[決意の代償]
転移の光が収まるのを確認して、目を開けた。眼前に見えるのは塒。宿星達の集まる場所。
何度か瞬きを繰り返してから、空を見上げた。雨が降り出している。ポツリ、ポツリと。
それは、次第に激しくなっていった。
そんなことを気にせず、自分がいる位置を確認する。どうやらここは、城門前ではあるようだ。それも、少し死角に入る位置。
一つ深呼吸して、ゆっくりと歩き出した。
そして、頭の中で、これまで起こった出来事の整理を始めた。
整理し、理解しなくてはならない事が、沢山あった。
これからの事を考えながら、平行して解いていかなくてはならない難題。それを思うだけで溜息が零れた。
今ここを歩いているはずなのに、どこか宙を浮いているような感覚。しっかりと地に足はついているはずなのに、不可解な感覚が、全身を支配する。
見上げた空から雨が降りそそいでいるが、考えに没頭している自分の体を冷やしてくれているのが、唯一の救いか。それが、例え厚い雲に覆われていたとしても・・・。
ふと立ち止まり、額に手をあてて、思考をフル回転させた。
『”声”は、思い出せと言っていた。でも、なにを…? じゃなくて、なら変えられる事って…?』
『風……それは、ルックを指してる。先……それは、この世界の未来? でもあいつは、いつも肝心な部分を言わないし、聞こえない。まるで……星の動きで先を見る、あの人みたいに…。』
「はは……、結局、先を見る者は、何かに縛られるんだね…。」
自嘲に似た、乾いた笑みが込み上げる。
同時に思い出すのは、自分の”使命”。右手に宿る紋章が持ち続けている”業”。
ルックには、後悔していないと告げた。確かに、自分で紋章を得ることを決め、心からそう思ったからだ。でも、自分で自分を『もう人と呼ばれる存在では無いのかもしれない』と思い始めたのは、そう昔のことではない。
この世界に残ることを決めたのは、自分。紋章を得る決意をしたのは、自分。
紋章の真意を知らず、ただただ”共鳴”と呼ばれる行為を繰り返してきたのは、自分。
そして、共鳴により魔力が高くなっていく事に気付いても、それでも止めることをしなかったのも自分。
愛する者たちに去られ、それでも追うことをせず、今こうやって生き続けていることも・・・・・。
だが実際、自分以外の誰かに魔力の事を言われてしまうと、予想以上のダメージを受ける事に気付いた。そのことに、今回初めて気が付いた。情けない話だが・・・・。
彼が、あんな顔をするなんて思ってもいなかった。常日頃から気丈で冷静だった彼に、あんな顔をさせてしまうなんて・・・・・・考えもしなかったのだ。
「ほんと………私、情けないわ…。」
声に出した途端、じわりと目頭が熱くなり、涙がこぼれた。彼にあんな顔をさせたことが悲しくて、どうにも泣けてくる。涙が、雨に混じりながら地面へ吸い込まれていった。
泣くほどの事ではない。今もそう思ったはずじゃないか。それなのに、どうして私は泣いている? 自分を哀れみたいわけでも、誰かに縋りつきたいわけでもないのに。
それなら・・・・・?
「さん!」
考えに没頭し過ぎて、城門付近で足を止めていたらしい。
慌てて我に返り、すぐに歯を食いしばった。
涙を止めて顔を上げる。目の前には、パトロール中だったのかセシルとコロクの姿。
「セシル…? どうしたんだ? こんな雨の中で…。」
「どうしたんだ、じゃないですよ! 突然姿を消しちゃうから、トーマス様も心配してたんですよ!」
どうやら、炎の英雄の待つ地へ赴いた際、何も告げずに出ていってしまったため、心配をかけたようだ。小さく「ごめん。」と詫びると、彼女はまだ何か言いたげだったが、動こうとしない自分を気にしたのか心配そうな顔をした。
「ずっと…そこに立ってたんですか? 風邪引いちゃいますよ!」
「……あぁ、ごめん。少し考え事をしてただけだから…。」
「さんが風邪を引いたら、トーマス様が心配するんです! それに、皆に移ったら大変ですから、早く城に戻りましょう!」
「そうだな…。ありがとう、セシル。」
雨は、随分と激しくなっていて、自分だけでなく彼女もコロクもずぶ濡れだ。
自分は別に良いとして、彼女に風邪を引かせてしまっては申し訳ないと思い、その背に手を添えて歩き出した。
城内へ戻る途中、セシルに「ルカさんは、戻って来たみたいですけど、さんがどこに行ったのかは、教えてくれなかったんです。」と言われた。それに苦笑いを返して礼を言い、トーマスの居場所を問う。
返って来たのは、先日ブラス城へ向かった、という意外な答え。とりあえず、ルカには報告だけしておこうと考えて、「ありがとう。」ともう一度礼を述べて部屋へ向かった。
「説得は………無理だったようだな。」
「…あはは。やっぱ分かる?」
自室へ戻り、顔を合わせたルカが、まず放った言葉がこれだった。表情だけで読み取られては、乾いた笑いを返すしかない。
それよりも、ずぶ濡れの衣服が気持ち悪かった。とりあえずとばかりにバンダナやコートを脱ぎ、適当な場所へかける。ポタリポタリと、雨の雫が床へと染み込んでいく。
髪を拭きたくて辺りを見回していると、突如、目の前が暗くなった。ルカが、タオルを被せてくれたのだ。彼は、無言のまま頭を乱暴に拭いてきた。
「あ、う……ありがと。」
「…とっとと拭け。部屋が湿気る。」
最後にグシャ、とタオルごしに髪をかき乱された。今度は、自分で頭をガシガシ拭きながら、椅子に腰かけて彼に告げる。
「でも………分かったこともある。」
「……何だ?」
話した。ルック達の目的が『紋章破壊』だということを。それは、ほぼ確定。
同時に、ではなぜ紋章を破壊しようとしているのか分からない、という事も伝えておいた。これを知ることが、今は何より先決だ、と。
髪や体を拭きながら話し終えると、彼は、何やら難しい顔。だが、結果として『俺が知るか』だったようで、口を閉じてしまった。
それでも何やら思うことがあったようで、自分の目元を指差してくる。その意図を理解して、はは、と笑った。
「あぁ、隈できてるって?」
「…もしや、寝ておらんのか?」
「うん。あれから一睡もしてない。」
「…より道でもしていたか?」
「まぁね。そんな所だよ。」
ある程度の水気を取り終え、タオルを椅子にかけてから、テーブルに置いてある水を一口含む。同時にキュル、と腹が鳴った。
「……色気も糞もないな。」
「あっはは…。」
そういえば、昨日から何も食べていない。腹が減った。
しかし、それより優先すべきは、睡眠か。思い出したら眠くなってきた。
それを察したのか、彼が一言「…寝ろ。」と言った。以心伝心かと吹き出すと、睨まれる。「それじゃあ失礼して…」と断ってから、寝室へ向かおうと立ち上がった。
と、彼が、本を手に取りながら言った。
「。」
「なに? って、って呼べって、何度…」
「…口が滑っただけだ。」
「滑らすな。ちゃんと、どっかに固定しとけ。…で、なに?」
「鍵は、かけて寝ろ。」
「……子供じゃないんですけど?」
「馬鹿か貴様は。その格好で誰か入って来たら、どうするつもりだ?」
・・・・確かに。バンダナを外し、コートを脱いだ状態では、自分が女だとバレてしまう。サラシで胸を潰しているとはいえ、一発だろう。
ここで、彼の言うとおりに不躾な誰かが入って来ないとも限らない。情けないが、前例という黒歴史がある。これまで『という男』としてやってきた努力が、一発で消し飛ぶ。
「…………。」
普段から、彼に口酸っぱく言ってるだけあって、自分が指摘されることに慣れておらず、ついつい口元が引き攣る。そんな指摘を受けるぐらい頭が働いていない自分に、少しだけ苛立った。
肩を竦めて「……了解。」と答えて、寝室の扉に手をかけた。
「それと、軽々しく肌を晒すのは……」
言いかけて、ルカは、彼女が既に寝室へ入ってしまったことに気付いた。
パタン、と音をさせて閉められた扉に目をやりながら、『相変わらず、人の話を最後まで聞かん奴だ』とため息をつく。
そして本の頁を捲りながら、一言。
「…………俺も一応、男なのだがな。」
それからは、本を捲る音だけが、小さく繰り返された。