[逃げるしかない]
時間が経つのは、早いものだ。
が、ビュッデヒュッケ城に戻ってから、早くも三日が経過した。
その間なにをしていたのかといえば、特に何もすることがなく、休暇とも呼べぬ束の間の平穏に、たまりに溜まっていた疲労を落とすべくグータラ過ごしていた。
もちろん、声に言われた『思い出せ』という言葉の意味も考えてはいた。しかし、それだけでは、いったい何の事を指しているのか分からなかった為、結局その三日という時間は、己の気力回復のために役立てられた。
そして、本日。
この日は、先日まで続いていた雨もようやくおさまり、三日ぶりの快晴だった。清々しいという言葉がぴったりな程、曇る余地すらない晴天だ。
いつもなら、久々の晴れを満喫しようとレストランにいるシエラを訪ねたり、エッジの持つ星辰剣やジーンと喋りに行くのだが、今日は、何故だかそんな気がおきない。故に、ルカと共にゆっくり自室で過ごしていた。
ルカが、図書室から借りて来た本を手にとって、パラパラ捲っては閉じる、という行為を何度か繰り返していた。
と、ここで、扉が勢い良くノックされた。音は軽いが、コンコンコンコン、と小刻みに打ってくるのを見ると、子供かもしれない。
すぐさま顔を見合わせたが、彼は動く素振りを見せない。仕方なく「誰だ?」と声をかけると、「セシルです!」という元気の良い返事。
どうしたんだろう、何かあったかな・・・?
明るく無鉄砲に見える彼女ではあるが、騎士道を重んじているのかいっぱしの礼儀はあるようで、無断突入してくる気配はない。過去の教訓をフルに活かし、大事をとって、扉には常に鍵をかけている。
バンダナを巻きながら彼に視線を送ると、鬱陶しそうな顔をしながらも、自分と同じくそれを身に付けた。それを確認して、扉の鍵を開ける。
「こんにちは! さん、ルカさん!」
「よっ、セシル。元気そうで何よりだ。で、何か用か?」
いつでもどこでも元気な少女だ。そう思いながら笑いかけると、ルカが少女に言った。
「…おい、そこのガキ。」
「はい! 何ですか、ルカさん?」
「………。」
「はぁ、分かってるよ…。」
どんな時でも元気爆発な少女に、彼は『五月蝿い』という意味を込めて睨みをきかせたのだろうが、少女が動じる気配はない。只でさえ、普段から「ガキは好かん。」と言っているが、こうしてニッコリ笑いかけられては、流石の元狂皇子も毒気を抜かれてしまうのだろう。
そんな彼の心中を察して、セシルに言った。
「それで? 俺達に、何か用があったんじゃないか?」
「あ、はい! トーマス様が、さっき戻られたんです!」
「トーマスが? そっか。……それを知らせに、わざわざ?」
「いいえ。トーマス様から、さん達を呼んで来て欲しいと言われたんです。」
「……俺達を? どこに?」
「一階の会議室まで、よろしくお願いします!」
城主自らのお呼びとは。思わず眉を寄せたが、セシルに「では行きましょう!」と言われてしまえば、それに続く他ない。ガシャガシャと鎧を鳴らして先に行く、勇ましくも可愛らしい後ろ姿。
さてどうするかと考えていると、背後にルカが立った。
「もしかして……素性を偽ってるのが、バレたかな?」
「偽るもなにも、というお前を知っている者なぞ、この地にはおらんのだろう?」
その言葉通りだった。
『』という自分を知る者はいても、『』という自分を知る者は、この地にはいない。いや、限りなく少ない。
ルカの言う通り、素性が露見したということも、まず有り得ないだろう。
「んで、どうする?」
「……知るか。俺は、行かんぞ。」
全く、どうしてそう我関せずで我が儘なのだ。睨みつけるも、素知らぬフリを決め込んだのか、彼は、踵を返して椅子に座りまた本を広げた。
「はぁ……。面倒事に巻き込まれないと良いけど……。」
「ほれ、とっとと行かんか。それと、ボロは出すなよ。」
「お前が言うなッ!!」
過去に『ボロを出した』男に言われるのは、正直言って癪に触る。
なので、取りあえず言い返してから部屋を出た。
城主殿に呼び出された場所である、会議室。
扉を控えめにノックすると、「どうぞ、入って下さい。」と久々に聞いた幼い声。だが、いつもとは違い、その質はいくらか明るさを帯びていた。
ギッ、と重々しい両開きの扉を控えめに開いて、中へ入る。しかしそこには、城主だけでなく、予想を裏切るほどの人数が揃っていた。思わず目を剥く。
「!?」
「………。」
まず声をかけてきたのはトーマスではなく、炎の英雄の待つ地で別れたはずのクリスだった。そしてその周りには、同じくあの地で見かけた赤い服に金髪の少年と、背の高い黒髪の眼帯男。
彼女達は、自分が破壊者と共に去ったのを見ていた。故に唖然としている。それよりも『何故、破壊者と共に去ったはずなのに、この地へ戻って来た?』という顔。
あぁ、そういえば、彼女達の事を失念していた。あの場所にいたフルメンバーの中で、これからたった一人で論争しなくてはならないのかと思うと、正直気が滅入る。
広い会議室に、気まずい沈黙が流れた。
さて、どうするか。まず、誰が『あの話』を切り出してくるか。
そう考えていると・・・・
その空気を物ともせずにブチ壊してくれたのは、予想外の人物だった。
「さん、お待ちしていました!」
「あ、あぁ、トーマス……久しぶりだな。」
不穏で心地悪い空気が、一瞬にして変わった。いくつもの視線が自分に集中するのを感じていたが、それがトーマスへ注がれたことに若干安堵。
冷や汗をかきながら苦笑いしてその肩を叩くと、少年は、ニコリと笑った。
「実は、このビュッデヒュッケ城が、本拠地になったんです!」
「…そ、そうか……良かったな…。」
嬉しそうに語る少年に、あえて「なんの?」という質問はしなかった。むしろ然るべき、全く予想通りの展開と考えていた為、言葉少なに返す。
ここが宿星の集まる場所だと、ずっとそう思っていたから。この城へ来た時から、そうなるのだろうと考えていたから。それが、とうとう現実になっただけのこと。
そして、この戦いは、これから更に激化していくはずだ。
そこで、ふと考えた。
それならば、敵対する者は? 彼等の”敵”となるだろう、その存在は?
状況から考えて、ハルモニアだろう。この地には、真なる紋章がいくつもある。狙われるには、それだけで充分だ。
それは、50年前の再現か? 50年という不可侵条約が切れた途端、再びあの惨劇を繰り返すのか?
でも・・・・今回は、ハルモニアだけではない。その中には、きっとあの子達もいるはず。『破壊者』と呼ばれる、自分の家族が・・・・。
やはり自分は、彼等と敵対しなくてはならないのか?
「…──さん、さん!」
「っ…、なんだ…?」
考えに没頭して周りを見ない。その悪い癖は、いまだ直らない。
内心、反省しながら顔を上げると、トーマスの心配そうな顔。
「どうしたんですか? 具合でも…」
「…いや、大丈夫だ。心配ないよ。それより……っ…。」
笑いかけて、ふと視線に入った人物に、思わず目を剥いた。
褐色の肌に、先の少年と同じくカラヤの者と分かる黄金色の髪。鋭い目元に、赤い唇。
『……ルシアか…。これは、相当マズいな…。』
ここに彼女がいることに、まず驚いた。いや、彼女はカラヤ族だ。それは知っていた。しかし、あの少年の隣に立っているということは、何かしら関わりがあるのだろうか?
それより彼女とは、15年前に会っている。はっきり顔を見られている。
これは、相当マズい展開ではないか。四面楚歌だ。ルカも連れてくれば良かった。
そう思った時だった。何かに気付いたように、ルシアが口を開いたのだ。
「お前は…」
「って、あのさん?」
と、ルシアの言葉を遮って前に出る者がいた。全員の視線が、その声の主へ移る。
茶色の長い髪を一つにくくり、黄色の上着に紺色のスカートをはいた、眼鏡が印象的な女性。その柔らかい目元に、記憶が刺激される。
『……うそ、アップル!? ………どうしよ……これは、本気マジヤバい…。』
バンダナの奥で思いきり眉を寄せて、この逆境をどう乗り越えようか考える。
そんな自分の心境を知ることのないアップルは、一歩、また一歩と近づいてくる。
「さん…? 本当に、あのさんなの…?」
「……人違いじゃないか?」
状況的にいえば、相当追い込まれている。アップルとという男、という見えない関係図に、周囲から感じる好奇の視線。
そういえば本物のは、15年前に彼女と会っていた。会話は皆無ではあったが、本物の方の顔を知っている。故にと聞いて、咄嗟に本物の方を思い浮かべたのだろう。
ここで顔を晒すことでその誤解が解けると分かっていたが、如何せん、ルシアがいる。何より、アップルも自分を知っている。
・・・・・マズい。正体がバレる。確実に。
本物の方とは、話したことがなかったのに、どうしてそんな要らんことを覚えているのか。思わず心で悪態ついてみるものの、彼女は、遠慮なしにジリジリ近づいてくる。
とりあえず黙らせることが先決だ。頼むから黙ってくれという気持ちを表面には欠片も出さず、ニコリと笑った。
「確かに、俺は、っていう名前だけど……きみの事は知らないな。人違いじゃないかな?」
「……その声。やっぱり、どこかで聞いた記憶が…!」
おいおいおい。いつもより3割り増しで低い声にしてたぞ。それ以上、あんたの中の思い出を掘り返してくれるなよ。
またも心で悪態をつきながら、女の勘を恐ろしく感じた。疑惑を逸らそうと発したはずの声で、逆に新たな不審を買ってしまったのだ。きっと彼女は、『』という女性の声を、記憶の中で無意識に照らし合わせているのだ。しかし、「うーん、誰だったかしら?」と唸っているところを見ると、どうやらまだ合致しないらしい。
これは、チャンス!!
これぞ好機とばかりに、笑顔でトーマスに言った。
「トーマス。」
「え、どうしました?」
「俺、この後、ちょっと用事があるんだけど……もう行ってもいいかな?」
「あ、すみません! それだけ伝えたかったものですから…。」
「そうか、分かった。体壊さない程度に頑張れよ。そんじゃあ、お先に!」
そう言って、扉に手をかけた。と同時に、アップルの「あっ!」という何か思い出したような声。どうやら記憶の中の『誰か』と合致してしまったようだ。
彼女に問われる前に、扉を控えめに開けてスルリと抜け出すと、本気で駆け出した。
これ以上、疑惑を向けられてはたまらない。
そんな中、二人のやり取りを、ルシアがじっと見つめていたことなど、誰も知る由はなかった。