[尋星の行方]
闇を彩る星が、瞬きを繰り返す。そんな星空の下、動くことはなかった。
ずっとずっと考えていた。『神を殺す』というその意味を。
自分の捨てた世界には、様々な神が、その信仰の対象となっていた。それは、信仰深い人々の願いを叶え、全ての者達に与えられる幻想という名の想い。それらは各国に存在し、時として思想の違い故、戦の元ともなっていた。
それらを全否定はしない。しかし自分は、どちらかといえば『存在しないだろう』と考える部類であった。『それ』は、存在としてではなく星そのものであり、また宇宙という意味で捉えている、と。
祈り、願い、想うことを否定したくはなかった。
けれど・・・・・
それなら、なぜ戦争というものが起こるのかと常々思っていた。もう戻れぬ故郷を想いながら。
本当に神がいるというのなら、それが無償の愛を示しているのなら、戦争など起こらないではないか。悲観の内に死すこともなく、誰も彼もが、皆、幸福を得ているはずではないか。
神がいるというのなら、なぜ戦うことを止めてはくれないのか。それを『試練』だと言う者もいるが、どうしてそれを何度も繰り返させるようなことをするのか。
どうして、それでも神とは、私達を生かすのだ?
ずっとそう思っていた。それは、今でも時折頭に思い浮かぶことであり、それに対する『答え』は、まだ見つからない。
しかし、答えは見つからずとも『結果』として自分が思うことは、いつも一つだった。
『この世界にも、どこにも……………神なんていない。』
それが今、自分の中にある『答え』だった。どの世界も、生きる者に平等なのは、唯一”死”であること。
しかし、この世界では、それすら覆される。真なる紋章という巨大な力を得れば、よほどの致命傷を負う事がない限り、老いることも死ぬこともない。
誰もが一度は、望むであろう『不老』。自分もそう想ったことはあった。だが、実際にそれを手に入れると、それがどれだけの精神的な苦痛を与えるのか、体験して理解した。
その長過ぎる時の流れに、忘れたようにただ存在し続け・・・・苦しみ、嘆き、泣き叫び、全てを呪うのだ。
それを味わった時に、人は始めて『不老という苦行』を実感するのだ。
「あぁ……駄目だ。話の軸がずれる。」
ポツリともらして、再び頭に本題を呼び起こす。
ユーバーは、神を殺すと言っていたが、この世界に『それ』が存在していたとしたら?
けれど、その存在の名を聞いたこともなければ、それを信仰しているという話を聞いたこともない。
では、彼は、なにを指してそう言った?
そういえば、自分の世界には、実際に神として崇められているものはいたが、それが現実に姿を現したという話は聞いたことがない。
・・・・・・・・・いけない。どうにも話がずれる。
まったくもって、どうしてこんな性分なのだろう。
「っ……え?」
突如目の前が光った。正確には、光が現れた。
この光を知っていた。しかし同時に『なぜ?』と思う。
光は、一瞬強く光ったが、すぐに消えた。
そこから現れた人物に眉を寄せる。ルックを止めて欲しい、という願いを自分に託した本人が、そこにいたからである。
「……。」
「レックナートさん……なんで…?」
思えばこの地へ赴いて以来、初めて顔を合わせた気がする。久しい。
彼女に聞きたいことが、いくつかあった。口を開きかけると、彼女はそれを制し、言った。
「ハルモニア軍が………チシャクランを陥落させました。」
「……チシャが?」
自分達の去った後、また侵攻されたのかと歯を噛み締める。
すると彼女は、胸に手を添えながら静かに続けた。
「チシャの次に狙われるのは、ダッククラン。そこには……セラが現れるはずです。」
「……セラが?」
彼女が名を上げた娘とは、つい先ほどまで共にいた。
それすら分かっていたのだろう、彼女は、心持ち顔を伏せる。
「それは………星見で、ですか?」
「…………。」
その問いに、彼女が答えることはなかった。その赤く色づいた唇を閉ざし、その場は沈黙に支配される。長い沈黙だった。それは、まるで彼女が『言うべきか、言わざるべきか…』と、計りかねているような。
ふと、自分の刀の柄で揺らめいていた紐──長いダークグリーンの紐の両端に、翡翠のつけられている──が、カチンと音を鳴らした。それに弾かれたように、彼女は言った。
「……歯車が…………狂い始めているのです…。」
「歯車が?」
「…………はい。」
その言葉の中、それでも彼女がルックを救いたいと願っている事を見逃さなかった。例え運命をねじ曲げてでも、愛する我が子を救いたいと思う、彼女のその想いを。滅多事では外に出ることのない彼女の、唯一の願い。
「私は、バランスの執行者。運命を見届ける者。ですが…」
「…レックナートさん。あなたは、そういった使命の執行者である前に、ルックの母親なんです。人間なんです。あなたは、私にその願いを託したじゃないですか。私は、それで良いと思います。あなたは、執行者である前に、一人の親なんですから。」
「……。」
彼女は、運命のバランスを計り、それを見届ける者だ。大いなる戦いを前に、その執行を放棄することは出来ない。けれど彼女は、それでも人だ。執行者の責務を負う以前に、一人の人間の親なのだ。
それが心の枷となっていたのだろう。けれどそれは、今の自分の言葉で打ち砕かれたようだ。顔を上げた彼女の表情は、少し晴れやかに見えた。その肩に背負う荷を、少しだけでも自分の言葉で下ろすことが出来て良かったと思う。
そういえば、と。以前思っていたことを、少しずつ聞いてみることにした。
「ところで……。いくつか、あなたに聞きたいことがあるんですけど…。」
「なんでしょう…?」
「『約束の石版』は、まだ天魁星となる者に渡してないんですか?」
「……まだ、その時ではありません。ですが、時が来れば、必ず…。」
「そうですか、分かりました。それと、もう一つ……。」
彼女は、答えてくれた。聞きたいことは、もう一つ。
そして、それこそが、自分の頭を悩ませているものだった。
「『神を殺す』……。その意味を、あなたは知ってますか?」
「……………。」
それが分かれば、何かしらのヒントになるはずなのだが、彼女は口を閉ざした。それは『言えない』を意味する。
それは、なんだ? 彼女が閉口するということは、やはりこの世界に、神は存在するのか?
いったい何が、どういった存在が、”神”と呼ばれるものなのか?
腕を組んで思考に集中する。目を開けていながら、現実世界から意識が遠退いていく。
すると彼女は、小さな、本当に小さな声で言った。
「”神”とは、この世界……そして、万物の”理”を司る物……。」
「この世界の万物? 理…? ……そんな、まさか!?」
思わず目を見張った。『答え』を見出したからだ。
・・・・・・あった。あったじゃないか。
この世界で、唯一”神”と呼ばれ恐れられているものが。この世界の理を、万物を司っているものが。それが、この世界には”存在”していたではないか。
・・・・気付かなかった。自分ですら持っているのに。目の前にあったのに。見えていなかった。何故、それを忘れていたのか。
「真なる、紋章……?」
でも、待って・・・・・ちょっと待って。
『神を殺す』ということ・・・・・それが意味するものは?
それが、彼等のやろうとしている・・・・・・『目的』ということ?
彼等は、紋章を集めている。だがルックは、ハルモニアの神官将だ。
それなのに、集めた紋章を壊す? 壊してどうする? 何のメリットがある?
集めて壊すことが目的だというのなら、ハルモニアに入った理由は?
あの国にいれば、紋章を集めやすいのは分かる。何しろあの国は、大国であり、抱える兵力は底が知れない。
でも・・・・・待って。それじゃあ”壊す”意味が分からない。矛盾してる。
ここで浮かび上がったのは、一つの仮定。
もし彼等が、紋章を壊すことを『最終目標』に掲げているとしたら?
ハルモニアに加担した理由は・・・・・・神官将という『地位』が必要だっただけ?
口さえ上手く回せれば、大国の指揮官として、兵力を自分の思うように動かす事が出来る。本国に気付かれさえしなければ、紋章を奪い取り、『神を殺す』という行為を実行出来る。それなりの頭脳を持っていれば、あの国を欺き、己の『目的』を実現出来る。
・・・・・・・・。
だが、それではリスクが高い。相手は、世界的に悪名高いあのハルモニアなのだ。本国に目的を気付かれれば、知られてしまえば、命すら危うい。
そもそも、誰の為に紋章を壊す? 何の為に壊そうとしている?
紋章を壊すということは、運命に逆らうということ。”理”を排除することであり、万物を否定すること。
神を殺して、彼は、いったい何を得る?
何を・・・・・得たい?
彼は、確かに真なる紋章を狙っていた。真なる水の紋章に、真なる火の紋章。
でも、と思う。仮にもし、それらを得たとして、その全てを破壊するのか?
いや、そもそも、真なる紋章の破壊など可能なのか?
では、もし、それが可能であったとしたら?
どんな方法を使うのかは分からない。でもマズいことになるのは、否応なく想像出来る。もし彼等が、紋章の破壊に成功してしまったら、それは、グラスランド全域を吹き飛ばすほどの損害を与えるだろう。
『あの時の…………50年前に見た暴走より、もっと酷いことになる……。』
これ以上の思慮は、混乱を招くだけ。そう思い、とりあえず区切りをつけた。
彼が、なぜ紋章を破壊するのか分からない。
彼が、どの紋章を破壊しようとしているのか、それが全ての紋章なのかも分からない。紋章を壊してまで、彼が得たいものも・・・。
だがどちらにせよ、それを止めなくてはならない。止めなくては、この地にも彼にも”未来”は無い。
「私は………あの子を、絶対に止めます。」
何があろうとも、どんなことが起ころうとも。
彼を止められるのは、自分だけだ。
この地の未来が消し飛ぶ前に、彼の命を救う為に、自分が止めなくてはならない。
「……………。」
師に呼ばれ、顔を上げた。
彼女は、ゆっくりとした口調で言った。執行者ではなく、人として。
「創世の紋章の封じられていた、更なる力………………その封印を解きます…。」