[きみふたり]
「僕は……。」
「嫌なら、無理強いはしない。と、言いたいところだけどー。」
「帰らない!!」
ルックは、強く言い放った。きみと共に帰るつもりはない、と。
その答えも予想していたのか、彼女は、尚も声だけでクスクス笑う。
「それならさ、質問を変えるよ。あんた達は、この地で何をしようとしてんの?」
「僕らは…。」
「なんで、ハルモニアなの? クリス達と敵対する理由は、真なる紋章なんでしょ? この地で眠ってる紋章が欲しいんでしょ? でもさ、手に入れてどうすんの? あんた、もう宿してるじゃん。手に入れたって、もう宿せないじゃん。」
「それは…」
「それとも、あんた………神官長のヒクサクにでも、取り入るつもりなわけ?」
「…!」
その質問で、ルックは、我に返った。
危ない所だった。危うく全て彼女に話してしまいそうになるところを、『ヒクサク』という言葉で持ち直したのだ。
そんな自分の心境を知ってか知らずか、彼女は続けた。
「あんた、権力になんて執着なかったじゃん? なんでなの?」
「きみには……関係ないことだ。話は、お終いだ。これ以上、僕たちの邪魔をするのなら、きみも…!」
そう言って、手を掲げようとした時だった。彼女と目が合った。
ゾクリ。彼女の双眸が、その声とは裏腹に、凍るような色をたたえながら自分を見つめていた。思わず体が凍り付く。
クスクス。また笑い、彼女は言う。
「『神を殺す』ね…。あんた、紋章を壊すんだって? それって本当なの?」
「っ!」
瞬時に、それを教えたであろう男を仮面の奥から睨みつける。睨まれた男──ユーバーは、面白そうに口元を歪ませていた。
クスクス、クスクス。笑い声だけが、この場に木霊する。
「ルック。あんた矛盾してるよ? ハルモニアにいるくせに、紋章を壊すなんて。でも、思ったんだよね。ハルモニアに入った理由が、紋章を集めるためだけで……大軍を動かすためだけで、神官将っていう地位が必要だっただけだとしたら? って。ふふ…。もしかして、これって当たっちゃってたりする?」
「っ……。」
再度、右手を掲げた。
もう、彼女の目は見ない。・・・・・・・・絶対に。
「…でもさ。どうしても分からないことが、あるんだよね。紋章を壊すことで、あんたにいったい何のメリットがあるのかってこと。そもそも、あんた……なんで紋章なんか壊したいと思ったの?」
「………もう引いてくれ、。」
これ以上、もう何も言わないでくれ。そう願いながら、詠唱を開始する。
クスクス、クスクス。笑いは、それでも木霊する。
「それに、本が好きなあんたのことだ。知らないわけじゃないよね? 50年前に起こった真なる火の紋章の『暴走』のこと。暴走であれだけだったんだから、紋章を破壊するとなれば、この辺り一帯が吹き飛ぶよ?」
「ククッ……まるで、見てきたような言い方だな…。」
面白がるように、ユーバーが横から口を挟む。
それを睨みつけながらも、ルックは、詠唱を止めなかった。
「ふふ…いたよ。あの時、あの場で………私は、全部この目で見てたからね。」
「なるほどな…。お前もあそこに居たのか…。」
「……ユーバー、少し黙れ。」
詠唱を終えてから、彼を後ろへ下がらせた。
そして、彼女の目を見る事はせずに言う。
「もし…そうだとしたら? もし僕が、神を殺そうとしているとしたら………きみは、どうする?」
「……………。」
途端、辺りの空気が一変した。彼女に表情が戻ったのだ。
彼女は、とても悲しそうな、今にも泣きだしてしまいそうな顔をしていた。
それを見て、我が目を疑った。
自分の知る『』という女性は、瞬時に表情を切り替えられるほど、器用な性格ではない。感情表現が豊かな方で、思ったことが、すぐ顔に出るタイプである。
しかし、それまで全くの無を表していたはずの表情が、突如変わった。本来の彼女を知る者からすれば、とても不気味に映るほど。
それはまるで、表から裏に、裏から表に切り替わるように・・・・。
その豹変ぶりに、背筋が凍った。
彼女ではない。いや、外見は『』という女性だ。だが、しかし・・・・
「私は、さ………あんたを力づくで連れ戻したいとは……思ってないよ…。」
思考を巡らす中、彼女はそう言った。しかし、それが、先ほど言っていたことと真逆であることに気付く。先ほどまでの彼女は、確かそれとは真逆のことを言っていたはず。それなのに・・・。
一転、表情と行動に矛盾が多過ぎる。それが何を意味するのかは分からなかったが、確かに、今の彼女は彼女でないと感じた。
「っ……。」
強制的に、この疑問を頭の隅から追いやった。必要無いからだ。
だが、彼女がそう簡単にここから逃がしてくれるとは、もう思っていない。下手をすれば、強硬手段を用いてくる可能性もある。
と、ここでユーバーが動いた。静かに彼女の背後に回り込み、その喉元に切っ先を突き付けたのだ。
「………剣を抜け……。」
「…………。」
彼女が言葉を発することはなかった。それは、戦う意思がないことを告げるものだ。
無言の攻防。だが、焦れて剣を振り上げたのは、ユーバーだった。均整が崩れる。
ヒュッ、と剣を振りかぶる音。次に続く音色は、反撃か。それとも、血なまぐさい肉を裂く音か。
結果は、そのどちらでもなかった。彼女は反撃することもなく、かといってその剣を受け入れることもなく。ただ一言、ユーバーに「…ごめんね。」と言った。
同時に、彼の動きが固まった。剣を振り上げた状態のままで。
「ぐッ……これは…!?」
「…ごめん、ユーバー。悪いけど、ちょっと黙っててね。」
それが『見えない束縛』だということに、ルックは気付いた。
そんな、まさか。そう思い、思わず目を見開く。
彼女は、ユーバーの動きを『魔力で封じ込んだ』のだ。
魔力によって、相手を束縛する。それが決して容易でないことを、ルックは知っていた。
むしろそれは、酷く難解で、よほどの術者───生来の魔力が恐ろしく高い者か、血を吐くほどの鍛錬を積んだ者───でなければ、到底行える芸当ではない。
それを彼女は、いとも簡単にやってのけた。赤子の手をひねるより雑作なく。
それだけで、彼女の『魔』が、どれだけ強大になったのか。
・・・・・・分かってしまった。
人では無い、と。
自分がそう思ったことに起因するのは、これだったのか。
胸が苦しい。下唇を噛んで、思わず目を伏せる。
「そこまで……きみの魔力は、巨大になっていたんだね…。」
「……そうみたいだね。」
「それでも、きみは…」
「…言わないで。これは、私が”共鳴”してきた結果だから。この世界に”仲間”がいるという証なんだよ。それに、これを宿したのも自分の”意思”。今さら後悔は、してないよ…。」
自らの意思。心の中で、彼女のその言葉を自嘲気味に繰り返した。
そうだ。彼女は、自らの意思であの紋章を宿した。100年もない人の道か、それとも永遠に値する傀儡の道か。彼女自身が選び取ったのだ。
その選択肢が与えられていただけ、きみは幸せだよ。そう思った。
「…っ……うッ……!!」
と、ここで突然、彼女が膝をついた。苦しげな声を出し、頭に手を当てて。
「やめ………ろ……!!」
「……?」
「なんだ? 拘束が外れたな…。」
彼女が膝をついたことで呪縛が解けたのか、ユーバーが動きを取り戻した。そして、動くようになった手を開閉しながら、彼女を見つめて「…その紋章か……益々、興味深い。」と笑う。
もしかしたら、と。ルックは、彼女を見つめながら考えた。
もしや、例の頭痛なのか? だとしたら、紋章が、彼女を呼んでいるのか?
もし、そうなら・・・・・
「!!」
「駄目だ、セラ! こっちへ戻れ!!」
苦しげな彼女の声を聞いて我に返ったのか、セラが、声を上げて彼女に駆け寄ろうとしたが、ルックはそれを制止した。セラは暫く躊躇していたが、小さく項垂れて「…はい。」と言うと、転移の準備をする。
それと知った彼女が、顔を上げた。
「くっ……待て…!」
「………まだ、きみは、その紋章を支配しきれていないみたいだね……。」
きっと彼女は、額から汗を流し、苦しみに耐えながらも紋章に抵抗している。自分達を行かせまいと、必死に紋章の呼びかけに抵抗しているはずだ。
「ルッ…ク!」
「……支配出来てないのには、何かが”枷”になっているのか? ……それなら、きみが、その紋章を完全に支配する前に…。良かった。まだ僕にも、希望が残されていたみたいだね。」
抵抗していても膝をつくほどの痛み。彼女は、あと少しすれば意識を手放す。既に朦朧としているはずだ。そんな彼女から逃げることは、今なら容易い。それなら・・・・。
ルックは、背を向けた。だが自然と口にしていた。思わず彼女に問うていた。先ほどと、同じ質問を。
「……もし、そうだとしたら? もし僕が、神を殺そうとしているなら、きみは………どうする?」
それは、単純な疑問でもあった。今の彼女が何と答えるか、聞いてみたいと思ったからだ。
きみは、なんて答える? きみの意思は、どの道を選び取る?
すると彼女は、朦朧とする意識の中でも、途端その瞳に炎を燃え上がらせた。
「止める………全力で……。どこま……でも…………追いかけ、て………止め…て…やる…。も……う……二、度……………と…」
直後、背後でドサッと音がした。彼女が意識を手放したのだ。
それを見てか、セラが、彼女の名前を叫びながら駆け寄る足音。
そんな中。
ルックは、動かなかった。動けなかった。
言葉に、ならなかった。
『どこまでも追いかけてやる』と。彼女のその言葉に、胸が打ち震えた。
目頭が熱くなる。どうしてだろう? どうして?
いや、分からなくていい・・・・・・・・・分からないほうが良い。
胸が締まる。キツく、強く。
でも・・・・・こんな想いは、もう終わりにしよう。
「セラ、戻るんだ。」
「ですが、ルック様…!」
「……いいから、戻るんだ。」
有無を言わさぬ口調で彼女からセラを引き離すと、ユーバーに視線を向けた。
「ユーバー…」
「俺を使う気か…? 大した度胸だな…。」
「彼女に………おかしな真似はするな…。」
この男を使いたくはなかったが、他に手がない。
一言釘を刺してから、セラを伴い、その場を後にした。
いつの間にか、空は、厚い雲に覆われていた。
このまま永久の闇に飲まれてしまいそうな、色のない世界。ともすれば、涙が流れるのではないかと思うほどの。
「ククッ……。」
暗闇ゆく空の下で、金色の悪魔の口元が、静かに三日月を描いた。