[半世紀]
翌日。
太陽が顔を出し、それから何刻も経った頃。
は、ふと目を覚ました。
昨夜の内に、ルカには『正体がバレた』ことを話した。だが彼は、別段気にも止めない様子で───事後報告であるし、信頼してくれているのだろう───ただ一言「…そうか。」と言っただけだった。
日頃から自分が口酸っぱく言っているだけに、彼の返答には目を丸くしたのだが、それを口にすれば「説教されたいのか?」と言われるだろうと思い、「ごめん…。」だけに留めた。
目を開けて、体を起こす。
外界との区切りを担うカーテンからは、一筋の光。それが起きたての目に痛くて、シャッと音をさせてその隙間を絶つ。
トーマスが用意してくれたこの部屋は、寛ぐ為のリビングと寝室の二部屋。それほど広くもなかったが、ルカと二人で使うには、申し分ない。
寝室には、ベッドが二つ置いてある。それを気にかけることもなかった。城主殿から見れば、男が二人と考えていたのだろうから。
だが、そんなとは違い、ルカは、彼女がベッドを使っていればソファで、自分が使う時には「お前は、ソファで寝ろ。」と言って、彼女が入って来れぬよう錠を下ろした。
それは、ルカが、彼女を『女性』として認識し、きちんと線引きをしていたからだ。
ナッシュ達と旅をしていた頃は、野宿や雑魚寝なんてものはザラだった。しかし、ルカの感性からすれば、男女が床を共にするというのは、育った環境から相当ショックを受けるものだった。
彼女は、「別に良いんじゃないの?」などとほざいていたが、やはり彼女の本来の性別を知っているために、おいそれと「じゃあ一緒に…。」などと言えるワケでもなければ、元よりそんな台詞を吐くタイプでもなかった為、『寝る時は、部屋を分ける』行動に至ったのだ。
彼女は、何やら勘違いをしていたようだが(単に、自分が神経質だと思ったらしい)「まぁいっか…。」と割り切ったようで、言われた通りにしていた。
そんなこんなで、今朝はがベッドを占領して目覚めるに至ったのである。
今、どれぐらいの時間だろう。そう考えながらハイネックを脱ぎ、サラシを巻き始める。流石に手慣れたもので、巻き付ける作業はすぐに終えた。
ハイネックに袖を通し、厚手のコートとバンダナを手に寝室を出る。てっきり同居人の彼も眠っているだろうと思っていたが、生憎彼は、本を片手にレストランから調達してきたのだろうトマトスープに焼きそば、湯豆腐、ステーキという、何とも取り合わせの悪そうな昼食を突いていた。
よく、そんなに食えるね・・・。思わず苦笑い。
本を片手に黙々と昼食を突く彼は、『元』とはいえ皇族だ。皇族出身というだけで、作法や食べ物のランクも桁違いに跳ね上がるだろう。
だが、目の前にいる『元皇族』は、スプーンを使うでもなくトマトスープをすすっているし、それをテーブルに置いたかと思えば、次は、湯豆腐をレンゲでつついている。湯豆腐というイメージは、流石に無かった。
だが皇族をやめ、一般人としての生活を始めてからそう短くない時を過ごしているのを見てきた所為か、らしいといえば、らしかった。
まぁ、あの体躯なのだから、それだけの量を必要とするのだろう。何とも燃費の悪い。
そう思いながら共にじっと見つめていると、視線に気付いたのか、彼が顔を上げた。
「…なんだ、起きたか。」
「うん。おはよう。」
「飯は?」
「食べてくる。と言いたいんだけどー…」
「……これはやらんぞ。」
飯は、と聞けば自分がどういう行動を取るのか、もう充分理解しているようだ。テーブルに並べられた食料をサッと手で囲う辺り、ずいぶん所帯じみたとしか言い様がない。
「ケーチケチケチッ!」
「これは、俺のだ。というか、お前が金を管理しているのだから、お前はお前で買ってくればよかろう?」
「外に出るのが、めんどくさいんだよ…。」
「この馬鹿者が。寝言は寝て言え。」
諦めに似た溜息をつきながら、向かいの席に座る。
すると彼は、指で焼きそばを示した。これなら良い、ということなのだろう。
「……いいの?」
「あぁ。それは、俺の口に合わん。」
それなら湯豆腐は、彼の繊細な口に合うのだろうか? 半刻ほど問いつめてみたい気持ちにかられたが、どうせ「…うるさい。」としか言わないだろうと思い、黙って焼きそばを食べ始めた。
無口、とまではいかないものの、彼は、必要なこと以外あまり口を開かない。かと思えば、彼なりの冗談も言うし───ものによっては、本気に聞こえることもあるが───話しかければ普通に答えてくれる。
簡単な会話をしながら、焼きそばを頬張る。頬張りながらも、頭では別のことを考えていた。
整理し直していた。
ユーバーの言った『神を殺す』という意味は、解した。
そこから、ルック達の目的が『紋章破壊』だということも確定。
”神”とは即ち、紋章のこと。彼らの目的は、紋章を壊すということ。
紋章を壊すということは、その力を解き放つのだろう。だが、この地でその力を解き放ち、最終的に破壊までもっていくとするならば、最低でも、ここグラスランドは吹き飛ぶ。
50年前の暴走を見た事があるが、暴走であれほどだったのだから、破壊するとなるとその規模を簡単に越えるだろう。下手をすれば、この大陸全土に被害が及ぶかもしれない。
それは、彼の死。この大陸に済む人々の死。
そして・・・・・・・・未来の死?
それなら尚の事、彼等に紋章は渡せない。
確実に、彼等の手に紋章を渡さない方法は、一つだけ。一つだけその”方法”がある。そ
の方法を、自分は知っている。
『回収』すれば良いのだ。回収して、絶対に彼等に渡さないよう、自分が身を潜めれば良いだけだ。そうすれば、彼等は、諦めて自分のもとに戻ってくれるかもしれない。
でも・・・・
彼は、真なる紋章を宿している。自分の紋章ならともかく、彼の紋章では『回収』を行えない。ならば、『どうやって紋章を保管しておく?』
所持者のいない紋章は、奉られて眠りについているか、どこかで自分に『回収』されるのを待っているかだ。それなら、自分の知る限りのこの地に存在している紋章を回収する・・・・・いや、駄目だ。この地には、自分が知る限り三つの紋章が存在している。
火、雷、水。強制的な回収は、行えない。所持者がいるのだ。回収するということは、強制的に所持者との繋がりを絶つこと。それは、所持者の”死”だ。
しかし、その中の二つ、行方の分からなくなった紋章がある。
一つは火の紋章。これは、所持者が変わった所為だろう。ヒューゴというカラヤの少年が、それを継承したと聞く。
もう一つは、水の紋章だ。微妙に波動を感じるものの、この地方にあるというだけで、正確な位置を把握することが出来ない。
彼等よりも先に、『真なる水の紋章』の正確な位置を割り出すことを第一に考えた方が、良いのだろうか?
いつの間にか食事の手を止め、考えに没頭していた。
ふと視線を感じて顔を上げれば、ルカと目がかち合う。頭を振って『何でもない』と示すも、彼は口を開いた。
「…おい。」
「ん?」
「お前の客ではないのか?」
「…? ………あぁ。」
その言葉に意識を向けた。閉ざされ錠の下ろされた扉の先。その外で、誰かが立っている。それを指して、彼はそう言ったのだろう。
しかし、いったい誰だろう。ノックをすることもなく、そこから立ち去る気配もなく。感じたのは、なにか躊躇しているような戸惑い。
早く出ろ、と言いたげな彼の視線。それを受け『まともに飯も食べられないのか…』と溜め息をはいて、コートとバンダナを身につけてから、扉を僅かに開いた。
「……ルシア?」
「っ…」
扉の前に立っていたのは、少し驚いた様子のカラヤ族長。ノックするか迷っていたところ、いきなり扉が開いたのだから、その表情も頷ける。
「どうした?」
「……話が……あるのだが…。」
「今じゃないと駄目か?」
「……なにか、他に用でもあるのか?」
食事を終えてからでも、との意を込めて言ったつもりなのだが、どうやら『例の目的』のことだと勘違いしたようで、彼女は目を細めた。それに「いや…大した用じゃないからいいや。」と食事を諦めて、後ろのルカに「ちょっと行って来る。」と告げる。
「あんた。それ後で食べるから、絶対に食うなよ。」
「…誰が食うか。それは、俺の口には合わんと言っただろう。」
「ふーん、それならいいよ。んじゃ、行ってくる。」
するりと部屋から抜け出すと、ルシアが顔を顰めていた。どうしたのかと聞けば、彼女は「今の声は…」と、何やら思い出そうとする仕草。
あぁ、そうだ。彼女は、彼を知っていた。だからこそ、声だけで判別を始めたのだろう。
そう考えて、軽く彼女に微笑んでみせ「…必要以上の詮索は、互いの為にならないよ。」と釘を刺しておいた。
「んで、話って?」
「…………。」
ついて来い、と言われるまま連れてこられたのは、城内の別の部屋。
「ここは?」
「…私の部屋だ。入れ。」
扉を開けると、城の中にいるにも関わらず、草原の匂いが鼻をくすぐった。それもそのはずで、その部屋には、カラヤ族のものと分かる家具や調度品が、所狭しと並べられている。中でも椅子は珍しさ漂う一品で、民族特有の色を感じさせる一級品だ。
だが、促されるままに入ったその部屋に、思いがけない人物がいた。静かに眉を寄せる。
「よう。久しぶりだな!」
「…………。」
彼女の部屋にいたのは、男。彼もまたカラヤ族の衣服に身をつつみ、骨格のしっかりした体は日に焼けた褐色で、一目でカラヤの戦士と分かる。
だがには、その男が『カラヤ出身の者ではない』と分かっていた。知っていた。
金の髪に、空色の瞳。今も昔も変わることなく、気さくに話しかけてくる男。
「…、なんだろ…?」
自分に近づき、目の前に立つ男。
何十年ぶりだろうか? 彼と会うのは・・・・。
「久しぶりだね……………ワイアット。」
目の前で微笑んだ男に、少しだけ哀しみを灯しながら、もまた微笑んだ。