『これで……これでやっと、あんたと話が出来る』

 『どうして……どうして、きみは、僕の願いを聞いてくれないんだ?』



[すれ違う二人]



 手を引かれたまま、転移の波に飲み込まれた。光の中に漂うのは、無限のようでいて・・・・それは、ほんの一瞬のこと。
 とぷん。
 頭部、肩、腰、そして足が、空気に触れるのを感じた。閉じた視界に、徐々に光が広がっていく。それが完全な闇になったのを確認して、ゆっくりと目を開けた。

 先に波へ身を委ねたセラと白いコートの男は、既に波紋から足を遠ざけている。ならうように、ユーバーに手を引かれながらそこから出た。
 振り返り、まだ揺れている波紋を見つめていると、最後にルックが現れる。

 視線を外して、ユーバーを見上げた。上背のある男を間近で見上げるのは、首が疲れる。そう思いつつじっと見つめていると、彼はニヤリと笑う。それは、見ていて気持ちの良い笑みではなかったので、逃れるように視線を逸らす。
 彼の手は、とても冷たかった。体温を持たないのではないかと思うほど。冷たくて、滑らかで、剣を持つとは思えない美しい手だった。

 でもそれは、今の自分にとってどうでもいい事だ。止まれ。くだらない思考。
 譲れない誰かだけを救う為に、今は、この男の傍にいれば良い。

 目を閉じ、無心になろうとしていると、ルックが、無言で木製のテーブルに向かって歩き出すのを気配で捉えた。そういえばここは何処だろうと思い、目を開けて辺りを見回す。とりあえず、どこかの部屋なのは分かったが、場所までは分からない。
 魔術師の塔ではない。当たり前だ。ここは、あそこのように古びているわけではないし、むしろその造りは、新しい。テーブルも椅子も、内装の全てが。
 随分広くて新しい部屋だと思いながら彼を目で追っていると、その背を追うようセラが歩き出した。
 だが、その歩みは、ルックの意外過ぎる行動によってピタリ止まった。



 ドンッ!!!!!



 彼が、テーブルに拳を叩き付けたのだ。
 そして・・・・

 「ユーバー!!! 何故、勝手な真似をした!!!!!」

 これには、セラもだろうが、付き合いの長い自分ですら目を見張った。いつも冷静沈着で、表情を滅多に変えることのないあのルックが、声を張り上げ怒鳴りつけたのだ。
 いや、違う。この地に来てから一度だけ、彼の怒りを目の当たりにしたことがある。らしくなく声を張り上げる、彼の姿を。そしてそれは、必ず自分が関わった時なのだ。
 一度目は、アルマ・キナンでユーバーに「共に来るのなら…」と言われた時に。
 そして、今回も。

 疑問に思った。
 彼は、いつも「帰れ」としか言わない。会う度に決まって。どうして彼は、自分だけをそうまでして帰らせたがるのか。どうして、そうまでして自分だけを遠ざけようとするのか。
 レックナートの言った「止めて欲しい」という言葉。それは、彼が行っていること事態を意味するのだろう。だが、自分の存在というのは、彼にとって、理由を聞こうとするだけで行動を妨げるほどなのか?

 なんで? どうして?

 答えが出ないまま、ループだけを続ける。果ても見えずに。
 でも、いつか、それにも終わりがくるのだろう。

 「真なる水の紋章を………狙ってたんじゃ……。」

 思わず、口に出していた。それが他の誰かの耳に届く事はなかったが、思考が止まらない。

 彼が、やろうとしている事は?
 自分が止めなくてはならない、彼の行動とは?
 何を持ってして、自分は、動けば良い?
 どれが正解に近い?正解は、どこにある?

 彼は、水の紋章を狙っていたのでは?
 それなのに、どうして『炎の英雄の待つ地』とやらに?
 その名称通りならば、そこに水の紋章は無いはずでは?
 でも・・・・そこに、もし、『真なる火の紋章』があったとしたら?

 ・・・・・真なる水の紋章だけでない?

 彼が、狙っているのは・・・・・



 そこで、思考を中断する。視線を感じたからだ。そっとため息をついてから、顔を上げて視線の主を捜す。すぐに見つかった。白いコートの男だ。
 男は、自分を見つめているが、何か口に出す気配はない。それもそうだ。今、部屋は緊迫した空気が漂っている。気配だけで見れば、一触即発にも思えるほどに。

 と、ここで怒鳴られた本人が、全く悪びれた様子も見せずに平然と言い退けた。

 「俺の勝手だ。」
 「……やめろ、ユーバー。」

 そんな彼に声をかけたのは、白いコートの男だ。これ以上、ルックを怒らせるような事を言うな、と言っているのだろう。するとユーバーは、それを一瞥して面白くなさそうに鼻を鳴らすと、くるりと彼等に背を向けた。
 収まらない程の怒りなのか、ルックが、更にテーブルを殴りつけている。

 ・・・・・おやおや、まぁまぁ。珍しい。あんたが、そんなに怒るなんて。

 思わず苦笑する。
 と、ここでセラの視線。彼女は、『どうしたら良いのか?』と不安そうな顔。こんな時ではあるが、その瞳を見て、懐かしさにかられた。

 『この子って、困ったことがあると……よく、こんな視線を送ってきてたっけ…。』

 彼女の幼い頃を思い出し、じんわりした感情が胸に広がる。だが彼女は、我に返ったのか、慌てて目を逸らした。まったく。長年培われてきた癖は、そう簡単に直るものではないらしい。
 ・・・・・こんな時に、私は、なにを思い出に浸ってるんだ。
 もう一度笑いながら、次にルックの傍に立った。そしてその肩に手を置いて、小さな声で「…ルック。」と声をかけてやる。優しく。
 彼の動揺と憤怒の入り交じる心を、少しでも静める為に。

 いつも「帰れ」と言い続けているせいか、彼が、それに答えることはなかった。しかし怒りに肩を震わせながらも、それを何とか抑えようとしているその心が、手に取るように分かっていたため、ポンポンと宥めるようにその肩を何度もたたいてやる。
 すると、ようやく彼は、落ち着きを取り戻したようで、テーブルに両手をついて一つ深呼吸。背を向けられているのと、仮面をつけているので表情は見えなかったが、そのため息は、心の中にあるものを吐き出しているようにも思えた。

 彼は、ゆっくりと顔を上げると、仲間達に声をかけた。

 「セラ。アルベルト。………ユーバー。」

 「……はい。」
 「如何いたしましたか?」
 「…………。」

 彼の声に、セラは、先ほどの怒声に驚いたためか俯きながらも返事をし、アルベルトと呼ばれた白いコートの男は、静かに答える。唯一、ユーバーだけが背を向け返事を返さなかったが、ルックにとってそれはどうでも良い事らしい。
 状況が状況だったが、には、彼等のある程度の関係図が見えた気がした。

 「きみ達は、ここに残ってくれ。」

 「……分かりました…。」
 「承知しました。」
 「…………ふん。」

 それぞれ異なる返答をする仲間に頷いてから、ルックが視線を向けてきた。

 「きみに、話がある。ついて来るんだ。」
 「……はいよ。」

 彼はゆっくり歩き出し、この広い部屋に似合う大きな扉に手をかけた。とりあえず返事はしたものの、その背をなんとなく見つめるに留まる。
 だが、仮面の奥の瞳と目が合うと、弾かれたようにその後を追った。