[拒絶]



 「あっ、ちゃん!」
 「あれ、アルド。どしたの?」

 とある日。
 食事を取ろうと部屋を出ると、すぐさまアルドに声をかけられた。彼は、いつものように廊下に居たのか、笑顔を見せる。
 ふと視線を落とすと、どうやら彼は、テッドと話をしているようだった。と言っても、一方的に彼が少年に話しかけている様子。話しかけられている本人は、心底うんざり顔だ。

 あらなんか面白そうな2ショット。そう思いながら近づくと、テッドに睨まれた。その原因が分からないため、苦笑するしかない。
 すると、彼は言った。

 「おい、お前。」
 「…………お前?」

 その言葉で、のこめかみに、ビシッ、という音が鳴った。
 失礼極まりない目の前の少年に、すぐにも拳が飛んでもおかしくない状況だ。そんな彼女の空気を一瞬で読んだのか、アルドが慌ててその腕を掴んだ。

 「えっと、ちゃん、あの…」
 「アルド、ちょっと黙っててくんない?」
 「えっ、あっ……ご、ごめんね?」

 彼女を止めようとするも、たった一言で黙らされて、アルドはすかさず謝った。別になにも悪い事はしていないのに。
 そんな彼に見向きもせず、は、テッドを見下ろした。その背後には、まさにゴゴゴゴゴゴゴ、という音が似合いそうな黒いオーラが見え隠れしている。
 対する少年テッドは、急に雰囲気の変わった彼女に少したじろいだ様子で「な、なんだよ?」と言っている。そんな彼に、は、目を座らせながら言った。

 「あんたマジクソガキなんだけど。」
 「なっ!? お、俺はガキじゃない!」
 「うるせー黙れ。いま私が喋ってんだよ。」
 「…………。」

 ガキ、という言葉に勢いよく反論したものの、今の彼女は、それすら一言で黙らせるほどの怒気をまとっている。彼女は、更にテッドを睨みつけ、まるでチンピラのような態度で続けた。

 「あんたみたいなクソガキに『お前』呼ばわりされたくないんだけど?」
 「…………。」
 「あんた、聞いてんの? 聞こえてんなら、返事ぐらいしなよ。」
 「あ、あぁ…。」

 顔つきと共に、口振りまで豹変した彼女を見て、アルドは心底冷や冷やした。
 いつも自分が見ていたのは、笑顔の絶えないお喋り好きな彼女であり、いま目の前で般若のような形相をしている彼女じゃない。
 そんな事を考えながらも、内心『彼女は、怒ると物凄く恐いんだ…。』とも考えていた。
 しかし、目の前で少年に怒りをぶつけている彼女の変貌ぶりは、長時間見ていたいものではない。
 早く誰か止めてくれないかな、と思った。



 アルドが、初めて彼女の変貌を目にしたのは、テッドが仲間になって間もなくの頃だった。

 アルドは彼女に、『気になる子』がいることを告げて、その子を食事に誘う為に付いて来てもらうことにした。
 その子の部屋の前につくと、彼女は、ドキドキワクワク、といった好奇心を全面に押し出して「アルドの気になる子かぁ。早く誘いなよ! 早く見たい!」と言っていた。
 ドアをノックすると、返事はなかった。やっぱりかと思ったが、彼女に「諦めずに何度でもトライしなきゃ!」と励まされたので、しつこくノックし続けた。

 すると、いい加減に居留守を使うのも面倒になったのか、相手がドアを開けて顔をのぞかせた。その相手の顔を見た時の彼女の表情といえば、とてつもないものだった。口に手を当て、目は酷く泳ぎ、何を言うかと思えば「あ、別に私は気にしないよ! アルドがそっち系でも…。」と、よく分からないことを言っていた。

 出てきたテッドは、またお前か、と露骨に嫌そうな顔をした。
 それを笑顔でかわして、彼を食事に誘った。いつもは、ここで押し問答の末に彼が「関わるなって言ってるだろ!」と怒ってドアを閉めてしまうのだが、今日のアルドには、という心強い味方がいる。

 最初は「行かない。」「勝手に行け。」「俺に構うな。」の三点張りだった彼。
 それを何とか連れ出そうと必死に説得を試みるアルドに、彼女の心が動かないはずがなかった。彼女は、彼女なりに話しかけてくれた。
 しかし。
 そんな彼女にかけたテッドの第一声が、その極短の堪忍袋の緒を一発で切るには、充分だったのだ。

 「………っていうか、誰だよお前。」

 ビキッ!
 アルドには、その時、確かにそう聞こえた。確実に、彼女の方から聞こえた。見れば形相は般若のごとく、その額には、青筋が何本も浮かんでいる。
 それを間近で直視してしまい、雰囲気的に、食事会どころではなくなっていた。

 また、彼女からすれば、先日の一件で一度でも顔を合わせていたというのに、簡単に忘れさられてしまったことに腹を立てたらしい。
 しかし、確かに自己紹介という紹介もしてなかったと考えたのか、彼女は怒りを抑えて「私は、宜しくね!」と、テッドに右手を差し出した。
 おぉ、これなら食事会を開けるかもしれない! そう喜んだのも束の間。
 更なるテッドの非礼っぷりに、もう食事会は駄目だと諦めた。

 「………俺に構うな。」

 次の瞬間、第四甲板に、バッチィーン! という、彼女の張り手の音が木霊した。



 始めが始めだったので、アルドは、二人が犬猿の仲になってしまうのではないかと心配していた。だがこの後も、テッドを食事に誘わないかと問うて彼女が嫌な顔を見せたことはなかった。実のところ、彼女もテッドの事を気にしていたようで、彼を誘う時には、彼女は必ず付いて来てくれた。

 そして、アルドが思ったように、自身、本当にテッドの事を気にしていた。
 霧の船の一件で会った時から、彼の持つ空気に違和感を感じていた。俺に構うなという言葉は、その際、彼に言われていた。
 だが、その言葉とは裏腹に、彼の瞳の奥に”何か”を見た。それは怯えているような色合いを含んでいた。彼の怯える”何か”までは分からないが、何故だか、その瞳に光が差すことを望んだ。
 多分それは、自分の元居た時代に出会った『テッド』という少年に見た、太陽のような朗らかな笑みと雰囲気。それを、この少年にも与えられたらと思ったからだ。



 それからも、とアルドは、二人でテッドを構うようになった。何かにつけてはお茶に誘い、食事に誘い。
 彼は、いつも嫌がる素振りをしていたが、その中に見えたのは、僅かな渇望だろうか?
 それが見えたのは自分だけではないと、もアルドも思っていた。
 そして、強引型のが出てくると、彼は散々渋るものの、最後には承諾するようになっていった。

 しかし、承諾する前には、大抵こういった一悶着があるのだ。



 「いいか小僧、よく聞けよ!」
 「何だよ……。まだ何かあるのか?」
 「私、さっき黙れって言わなかった? 今のあんたに、発言権はねーんだよ。」
 「……………。」

 ギロリと睨まれ、テッドが俯く。それに満足したのか、彼女は続けた。

 「私の名前は、。分かる? 前に自己紹介したよね? 。」
 「……………。」
 「おい、テメ聞いてんのかよ?」
 「なっ、お前が黙れって言ったから…!」
 「はぁ!? テメ今なんつった? また”お前”かこのクソガキ!!」
 「わ、分かったよ!……って呼べばいいんだろ。」
 「ふん、分かればよろしい! なんだ、ちゃんと言葉通じんじゃん。」

 テッドは、今度こそ、ちゃんと彼女の名前を呼んだ。それに満足したのか、彼女は般若から反転、満面の笑みを少年に向ける。ポンッと肩を叩かれて、彼は眉を寄せていたが、彼女の笑顔を真正面で受けて、その頬をうっすら赤くした。

 アルドは、二人のやり取りを見て、ようやく彼女の怒りが収まった事に安堵した。そして、ほんのり頬に赤みがさしているテッドを見て『おや?』と思う。
 彼女は、調子に乗って彼の頭をなで回しているが、子供扱いされるのが嫌なのか、彼はその手をバシバシ振り払っている。だが、彼女が先程のように怒ることはなかった。

 「んでさ、テッド。それで?」
 「それでって、なにがだよ?」
 「さっき、私に何か言おうとしてたじゃん?」
 「……あぁ。」

 テッドは、彼女の顔をまじまじと見た。彼女はニコニコ笑って「なに?」と言っている。
 実は、さっき「俺に近づくな。」と言おうとしていたのだが、あの般若顔に負けて言えなかった。最初に彼女を睨んだのも、その意味を含んでいたのだ。
 しかし、今更それを伝えても、目の前の女性は聞く耳を持たないだろう。むしろ、先のようにギャーギャーと怒られ目立ってしまっては、たまったものではない。

 言おうか、言うまいか。
 どちらを選ぶか考えていると、彼女は、苦笑しながら言った。

 「もう怒んないよ。」
 「……………。」
 「ってか、さっきはクソガキとか言ってゴメンね。本当は、そんなこと思ってないから。」
 「それは…………もういい。」

 喧嘩の後は、素直に謝ることを信条としているのだろうか。そんな彼女に、テッドは正直困惑した。
 確かに、そういうつもりがなかったとはいえ、最初に喧嘩を売るような真似をしたのは自分だ。それに対しては、少しだけ悪かったと思う。
 そして、そんな自分の態度を彼女は『ガキ』だと言ったのだろう。でも自分は、それに謝ってもいないのに、彼女は簡単に謝罪を述べてきた。
 どうして、そんなに簡単に・・・・素直に謝ることが出来るのだろうか。

 そんな彼の困惑を敏感に察知したのは、アルドだった。アルドはそっと身を屈め、彼女に聞こえないよう耳打ちする。

 「ちゃんはね。きっと、カッとなってきみに酷い事を言ってしまったことを、反省してるんだよ。」
 「……………。」
 「彼女、凄く優しいから。ガキって言って、きみを傷つけてしまったかもしれない。そう思ったから謝ったんだ。」
 「それぐらい……分かってる。」

 優しく語りかけるよう説明するアルドに、テッドはポツリとそう言った。
 ふと思う。どうして彼や彼女は、自分なんかに優しくするのか。自分に笑いかけ、何かとおせっかいを焼こうとするのか。二人だけではなく、に対しても、そう思っていた。
 今まで自分は、一人で生きてきた。今までも、そしてこれからも。ずっとそのつもりだ。誰かに頼ることもなく、依存することもなく。・・・・・・いや、してはいけないのだ。
 しかし、彼等は、それをこぞって崩そうとする。どれだけの拒絶を示してみせても、いとも簡単にその壁を壊そうとし、近づいて来ようとする。

 テッドは、決して人が嫌いなわけではなかった。人の温もりが欲しくないわけでもなかった。だが、自分がいくらそれを欲しても、手に入れてはいけない理由があることを、自分自身でよく分かっていた。

 『この身に宿る、この呪いがある限り……俺は……。』

 この船上でそれを知るのは、三人だけ。霧の船に入った、リノ、そしてキカ。
 その三人は、何も言わずとも誰かに『呪い』の話をすることはないだろう。何よりが、自分と同じ属性の呪いを持つ者なのだから。

 しかし・・・。

 例え、彼と自分の持つ呪いの属性が同じだとしても、テッドはにすら近寄られることを拒んだ。

 『これ以上、誰かをなくすのは……。目の前で、大切な人を失うのは……。』

 ふと、彼女が目の前で、手の平を上下に振っていることに気付いた。
 我に帰り睨みつけてやると、彼女は目をぱちくりさせた。

 「……なんだよ?」
 「いや、なんか目がイッてたからさ。どうしたのかなと思って。」
 「…………。」

 思わず黙り込む。彼女は、心配そうに見つめてきた。
 アルドも同じくだが、すぐ何か思い出したように、彼女に声をかけた。

 「そういえば、ちゃん。どこか行こうとしていたの?」
 「え? あぁ、そうそう! ご飯だよメシメシ! 食堂行こうとしてたんだった!」

 アルドの言葉で、ようやく当初の目的を思い出したのか、彼女が声を上げた。それを横目に、さっさと自室に戻ろうとした自分の腕を、彼女が掴んだ。

 「…………はぁ。まだ、何かあるのか?」
 「うん。テッドもさ、よかったら一緒にご飯しない? さっきのお詫びに、おごるよ。」
 「それは良い提案だね! テッドくん、一緒にどうかな?」

 なんと良いアイデアなのか! とばかりに、和気藹々と笑い合う大人二人組。なんとなく、その空気に苛立ちを感じた。
 それには、色んな感情が・・・・・交じっている。

 何も知らないくせに。
 孤独に戦い続けることの寂しさなんか。誰かに頼ることのできない辛さなんか。
 何も・・・何も・・・・。

 同時に、彼女の笑顔に対しても、苛立ちが募った。
 なぜ、そんなに簡単に、誰かに笑いかけることができる? 何が、そんなに楽しい?
 何も知らないくせに。何も、何も、何も・・・・・!!

 とにかく、苛々した。

 掴まれていた腕を、力任せに引き離す。驚いたように二人が自分を見つめた。
 怒りに、肩が震えた。何か違う空気を感じたのか、彼女が、心配そうな声を出す。

 「テッド、どうしたの…?」
 「……に……な。」
 「えっ、なに?」

 聞こえないよ、と耳を近づけてくる。そんな彼女を、両手で突き飛ばした。
 よろめく彼女を咄嗟にアルドが受けとめて、なにごともなかった。だが、やはりそれだけで治まらないのが彼女だった。

 「ちょっと! あんた、いきなり何すんの!?」
 「……………。」

 掴みかからんばかりの勢いで、彼女が詰め寄ってくる。
 それに慌てたアルドが止めに入ろうとするも、それを手で阻止して、彼女もアルドも睨みつけた。

 「俺に構うな!!」
 「テッドくん…。」
 「っ、頼むよ…。頼むから、俺に構わないでくれ……。」

 怒りを抑えるように、そう言った。
 そして、立ち尽くす二人に背を向けて、部屋に入り鍵を閉めた。



 「…………。」

 は眉を寄せた。そして、何か言いたげにアルドを見上げる。
 しかし彼は、小さく首を振ると、その手を取って食堂へ向かった。






 鍵をかけて、その場にへたり込んだ。
 扉一枚を隔てた先は、何人もの人たちの声、声、声。

 「頼むから……近づかないでくれ…。」

 天井を見上げた。そこには、昼の空も、夜の星も見えない。

 「もう……失うのは、嫌なんだ……。」

 肩を震わせ、額に手を当てた。
 ポタリと、小さな雫がこぼれ落ちた。

 その声を聞く者は、誰も、いない。