[神殺し]



 転移の光に身を任せて、ハルモニアを離れた。

 全身が空気に触れるのを感じて目を開ける。そこは、彼がセラに命じた通りの場所。ビュッデヒュッケ城の城門より少し離れた場所だった。
 夕刻を過ぎ、辺りには、そろそろ夜の帳が下りるだろう。

 は、前方にそびえる城下町を見つめていたが、次に視線をセラへと移した。
 だが彼女は、目を伏せており、両手を胸元で握りしめている。目を合わせようとしていないのは一目瞭然。距離を置き、どこまでも自分を拒むその姿。

 この娘は、幼き頃、あの国で心理的に深い傷を負わされている。それこそ『魔道具』として扱われ、誰もいない狭き部屋に監禁されて。
 彼女にとってあの国は、トラウマを思い出させるだけだろうに。それなのに、ルックに連れられあの国へ戻り、『破壊者』の一員として身を寄せている。
 彼女がルックを慕っている、というのは昔から知っていたが、ハルモニアという国へ戻ってまで彼等がやりたい事とは・・・?

 「……セラ。」
 「っ…」

 声をかけただけで、ビクッ、とその華奢な肩が引き攣った。それにつれ、彼女の纏う青と水色のドレスの裾が、僅かに揺らめく。
 ただ、名前を呼んだだけなのに・・・・・。
 それ以上、声をかけられまいとしたのか、彼女は直ぐさま踵を返した。その仕草が『何も聞かないで欲しい』と言っているのは、嫌になるぐらい分かる。
 そうまでして、自分に介入されたくないのかと思った。そうまでして、自分をこの地から追いやりたいのかと思った。自分は、きっと彼等にとってただの『邪魔者』でしかないのだろうか、と。

 思考が、少しずつ落ちていく。ゆっくり、ゆっくりと。
 目を閉じてはまた開け、彼女に歩み寄る。その時、自分が無表情であったことなど、自分自身分からなかったし知ることもなかったが、その闇色の双眸に見つめられたセラは、それに酷く怯えた様子を見せた。



 夜の闇に支配され始め、現れた月灯りに照らされ近づいてくる、無機質な顔。
 セラは、思わず身を翻した。すぐさま転移を使おうと、逃げるようにロッドを振るう。
 しかし、阻まれてしまった。ロッドからは、キラキラと光が零れ落ちたが、腕を掴まれてしまえば、それ以上の行動に及べない。
 セラは、思わず顔を伏せた。そうさせまいと、彼女は言った。

 「セラ。」
 「っ…。」
 「顔を上げて。」
 「……離して……下さい…。」

 「…セラ。顔を上げなさい。」

 やっとの事で絞り出した言葉。けれど彼女は、子供を叱るような口調で遮った。
 いつもより少し低めの声。その声色を聞いて、彼女が怒っているのだと気付く。セラは、また肩を引き攣らせた。
 けれど、自分の腕を取るその右手が、とても優しかった。思わず涙が出そうになる程に。
 それを隠そうと俯き、彼女の言葉に逆らう。咎められることはなかった。代わりに優しく体を抱きしめられる。

 「セラ…。あんた達は、何をしようとしてるの?」
 「……言え……ません…。」
 「…そっか。でも一つだけ聞かせて。その目的は、カラヤクランを焼き討ちして、色んな人を傷つけて、命を奪って……それでも果たさなくちゃいけない事なの?」
 「……………。」

 その言葉に反応してはいけないと、分かっていた。分かっていたはずなのに、思わず顔を上げてしまう。
 間近で、彼女と目が合った。その瞳に映る自分は、困惑と躊躇の狭間で揺れ、罪悪を伴っていた。



 一瞬、セラの体が跳ねたことで、理解した。それが躊躇と困惑であることを、即座に見抜いた。そして、セラがそれに対し、酷く罪悪を感じていることを。
 あえてカラヤクランの話を持ち出し、『人を傷つける』という言葉を使ったのは、彼女が、本当に自ら望んでルックと共に行動しているのか知りたかったからだ。もし僅かな反応があれば、きっと彼女は、戸惑いながらも『それ』を実行したのだろう。

 予想通り、彼女が見せた小さな反応。やはり、あの一件を後悔しているのだ。それが彼女達の『目的』とやらに必要な事だったのかもしれないが、やはり聞いて良かったと思った。

 「でも、どうして?」
 「……セラは………ルック様の示す道を、共に歩むだけです……。」

 そう言い身を離した彼女の背を見ながら、酷く後味の悪い答えだと思った。
 あくまで彼女の意思は、『目的の為』ではなく『ルックと共に行く』ことなのだと。
 迷いながら、自責しながら・・・・”死”への道を歩むのか?
 そう考えて、思わず「待って…。」と、その肩に手をかけようとした。しかし、それが無造作に払われたことで、全身が固まる。

 「セラ…。」
 「あ…」

 彼女も無意識だったのだろう。自分の手を払った直後、驚いた様子で振り返り、戸惑った顔。
 ・・・・本当に、本当に自分を情けなく思う。なんと不甲斐ない母親か。
 思わず、その気持ちを顔に出してしまった。行き場を失った右手を力なく落とし、顔を俯かせてため息。
 あぁ、やはりあの時、自分は離れるべきではなかったのだ。

 それは、つい口について出た。

 「やっぱり…………あの時、あんたを置いて出て行かなければ、こんなことには…」

 それが本音だった。
 どうしてあの時、彼女をルックに任せて旅に出てしまったのだろう。もし彼女だけでも連れて行ったなら、”今”は、確実に変わっていたはずだ。
 それなのに・・・・・

 直後、セラに動揺が現れたことに気づき、顔を上げた。

 「っ、違います、違うんです…………セラは……!!」

 彼女がここまで動揺を見せることなど、滅多に無かった。
 自分の言葉で彼女を傷つけたかもしれないと思い、落ち着かせる為、その肩に手をかける。

 その直後。

 自分でもセラでもない、第三者の気配。
 僅かに眉を寄せた。
 暗闇の中で佇む『何か』。それが人でないことに気付いて、あぁ、と思う。

 「セラ、大丈夫…。ちょっと待ってな。」
 「…はい……。」
 「うん、良い子だね。」

 ふ、と視界に過る『なにか』。それは、自分の背後で動きを止めた。
 黒くて大きな影。月明かりに露になった影の正体に、セラが訝しげな顔で問うた。

 「…ユーバー? なぜ、あなたがここに…?」

 ユーバーは小さく笑い、セラの問い掛けを無視して、言った。

 「やるな……。」
 「…あんたの気配は、独特だからね。すぐに気付いたよ。」



 その二人の会話に、セラは頭を悩ませた。
 いったい何の話をしているのか考えながら、の腰に目を移す。そこにいつも括られているはずの刀が無いことに気づき、そのまま視線を上へ上げた。
 抜き放たれた彼女のそれは、その背後に立つユーバーの首筋に正確に当てられていた。対する彼も、いつも袖に仕込んであるはずの双剣の片割れを、彼女の首筋に当てている。
 両者共、恐ろしいほど狙いは正確だった。



 まったく、つまらない茶番だ。そう思いながら、は獲物をしまった。
 続くように彼が獲物をしまったのを確認して、振り返る。

 「あーっと…。後でルックに怒られたら、ごめんね…。」
 「フッ、痛くも痒くもない…。お前が心配するようなことは、何も無い…。」
 「…そっか、ありがとう。でも、ちょっとだけ収穫あったから、お礼は言わせてよ。」
 「ククッ…。」

 首筋をかきながら、礼を言う。
 彼は、喉を鳴らして自分の右手を取った。

 「………利用しちゃって、悪かったね。」

 謝罪の言葉も出たが、彼は、それに答えることはなく、ゆっくりと創世の眠る右手を撫でた。
 だが、次に何を思ったか、腰に手を伸ばしてきた。不意をつかれて抱きしめられる。それは、殺戮を好むこの男とは思えぬほど優しい手つきだった。見上げた彼の顔は、酷く安らかに見えた。母親の腕に抱かれ安堵を得た、赤子のように・・・。

 直後、腰を抱かれたまま、彼の近距離転移に付き合わされた。いったいなんだと睨みつけるも、彼は背後を指差している。そちらへ目を向ければ、セラが「ユーバー!」と怒声を上げながらロッドを振る姿。彼女が、その頭を殴ろうとロッドを振りかざした所で、転移で逃げたのだ。

 「あんた…。あんまり、あの子を怒らせるような事しないでよ…。」
 「ククッ…。」

 彼は、なおも喉を鳴らして笑う。それまで変わらず安堵の表情をしていたが、途端、いつもの不気味な笑いに戻ったことで、眉を寄せた。
 ・・・・今度は、何を企んでいる?

 身を離そうとすると、逆に強い力で更に抱きしめられた。格好としては、彼の胸の中で頭を固定された状態だ。
 何をする。そう言おうとした。

 その時。


 「……神を……………殺す。」



 「……?」

 彼は、耳元で声を潜め、そう言った。
 突然放たれた言葉。思わず眉を寄せて、その顔を見上げる。だが、どういうことだと問う前に、彼は冷たい顔で笑うと身を離した。答える気など、毛頭無いのだろう。
 タイミングを逃したと思い臍を噛んでいると、彼は、未だ激昂しているセラの元へ行き、右手を掲げた。怒りに震える彼女をものともせず、ニヤニヤと笑いながら。

 彼等が、波打つ波紋へ吸い込まれて行ったのを、ただじっと見送ることしか出来なかった。






 月明かりが、自分を照らす。
 少し歩けば、今の自分の塒が見えるはずだった。きっと、そこでルカも待っているはず。
 しかし、足が動かない。動けなかった。

 頭の中で先ほどの彼の言葉が、繰り返し響いているのだ。

 『……神を……………殺す。』

 神・・・・・?
 神を、殺す?
 神とは、なんだ? 神なんて、この世界には居ないじゃないか。
 それなのに、いるはずのない存在を、どうやって殺す?

 あいつは・・・・・・自分に、何を言おうとしていた?

 ふと目眩。次に、ズキッと頭に走る鈍い痛み。それが、あの空間へ自分を引きずり込むものではないと思えたのは、その規模故だろう。
 けれど”声”は、自分に何かを伝えようとしていた。

 はっきりとした意識の中で、頭なのか耳なのかも分からない場所に、”声”が響いた。



 ──── 思い出せ ────