[水の民]



 「私は、隣の部屋にいる。」

 そう言って、ルシアが扉を閉めた。きっと彼女なりに気を使ってくれたのだろう。

 「なぁ、。とりあえず、座らないか?」
 「……うん、そうだね。」

 促されるまま、椅子に座る。
 一つ息をついて、気になったことを聞いてみた。

 「…ルシアから聞いたの?」
 「あぁ。族長に『って女を知っているか?』って聞かれたんだが、もしやと思ってみたら…」
 「…そっか。」

 とワイアット。二人は、過去、出会っている。
 それは、数年、十数年という単位ではなく、もっと長い・・・・・何十年も昔のことだ。およそ半世紀ぶりと言えば、それだけ二人の再会に年月を経ていたか分かるだろう。
 旧知と呼んでもおかしくない。ずっと昔からの知り合いだった。

 「…ルシアも、余計なことを。」
 「そうか? 俺は、お前に会えて嬉しいけどな!」
 「私は、出来れば…」
 「会いたくなかった、か?」
 「……今は、ね。」

 良い意味の言い回しが出てこなくて途中で区切ると、彼は───今は、ジンバと名乗っているらしい───はっきりと言った。
 それに間を空けながら返すと、寂しそうな顔が返ってくる。

 「なぁ…。どうして、名前や性別を偽ってるんだ?」
 「…ルシアから、何も聞いてないの?」
 「いーや? 自分で聞け、としか言われてないんだ。」
 「…そっか。」

 もしかしたら、あの時彼女は、どこからか自分とアップルの会話を聞いていたのかもしれない。最初から。
 そして、自分が、50年前の戦争時にその場にいたことを聞いていたのかもしれない。そしてそれを、彼に伝えたのだ。
 だが、気になることがあった。

 「ルシアは、あんたの事を、全部…?」
 「……あぁ。族長には、俺の事情を全て話した。」
 「………。」

 なるほどね、と答えて、伏せていた視線を彼に向ける。懐かしい顔だ。最後に別れた時と変わらない、柔らかい目元。身に付けている物に変わりはあるものの、醸し出す空気は、あの時のままだ。それに安堵して、自分の表情も柔らかなものに変わる。

 「こんな格好をしてるのは………『目的』があるからだよ。」
 「……目的?」
 「うん。弟が、家出したんだよ。でも、それは…」
 「あぁ……『お前らには関係無いだろ』か?」
 「…………。」

 彼の言葉に棘は無い。むしろ困ったように苦笑している。
 だがは、そっと目を伏せた。

 「要は『関わるな』か……。」
 「………。」

 同じく目を伏せそう言った彼に、返す言葉が見つからない。
 というよりも、その言葉を聞いて硬直した。

 『俺達に関わるな』

 それを、その言葉を、いつも口にしていた”彼”のことを思い出す。
 50年前、この地で起こった戦の最中、関わろうと近づいてくる人間に必ずといっていい程そう言っていた、”彼”のことを・・・。
 その年齢をいってしまえば、少年などといえるものではなく、むしろ軍の誰よりも年長者であった”彼”。140年という年月を共に旅し、支え、支えられて共に生きてきた自分の半身。

 思い出す度、眉間には皺が刻まれ、心が抉られる。今もそれは変わらない。
 膝に置いた拳が汗ばむ。思い出しては傷つき、それで更に思い出す、悪循環。

 「…………テッドは、どうしたんだ?」

 自分が愛した、たった一人の人のことを聞かれるのが、こんなに苦しい事だなんて・・・。

 「サナにも聞かれたよ…。」
 「……サナに、会ったのか?」
 「うん。彼女から、”あいつ”の話も……全部聞いた。」
 「そう……か。」

 かつて『炎の英雄』と言われた青年のことを思い出したのか、彼が俯く。

 「正直……あいつが、そんな事になってたなんて…………思いもしなかった。」
 「……あぁ。」
 「皆、置いてく…………テッドも………あいつと同じで………。」
 「……そうか。」

 誰も彼も、自分を置いて逝く。当時の仲間ですら・・・。
 そう伝えると、彼は、眉を下げた。亡くすことには、決して慣れない瞳。
 それを見ることなく、話題を変えることにした。誰かの辛い顔を、これ以上見たいとは思わない。

 「そういえば………ゲドは?」
 「あいつか? あいつなら、また運び手に参戦するらしいが…」
 「…じゃあ、あんたは?」
 「まぁ、俺もだけどな。」
 「ふーん……。」



 それから、色々な話をした。

 炎の英雄を継いだヒューゴという少年が、ルシアの息子だったこと。
 それには流石に驚いて『15年前に身ごもっていた彼女と出会ったのも、何かの縁だったのかもしれない』と、当時のことを話すと、彼も「かもな。」と笑っていた。

 次に、クリスの話。
 彼女の姓を聞いた瞬間、彼の縁者なのだと思っていたが、本当にそうだったらしい。彼は、嬉しそうに「美人だろ?」と自慢していた。
 「母親の方に似てるんじゃない?」と言うと、少し拗ねたように「でも、目つきや頑固な所は、俺そっくりだ。」と言っていた。

 そして、真なる水の紋章の話。これは、聞いておかなくてはならなかった。
 身に付けていないかと聞けば、彼は「封じたんだ。」と言った。では、何故それを封印したのか。これが一番不可解なことだった。
 だが、彼は「まぁ、色々あってな…。」としか言わなかった。何か事情があったのだろう。それ以上の追求をすることなく、次の話題に移した。

 様々な話をした。
 当時の戦争が終わったあと、それからどうしたこうした。一部、互いに話せぬ部分はあったものの、互いが話を変えることで流れていった。
 思い出話に花を咲かせ、時折、胸を突く哀しみを見せれば、双方で慰め合う。



 外を見れば、いつの間にやら陽は落ち、月が顔を出していた。
 彼が「少し待っててくれ。」と言い、部屋を出て暫く。酒と肴を、手一杯抱えて戻ってきた。酒場から拝借してきたのだろう。
 互いに酌をして、笑い合う。

 この再開が、すでに終わりへ向かっていることも知らずに。



 夜は、まだ・・・・・・・・・・・・長い。