[色褪せぬ意志]



 ルカが、高速路でワイアットと別れた頃。
 は、一人思案しながら、どこを目指すわけでもなく歩いていた。

 性分なのか、一旦悩み始めると中々止まらない。そして生来のものなのか、それらは下り坂の一途をたどるのだ。
 いつから自分は、このような暗い思考ばかりを優先させるようになったのだろうか。思わず眉を顰めてみるも、それは、きっと今までの自分が重ねてきた(何千何万という時の流れの中の)一つ一つの積み重ね故なのだろう。諦めにも似た感情だ。
 結果としてみれば、自分の取った行動や言動、それら全てが、今の自分を形成しているのだから。

 自嘲的な、皮肉めいた笑みが零れた。
 あとどれだけの時を過ごせば、自分で納得出来る『答え』が手に入るのだろう。
 ・・・・・・納得? 何を? 自分は、いったい何に納得しようと言うのか?
 朧げであやふやな、その答え。きっと始めから、そんなもの何処にも存在しない。
 投げやりな気持ちを首を振ることで追い払い、額に手を当て立ち止まる。ずっと考え事ばかりしていると、もれなく頭痛がやってくることを知っていたからだ。
 だから、ここで考えるのを一旦止めた。

 ふと、落としていた視線を上げる。ここはどこだろうか、と。
 すると、後ろから声がかかった。

 「さん!」
 「…? あぁ、ヒューゴ……だっけか?」

 いつの間にやら、城門前まで来ていたようだ。いつもなら、セシルと数匹の犬達が守っているその場所には、自分と少年とそしてダックの三人。ダックの彼は、確か『ジョー軍曹』と呼ばれていたか。
 この時間帯なのに、どうして、ここには誰もいない? そう思いふと空を見上げると、なるほど、今にも雨が振り出さんばかりの厚い雲。

 そう思った途端、ポツ、と一雫。

 ここ最近、自分の心を表すように、天気も曖昧でまた気難しい。空は、一つ涙を零してしまえば、後はいくら降ろうが同じだろう、とばかりに泣き始める。
 ・・・・・そうか。それなら、それでいい。思いきり泣け。
 そう思いながら、本格的に降り始めたそれに躊躇することなく、空に向かって目を閉じている自分を見て、ヒューゴと軍曹が顔を見合わせた。何なんだ? とでも思っているのだろう。
 しかし、自分にとってこの雨は、火照った頭を冷やすのには丁度良かった。その一雫一雫が、顔や体に当たる度に少しずつ内にある熱を下げてくれる。

 と、ここでヒューゴに呼ばれたので、視線を向けた。

 「えっと……さん、で、合ってますよね?」
 「……あぁ。」

 彼が、戸惑っているのが分かる。雨に濡れても平気な顔をしている自分に。破壊者と共に行ったというのに戻り、まだここに居ることを許されている自分に。
 まともに会話した事が無い故に、どういった態度で接すれば良いか、彼にはまだ分からないのだろう。暫く戸惑っていたようだが、やがて彼は、おずおずと言った。

 「あの、風邪…引きますよ。」
 「……あぁ、気にしなくていい。」
 「えっと……それじゃあ、俺達は…」

 そう言って、訝しげな顔をして自分を見つめる軍曹と共に、彼が頭を下げて去ろうとした。その右手を、静かに掴む。

 「ッ!!? ……えっ…な…!?」
 「……………。」

 ・・・・感じた。と同時に、彼が腕を振り払う。突如感じた『疼き』の正体に、本能的に恐怖したのだろう。『これは何だ!?』とでも言いたげに、眼を見開いている。
 だが、その反応を流すと「どうした?」と、あえて問うてみせる。少年は、戸惑いながらも問うてくる。

 「い、今のは……?」
 「…今の? なんだ、何かあったか?」
 「あ、いえ…………なんでもないです。済みません…。」

 ふと視線を向ければ、彼の右手に刻まれた刻印からは、淡い光。
 もちろん自分の右手の刻印も、革手袋の下で小さな光を瞬かせているはずだ。

 「…ヒューゴ。風邪を引かないうちに、早く戻った方が良い。」
 「あ、はい。でも、その…」
 「なんだ?」
 「俺達……ジンバを追いかけようと思うんです。」

 と、ここで軍曹が前に出た。

 「なぁ、。良かったら、あんたも一緒に来てくれないか?」
 「…俺が? どうして?」
 「あんた、かなり腕が立つんだろう? ナッシュって奴から聞いてるぜ。それに、運び手に参加してるなら、少しくらいは手伝ってくれてもいいはずだ。」
 「…ルシアから聞かなかったのか? 俺は、戦闘に参加するつもりが無いってな。」

 そう答えた途端、軍曹が、目を鋭く尖らせた。

 「それじゃあ、都合が良過ぎやしないか? 参加してないじゃないか。」
 「参加してない、か…。確かにそうだな。けど俺も相方も、そういう条件でこの場所に居るんだよ。」
 「…………あんた、何が『目的』で、この城にいるんだ?」

 暗に、彼が『炎の英雄の待つ地』での一件を差していることが分かる。それもそうだ。破壊者と共に去ったくせに、自分はこうしてこの城にいる。
 ・・・・そうか。その『答え』が欲しいのか。ならばくれてやる。それで満足するなら、いくらでも。

 「……弟を、探してる。」
 「弟…?」
 「そうだ。何を思ったか、家出したんだよ。調べたら、こっちの方に来てるって情報があった。それで、破壊者の中の一人に『ユーバー』という男がいただろう? あいつは、昔、俺の弟と一回やり合ったことがある。だから、あいつに聞けば、何かしら手がかりが得られるかもしれないと思ったんだ。だから、あいつと一緒に行った。でも何の手掛かりも無かったから、戻ってきた。他意は無い。」
 「…………。」

 前にルシアに話した言葉が、すらすら口をつく。これで納得出来ないなら、それはそれで構わない。見ればジョー軍曹は、納得いかないのか眉を寄せている。
 そうか、納得出来ないか。それなら・・・・。

 「納得出来ないか? それならハッキリ言ってやる。俺は『自分より弱い奴』とは、一緒に戦いたくない。」
 「なっ、弱いだと…!?」
 「あぁ、そうだ。はっきり言って、俺から見りゃあ、あんたらは弱い。言いたくないけど、足手纏いになる奴は、邪魔だ。お守役をするために、ここに居るわけじゃないからな。」
 「!!」
 「だから俺は、あんたらとパーティを組む気はない。……これで納得してもらえたか?」

 軍曹と呼ばれている程の手練なのだろうから、一目見れば、相手の力量は分かるだろう?
 暗にそう言ってやると、彼は目を剥いた。
 すると今度は、ヒューゴが前に出る。

 「た、確かにあなたは、俺達より強いかもしれないけど…。でも、何もそこまで言わなくてもいいじゃないですか…。」
 「……あえて言ってるんだよ。たかが、そこいらの雑魚モンスターを倒せるってだけで、それが俺から見て『弱くはない』とは言わないんだよ、ヒューゴ。さっきも言ったように、俺達は、『目的』があってこの地に来てる。弟を探してるんだ。それなのに、どうして自分より弱い奴のお守りをしなきゃならないんだ?」
 「っ、それは…」
 「……俺を頼る前に、まずは強くなれよ。俺の力に頼ってる程度の”強さ”じゃあ、炎の英雄も浮かばれないだろうな。あんた、何のためにそれを継いだんだ?」
 「…………。」

 少し言い過ぎたか? そう思っても、もう遅いか。
 一度、言葉にしたものは戻らない。ならば、あえて『憎まれ役』にでもなってやるか。

 「そうだな…。もしあんたらが、『弱くない』って自信があるなら……試してやってもいいよ。少しぐらいなら、『遊んで』も構わないけど?」
 「ッ!!!」

 これには、流石に頭に来たらしい。自分でも、こんな事を言われたら頭に来ると思う。いやはや、あいつの憎まれ口が移ったか。
 弱い足手纏いだと言われれば、戦士として育った彼も軍曹も、頭にこないわけがない。
 それに・・・・・もっと強くなってもらわなくては困る。あのハルモニアと本気でやりあうなら、尚更。

 刀に手をかける。すると、彼等も冷静さを欠いたのか、武器を手にした。

 「ヒューゴ………今のは、流石の俺も頭にきたぞ!!」
 「俺だってそうだよ!! さん、良いんですね!?」

 「……うん、いいよ。それであんたらが、”納得”してくれるんならね…。」

 スラリと刀を抜く。何よりも尊い者の名がつけられた、それを。
 雨の中、二対一の勝負が始まった。






 「…………ふぅ。」

 褐色の肌に金の髪を持つ少年。そして、常にその少年の隣にいるダックの戦士。
 その二人の地に伏す姿を見つめながら、は、静かに刀を鞘にしまった。

 「この程度か……。」

 その力は、自分にまだ遠く及ばない。遥か、遠い・・・。

 「ぐッ……く、そォ……!」

 ヒューゴが声を上げた。峰打ちのつもりだったが、まだ意識は保っているようだ。その精神力は、まだ評価できるか。

 「でも………まだ、足りない……。」

 ポツリ、ポツリ。雨は、止む気配を見せない。

 「く、そ………!」

 なんとか立とうと全身に力を入れたようだが、その力すら残っていないのか、彼は泥水にまみれる。

 「……もう立つなよ。何度やっても、結果は変わらない…。」

 そう言ってやるも、少年は「くそっ…!」と言いながら、立ち上がろうと拳に力を込める。そんな彼に近づいて、は、静かにその姿を見下ろした。

 「……もう止めておきな。立つだけ無駄だから…。」

 少年は答えない。きっと、悔しさで歯を噛み締めているのだろう。

 「ヒューゴ…………強くなりたいか?」
 「………。」

 グ、と右の拳が握られた。それが、彼の返答なのだろう。
 その答えを受け取り、その襟首を掴んだ。そして、力任せに起こす。
 そして・・・・・

 「………この敗北が悔しいなら…………”運命”に抗えるだけの力を、手に入れろ。」

 言い終えてから、彼の鳩尾に拳を叩き付けた。
 意識を失い、ぐったりと力をなくした少年を寝かせ、転移を唱える。
 光に飲み込まれて、少年達は、姿を消した。

 「……そうしなきゃ……………何も……変えられないんだから………。」



 少年の母親から聞いていた。『あの子は、英雄の意思を継いだ』と。そして、それが少年の意思であったこと。
 けれど、それを聞いて口惜しいと思った。いつも犠牲になるのは、大人ではなく、まだこれから色々な事に気付き、それを糧に緩やかな成長を得られるはずの子供。

 紋章が選ぶのは、いつだって・・・・・・。

 悔しさや悲しさ、失念や鬱気の交じる感情の中、嫌でもそう結論づけなければならないのだ。それが殊更口惜しかった。

 ふと、自身の右手に視線を移す。『共鳴を』と言うように、それは脈打っている。
 少年の手を掴んだ時、今まで以上の疼きを感じた。それは、きっと前所持者の『意志』。もうこの世にはいない、『彼』の遺志。

 『ま、これも、一つの経験ってやつか?』

 それは、再開することの出来なかった、炎の英雄といわれた『彼』の言葉。

 流れたのは、雨か、涙か。
 もう、彼に会うことも、伝えることも出来ない。
 彼の眠るであろう星を、厚き雲に覆われた今は、見ることができないけれど・・・・。
 それでも、その名を口にせずにはいられなかった。

 「     」

 雨の音にかき消されても。雲を隔てて、届かなくとも。
 その名は、あの頃のように、変わらない旋律を響かせた。