[解放]



 レックナートと別れる頃、世は、既に白み始めていた。
 うっすらと見える日の出が眩しい。待ちこがれていたような、でも、もう少しだけ闇に沈んでいてほしかったような。そんな気持ちだった。
 だが、そんな自分の心情に関係なく陽は昇り、また落ちていく。いったい、もうどれだけの日々を過ごして来たのか。それを数えるのも面倒だと匙を投げたのは、ずっとずっと昔のこと。

 朝の匂いを醸し出した空気を胸いっぱいに吸い込みながら、欠伸をする。
 ビュッデヒュッケ城に戻ることも可能であったが、生憎この地での時間は、そう残されていないらしい。夜が明ければハルモニア軍は、すぐにでもダッククランを狙うだろう。
 そう考え、一つ大きな伸びをして、はその場から転移した。






 光が収まり、目を開けた。ダッククラン周辺の小高い丘。
 クランより少し遠いその場所からは、戦場一帯が見渡せる。
 まだ夜が明けたばかりだというのに、すでに戦闘は始まっていた。

 まずハルモニア軍を見て、違和感を感じた。その数が異様に多いのだ。というよりも、この周辺の地理に不似合いなほど敵の数が多い。幸い地理では、グラスランド勢が有利なのか、なんとか侵攻を防いでいるようだが、それも時間の問題だ。

 「……………。」

 長年の旅生活で培われた視力をフル活用して、グラスランド勢へと目を向ける。ダック兵にリザード兵。その中には、人間も交じっている。
 よくよく見れば、その中の一人に見覚えがあった。女性にしては、すらりとした長身に、褐色の肌。そして、それとは対称的な黄金色の髪に、戦に長けた鋭く尖る歴戦の戦士の目付き。
 その印象。自分の記憶の中の、ある人物とピタリと一致する。

 「……………ルシア?」

 思わず声に出すが、それが誰かに届くことはない。自分がいるのは戦場ではなく、そこから少し離れた丘だ。180年も生きてきたくせに、彼女の成長を見て『15年』という時の流れを重く感じてしまう。だが、そう考えた自分が、酷く滑稽に思えた。

 次にハルモニア軍に目を向けた。そこでまたも異変に気付く。グラスランド勢を続々取り囲もうとする軍の一角で、やけに兵が取り巻いている場所があるのだ。
 目を細めて、もっと良く見えるようにと見つめると、その中心にいたのはセラ。彼女は、目を閉じロッドを掲げて、何やら詠唱中のようだ。

 ・・・・・あぁ、なるほどね。

 昨夜、レックナートの「彼女は、幻術を駆使するでしょう…。」という言葉を思い出す。そしてヒューゴという少年達が、その幻術を見破ってセラを狙うだろうことも。
 そんなことまで喋って大丈夫だろうか、と心配にはなったが、大丈夫だから彼女は話したのだろう。
 幻術は、術者の集中を解いてしまえば、脆くも崩れ去るものだ。しかし、あの幻術の中にはたして本当の『軍』といわれるものが、どれだけ残っているのだろう。
 あの娘、無理のし過ぎで、体を壊さねば良いが・・・。

 ふとグラスランド勢に目を戻せば、師の言った通り、赤い服を纏った少年──たぶん、あれがヒューゴだろう──が、セラの部隊へ殴り込みをかけようとしていた。しかし彼女の部隊は、多数の兵で囲まれており、その集中を解くまでには、時間がかかりそうだ。下手をすれば、その前にダッククランが落ちる。

 「……はぁ。やっぱり、やらなきゃ駄目だよね…。」

 その懸念が現実になる前に、と、その言葉と共に自嘲気味に笑う。
 続けて、ゆっくりと右手を掲げた。師により封印の解かれた『創世の紋章』の新たな力を、この目で見る為に。
 そしてヒューゴという少年を、ダッククラン陥落前にセラへと導くために。

 ・・・・・・・託された”先”を、変えるために。

 目を閉じて、右手に意識を集中する。はたして上手く出来るかどうか不安が過ったが、それでも意識の集中を解くことなく、詠唱を始めた。

 「さぁ、風よ…。我が意思を受け、我が意志に呼応し………その力を解き放て!!!」

 風が、咆哮を上げた。







 カラヤ衣装に身を包んだ少年は、『魔女』と呼ばれる女性の部隊へ猛攻をかけていた。だが、倒しても倒しても兵士が減る気配は一向に無い。忌々しいことに、その数は、むしろ増える一方だった。

 「くそッ、どうなってるんだよ!?」
 「ヒューゴ、そう苛々するな。お前の悪い癖だぞ。」
 「分かってるよ、軍曹。でも…!」
 「…とにかく、今は、目の前の敵を倒すことだけ考えろ!」

 目元の涼しげなダック、ジョー軍曹に「分かってるよ!」と言って、少年は、短剣を構え直す。
 だが、突如として巻き起こった巨大な突風により、戦況が一変した。






 『魔女』の異名を持つ女は、兵士達に囲まれた中央で詠唱し続けていた。セラだ。
 彼女は、近づいて来る敵部隊の気配へ向けて、自身で作り出した幻影部隊を次々に当てていく。近づこうとしている部隊は、己の集中を解くためのものだ。敵に部隊の殆どが、幻影であると気付かれたのだろう。そう確信した。
 幻影を生み出す。迫りくる敵部隊よりも早く『生産』し、自身を守りながら当てていく。

 しかし、それも束の間だった。

 「きゃっ…!!?」

 突如、部隊───彼女の周りの──すべてを巻き込む突風が、襲いかかった。いや、突風と呼べるほど生易しいものではない。むしろそれは『風の刃』と例えるのが適切なほど強靭なものだった。
 途端、解かれる集中。セラが目を開けるのと同じくして、生み出していた幻影が消え去る。セラは、その鋭利な刃として襲いかかってきた風に、驚愕のあまり目を見張った。その気配を知っていたからだ。

 「こ、これは……真なる風の………。でも…。」

 内心『そんなこと、あるはずがない。』と否定する。『真なる風の紋章』を所持する彼が、自分達を攻撃してくるはずがないのだ。
 それよりも彼は、この戦に参加していない。それなら、これはいったい・・・・。

 予想外の事態に困惑し、どうするべきか迷っていると、自分が警戒していた赤い服の少年部隊が、突撃してくるのが見えた。






 結果として軍配は、ハルモニア勢に上がった。グラスランド勢が、戦況不利とみてブラス城へ撤退したのだ。
 だが、ヒューゴ部隊の不意打ちによって、セラ率いる幻影部隊は壊滅。

 そこまでは、よかった。

 しかし、ヒューゴ達がセラ部隊に勝利した直後、ユーバーが立ちはだかった。同じくして、味方部隊より『撤退』の合図。
 ヒューゴ達は、以前ユーバーという男の実力を身を以て経験していた。その件もあったが、ジョー軍曹に「俺達の役目は、魔女の集中を解くことだ。それは成功したんだから、撤退するぞ!」と言われ、引いたのだ。



 セラにとって、グラスランド勢が撤退したことも、ハルモニア軍が勝利したことも、今はどうでも良かった。
 別の疑問が、頭の中を蠢いていたからだ。

 「何故………真なる風の紋章が……?」

 ロッドをついて立ち上がり、思案に暮れる。
 その傍にはユーバーがいたが、彼も不可解そうに眉を寄せ、小さく舌打ちしていた。