[眠れない夜]
それからというもの。
テッドは、自室に鍵をかけて引き蘢るようになった。
部屋から一歩も出ることはなくなり、彼は全てを拒絶した。
そんな彼を心配したアルドが、部屋の外から声をかけた。しかし、何の反応も返らない。
アルドに頼まれたリーダーが、見舞いと称して扉を叩いた。次に軍師、そしてオベル王。
しかし、誰に対しても、彼の返す言葉は”沈黙”だった。
だが、テッドは人間だ。いくら引き蘢っていようと彼は人間で、つまるところ食事を取らなければ生きてはいけない。
ある晩、彼は、余りに腹が減ってどうしようもなくなった。
時間は深夜を回っている。もう誰も起きておらず、食堂には誰もいなかろう。
それなら、少しばかり腹にたまるものを拝借してこようか。そう考えた。
ベッドから出て、そっと自室の扉を開けた。木製の扉が、ギ、と小さな音を立てる。
今は、もう全てが寝静まっている頃なので、これぐらいの音で起きる者はいないはず。
念のため、開けた扉の隙間から第四甲板の廊下を除いた。人影はどこにもなかったので、部屋から出ようと足を一歩踏み出した。
と・・・・。
カツン!
「っ、……?」
足下で、小さな音がした。金属音だ。
驚いて声を上げそうになった自分を必死に落ち着かせ、音のした足下を見やる。
・・・・・思わず首を傾げた。
「………なんだ、これ?」
音を上げたのは、食堂で使われている銀のトレー。どうやら、それが靴にぶつかり悲鳴を上げたらしい。よく見るとその上には、肉まんとサラダが、所狭しと積み上げられている。
「………食い物? でも、何でこんなところに…?」
首を傾げたままトレーを見る。いったい誰だ?
そう考えていると、不意に腹が鳴った。クゥゥ、と請うような音。
「っ………。」
誰もいないのに恥ずかしくなる。
だが、とにかく腹が空いていたため、もう一度だけ周りに人がいないことを確認すると、トレーを両手に、足で扉を閉めた。
一通り腹を見たしてから、ベッドに横たわった。
膨れた腹を擦りながら、差し入れの主が誰であるか考えてみた。
すぐに思い当たった人物は、三人。いつも自分におせっかいを焼くのは、決まってアルド、、の三人だった。
まずは、アルドの可能性について考えた。
しかし、すぐにそれを否定する。なぜなら、彼の性格を考えれば『取りあえず食え!』とばかりに小さなトレーにサラダと肉まんを積み上げたりはしないだろう。
彼は違う。削除だ。
次に、何かとちょっかいを出してくる、軍主こと。
しかし彼は、今宵はミドルポートの宿屋で過ごしているはず。今朝「泊まりでミドルポートに行くんだけど、パーティに入ってくれない?」と扉ごしに言われ、無視した記憶がある。
ならば・・・、この二人でないのだとしたら・・・・?
「………?」
しかし、彼女こそ最も否定できる人物だ。何より彼女は、あの喧嘩以来、この部屋に訪れたことが無くなったのだ。
今回、自分が部屋に閉じこもったことで、真っ先に心配し部屋の扉を叩いたのは、アルドだった。次に、アルドから話を聞いたであろうが「反抗期?」と、実に失礼なことを言いながら扉を叩いてきた。その後、軍師やオベル王などなど・・・。
ふと、先日、彼女を突き飛ばしたことを思い出す。
彼女は、心配してくれていた。そして、突き飛ばした自分に酷く憤慨していた。怒りに顔を赤くする彼女を見て、思った。彼女は、もう二度と自分に近づくことはないだろうと。
でも、それは、最初から自分自身が望んでいたことだった。
望んでた・・・・・・・はずじゃないか。
構ってほしくない。
触れてほしくない。
もう、誰にも・・・・・”犠牲”になってほしくない。
そう思い、そう伝えたはずだった。
しかし、この差し入れを持ってきた人物が、アルドでもでもないのだ。まるで心配をそのまま反映したように、とりあえず栄養を取れとばかりに食料を積み上げる、その豪快さ。その答えの”唯一”は、彼女以外に思い浮かばなかった。
もしかしたら彼女は、そろそろ自分が腹を空かせて、部屋を出る頃だと思ったのかもしれない。しかし、近づくなと言われたため、律儀にそれを守りながらも、こっそり食料を部屋の前に置いてくれたのかもしれない。いや、きっとそうだ。
なにしろ自分は、かれこれ四日間、水以外、腹になにも入れてなかったのだから。
不意に、扉をノックする音。こんな真夜中に誰だよ、と思わず顔を顰めたが、腹が満たされて眠くなってきたので、あえて無視することにする。
しかし、ノックが止む気配が微塵も感じられない。
「……………………。くそッ!」
嫌がらせのようなノックの嵐。苛立ちが限界にきてベッドから立ち上がり、扉へ近づいた。
ノックの主が誰なのか、おおよその検討はついていた。人の安眠を妨害できるやつなんて、この船には一人しかいない。
苛々に任せて、乱暴に扉を開けた。
「………何の用だよ。」
「反抗期は終わったの? テッド。」
「………馬鹿言うな。」
予想通り、ノックの乱舞をかましていたのは、この軍のリーダーであるだった。彼は、自分のご機嫌などお構いなしとばかりに、小さく微笑んでいる。ちくしょう、いちいち苛立つ奴だ。
構うなと言って扉を閉めようとすると、彼は、それよりも先に部屋へ押し入ってきた。
「っ…、俺に構うなと、何度言ったら……!!」
「うん、何度も聞いたよ。それこそ鼓膜が弾け飛ぶぐらいにね。……あ。肉まんとサラダ、ちゃんと全部食べたんだ?」
「……………。」
テーブルに置かれたトレーを見て、嬉しそうに彼は笑う。その笑みに更に不快が込み上げたが、構わずそっぽを向いた。
相変わらずマイペースを貫くつもりなのか、彼が椅子に腰掛けた。おいおい人の部屋に居座るつもりかよ。そう不満を口にしようとしたところで、彼は言った。
「テッド、座って。」
「なっ…」
「いいから座って。話があるんだ。反論なら、後でちゃんと聞くから。」
それは、有無を言わさぬ口調。
彼を睨みつけながらも、向かいの椅子に腰掛けた。
「……………。」
「……………。」
沈黙。
それが嫌で、テッドは、ポツリと言った。
「……ミドルポートで、泊まりじゃなかったのかよ。」
「うーん。なんとなくきみの事が気になって、俺だけ宿から戻ってきた。この話が終わったら、すぐに戻るよ。ところで…」
なんだよ、と顔を上げると、彼はテーブルに両肘を付いて、顔の前で両手を組んだ。
「”犯人”は分かった?」
「……………。」
「え、もしかして………分からなかったの?」
「ッ…、の奴だろ!」
「うん、大正解!」
その答えに、彼は満足そうに笑った。その笑顔が、なんだか面白くなくて顔を顰める。
「別に……、あの積み方を見れば、あいつだって分かる。」
「そっか。」
「……話はそれだけか? だったら、とっとと宿に戻れよ。他の奴らが心配するだろ。」
「うーん。生憎だけど、まだ話は終わってないんだ。アルドが凄く心配してた。もちろんも。さっきアルドに会ったんだけど、が、もの凄い剣幕で『テッドの奴、何も食ってないに違いない! どんだけイジければ気が済むんだよ、あの反抗期!』って言いながら食事を用意してた、って聞いたからさ。こんな”真夜中”で、かつ”眠気も酷い”のに、その”目を擦りに擦って”こうして戻って来たんだ。」
「……………。」
分かり易い毒を含ませながら、一気にそう話した彼に、よくそこまでスタミナがあるものだと呆れ半分、感心半分。
それより、彼女が言っていたという言葉にカチンときた。反抗期ってなんだよ、反抗期って。言っちゃなんだが、俺は、お前より・・・。
沈黙し、心でそう反論していると、彼が苦笑いした。そして徐に切り出す。
「テッドの気持ち、俺には分かるよ。」
「……なにが…。」
「その右手の紋章の話。」
「……………。」
静かに落ち着いた声色でそう言った、彼の言葉。嫌な顔を隠すつもりもなかった。
自分の右手に宿る”呪い”。彼は、その話をしようとしているのだ。
沈黙を由と取ったのか、彼は続けた。
「きみが、”それ”のせいで……他人と距離をおくのも拒絶しようとするのも、気持ちは分かるよ。俺だって、きみの紋章を持っていたら、たぶん……いや絶対に、きみと同じ行動を取ると思う。」
「……………。」
それを聞いていて、思った。
彼は、先日の彼女との一件を、アルドにでも聞いたのだろう。そして『他人と距離をおくのは構わないが、仲間内で険悪になるのは止めてくれ』と忠告しに来たのだ。それなら、適当に話を合わせておけば良い。
だが、それを口にする前に、彼は言った。
そしてその一言は、テッドの頭を悩ませるには、充分すぎるものだった。
「でもね、テッド。彼女は、きみの懸念する呪いには……たぶん取り込まれないよ。」
「…は? いったい、どういう…」
てっきり『いい加減に機嫌を直して、彼女と仲直りしろ』とでも言うのかと思っていた。しかし、それが全くの勘違いだったのだと気付く。それよりも、なによりも・・・。
テッドは、彼のその言葉に、眉を寄せることしかできなかった。
対して、珍しく質問を返した自分に、彼は視線を外して俯きながら続ける。
「今の言葉の意味が分からないのなら、一つだけヒントをあげるよ。」
「ヒント…?」
「そう。すぐにでも答えが見つかる、ヒント。」
「………?」
そう言って、彼は立ち上がり、扉へ向かって歩き出した。
そして、ノブに手をかけながら、ポツリと呟く。
「俺だって……きみの呪いには、取り込まれないはずだ。だって俺も、きみと同じ”呪い”を持っているんだから……。」
その言葉を最後に、彼は、部屋を出ていった。少しずつ遠ざかる足音。
けれど、テッドにその音は聞こえていなかった。今しがた出ていった彼の『ヒント』が、頭の中を駆け巡って離れなかったからだ。
『俺だって……きみの呪いには取り込まれないはずだ。だって俺も、きみと同じ”呪い”を持っているんだから…。』
彼は、確かにそう言った。そう言っていたはずだ。
では彼は、それを通して自分に何を伝えたかったのか?
「…………なんだよ、それ……。」
理解してしまった。
彼も、自分と同じ呪いを持っている。そして、その呪いを持つもの同士ならば確かに、その加護により、自分の持つ呪いに取り込まれることはないのかもしれない。
だが、その前に、彼は、なんと言った?
『でもね、テッド。彼女は、きみの懸念する呪いには……たぶん、取り込まれないよ。』
そう、言っていた、はずだ。
”それ”が何を意味するのか、分からぬはずがない。分からぬはずがなかった。
それは疑惑などではなく、確信、なのだから。
「真なる……紋章………?」
言い終える前に、全身が脱力した。何とか倒れるのを膝で持ちこたえ、よろよろとベッドに向かう。体から力が抜けると同時に、ベッドに突っ伏した。
「まさか………あいつが……?」
仰向けに転がり、窓から空を見る。
月は雲に隠れ、この世を照らすことはなかった。