来たので。」と言われたので、礼を言って旅荷を部屋へと運ぶ。

 その後は、ルックの気配が掴めるまで特に何もすることがなく、暇を持て余していた。やる事がなくてジーンの店へ行き雑談をしたり、シエラのいるレストランへと足を運んだり。
 この城の者達は、実に気さくに声をかけてくる。軽く挨拶を返しながら散策していると、何か探し物をしているトーマスに声をかけられ、一緒に探している間に、そこから脱線して談笑したり。
 暇を持て余すには、良い場所だった。



 そうしている内に、5日経った。



 その日の夕刻。
 は、部屋で眠っているルカを放置して、一人湖の岸で空を見上げていた。
 こうしていても神経は常にとがり続け、集中は解けない。
 空は、茜に染まり、風が緩やかに雲を運んでいった。

 その景色を、じっと見つめていた。
 気付けば、無意識に口ずさんでいた。

 〜Nohoyohlyqoa neyouly heqoa〜

 〜nohcomme nedda comme nileyea eor〜

 〜noineago nonna soearneago neada〜

 〜neyourly naddaya addarnnya adda〜

 〜soasso naddaya heddaya wholean qoa〜

 自らの唇が紡ぎ出すその歌が、どの国のものか分からない。だがとても懐かしい。懐かしくて、でもとても哀しい気持ちになる。そんな歌だった。
 ふと、目から何かが零れた。それは重力に従順に流れ、頬を伝う。
 涙だ。

 「なん、で……?」

 自分で歌い、涙を流した理由。それが分からなくて、片手でそれを拭いながら一人ごちる。
 不思議だ。今自分が歌ったものは、いったい何の歌だった? いったい、どこで誰に教えてもらった?
 気になって、もう一度口ずさんでみようと歌詞やメロディーを思い出そうとする。けれど、どうしても思い出す事ができなくて、ふと眉を寄せた。

 「なにこれ……変なの…。」
 「……おんしは、いつも変であろうに。」
 「え……あぁ、シエラか。」

 振り返った先には、不機嫌そうな顔をした知り合いが、優雅に佇む姿。陽は嫌いだと言っていたくせに、傾きかけているとはいえ、それに照らされる彼女は、心無しか血色が良く見える。

 「どうしたの? 何か用?」
 「ふん。用なんぞ無いわ。」
 「へー。ここに来たら、たまたま俺が居たってこと?」
 「…そうじゃ。」

 昔、誰かとこんなやり取りをした。それが誰だったのか思い出せないのも、歳ゆえか。
 パン、と軽く土を払いながら立ち上がると、彼女が隣に立ったの。じっと見下ろす。
 隣に立つ少女──実際、そう呼べる歳でもないが──の華奢な身体を見て、脳内で自分のそれと比較してみる。傍目からでも、明らかに違う。思わず笑ってしまった。
 こんな華奢な体で、真なる紋章という巨大な力をその身に受けているのか、と。

 「……なにを見ておる?」
 「いや。可愛いなぁと…。」
 「……心にも無いことを。」
 「いや、本当だって。」

 その場に誰かいたら、ナンパしているようにしか見えないこの状況に、思わず苦笑い。彼女も心なしか笑っている。

 「……先の歌は、何と言うのじゃ?」
 「え、聞いてたの?」
 「ふむ。悪くはなかったぞえ?」

 相変わらずの不遜ぶりに笑いながら、空を見上げる。さっきは、空を見上げている間に口ずさむことが出来たからだ。だが今となっては、それすら夢だったのではないかと思うほど、何も浮かばない。

 「あー、ごめん。忘れちゃった。」
 「……なんじゃと?」
 「どうやって歌ったのかも、どんな曲だったのかも、全然思い出せないよ…。」
 「……………。」

 途端、口を閉じて黙り込む彼女。どうしたんだと聞くのを止めて、その顔を覗き込んでみる。

 「あの歌………中々の物だったが、のお?」
 「…それって褒めてんの?」
 「ふん。一々、聞くでないわ。」

 そう言って、彼女が踵を返した。いったい何の話に来たんだと思ったが、あえて聞かずに「…夜道には気をつけて。」とだけ告げる。
 すると彼女は、驚いたように振り返った。

 「……何故、わらわが、夜道に気をつけねばならんのじゃ?」
 「か弱い乙女だって、いつも自分で言ってたじゃん。」
 「……おんしに、そのような事を言われるとはのぅ。」
 「あぁ、ごめん。ルカから言わせると、俺、女ったらしなんだってさ。」
 「……なるほどな。あの狂皇子も、的を射たことを言う。」

 クスリと小さく笑い合いながら、互いに背を向ける。
 は、また空を見上げ、彼女は、城の方へと足を向けて。

 サクサクと芝生を踏む音が、少しずつ遠ざかって行った。






 足音が聞こえなくなってから、暫く空を見つめていた。
 もう暫く待てば茜は、濃紺へとその色を変えていく。光と闇の境目の時間は、とても美しいものだ。
 一つ息を吐いてから、踵を返した。そして、もう一度だけ振り返って夕陽を見つめてから、なんとなく込み上げた苦笑を隠すこともせずに歩き出す。



 と・・・・・・・・・



 「ッ!?」

 気配。
 感じる。いや、感じた。
 誰の、なんて聞かなくても。
 あいつだ。あいつしかいない。あいつが、紋章を使った。

 「…ッ……ルック!!!!!」



 茜の中、少しずつ紺が交じり始めた空の下で、湖に面した岸一帯にの声が木霊した。