[欠星]



 思いがけない再開から、数日が経った。
 その間、数回に渡ってワイアットの部屋を訪れたが、人目を忍ぶために真夜中に出入りした。ルシアの協力あっての事だった。
 話題は尽きることはなかったが、ある晩、彼は嬉しそうに、けれど寂しそうに言った。

 「俺は、ずっと逃げ続けてきたが………クリスという娘を残せて良かったと思っている。」

 その言葉にまず感じたのは、違和感。まるで悟ったような・・・・・聞いてくれとは言わず、ただ独り言のように紡がれた『それ』に、言いようのない焦燥感を覚えた。
 それは、懺悔を乗り越えられた先に見えた『喜び』だろうか。真なる紋章を宿しながらも、それから逃げていた己に対する。そして、彼がこの世界に生きていたことを証明することの出来る『娘』という存在への。

 「あんな事になっちまったが………俺は、アンナもクリスも愛してた…。」

 遺言・・・・にも聞こえてしまうのだ。
 その言葉が、彼との『最後』のような気がしてしまうのだ。
 彼が何を思い、何を考え、何を意味して自分にその言ったのかは、分からない。でも、それでも「今を、過去形にしないでよ…。」としか言えなかった。

 彼は、それに柔らかい笑みを見せただけだった。






 そして、本日。
 ルシアに呼ばれて会議室へ赴くと、炎の運び手の軍師に就任したという若き采配者シーザーから「ジンバが、大空洞の高速路に行ったらしい。」という情報が発された。
 その言葉を聞いたルカが、何を思ったか「…少し出てくる。」と言い残し、会議室を後にした。



 は、ルカに、ワイアットを紹介していた。
 ワイアットは、15年前の戦争にいたわけではなかったし、また信頼するに足りると考えたからだ。そして、自分達の目的のために理解者を作っておく。その意味も含んでいた。

 初対面の際、彼は「ハイランドの狂皇子殿に会えるとは…長生きしてて正解だな!」と手を差し出した。ルカは、それを皮肉と取ったのか眉を寄せていたが、すぐにそれを冗談と判断したらしく握手を返していた。

 意外にも、二人は、気が合うようだった。
 端から見れば、喋るのが好きな男と、無口の部類に入る男。しかしルカは、話しかけられれば大抵のことには答えるため、彼の話し相手には、丁度良かったようだ。時折、ルカの方から何やら質問することもあったようだが、彼は、楽しそうに身振り手振りで返していた。

 ふと、そんな事を思い返しながら考える。ルカは、何処へ行ったのだろう? と。
 彼は、ワイアットの話を聞いてすぐに出て行ってしまった。その表情は、いつもと変わらないように思えたが、何やら機嫌が悪そうに見えた。
 そこで一つの結論に行き着く。しかしその結論は、ルカという人物を知る者からすれば、『とてもじゃないが、信じられない』と思わざるをえなかった。
 あのルカが? いや、あくまで予想でしかないが・・・・。

 思考ばかりに意識が向いてしまい、知らず、足は城外へ向いていた。






 その頃。
 彼女の仮定した通り、ルカは、とある場所にいた。転移魔法を使って。

 光がやみ、目を開ける。辺り一面、暗がりに支配されている。
 それに目が慣れるまではと目を細め、ようやくそれにも慣れた頃、周りを見渡した。そこは、上下左右が石で作られている人工的な洞窟。
 道の中央に立つと、その遥か後ろからやってくる気配へ目を向けた。足音からして、自分ほどではないが、大柄の男のものだ。
 その人物こそが、ルカ本人にこういった行動をとらせた、唯一の『待ち人』であった。

 暫くすると、視線の先から男が姿を見せた。だが、自分を見て目を丸くする。

 「ルカ…?」
 「…………。」

 男・・・・・・ワイアットが問うと、ルカは、答えることなく彼を見据えた。



 どうしてルカがこの場所にいるのか。ワイアットは、考えていた。
 彼女の話では、大抵は部屋で本を読んでいるか、酒場に行くかのどちらかだ、と聞いていたからだ。彼女と二人で行動することはあっても、自ら動くことは滅多にない、と。
 その彼が、彼女を連れて来ることもなく、一人でこんな場所に突っ立っているのだ。何をするでもなく、ただ佇んでいるだけなのである。

 「こんな場所に、用事でもあるのか…?」
 「…馬鹿が。貴様にだ。」
 「俺に…?」

 首を傾げる。

 「俺にって……いったい、なんだ?」
 「貴様は、この先へ向かい…………何をするつもりだ?」
 「………。」

 自分を見据え、静かにそう問う彼の瞳は、殺気はなくとも”意思”の強さを感じさせた。なるほど、流石は狂皇子と言われていただけあって、とても強い眼差しだ。
 しかし、それとは違った感覚が胸中に沸き上がる。もしかしたら、気付かれたのかもしれない、と。
 すると彼は、僅かに頭を振り続けた。

 「貴様が、目指しているこの先に何があるのか………俺は知らんし、どうでもいい。」
 「……?」
 「だが、その目が気に食わん…。」
 「…………。」

 それだけで、彼が、何も知らずに自分を追ってきたわけではないと感じた。自分の目指す先で、自分が何をしようとしているのかを。
 彼は、きっと全容を把握しているわけではない。しかし、己の真意をその驚異的な本能で感じ取っているのだろう。その先で自分が、命を落とすかもしれないということを・・・。
 だが、なぜか? どうやって彼は、自分の”決意”を見極めたのか。

 すると彼は、視線を外してから、らしくなく小さな声で言った。

 「……あいつが、お前の事を気にかけていた。」
 「が…?」
 「あぁ。………あいつを残して行く気なのか?」
 「………。」

 たったそれだけの一言に、胸が痛んだ。

 彼女から、聞いてはいた。50年前のあの時『ずっと昔に、親友をなくした』と。
 そして、『恋人さえ亡くした』という事を。大切な者達を。
 自分も同じだった。愛する者を亡くしていた。大切な人を亡くした。

 皆、同じだった。紋章を持つ者達は、皆・・・。

 しかし、自分が『置いていく側なのだ』と、彼に責められている気がした。残される痛みを、自分はよく知っている。後悔や失念、そして絶望を。
 でも、それでも・・・・・守り託す為に、自分は進まねばならない。

 「すまん……。俺は、行かなきゃならないんだ…。」
 「……貴様がどうしようが、俺は、止める気もなければ咎める気もない。それが貴様の『答え』だと言うのなら、俺は、一向に構わん。」
 「済まない……。」
 「だが…、あいつは違う。あいつは、それに納得せんぞ。それだけは………忘れるな。」

 そう言い終えて、彼は道を譲った。それに笑いかけて、その横を通り抜ける。
 ・・・そうだ。彼女は違う。彼女は、きっと俺達と違う。割り切る事なんて出来やしない。
 だからワイアットは、立ち止まり、彼に言った。

 「あいつに………『生きてくれ』と…。」
 「…………分かった。必ず伝える。」



 ワイアットの言葉に思う所はあったが、ルカは、それ以上彼を引き止めることはしなかった。代わりに背を向け、右手を掲げる。
 光に全身が吸い込まれる直前、消え入りそうな彼の声が、耳に焼き付いて離れなかった。

 「……………………泣くなよ。」

 震える声。それは、最初で最後の、彼の謝罪の言葉。
 残して逝く者の痛みを・・・・・・やるせない思いを胸に秘め、ルカはそっと目を閉じた。