[統べる者]
セラは、それから暫く考えていた。
普段から透き通るような白をしている顔色は青ざめ、桜色の唇が色を無くしている。
先ほどの、あの風。
それは、自然に巻き起こったものではない。真なる紋章の力であると、あの時、感じた風の”意思”がそう言っていた。
すると、今まで不審顔をしていたユーバーが、「どうした?」と問うてくる。
「ユーバー……。先ほどの、風は……真なる…」
「……やはりそうか。」
「では、あなたもそう感じたのですね?」
「あぁ…。」
互いに決して目を合わせることなく先の突風の見解を話す。ユーバーも同じく、紋章の力であると感じたようで、顔を上げてみれば、その眉間には僅かだが皺が寄せられている。
「チッ! あの男……いったいどういう了見だ!?」
「………あれは、僕じゃない。」
ユーバーの舌打ちに返ってきたのは、抑揚のない声。セラが声の方へと目を向けると、そこには、この戦いに参加していなかったはずのルックの姿。
「ルック様……。」
「……グラスランドの軍は、撤退したようだね。」
「はい。ですが……。」
足下から僅かに光が波打っているあたり、恐らく転移で来たのだろう。それもかなり大急ぎで。本来参加する予定のなかった彼が、戦場に姿を現したのは、彼自身も真相を確かめるためだろうか?
そう考えていると、ユーバーが口を開いた。
「では、あの風は……お前の仕業ではない、と?」
「……そうだよ。」
「だが……あの強大な力は、真なる紋章のそれだったぞ…?」
「……僕も、きみ達と同じだよ。真なる紋章を使用する気配がしたから、ここへ来たんだ。……………。」
解答にならない返答をして、ふと彼が額に手を当て黙り込んだ。どうやら、なにか思い当たる事があったらしい。その仕草だけで、常時仮面に隠されて見えることのない眉間には、皺が刻まれているだろうと分かる。
思案の末、結果を見出したようで、彼は顔を上げると、まるで独り言のように呟いた。
「………もしかして………レックナート様が、とうとう彼女に……?」
「ルック様…? いったい、どうしたのですか……?」
その小さな呟きを、セラは聞き逃さなかった。故に問う。
すると、彼は答えた。
「あれは、たぶん…」
「……すーぐに私の仕業だって、ネタばらしするつもりー?」
その言葉を遮った声。この地で使っていた声色でない、本来の高さ。
すぐに声の主を察し、セラは、慌てて振り返った。そこに立っていたのは、昨夜まで共にいたはずの。
と、ここでセラは、言い様のない違和感を感じると共に、全身が震えた。
彼女の声は、とても明るく聞こえた。まるで子供のように無邪気に。だがその中に、いい知れぬ冷徹さを感じる。
そして、その顔を見て寒気がした。声とは打って変わり、なんの感情も示していないのだ。笑っているわけでも、怒っているわけでも。全くと言っていい程、感情が見られなかった。
ここで違和感の正体に気付く。それは、声と表情の『落差』だ。
無邪気な声に、にこりともせぬ無機質な顔。それが、更に彼女の存在を冷たく見せていた。
唯一、その感情を知ることの出来る瞳も、目元まで覆われたバンダナのせいで今は見ることが叶わない。
「やっぱり………きみが……。」
ルックがそう言った。すると彼女は、微動だにせず、かつ表情を全く動かすことなく彼を見据える。それが『肯定』であったことは、その場にいた全員が理解した。だが、ここで口を開く者はいない。彼女の全身から放たれるオーラに気圧されていたからだ。神々しいような、でも一歩間違えば、禍々しくもあるその気配に。
セラは、そのオーラを神々しいものと認識した。反対にユーバーには、酷く禍々しく映ったのだろう。目を向ければ、彼は、口元を緩ませウットリとした顔をしている。
・・・・・・それなら、ルック様は?
セラは、それが恐ろしく気になった。
「どういう……ことですか…?」
張りつめる空気の中、やっとのことで絞り出した言葉がこれだった。誰に問うているのか、自分自身でも分からない。それが彼に対してなのか、彼女に対してなのかも。
すると、彼が顔を上げた。
「の………右手に宿っている紋章のことは、知っているだろう?」
「はい…。」
「さっきの風は………それが成したことさ。」
「創世の、紋章が…?」
伺うように見つめると、彼は、一つ頷いて続ける。
「…そうさ。彼女の右手に宿る紋章は、”共鳴”した相手の紋章なら…………いつでも使用することが出来るのさ。」
「へぇー。あんたは、レックナートさんに聞いてたんだ?」
と、ここで彼女が、意外そうな声を出して口を挟んだ。続いて、クスクスと笑うその声色。
それを耳に、思わず背筋が凍り付く。
「……そうだよ。でも、それは………封印された力だと聞いていた。」
「へー。それじゃあ、封印を解いてもらった、って言ったらどうする?」
「……………。」
それは、まるで面白がり茶化す子供のようだった。声を上げて笑っていないことが、本当に不思議に思えてしまうぐらい。
ルックが、仮面内で眉を寄せているのが、セラにはよく分かった。それすら気にならないのか、彼女の表情が変わることは、一向にない。
悪寒が、止まらない・・・・・。
彼女のここまでの落差を、今まで一度たりとも見た事がなかった。自分が幼い頃から共にいたが、まったく初めてのことだった。放たれるそのオーラに戦慄する。なんと神々しくも、禍々しい存在なのか。
その圧倒的な存在感に、思わず顔を背けた。
「僕の目的が、済むまでは………それだけは、知られたくなかったよ。」
「だろうねぇ。昨日、徹底的に『邪魔してやる』って言われたばっかだもんねぇ?」
「……面倒な事になるとは思ってたよ。」
「ふふっ…。」
今、この場を心から楽しむようにクスクス笑う彼女。恐くて、目が合わせられない。
すると、彼女は「ねぇ?」と言った。
「それならさぁ、ルック。」
「……なんだい?」
「面倒ついでに、一緒に魔術師の塔に帰らない?」
「……………。」
あっははははッ!!!
続けて上がった彼女の笑い声に、セラは、恐ろしさの余り泣きたくなった。
さらりと言われた言葉に、ルックは、内心ドキリとした。それは、いつものような重苦しい言葉ではなく『嫌なら別にいいけど』といった意味合いが含まれていたからだ。
それよりも・・・・今、彼女の目を見てしまえば、自分がどうにかなってしまいそうな気がした。帰ってしまうかもしれない。「分かった」と二つ返事で、差し出されたその手を取ってしまうかもしれない。未来の解放を放棄して・・・・。
理由は、分からない。考えを遮断するように、見えない”力”が働いている気がした。いつもなら、すぐにそれに「No」と答えられるはずなのに。今までにない、彼女の尋常ではない雰囲気に取り込まれてしまいそうだった。
セラも同じく、彼女の変容を感じ取ったのだろう。彼女から視線を外し、決して顔を上げることなく、彼女の唇から発される『見えない力』に抗おうとしているようだった。
だが、ふと、彼女の醸し出す空気に、一つの言葉が浮かび上がった。
『”人”では無い』
直後、否と返す別の自分。
そうだ。彼女は人だ。今まで見て来た誰よりも、人間らしいじゃないか。
誰かと屈託なく笑い合い、戦の凄惨さに泣き、誰かが泣いていれば困った顔をし・・・。
誰よりも、人間らしいじゃないか。
でも・・・・・・・・・今は違った。今の彼女は、人ではない。
人といえる存在では、決して・・・・・。
今だけは、それを全否定できるぐらいに、その存在に違和感を感じた。
それなら・・・・・?
上げるとするならば、なんだ?
『─神─』
否定することすら許されないような、絶対的な存在。
絶対的で、何があろうと、何が起ころうとも、決して揺るがない存在。
ルックは、今日この日、始めて彼女を『恐ろしい』と思った。