[愛情の反意]



 「ククッ……俺達と、やると言うのか…?」
 「……。悪い事は言わないから、止めておいた方が良い。それに、その紋章を渡してくれるなら、僕は、きみを傷つけるつもりは…」

 楽しそうな顔でまず口を開いたのは、ユーバーだ。そして次に、床に視線を落として宥めるように言ったのは、ルック。
 白いコートの男は、何を言うでもなく、じっとその場を静観している。

 それに構わず、愛刀の切っ先を彼等に向けながら、言った。

 「…黙れ。私は、破壊馬鹿に真なる紋章を渡そうとは思わないし、まして、あんたらとワイアットを戦わせるわけにもいかない。」
 「どうしても………分かってもらえないんだね…。」

 分かってやりたい。でも、分かってやれない。
 だって・・・。

 「いい加減にしとけよ、ルック。神殺しなんて馬鹿な真似は、もう止めろ。そんなことしたら、あんたもこの地の人間も、皆死ぬんだぞ。」
 「……分かってるよ。」
 「ッ、分かってない! あんたは、何にも分かってない! それに、どうやって紋章を保管しておく? あんたには、もう宿せないのに………なんで、そんな出来もしないことを…!」

 それは、核心だった。自分の宿す紋章以外に、そんな術があると聞いたこともない。
 だが、予想外にも彼は言った。

 「……ハルモニアには、ね。それが出来る、忌むべき術があるんだよ…。」
 「術…?」
 「……少しお喋りが過ぎたようだ。もう、きみと話すことは……無い。」

 術?・・・・紋章を『回収』できる、術?
 それが、ハルモニアにあると?
 どういうことだ? 何故、そんな術をハルモニアが持ってる?

 また疑問。問うも、彼は口を閉ざす。

 ・・・・・・・・・もう沢山だ。謎、謎、謎、謎。知らないことばかり。
 けれど、もし彼の言うことが本当だとしたら?
 『回収』する術が、自分の持つ紋章以外にもあるとしたら?

 それなら・・・・・・・

 「それなら……私が、他の紋章を、ぜんぶ回収して…」
 「……きみに出来るのかい? それは、『現所持者を殺す』ことになるのに?」
 「…………。」

 彼は、よく知っている。もしかしたら師から聞いたか、自分で調べたのだろう。
 所持者のいる紋章を『回収』するとは、すなわち、所持者と紋章の繋がりを『強制的に断ち切る』こと。強制的に断ち切られたことで、紋章との繋がりのなくなった所持者は、100%命を落とす。
 脅しのつもりで言っただけだが、即答されてしまえば、声を詰まらせるしかなかった。

 「あんた…………この地の未来を、殺す気なの……?」

 そう問うしかなかった。それ以外の言葉が、浮かばなかった。
 すると彼は、静かに首を振った。

 「……違う。」
 「違わないッ! あんた達がやろうとしてるのは、未来の破壊だろ!!」

 紋章を壊すということは、世界の理を乱すということ。紋章の破壊を行うということは、このグラスランドの未来を奪うこと。この地に住む人々の持つ未来を、それこそ根こそぎ奪うという事。
 すると彼は、本当に小さな声で言った。

 「やっぱり……………きみにも………”見えて”いないんだね……。」
 「なにを…」

 なにが? なにを差して、見えていないと言ったのか?
 きみに『も』と、彼は言った。それは、まるで彼以外の者は、誰も見ていないような言い方じゃないか。
 それなら、彼は、何を見てる? 何を・・・・・・・・・見てきた?

 けれど、彼がそれに答えることはなく、返ってきたのは、「きみには、もう……関係ないよ。」だった。

 途端、全身に感じたのは、怒り。何に? なんの『答え』も見出せない自分自身に、だ。
 彼の暗示することに、なんの繋がりも捉えることが出来ず、ただただ『答え』ばかりを求めている自分に。
 なんで、私は、何も知らない? なんで私は、いつも知らない? どうして私ばかり・・・。
 ザワ、とした揺らめきが、心を揺らし始める。

 「……はは。流石に、このやり取りにもいい加減飽きたわ…。」
 「なにを…」
 「ッっ、流石に私もキレたっつってんのッ!! こうなったら、もう力づくでいくからねッ!! 覚悟しろよッ!!!」

 ザワザワ、ザワザワ。体を這い上がってくる『なにか』。
 気配を押し殺しながらも、それは、ジワリと自分を浸食していく。
 しかし、そんなことに構ってはいられない。

 「言っとくけど、昔みたいな生温い鉄拳じゃ済まさないからな!! それはマジ覚悟しとけよ!! それでもやるってんなら、やってやんよッ!!」
 「…………。」
 「安心しな。完膚なきまでに、こてんぱんに叩きのめしてやっから。そうすりゃあんたも、素直に負けを認めて、こんな馬鹿げたことは止めるだろ? いや……力づくでも止めさせる!!」

 ジワリ、ジワリ。
 感覚が鋭くなっていく。全ての神経が冴え渡るのを、全身で感じる。
 しかし、それとは逆に、意識が少しずつ遠くなっていく気がした。

 と、ここで、ユーバーが笑った。

 「ククッ、それは……俺達二人を相手に、無傷で済むと思っている、という事か…?」
 「ふふ…馬鹿だね、あんた。それは、こっちのセリフだよ。」

 喉を鳴らしながら、袖口から双剣を取り出したユーバーを、嘲笑ってやる。
 すると、ルックが言った。

 「それなら……僕らを相手に、どこまで戦えるか………試してみるかい?」

 致し方ないとばかりに首を振り、彼が右足を一歩引く。それは、彼が戦闘をする際の標準の型。
 それを見て、思わず笑ってしまった。

 「ルック…、私を見くびってんの? それとも、本当に勝つ自信があるわけ?」
 「……きみが、あいつと旅に出ていた間、僕が何もしていなかったとでも?」
 「はん! 相変わらずの減らず口だな。いいよ、やってやろうじゃん! その捻くれねじ曲がった根性ともども叩き直してやっから、かかってこいよ!」
 「……相変わらずなのは、きみの方だよ。言われなくても…!」

 久しい、憎まれ口の叩き合い。
 彼が右手を上げたのが、戦闘開始の合図となった。






 ユーバーが地を蹴り、の懐に入り込む。しかし、振り上げられたそれを、彼女は『おぼろの紋章』の効果でよけると、嘲るような笑みを浮かべた。

 「ちっ!」
 「ふふ…。ユーバー、私に宿る紋章を、少しは調査してから挑むべきだったね…。」

 舌打ちした悪鬼に、彼女は、冷徹で感情のない笑みを口元に浮かべる。
 途端、それを見ていたルックの背に、ゾクリと言い様のない戦慄が走った。戦闘が始まった途端に変わった、彼女の声や表情に。

 『まさか……あの時の……?』

 彼女のその笑みを見て、今の彼女が、彼女でないことを知る。
 彼女、ではない。『という女性』ではなく、『彼女という器』の『彼女ではない何か』だ。

 表情は無い。というよりも、それは全くの無を表しているものの、ユーバーを挑発する口調は、打って代わって楽しげな子供のそれ。
 そして、その動き。かつてデュナン統一戦争の際に見た彼女の動きとは、まるで違っていた。まったく隙がないのだ。ルカと共に旅に出て、確かに剣の腕もあの頃とは比べ物にならないほど上達しているのだろう。

 しかし・・・・。

 ユーバーの剣をいなす動作一つとっても、攻撃を避ける体の捻りをとっても、そして洗練され過ぎた鮮やかな動きをとってみても、やはり感じたのは、あの時と同様。

 『人では無い』

 彼女本来の気配が、感じられない。
 ユーバーもそれに感づいているのか、先まで三日月に形作られていた唇は、少し剣を交えただけで引き攣るものに変わっていっている。
 彼の剣技が、彼女に劣っているわけではない。彼女の纏う目に見えぬ気配────いうなれば、存在感そのものに圧倒されているのだ。現に彼は、少しずつであるが、押されていた。

 そして、何とも直視し難いのは、戦を嫌い人を傷つけることを最も嫌がる彼女が、楽しそうに戦っている姿。
 ルックは、詠唱を続けながらも、やはり彼女ではないと確信した。
 知らず、冷や汗が浮かぶ。

 キンッ!!!

 金属の跳ねる音。その後に聞こえたのは、それが地に突き刺さる音。
 どうやら、勝負あったようだ。
 両の剣を弾かれた悪鬼の首筋には、彼女の刀が突き付けられている。

 「くッ……!!」
 「ふふっ、どうしたの、ユーバー? あんたが根を上げちゃったら、あの子が、一人で私の相手をしなきゃいけないよ? ふふ……それって、かなり大変だよねぇ?」
 「…貴様ッ…!!」

 あっははははっ!!!
 高らかに響いた女の笑い声に、冷や汗がどっと吹き出た。
 と。徐に、彼女が指を弾く。あの『魔の拘束』を、ユーバーに使ったのだ。言葉さえ発せないのか、彼は、くぐもるように呻いている。
 それを見て、彼女は、クスクスクスクス笑う。

 「情けないねぇ、ユーバー。……まぁいいや。あんたは、そこで少し静かにしててね。」
 「グッ……!?」

 もう一度、彼女が指を弾いた。それと同じくして、彼を封じている拘束に電流が走る。直後、彼は意識を失った。
 それを確認して、彼女がもう一度指を弾いた。彼の拘束を解いたのだ。ドッ、と倒れ伏す音。しかし、彼女がそれに振り返ることない。
 自分を見つめ、愉快そうに微笑んでいる。

 「さぁ、次は、あんたの番だよ。ふふ…。」
 「……………。」

 その言葉に、ルックは、返答することなくその瞳をじっと見つめた。彼女は、相変わらずな無表情であるにもかかわらず、その口調は『楽しくて仕方ない』といった、酷く落差のあるもの。
 そのオブシディアンの瞳は、確かに彼女のはずなのに、見せる色が本来とは異なる。まるで戦いそのものを楽しむような色が、ありありと浮かんでいた。それは、戦神の抱く闇と狂気。

 「でもね…安心していいよ。痛くないようにしてやっからさ…。」
 「……きみは…」

 嘲り笑う彼女に、ようやく、その一言だけ発した。
 すると、彼女は「なに?」と言って、首を傾げた。



 今の彼女の言動。それを見て、ルックは『純粋な子供』をイメージした。
 子供は、純粋であるが故に、透明な残酷さをその内に秘めている。わけも分からず虫を殺してみたり、意味も分からず人を傷つける言葉を使ってみたり。
 今の彼女は、まさに『それ』だ。それが、例えば彼女にとっての無意識であったとしても、『それ』でしかない。

 逆に、考えた。いつもの彼女は『それ』とは、真逆ではないかと。
 確かに彼女は、純粋と言えるものではない・・・かもしれない。汚い大人の渦巻く感情を知り尽くし、そこから派生する『戦』というものを実際に目にし、経験してきているのだから。
 けれど彼女は、人を傷つけぬよう、辛い思いをさせないよう、その心に慈悲を持っている。・・・・持っているじゃないか。

 自分の知る彼女とは、まさに後者。
 けれど、今、自分の目の前で残酷な笑みを浮かべているのは?

 『お前は……………誰だ?』

 表と裏。表裏一体。
 その落差に、いつだったか彼女が「…人間ってさ。心の中では、光と闇の両方を持ってるんだよね…。」と、困ったように言っていたことを思い出す。
 それが、今の彼女に・・・・・・・起きている?
 いったい『なに』が、彼女にそうさせているのかは分からない。上げるならば、一つの予想でしかないが、『それ』が彼女と共に在るのだろう。彼女の中に、存在しているのだろう。
 それは、即答できるものでも、簡単に肯定できるものでもない。だが、そのたった一つの可能性が、今、自分の結論付けられる唯一のものだった。



 「……僕は………。」
 「……言わなくていいよ。私はね、レックナートさんを悲しませたくないの。」
 「レックナート様を…?」
 「後は、自分で考えな。なんで、レックナートさんが悲しむのか。どうして私が、ここまでして………あんたらを止めようとしているのか。」

 その言葉が終わるか終わらないかで、彼女が、近距離転移を発動した。先ほどまでとは違い、元の『』の顔で。
 ころりと変わったその空気に、一瞬、反応が遅れる。
 と、背後に人の気配。しまったと思い振り返れども、もう遅い。眼前には、刀を振り上げる彼女の姿。

 瞳が、かち合う。
 それは悲しそうな、苦しそうな、闇を彷徨い続ける色。
 その中に見えた慈悲や愛情、そして寂しさに鼻の奥がツンとした。

 「ッ…!!」

 襲い来るだろう刃の衝撃に、咄嗟に目を閉じ歯を食いしばった。こんな所で倒れるわけにはいかないのに・・・・。
 しかし、刀が振り下ろされることはなかった。その代わり、肩に手が添えられる。

 「……ルック。もう止めようよ…。」
 「…………。」
 「一緒に帰ろう? そんで、また皆で一緒に…」
 「僕は…」

 彼女の手を振り払って、『帰るわけにはいかない!』と叫ぼうとした。
 しかし・・・・

 ドォン!!!!!

 巨大な音と共に、冷気の波動が、辺りにほとばしった。
 皆が皆、その音の方へと目を向ける。

 そこには、巨大な水のような塊が、円を描いて蠢く光景が、はっきりと見て取れた。